第9話 憂鬱と爆発

 

 本当ならリリェルをいっぱいいっぱい甘やかしたい。

 文房具でも洋服でも好きなもの買ってあげて。

 僕はカテロール家の令嬢だから、お金だけなら腐るほどある。


 それなのに。


――それは無理な話です。


 フェルミーの言葉がよみがえる。お前は本当に僕の執事か。大切な『お嬢様』がお願いしてるんだから、そこは「お任せください」一択じゃないのかよ。


「……納得いかない」


 次の授業が始まっていた。

 相変わらずクラスメイト達は優雅にお茶会を開いている。僕自身、お茶のお誘いを受けたのだが、そこはやんわりとお断りした。育ちのよい少女達はそれ以上、無理強いをすることはなかった。


――上の人間は下の人間に恵むことなかれ


 ぼんやりとした視界の先には授業を真面目に受けるリリェルの姿があった。相変わらず板書もせずただじっと先生の話を聞いている。僕をお茶会に誘うくらいなら彼女に文房具でも貸してあげた方がよっぽどいいだろう。けれど誰もそんなことはしない。ルールがクラスを縛っていた。


――由宇さんなら何か出来るんじゃないの?


 フェルミーとの会話の後、そう由宇さんに相談した。なんとなく彼女なら良案を持っていそうな気がしたからだ。


「無理だよ」


 即答。

 チートでもなんでも出てこいと勝手に期待した僕のアテは見事に外れてしまった。


「色々試してはみたけどね。残念ながらこれも含めてクラスルールってヤツは、『抜け道』は認められないらしい」


 ……そんなわけで結局のところ、僕はこうして指をくわえて見ていることしか出来ないのである。


 相変わらずリリェルは真面目に授業受けて――


「あっ」

「きゃっ」


 小さな悲鳴が微かに響いた。一人の女子生徒がリリェルの机にぶつかったらしい。バスケットを手にしているところから見るに、お茶会仲間の元へでも移動しようとしていたのだろう。もちろん今は授業中だ。


「あらー……」


 あらーではない。

 リリェルの机の上にはバスケットから飛び出したらしいクッキーのような物が広がっていた。


「あの、これ」


 一瞬しんとなった教室に戸惑ったようなリリェルの声が響いた。控えめに少女を見上げる。


「それ、要らないから捨てて下さる?」 


 相手の顔には悪気の無い笑みが浮かんでいた。

 そして少女は何事も無かったかのように軽やかな足取りでその場を去っていった。


――去って、いった?


 いやいやいやいや。本気か? 捨ててじゃないだろ、お前が片付けろ。いや、その前に謝罪は? 謝罪はどうした。

 教室は再び騒がしいお茶会の雰囲気に染まっていく。

 リリェルはそれが当然であるかのように、そっと散らばったクッキーを机の隅一か所に集めていた。


 全くもって理解しがたい。


===


 放課後。

 僕は急いで帰り支度を済ませ教室を飛び出した。

 一刻も早くこんな場所からは立ち去るべきだ。


「お待ちください」


 背後からはスタスタとフェルミーの歩調を合わせたような足音が聞こえる。


「そんなに急いでどうしたんです?」

「別に」


 どうしたのかと聞かれても答える気にはなれなかった。

 ただ、さっきの出来事が自分の中でずっとモヤモヤしていた。

 納得いかない。身分っていうのはそんなに大事で、だからこそどんな理不尽も当然のように受け入れなきゃいけないのか? そんなはずはない。


「お嬢様、そんなに眉間に皺を寄せると……おや、佐々木様?」

「由宇さん?」


 見知った名前が耳に入った。


「あ、はい。あちらから手を振って」

「あちらって」


 フェルミーの視線の先を目で追った。校舎の向かい側にある噴水の綺麗な公園。そこから確かに由宇さんが緩く手を振っていた。にしても僕よりも早く教室を出ているなんて、一体どんな技を使ったんだ。


