第7話 「ヴァンパイア」

俺は舞台裏でどうやら俺の奥さんであるらしいレイの演舞を見ていた。


その美しくも力強い踊りは見る者を圧倒し、惹きつけるものがる。今の舞台は彼女の独壇場だ。多すぎてアリの大群のようにさえも見える大勢の観客の視線を独り占めしている。


時折踊りの最中に舞台から音楽に合わせて炎や色取り取りの水しぶきが吹き出しているが、そんな演出ももはや無くてもいいだろうと思ってしまうほどだ。


「主役だな...これは...」


こんな見る者達を釘付けにさせる圧倒的なカリスマ性に溢れたテイラーやガガのようなトップスターの領域に足を踏み入れている存在が自分の奥さんだとが信じられいない....


正しくは岸庄助という俺ではなく、ストン・ヴィラフィールドである俺なのだが。


厄介だな...。


正直言って今のところ、とてつもつもなく気持ちがいい。なんと言っても彼女以上にカリスマ性のあるこの赤の道化師という異名を持つサーカス団の団長は団員からは尊敬され、観客からは期待され憧れている上に家庭まで築きあげているのだ。


絶対に岸庄助の人生では得られなかったものだ。何度人生をやり直せたとしても岸庄助では実現できないだろう。いやできない!


なんとか就職できた俺は仕事場以外はほとんどが一人だった。特段寂しさも感じない。何故なら人生における楽しさを知らなかったからだ。今こうしてまだ少しの時間しか経っていないがストンの人生を体験していることで如何に岸庄助が寂しい人生を送っていたのかを痛感する。


はあ....。


自然とため息が出てしまう。


何故俺は今まで楽しみから逃れ、無難な人生を送ってきていたのだろうと。今、考えれば彼女がいなかったのも納得だ。自分からは何も動いていなかったのだから。まるで白馬の王子様を待つ眠れる姫ではないか。


「バカだな俺は.... 今回も待っていただけだ....」


阿呆らしい姫だったという事に自分でも笑いたくなってくる。


「お待ちでしたか? それは失敬、団長殿」


「ん?」


俺は声のした方に顔を向けた。


すると、そこに立っていたのは顔色の悪いおっさんだった。


おっと! 言い方が雑になってしまったが、死んだような青ざめた肌色をし、尖った牙のような歯が特徴の黒いマントを羽織った品格のある中年男性だった。


つまり、


「ヴァンパイアか?」


しまった!? まともや口が滑ってしまった! 一個人に対して種族名で呼ぶのは非常に失礼だろう。俺だったら「人間か?」と言われたらムカつく。人に言われて嫌な事を言ってしまった。


また失敗だ... 俺ムカつく。


「はい! そうでございますっ! 我こそがあの誇り高きヴァンパイア一族の末裔であるヴィンセントでございます」


ここは自分の失敗を言い訳せずに潔く謝るべきだ。いつもの癖で早速言い訳を考え始めた自分の脳が如何に今まで真っ当に生きていなかったかを物語っていた。


「あああ.... すまんっ! いきなり種族名なんかで呼んでしまって! ヴィンセントよ許してくれ」


自分で言っておきながら許してくれはないだろうと思いながらも、俺の口は予想以上に性根が腐っていたようだ。


「団長殿! そのようなことはございません! お気にせずに! むしろ私は嬉しいのですよヴァンパイアと久しぶりに呼ばれて...」


「? 本当か?」


これは嘘の可能性もある。上司の機嫌を損ねないのが部下の仕事の一つでもあるからだ。特に上司に謝られた時は逆に上司の機嫌を良くする事で後に得をすることができる。


「ええ 私が団長殿に嘘などつきませんよ。我々このサーカス団に所属する中で純粋な人間ではない者達は皆、団長殿に日々感謝をしております故...。」


本当か?と聞いて嘘ですと白状する者などいないだろう。だが、ヴィンセントの口調は丁寧で深みがあるように感じられた。人を疑ってばかりだと本当に重要なときにチャンスを逃してしまう。ここは信じるべきだ。


「そうか? 別に感謝されるようなことは....」


まあ俺はついさっきこちらの世界に来たばかりだからな....


