”本質”を理解しよう

「脱線してしまったが、話を戻そう」

「あ、はい」

 ローザライマ家の事情に首を突っ込むと闇が見えそうなので、その提案はありがたい助け舟だった。

「彼女がアパートの外でも自分を維持できていたのは、お前が居るからだ。藍沢佳奈子だと認識してくれるお前が居ることで、佳奈子は自分を知らない他人の前でも揺らぐことなくいられる」

「……幽霊は、認識が重要でしたっけ?」

「ああ。普段と同じように幸運を送っているはずなのに存在が安定しなくなって、補講に縛り付けられているはずのお前とも上手く会えないから、姿が薄れたんだ」

 ばあちゃんのために、死んでからも……。

「座敷童は秘匿性が高まると存在の強度もあがるはずだ。それのメリットを押してまでもネットに記事を書いていたのは、自分の認識を散らばせて、学校内での活動力を補強するためかもしれないな。機転の利く女子だ」

「何でそんなこと……家に居たら安定するんですよね?」

 ばあちゃんを心配させてまで危ない綱渡りをする必要はなかったはずだ。

「……学校に憧れでもあったのではないかな」

「憧れって……」

「…………。迷っていたが、やはり見せることにしよう」

「?」

 差し出されたのは、新聞記事の切り抜き。ネットから拾ったのだろうか、新聞の一面のコピーだ。

 見出しは『〇〇〇〇年△月××日 飛行機事故』。

「……」

『北海道行きの□□□便が山間に不時着。この事故での死傷者は3人。飛行機先頭の藍沢さん一家が』

 藍沢さんが。

 死亡欄に“藍沢佳奈子”が――

 咄嗟に記事を裏返して視界から外す。

 幸いにも、ルピネさんが咎めることはなかった。

「………………」

 年号はいまから30年近く前だ。

 18年前にばあちゃんの元に現れた佳奈子と計算が合わない。

「……佳奈子は。この佳奈子じゃ、ない。んですか?」

「ああ」

「じゃあ誰なんですか」

「それは本人に聞きなさい。人づてにして答えられることではない」

 私も知らない、と付け加えた。

「…………」

 かつてばあちゃんが見せてくれた佳奈子のアルバムは、彼女が2歳の頃からだった。

 両親が海外に行ってしまったという佳奈子をばあちゃんが引き取って育てて……そう聞いていたのに。

「……もっとわかりやすい物証はあるが……それは父が透視して見えてしまったものだから、これも教えられない」

「透視って……シュレミアさんはなんなのか」

 あの人はびっくり人間か何かか。人外だけど。

「リーネアも、見ようと思えば見えると思うよ」

「へっ」

「ひーちゃんには見えないだろうが……あの子はわかるだろう」

「あの。……ええと」

「……妙な空気にしてしまったな。しかし、これをどうとらえるかはお前次第だ。私の意見は気にしないように」

「え、はい」

 ぴーんぽーん。

 インターホンが鳴る。

「玄武だな」

「開けてきますね」

「いや。許可を出してやれ」

「?」

「手土産を持っているから手がふさがっている。開けていいと言うだけで充分だ」

「……開けていいっすよ」

 ガチャン!

 鍵が勝手に開き、扉が自動ドアのように勝手に開いた。

「…………」

「たっだいまー!」

 玄武さんが帰ってきた。

 ――血まみれの白布と太鼓を引きずって。

「…………」

 彼自身も肩のあたりが血まみれだ。ほんのりと鉄さび臭いが、赤はゆっくりと黒ずみ、灰となって空気に解けていく。

 それはどことなく、アイスの魔法陣を思い出させる消え方だった。

「玄武。血をぬぐってから来なさい」

 ルピネさんがあきれ顔をして玄武さんの頭を小突いた。

「おお。いやあー、あれだな。姉さんへの土産にしようと思って」

「その気持ちは嬉しいが、若者の前で血を見せるものではない」

「…………」

 言われた玄武さんは自分の抱えるものを見て、ぽりぽりと頬をかく。

「光太、悪い」

「ど、どなたの返り血で……? 手に抱えるのは……」

「あー……まあ、なんか……なんだ、これ?」

「知りませんよ‼」

 しかし、彼はすっぱり諦めてびっと敬礼した。

「すまん。シャワー貸してくれや」

「諦め早っ!」



  ――*――

「ねえ。太鼓、聞こえなくなっちゃった」

「……」

 袴の青年が白頭巾を掻っ捌く光景が見えただろうに、感想がそれか。やっぱ記憶が混濁すると危ういな。

 ……っつーか、あれ玄武だよな。シェルはなにやってんだ?