「あ」


 もう一人、由宇さんの隣に誰か立っている。


「リリェル様も一緒ですね」


 やっぱりか。


「あちらに向かわれますか?」

「……一応ね」


――とはいえ彼女にはこれ以上警戒されないようにしないとな。


 僕は息を整えて二人の元へと向かった。


===


「二人はここで一体何を?」


 出来る限りの笑顔を浮かべた。

 近づいた頃にはどこかに立ち去られているじゃないかと心配していたが、幸いそれはなかったらしい。リリェルと由宇さんは二人並んで噴水の前で談笑していた。


「鳥に餌をあげるんだよ」

「鳥に餌?」


 由宇さんがそう言うと、リリェルは恥ずかしそうにポケットの中からクッキーを取り出した。

 これはあの時の。まだ捨ててなかったんだ。

 学校でことを思い出し、再び不快な感情がこみ上げる。


「せっかくの美味しそうなクッキー、捨てちゃうのは勿体ないと思って」


 じゃあ僕が、今すぐそれを元の人間に投げつけ返してやろうか。

 けれど、そんな僕の思考など理解されるはずもなく――


「これを細かく砕いて」


 パキリ、パキリ。

 彼女の手の中でクッキーが少しずつ崩されていった。

 やがてクッキーはボロボロと粉末で出来た山になっていた。


「こんな感じかな」


 満足気に一つ頷く少女。彼女は先その小山を両手ですくった。


「いきます。それっ!」


 リリェルは両手を開いた。手の隙間からクッキーの粒が広がる。

 ん? これは一体……お、お、おおおお。

 鳥だ。鳥がやって来た。ぱぱぱぱぱっと広がったそれめがけて、一羽また一羽と色も種類も違う小鳥たちが集まり始めた。


「こ、これは」

「びっくりするよねぇ」

「ね、面白いでしょ」


 鳥たちの集会を眺め、リリェルはにっこり頬を緩ませた。


――童話の一ページかな。


 鳥が集まってきた面白さよりも、リリェルの微笑みの方に魅力を感じてしまった僕は、何も言えず静かに首を縦に振った。そうだ、次生まれ変わるなら鳥になろう。


「ここには色や種類の違いなんて無くてね、みんなで仲良く食事をするの」

「うちのクラスと大違いだよねぇ」

「佐々木様」


 フェルミーが由宇さんをたしなめた。でもこの発言に対しては由宇さんが正しい。いや、全くホント、大違いだよ。あんなクソみたいなルールに縛られているうちのクラスと違ってさ。


「あっ、違うの。うちのクラスが悪いとか、そういうつもりじゃなくて」


 僕と目が合ったリリェルは、そう言って戸惑ったように首を振った。


「この子達と違って私達にはそれぞれ役割があるから。上には上の、下には下の。誰かが一番になるためには誰かが下にいなきゃ。優劣があるから進歩だって生まれるんだもの」

「リリェルちゃん……」

「私はみんなと同じクラスで授業が受けられているだけでとても幸せ」


「……」


 ――幸せ? 

 ――文房具も教科書も与えられず授業を受けることが?

 ――ゴミ箱扱いされても、何も言い返せないことが?

 ――自分の不当な扱いを身分の違いで受け入れてしまうことが?


 チリチリと自分の体が熱いのが分かる。まるで導火線に火が付いたようにじわじわと熱さが増していく。


「……そんなの」


 僕は俯いていた顔をあげた。三人の顔がこちらを向いた。リリェルも由宇さんもフェルミーも何とも言えない気まずそうな表情を浮かべている。いや、でも、僕はやっぱり思うんだ。


「そんなの素敵でもなんでもないから」


 滑るように言葉が出ていた。


「一番だって、進歩だって、挑んだ結果生まれるからこそ価値があるんじゃないの? ただ現状を受け入れてるだけの今の状況に価値なんてないから。無価値だから」


 言ってしまった。

 でも後悔はしていない。

 悪役令嬢だった僕がどう思おうと、今の僕はそう思うから。


「フェルミー」

「はい」

「帰りますわ」


 帰りの馬車に向かう僕の後方をフェルミーが速足で追いかけてくる。

 茜色の夕日に照らされて、僕は小さく目を細める。


「お嬢様」

「何」

「顔赤いですよ」

「夕日のせい」

「はっ、まさか熱でも」

「無い!」


 確かにちょっと言い過ぎた気はするけれど、今更ひっこめることは出来ない。いや、いいのだこれで。



 さあ明日からどうしてくれようか。


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