「何を仰られますか! 魔王が亜人を率いて人間達に戦争を仕掛けてしまった昔の忌わしい歴史の所為で、我々人間ならざる者達はずっと人間から忌むべき存在として嫌われ、迫害されてきました。その歴史を過去のものにし、我々を救って頂いたのが団長殿ではありませんかっ! そのご恩は皆、一生忘れませんっ!」


忘れませんっ!と言われてもな.... 俺はそんな高潔なことしてないし....


正直に言えるわけもないが....


というか少しずつだが、このストンという奴のことを理解できてきた。


団員達に尊敬されるのも頷ける。ボランティアなど偽善だと思っていた岸庄助からすればまさに選ばれし者だ。


先ほどまで観客の声援に調子に乗っていたが、今冷静になって考えてみると、岸庄助がストンを演じるという事の重大さ、危険さに気づいてしまった。俺にはできない。そんな心も度胸もない。受動的な人間にはこんなことはできない。


やばいな...このままではカリスマの塊であるストン・ヴィラフィールドの人生を俺は一瞬で壊してしまうかもしれない。


なんとかせねば.... 今はまだストンとしての地位も名誉もある。だが、化けの皮が剥がされるのも時間の問題だ。


ならば俺は俺なりに必死でこの男の人生とこの男を慕う者達の人生を守らねばならないだろう。


これはこの世界に来てしまった俺の宿命だ。そんな気がする。


「団長殿? どうかされましたか?」


俺は一人で考え込んでしまった所為で早速ヴィンセントに迷惑をかけてしまったみたいだ。


「気にするな なんでもない」


「そうですか... もし先ほどの事が引っかかるならあれは本当に嬉しかったのですよ? ヴァンパイアと言うと人間には嫌われ、中々誇り高き私の種族を知ってもらえる事がありませんでした。それ故、周りの方々も変に気を使って自分の口以外からヴァンパイアという名前を久しく聞いておりません。これは非常に寂しいことなのですよ.... ただ団長殿の口からヴァンパイアと聞けて私は大変嬉しかったのですっ!!」


「そうか... なら良かった」


「はい!」


俺に心配をかけさせまいと元気よく返事をしてくれたが、


やはり、他の団員達はヴィンセントに気を使っていたか...


本人としては心苦しかったのだろが、俺個人としては気を使えなかったという事になる。


これは改善しなければならないと心のメモに刻んでおく。


「ところで団長殿、先ほど私をお待ちしていたと仰っておりましたが、何でしょう?」


ああ...


さっきの独り言が聞かれていたのか...


どうしよう! 特に用件などないのだが、何せ今知った人に対して。


だが、折角だ。彼に頼ろう。


「ああ そうだな... レッドサーカス団の団員の詳細について何か分かる資料はあるか?」


「資料ですか.... 名簿表ならありますが....」


「そうか... じゃ今度持ってきてくれるか?」


「分かりました。しかし、何故私に? 私は技術担当なのですが...」


適当な用件を言うべきではなかったな...なんか悪循環に陥ってしまった気がする。


てか、技術担当かい! ヴァンパイアならもっといい役があるだろう。


....


良くないな。人にバイアスをかけるのは。フラットに団員達と接しなければ...


「ああ そうだな... 技術担当でも日々団員達のことを思って仕事をしてくれているのだろう?ならヴィンセントにその...団員の事について聞いても...問題はなかろう?」


ヴィンセントが口を震わせ、真剣な面持ちで俺の目を見てきた。


「わかりました! では私にお任せ下さい! 公演終了後直ちに持って参りますっ!」


「おお... そんなに急がなくてもいいぞ? 都合のつくときにやってくれれば...」


「はいっ! では私は舞台の壁の修理に行って参ります」


敬礼をしたヴィンセントが離れていく。


.......壁壊したの俺だ。


すまん!ヴィンセント!!!



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