少年少女の夕焼け
授業を受け続けて、ようやく金曜日の放課後。
俺と三崎さんは学校3階端のひっそりとした一角にやって来ていた。
「ちょっと待ってて」
社会科教室の方ではなく、その隣にくっついた準備室の方の扉に近寄る。
引き戸の板を両脇から掴んで軽く持ち上げ、軽く揺する。
引き手に指をかけて戸を開けた。
「どうぞ。足元段差あるから気を付けて」
「ありがとう」
俺の部屋でもなんでもないが、勝手知ったる準備室だ。三崎さんを招き入れる。
「わー……なんだか、凄くわくわくする部屋だね。地図と本がたくさん」
彼女の言う通り、ガラス棚の中には丸まった世界地図や日本地図、地球儀なんてのもあるし、あちこちに本が積まれている。
社会科系の本だけではなく進路情報誌なども多いのは、この部屋を利用する社会科教師がものぐさだからだ。
「入ったことない?」
「むしろ、どうして森山くんが入ったことあるのか気になるよ? 開けるのも手慣れてたし……」
「実はここ、ドアの鍵壊れてんだよね。ドア持ち上げて軽く動かすと開く」
鍵では開けられないが、コツを知っている者ならば誰でも開けられる。ツッチー先生から教えてもらった。
「すごく慣れてるね」
「俺、理系科目の授業受けると寝ちゃってたから。その時抜け出してここで自習してたんだ」
何度も抜け出す羽目になる俺に『開けるの面倒だからコツ覚えろ』と言ったのが始まりである。
「…………。ごめん」
「? 別に気にすることでもないよ」
「うう……無神経なとこ、直したいのに難しい……」
三崎さんが何やらぶつぶつ呟いて落ち込んでいる。
「先生もそろそろ来るだろうから……ソファ座って待ってよう」
立って居たままでは疲れるだろう。
三崎さんをソファに座らせたところで、ガコガコと音がして扉が開き、土田先生が入ってきた。
「おっ、なんだなんだ。不純異性交遊か?」
「違いますよ!」
彼女の肩を押して座ってもらったシーンだった。俺は慌てて離れて脇にある小さめなソファの方に座る。
「いいんだぞ、森山。先生はそういうのに理解が深いからな。口は堅い」
「? 不純異性交遊ってなに?」
その手の話題も疎いのか、三崎さん……
「三崎さんはそのままでいて。そのままで」
くつくつと笑う土田先生は、三崎さんの向かいのソファにどっかりと腰かけた。
テーブルを囲んで3方向から見合う形だ。
「じゃ、話すか」
アメリカ映画のようなポーズで先生が告げた。
「良いニュースと悪いニュースがある。どっちから聞きたい?」
「「……」」
三崎さんと俺とで顔を見合わせ、各々で答える。
「悪い方で」
「良い方から」
前者は俺、後者は三崎さんの答えだ。
「ここはレディファーストだな」
2分の1なので異論はない。
「藍沢は大丈夫だ。そんなに心配せんでもなんとかなるぞ」
「ほんとですか⁉」
嬉しそうな三崎さんに、土田先生は頷きながら独りごちる。
「おう。っつーか俺が出る必要もねーわあれ……とんでもないレアキャラ出てるわ」
「?」
彼は予知能力者だ。俺が頼んでからというもの、きっと未来の佳奈子を予知してくれたのだろうが……レアキャラとは何なのか。
しかしまあ、三崎さんが大いに喜んでいるのでいいかな。
「よし、次にどんな悪いニュースが来ても受け止められる気がします!」
小さくガッツポーズ。可愛い。
というか、そういう動機で良い方から聞いたんだ……
可愛いなあ。
「土田先生、悪い方はどんなニュースですか?」
「いやなに。お前ら二人揃ったら丁度いいってだけだ」
「進路希望調査、お前らのだけ弾かれた」
「――何でですか⁉」
俺は驚いて身を乗り出し、三崎さんは大きな目をさらに大きく見開いて先生を凝視している。
「落ち着け」
手をひらひらと振って、まずは俺を指差す。
「森山は単純にハンコ押し忘れだ。ほんとは親御さんが押すルールだけど、『森山』ってハンコなら何でもいいぞ。持って帰って押せ」
俺が以前出した進路希望調査が突っ返される。
「先生も確認しといてくださいよ……」
心底驚いた。
「署名だけでいいと思ってたんだ。そこはスマン」
A4用紙を受け取り、ファイルに収めてリュックに突っ込む。
俺がそうしている間に三崎さんの進路希望調査が土田先生の手の中に現れた。
「…………。三崎の方は、『母親が居るのに教導役が署名するのはいかがなものか』なんて言い出す堅物に弾かれた」
「……」
三崎さんから表情が一瞬で失われた。
家庭環境がよろしくないのはなんとなく知っていたが……これはすさまじい。
「どうしたらいいですか? 適当な人に頼んでお母さんの筆跡ってことにしていいですか?」
