第18話 そして僕らの反省会


「まさかリリェルが魅了されてるなんて」


 燻った複雑な自分の心を冷やすように、僕は静かに額をつけた。

 伏した机はひんやりと冷たい。

 

「主人公だからねぇ仕方ないね」


 他人事のような由宇さんの言葉に自分の中のモヤモヤが膨れ上がった。


「主人公だからこそですよ」


 ちらと視線だけを向けると、彼女は相変わらず口元に笑みを浮かべ、遠くをみつめていた。


――本当、何考えてるか分からない人だな。


 いつもなら即答で世界観に関する持論を語るのに、今は何故か無言のまま。

 不成立なまま過ぎ去ろうとしている会話に僕は言葉を加えた。


「本来『主人公』っていうのはこういう事象に強いんじゃないですか」


 主人公。それは物語の解決役。

 解決するためには、その問題を克服出来る状態でなければいけない。

 つまり無敵である。

 その理屈でいけばリリェルが魅了されるはずがなかった。


「ねえ由宇さん?」


 やはりいつもの軽快な返事が無い。


「うーん、物語ならそうかもしれないけど」


 言葉を詰まらせる由宇さん。

 しばらく悩むような素振りを見せ、それからようやく言葉を続けた。


「これはゲームだからさ、状態異常にもなるんだよ。たぶんね」

「そんな」

「状態異常無効の装備でもあれば別だけど。あ、それかチートとか」


 由宇さんはそう言うと、一人満足気に頷いた。もちろん僕は全然満足していない。


「あーそう、それでさ、一つ気になることがあるんだけど」

「気になること?」


 人差し指を上に向け、くるくると円を描きながら由宇さんは言葉を続けた。

 ふと彼女の色の濃い瞳が僕を覗いた。


「状態異常にも関わらず、リリェルちゃんは普通に日常を送ってるんだよね」


 そう言われて、僕はリリェルに目を向けた。今は休み時間。今回は先生を手伝う必要が無いらしく、彼女は一人、ノートに何かをまとめている。


「いくらのんびり屋の森田さんだって状態異常になったら回復しようとするでしょ?」

「のんびり屋って」


 そんな風に見えていたのか。


「……まあ、回復、しますよ」


 今の発言に対する抗議は保留にして、とりあえずそう答えた。


「じゃあそんな森田さんでも回復するのに、リリェルちゃんが回復しない理由は?」

「それはだってほら、彼女は自分が状態異常だなんて知らないから。ステータスだって見えませんし」

「そうだね」


 由宇さんはあっさりと頷いた。

 何が言いたい。

 彼女の意図が見えないまま僕はその不敵な笑みを眺めていた。


「だからさ、これはゲームだよ?」


 それは何度も聞いた。


「ゲームってのは攻略してこそゲームなわけさ。でも今は攻略、つまりこの場合は回復かな、それを行ってないんだよ。これってゲームを攻略しようとする意思に反してるよね」

「……」


「ぶっちゃけさ、ストーリーが止まってる」


 僕は教室を見まわした。

 当たり前のようにはしゃぐ生徒。淡々と繰り返される授業。こんなに動いているのに……止まってる?

 以前、僕が悪役令嬢に反した行動をとって世界を止めた時は、人も物も時間も何もかもが静止してなかったか。


「あ、止めたのはこの場じゃなくてストーリー。物語が進展しないだけで日常は送れると思うよ」


 心を読んだように由宇さんは言った。


「私はこのままこのキャッキャウフフな世界を延々楽しんでもいいんだけど――森田さん、それじゃ困るんでしょ?」


 試すようなその瞳。

 授業なんて真面目に受けなくてもいい、お金だっていくらでもある、自分の都合のいいようにゆるく楽しく暮らせる世界。悪役令嬢というポジションにいればこの先困ることなんて早々ないのだろう。でも――


「ええ。これがゲームというならば、クリアして元の世界に帰ります」


 僕は元の世界に帰りたいのだ。

 この状況をおかしいと思ってしまう時点で、僕はこの世界には向いてない。


「それにやっぱり、主人公は自分であって欲しいですし」

「おぉー森田さん言うねぇ」


 この世界観に自分も少し毒されてきたらしい。

 茶化すような由宇さんから目をそらした。


「じゃ、まずはリリェルちゃんを魅了から回復させなきゃね」


 素早い切り替え。さっきまでふざけていたかと思えば急にまともになる。

 由宇さんは既にやるべき事を見つけているらしい。さも当然のようにそう言いきったが、僕には何をすべきか見当もつかなかった。


「自分が状態異常ってことさえ気付いていないんですよ。どうやって治療を促すんです?」


 あなたは病気なんです、さあ今すぐ治療を! いきなりそんな事を言われて誰が納得するだろうか。僕ならそいつには二度と関わらない。


「そりゃもちろん」


 自信満々の由宇さん。秘策があるのだろうか。


「私達がなんとかするんだよ。この、異世界転生してチートな私達がさ!」


 だとしたら随分と安いチートだ。そして答えになってない。


「その『なんとか』ってのが何か聞いているんです。迂闊な行動は危険だって分かったじゃないですか」


 僕はついさっき、『魅了』の元凶であるヴァレッドに迂闊に近づいて、痛い目に合ったばかりである。


「そこはあれだ、それに期待しよう」

「……これ?」


 顔をあげると彼女の指は僕の頭上を指していた。


「森田さんさ、レベル上がってるよね」


 いつの間に。


「当然新しいスキルも使えるんだろう。さあ見せてご覧、お嬢ちゃんの新たな能力を」

「気持ち悪いですよ」


 新しいスキル。

 以前はそれでリリェルの顔に水をかけたんだよな。やったことは最低だけど、能力としてはかなりショボい。さて今度は何が来る。


 深く息を吐き出して、僕は精神を集中させた。

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