 そんな疑問を捨て置き、ケイの頭を撫でる。

「お祭り終わっちゃったのかな」

 札幌にあんな物騒なお祭りはない。お前の方が知ってるだろ。

「寂しいか?」

「……わかんない」

「…………。花火、見に行くか?」

「! 行く」



  ――*――

 ルピネさんは、シャワーから1分であがってきた玄武さんとともに、今回の事件について総括する。

「座敷童の概要は、それそのまま、存在の成立条件でもある。1つは同居人がいる家に住み着くこと。これはここの一室に住まうことで満たされている。アパートには必ず誰か住んでいるしな。傍に子どもがいるとさらに安定する。これはお前のおかげで満たされている」

「俺、子どもって年齢じゃないですよ?」

「幼馴染と言っていただろう? それとも、お前は昔から18歳のままだったのかな?」

「あ……」

 からかうような笑声が優しげで、少しくすぐったい。

「お前に合わせて成長しているのだと思うよ」

「幽霊ってのは、幽霊自身の自己認識に姿が左右されるんだ。器用な奴だと、他人の記憶と感情に乗っかって、うまい具合に見た目を変えられるのもいる」

 玄武さんが補足すると、納得がいった。

 もし元々の藍沢佳奈子がいまの佳奈子と別人の見た目だったら、いくらばあちゃんでも気づくだろう。

 いや、気づく、というか……

 実の息子夫婦とお孫さんが死んだということをわかっていないのなら、ばあちゃんの心は……

「あの。ばあちゃんは、元の佳奈子ちゃんのこと、」

「憶測で言えるものではないよ」

「……心ってのは、お前さんが思うより柔らかく形を変える。人外が余計なことなんざ言えねえ。これでいいか?」

 申し訳なさそうな二人に、考えなしに発言したことを謝罪する。

 鷹揚に頷き、ルピネさんが口を開く。

「妖怪……私たちは魔するものと呼ぶそれらは、多かれ少なかれルールを持っている。ルールとは、先のような成立条件の羅列だ。一つを破ったとて問題はないが……重大なルールを破れば破ったものに怒りを向けるか、見えなくなるのがほとんどだ」

「……座敷童は。いなくなる?」

「そうだな」

 ルピネさんの落ち着き具合が今ばかりは憎たらしい。

 佳奈子は、すぐにお腹すいただの疲れただの言って俺に飯代を出させて踏み倒す。文系が壊滅することを棚に上げ、俺の理系の出来なさをバカにする。翰川先生とのツーショットを題材に好き勝手にゴシップ記事を書く。

 幼馴染でなければ、お付き合い遠慮願うタイプだ。

「……」

 だが、彼女は腐れ縁の幼馴染だ。

 元が誰だろうと、藍沢佳奈子という存在は俺の日常の中に居た。

「……どうしようもないんですか」

 たとえ人間じゃなかったとしても、俺と過ごした佳奈子はあいつだけだ。

「ある。……玄武」

 袴姿の青年がすっくと立ちあがり、俺の隣にやってくる。

 やはり、どう動いているのかわからない。

「お前さんの手指には、糸が絡まってる。たくさんの糸だ」

「……縁……」

「ああ。……少しいじるぜ。無理だと思ったら言いな」

 玄武さんは俺の手を取って静かに告げる。

「見えざるは糸。彩れや赤引きの糸」

「っ」

 こめかみに何かを突き刺されたような錯覚を得て手をやるが、何もない。

 軽く触れた手に色とりどりな糸が見えた。

「…………」

 糸は俺の手のあちこちに絡まって伸びて、その中の数本は、ルピネさんと玄武さんにもつながっている。

「見えたか? 目ぇ、頭、心の臓。どこか痛いと思ったら言え。すぐ術ほどく」

「……だ、いじょうぶです。これ、玄武さんの言ってた……?」

「そうだ。いまはお前さんの手につながった糸だけ見えるようにしてある。……で、これがお前さんと佳奈子との糸だ」

 薄く輝く朱色を、玄武さんがそっと持ち上げる。

 ほかの糸と比べると非常に頼りなくか細い。

「座敷童との縁は、契約が終わっちまえば残らねえ。……でも、“藍沢佳奈子”との縁は切れちゃあいねえ。薄ぅくなっちまってるのは確かだが、まだつながってる」

「すぐ行きます。探します。たどれば……」

 立ち上がろうとする俺を、ルピネさんが威厳一つで制する。

「落ち着け、光太。その糸というのは物理的なものではなく魔術……魂に関わるものだ。糸が壁の向こうに淡く透けているのが見えるだろう? どうやって追う?」

「あ」

「糸は実世界の空間を無視して他者と繋がっている。物理計算で成り立つ物質ではないからな。辿っているうち、この世界とは違うどこかに入り込む可能性がある。幽霊との縁ならなおさらに」

「じゃあどうしたらいいんですか。俺、ばあちゃんと約束したんです。佳奈子連れ戻すって」

「わかってるさ。だから俺が居るんだ」

 玄武さんが静かに何事かを呟くと、俺の手指から糸が消えた。

 糸自体を消したのでなく、術とやらを解除したらしい。

「俺は縁結びと悪縁断ちの神様として祀られてたんだ。こんな事件は得意中の得意だぜ」

 彼が宿っているという刀が彼の手の中に現れ、俺に差し出される。

「え」

「一瞬でいい、握んな」

「…………」

 言われた通り、一瞬だけ柄を握り、そして離す。

 彼は満足げに笑い、すっくと立ちあがった。

「道案内してやる」

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