ルール違反を気にするであろう彼女に間髪入れずこの判断をさせるとは、母親は彼女に相当なことをしたのかもしれない。
「おう」
「リーネア先生の名前の方が綺麗なのに……」
悔しそうな感情を滲ませて希望調査を受け取ろうと手を出す。
見え隠れする限り、希望調査の保護者署名欄には、流麗な文字でリーネアさんのサインがなされていた。流麗過ぎて読めない。
「?」
しかし、土田先生は紙を渡そうとしない。
ニヤリと笑って三崎さんに言う。
「俺もそう思ったから、堅物に見せる方だけ親御さん署名で、学校の本式データに収める方は教導役さんの方だ」
「! ありがとうございます」
「データに入れちまえば、あの機械音痴どもは訂正なんざ出来ないってもんだ」
悪い顔で胸を張る。
「頼むアテあるか? 男の字じゃ難しいから協力できねえのが申し訳ないんだが……」
「……担任の先生に頼んでみます」
3の2の担任は女性の数学教師だ。
親切そうな人だから、事情を話せば受け入れてもらえるだろう。そこは生徒の三崎さんの方が知っているはずだ。
「
「お願いします」
「なんか、筆記体のサインが鼻持ちならんらしいぞ。くだらんこと言い出すよなあ……」
オランダあたり出身だそうだし、筆記体で書いても何ら不思議はない。ただの難癖だ。
「……リーネア先生が直接そんなこと言われたら『お前は自分の名前を誇れないのか。可哀そうに』って天然で返すと思います」
確かに言いそうだ。
「だろうな」
「会ったことあるんすか?」
「いやいや森山よ。特殊な状況の三崎の保護者さんとはけっこう色々話し合ってんだぞ? まあ、気難しい人だから、応対する教員限られるんだけどよ」
「…………」
「まず『えっ、若すぎません?』と漏らした若手教員はその時点で窓から帰られた。次来たときは、見た目で勘違いして女性だと思った教員からの扱いにブチギレて窓から帰る。今度は年下扱いの子ども扱いで侮ったら窓から帰られる」
リーネアさんは窓を出入り口とみなしているのかな?
「……一事が万事そんな感じだ。ようやくまともに話し合えたのが、三崎の担任の柳瀬先生と進路担当の俺なんだよ」
三崎さんは『その節はご迷惑を』と恐縮している。
リーネアさんにとって、学校の2~4階の高さから飛び降りることなど造作もない。先生方もあれこれ苦労したのだと思われる。
「異種族相手に、人間向けの先入観をオンにしたまま挑むから失敗したんだよ。切り替えが難しいだけ。三崎が謝ることじゃない」
「……ありがとうございます」
土田先生はぱんっと手を叩き、話の切り替えの合図をする。
「森山は来週直ぐ出せるよな?」
「ういっす」
ハンコ押すだけだしな。
「三崎は週明け柳瀬先生と二人きりになれる場面作っとくから、そんとき書いてもらって出せ。紙も先生に渡しとく」
「はい」
「ん。じゃ、話終わりー。ご苦労さん」
「ありがとうございました」
「あざーっした」
「暗くなるの早いし、三崎送ってやれよ」
「それはもちろん」
話すチャンスでもあり、暗い中女の子を歩かせずに済むこともあり。
「あ……ありがとう。最近、お世話になってばっかりだね」
照れる三崎さん。
「いいよ。通り道だから」
いつもの帰路から、選ぶ道を少し変えるだけだ。遠回りでもないので気にしないでほしい。
「よしよし。その調子で仲良くいちゃつけ」
「土田先生耳貸してもらえますか」
こそこそと耳打ちする。
「……俺が三崎さん好きなのは」
「予知で丸見えだ」
親指立てられた。
「うああああ」
「もっ、森山くん⁉︎」
彼は『応援しといてやるよ』とニヤニヤ笑いで俺と三崎さんを送り出した。去り際まで性格が悪い。
「応援かあ。受験を応援してくれて、エールを送ってくれるなんて。土田先生はいい人だよね」
「三崎さんの『いい人判定』の甘さが気になるかな……」
「?」
「なんでもない」
俺は癖で出しそうになった折り畳み自転車を引っ込め、三崎さんの隣を歩く。
「……ね、森山くん」
「なに?」
「森山くんのおうち、行ってもいいかな」
上目遣いの破壊力。
「……い、いいけど……」
「ありがとう。佳奈子と、佳奈子のおばあちゃんと話したくて」
そうだよな。心配だろうしな。
心臓破裂するかと思ったが、彼女こそ純粋にいい人と言えるいい人だ。考えてみれば、『森山くんのおうち』も住んでいるアパートのことを指していたのだろう。
話すたび跳ね回って忙しい胸の鼓動と付き合いつつ、空が今日も燃えるような夕焼けであることに感謝した。
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