シュレミア

 ノクトさんがくれた参考書にはシュレミアさんによる書き込みがいくつもあった。

 応用問題なだけあって罵倒の量は増えたが、解説のわかりやすさは落ちていない。

「こんな解き方あるんだ」

 複数の分野にまたがるような複雑な問題も容易く解き明かしていく。

 凄まじさに圧倒されてしまう。

「…………」

 頭を使って、少し疲れた。

 りんごジュースでも飲もうと思い、台所に目を向ける。

 ――冷蔵庫からシュレミアさんがずるりと這い出てきた。

「ひぎぃい――――⁉︎」

 ホラー映画も真っ青の登場シーンに、思わず絶叫した。

「奇声をあげないでもらえますか。びっくりします」

「なんでそっち被害者側よ⁉︎」

 理不尽すぎるだろう。

 セリフの割に欠片も驚きが見受けられない。

「騒々しいですね、光太は」

 彼は台所の床から立ち上がってこちらにやってくる。誰のせいで騒々しくしてると思ってんだこの鬼畜。

「やっぱり降臨した……」

「よくわかりませんが不愉快ですね」

 癖なのか、やはり首を傾げている。



 フロアテーブルを挟んで向き合う。

「自己紹介した方がいいですか?」

「……いいえ。知ってるので大丈夫です」

「それは良かった」

 彼はいつも通り淡々と喋っている。

「家族がご迷惑を。ついでに俺も」

「そうですね。まさか冷蔵庫から飛び出てくるとは思いませんでね」

 心臓飛び出るかと思った。

「わざとではありません」

「故意じゃなく冷蔵庫から飛び出るんですか?」

「普通にあなたの部屋の扉を経由するように転移したつもりが、なぜか冷蔵庫が出口に」

 あなたにとっての普通とはなんなのでしょうね。

「……何か用ですか」

「聞いていないことがありましたので」

「何ですか」

 ご家族の時間があるのだろう。早く済ませて差し上げよう。

 俺も勉強に取り掛かりたいから。

「もし、過去に戻ることができたなら。あなたは呪いを避けようと思いますか?」

「え」

 ド直球の質問だった。

「答え次第でやり直させるとか、あります?」

 彼は首を横に振る。

「純粋な興味です」

「……」

 微妙に不愉快ではあったが、答えは決まっているので即答する。


「なんであろうと、その質問への答えはいいえです。昔と同じ行動をして紫織ちゃんと友達になって、気づかないまま呪いを受けます」


「……理由は?」

「俺が今こうやってのんきに受験勉強しながら暮らせてるのは、呪いを受けたからです。翰川先生たちと出会えたからです。……佳奈子が今の今まで一緒に居てくれたのも、俺が紫織ちゃんと図書室で知り合って呪われたから」

 そうでもなければ、輝かしい天才で優しい人外の翰川先生が俺などに興味を持つはずもなかったし、佳奈子はこの人と知り合えず座敷童になれなかった。

「紫織ちゃんが現実世界で暮らしてるのは呪いが解けたから。もし俺と出会ってなかったら、紫織ちゃんはどうなってたかもわからない」

 彼女に対して冷たい実家で暮らすことと、8年も眠り続けたことは天秤にかけられない。

 たが、こうも思うのだ。

 もし自分が呪われずに、ほかの誰かが一人でも不幸せになってしまったら、自分は一生後悔するだろうと。

「無理です。だってそれは、俺しか幸せにならない」

 佳奈子がローザライマ家と知り合ったのも翰川先生経由だ。

 俺と翰川先生の出会いがなければ、あいつは今でも幽霊として消滅の危機に脅かされていただろう。

「できません」

「……」

「つまらない答えでごめんなさい」

 天才の彼なら、もっとスマートな答えを導き出すかもしれないが……アホの俺にはこれが関の山だ。

 彼はしばらく首を傾げていたが、やがてふんわりと笑った。

「⁉︎」

 見たことがない柔和な表情に、自分が何かやらかしたのかと不安がよぎる。

「感謝する、森山光太」

「……え?」

 淡々とした声音は変わらない。この口調も、小樽でリクエストして聞いたことがあった。

 だが、これは――

「1つ助言をしておこう。不思議な若者」

 ――本当に《シュレミアさん》か?

 疑念が噴き出すと止まらない。

 鬼畜を名乗る彼は、数学と魔法の天才だ。

 (不本意ながら)俺の家には何度か転移で登場しているが、冷蔵庫から登場するミスなど一度もしていなかった。

「私たち悪竜には、シュレミアの名を持つきょうだいはとても多い。呼び分けた方が厄介が少ないぞ。覚えておけ」

「え、え」

 一人称が私。

 この人は、シュレミアさんではないシュレミアさん。つまりは悪竜兄弟だ。

 だが、ここまでそっくりとなると?

 口を開こうとする前に、彼女と思しき人物は虚空に手をかざして杖を取り出した。

 俺の腰あたりまでの長さの古めかしい木杖だ。

「意地悪をしてしまった。すまない」

「い……いえ。あの」

 杖の先をくるんと回すと、窓が勝手に開いた。

「…………」

 明らかに魔法。

 彼女はラグマットに足音を立てて、開いた窓の前に立った。


 そのまま飛び降りる。


「ええええ⁉︎」

 ここで自殺⁉︎

 慌てて窓から外を見れば、銀の巨体が翼を羽ばたかせ、空へと飛翔していくのが見えた。

 翼持つトカゲ。その鱗は見るからに硬く、光を浴びると虹に輝く。

 ――竜。

「……」

 見惚れるほどにファンタジー。

 高度の上昇とともに速度も上がり、竜は雲を飛び抜けて消えた。



 眠る前に、今日の出来事を反芻する。

 ローザライマ家の皆さんは気品と知性に満ちているが、それぞれ我が強く、ちょっとぶっ飛んでいる。

 だが、紛れもなく楽しい時間だった。

「お。そうだそうだ」

 小さなプレゼント箱を思い出し、リボンをほどく。

 箱の中からカッと発せられた光が直撃した。

 星を飲んだようだった。

 感銘・安寧・郷愁……ありとあらゆる『温かい気持ち』を流し込まれたような。

 心地よい感情が、心にとどまる澱を洗い流していく。

「…………」

 奇妙な現象――魔法を受けながらも、俺は箱の中身を覗き込む。

 キラキラと光る粒子が立体的な魔法陣を描いていた。

「セプトくんも、天才の部類なんだよね、これ……」

 今日は驚かされてばかりだ。

 疲れていたが、この気持ちのままなら、気持ちよく眠れそうだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る