第19話 人肌恋し
斎藤の説明で、全て理解した山崎は土方の部屋に来た。そこには局長の近藤が椿の側に座って、まさに汗を拭っているところだった。
「局長、すみません。お手間を」
「おお! 山崎くん。椿くんの具合がよくない診てやってくれ」
「はい」
山崎が側によると、椿は苦しそうに息をしていた。山崎は椿の脈をとり、首に手を当てて確認する熱が高いのが分った。単なる感冒だと思いたい。しかし、只の感冒でもこの時代、命を落とす事も珍しくない。山崎の表情が歪む。
そこへ先ほど山崎を呼びに行った土方が戻ってきた。心配そうな面持ちで山崎に容態を聞く。
「椿はどうだ」
「はい、感冒だと思われるのですが。熱がかなり高いようです」
「何か必要なものがあれば準備させる。こいつは絶対に失うわけにはいなねえからな」
「ありがとうございます」
山崎は椿の額から流れる汗を拭った。
「あの、自分の部屋に連れて行っても良いでしょうか」
「構わねえ。その方がいいだろう」
◇
山崎は椿を抱えて自室へ戻った。布団に寝かせ椿の帯を緩めた。苦しそうに口を少し開け、息ははぁはぁと荒い。
「こんなになるまで貴方は……」
山崎はすぐにでも針で熱を下げてやりたかった。しかし、椿の身体は熱を出すことで病魔と闘っており簡単に下げるわけにはいかなかった。
「椿さん、すみません。何もできなくて」
暫くすると、椿の体から汗が出始めた。それを見た山崎は今が頃合いだろうと、椿の上半身を起こし白湯を飲ませた。汗を流した分だけ水分を取らせなければならないのだ。一通り汗は出たのか、椿の体の熱は先程より引いていた。
「着替えを」
汗でびっしょりと濡れた着物はすぐにでも替えさせないと、今度は体温が下がってしまう。しかし此処は男所帯だ、女手がない。
迷っている場合ではなかった。山崎は椿の部屋に行くと襦袢と寝間着を取ってきた。
熱が落ち着いたのか、椿の呼吸は落ち着いている。山崎はもう一度、椿の脈を取り首筋に指を当ててみた。
「ああ、よかった。もうじき下がります」
そして山崎は躊躇うことなく椿の腰紐に手を掛けた。
しゅる、しゅる、と紐を解き着物と襦袢を肩からゆっくり抜いて手拭いで椿の汗を拭いた。出来るだけ肌を露出しないように、手早く新しい襦袢と寝間着を着つける。苦しくないように腰紐は緩めに結んだ。
「椿さん、もう少し白湯を飲みましょう」
「ん」
上半身を抱え起こしたところで、椿が薄っすらと目を開けた。じいっと山崎の顔を見つめている。意識が朦朧としているのか山崎だと認識していないように思えた。椿はふうっと熱い息を吐いたかと思えば、「暑い」と襟元に指を差し込んだ。
「椿さん」
「んー、暑い」
その指に力が入ったかと思うと、椿は一気に自分の胸元を寛げた。
「なっ……」
山崎は狼狽えた。自分の腕の中で椿が自ら寝間着を脱ごうとしているからだ。
「椿さん駄目です。今脱いだら体が冷えてしまう」
「あ、つ、い……」
部屋は薄暗いとはいえ、こんな至近距離でしかも惚れた女の肌が露わになって行く。病人なんだと頭では分かっている、分かってはいるが男の体は勝手に熱を持ちはじめてしまう。
山崎だって健康な男子なのだから、それは許してやってほしい。山崎は目を逸らし、自分の中にある理性という言葉を必死で掻き集める。
ーー椿さんの肌と思うからいけない! 病人なんだぞ!
山崎の脳は必死に戦っているというのに、椿は襟元だけでなく、今度は腰紐にまで手を掛けたてしまう。
「暑い、これ……イヤ。取って」
「えっ」
苦しいだろうからと敢えて緩めに結んだ襦袢の紐を、椿は取れと言う。熱のせいで震える椿の指先が襦袢の紐を探っている。その仕草はそれはそれは恐ろしく、色っぽかったのだ。
山崎はぎゅと目を閉じ、脳に浮かぶその残像を払しょくするよう頭を振った。
「っ! だ、駄目です! 椿さんっ。紐を解いてはいけませんっ」
先ほど掻き集めた理性がようやく動きはじめ、椿の手に自分の手を重ねその動作を阻んだ。すると椿は無意識に反対の手で山崎の手を退かそうと握ってくる。山崎のもう片方の腕は椿の背中をを支えたまま。もしこの手を退かされてしまったら。もう椿を止められない……。
「椿さんっ!」
「ん」
山崎の悲痛な呼びかけに、椿の手がぴたりと止まる。今度はしっかりと目を開け山崎の顔をとらえた。椿が見つめるその先には、困惑した山崎の顔がある。
「あれ、山崎さん。わたし、どうして此処に」
「気が付きましたか」
「あのっ、私」
「高熱で
「熱……。ああ、それで体が痛いのですね。それにとても暑いのです」
「でも脱いではいけませんよ。冷えてしまいます」
「えっ」
山崎にに言われ椿は自分の身なりを確認した。着物ではなく寝間着を着ている。しかし着替えた記憶はない。山崎に上半身を支えられ、腰の上に置いた自分の手、その上には山崎の手が重なっている。その山崎の手を自分は退かそうとしていたような気がする。
「っ、すみません」
恥ずかしさと申し訳なさが込み上げて来て、また熱が顔に集中してしまう。真っ赤に茹で上がった椿の顔を見た山崎は、再び椿を布団に寝かせ冷たい手拭いを額に乗せた。
「桶の水を換えてきます」
「待って」
椿は着物の袖を握って、山崎が立ち上がるのを止めてしまう。山崎は中腰のまま驚いて椿の顔を覗きこんだ。
「どこか、痛みますか」
「いえ、あの。早く戻って来て、ください」
体調を崩すと誰だって心細くなるもだ。例えそれが医者という立場でも。今まで倒れるような病気を経験した事のない椿にとっては、計り知れないほどの不安があった。山崎はそんな椿の心を知ってか、椿の手を包み込むように握った。
「もっと冷たい水を持ってきます。すぐに戻りますよ。だから待っていてください」
「はい」
椿が自分を必要としている。頼ってくれている。そのことが更に愛おしさを募らせた。思わず抱きしめてしまいたくなる。ぎゅっと、めちゃくちゃに、壊してしまいそうなほど強く。それをぐっと堪えて部屋を出た。
山崎はできた男だ。新選組が誇る監察方の山崎烝なのだ。
山崎が冷たい水を入れた桶を手に部屋に戻ると、椿は子供のように山崎の仕草をを目で追っていた。山崎はそれを見てついくすりと笑ってしまう。
「すみません。椿さんが
「だって、寂しくて……」
「さあ、もう少し寝てください。次に起きた時は熱も下がっています。そしたら何か食べましょう」
椿は分かったと頷いて見せたが、いっこうに目を閉じようとはしない。
「眠れませんか」
「あの、一緒に」
「え、聞こえません。もう一度」
「一緒に、寝てくれませんか。や、やっぱりいいです。
椿は恥ずかしさのあまり布団を顔まで被り、山崎に背を向けた。山崎はとくに言葉を発することはなく、部屋はしんと静まり返ってしまう。
暫くすると小さな衣擦れの音がした。椿は目を閉じ眠ろうと必死だが、その音が何なのか気になってしかたがない。
「――っ!」
椿は驚きで肩を揺らした。山崎が、後ろから布団に入ってきたからだ。背中から包み込むように椿をそっと抱き寄せる。
背中から伝わってくる山崎の温もりはなんとも心地よく、椿を心から安心させるものだった。椿と山崎の鼓動がゆっくりと重なっていく。
トクン……トクン……トクン
椿は物心がついた頃から奉公に出され、持ち前の精神でここまで生きてきた。誰かに甘える事、誰かから甘やかされる事がこんなに幸せな気持ちにさせてくれるなど、考えたことがなかった。身寄りのない椿にとって、人肌の温もりはとても恋しかったのかもしれない。
椿はだんだんと体の強張りが取れていくのを感じながら、ゆっくりと目を閉じた。
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