ハノン

「はじめまして」

「……初めまして」

 アネモネさんが去って行った直後、洗面所で美女と出くわした。

「私はローザライマ家の長女。ハノン」

 長い銀髪は、光が当たると赤く艶めく。

「掃除をさせてもらっていました」

「……それは、誠にありがとうございます」

 風呂場も洗面台も新品のようにピカピカだ。頑固な水汚れが消えている。

「いえいえ。朝食は食べたのでしょうし、歯磨きね」

 彼女は優美に笑って一礼し、俺の隣をするりとすり抜けた。

「リビングで待っています」



 歯磨きを終え、リビングに戻る。

 アネモネさんは居なくなっていた。

「お母さんなら外へ。『挨拶も出来ずに出てしまってごめんなさい』だそうよ」

 心読めるのはお父さん譲りなのか?

「驚かせてしまってごめんなさいね、光太」

「いえ……俺の家、玄関が役立たないんで……」

「卑屈になることはないわ。ただ、ちょっと不思議な家ね」

「えっ」

 軽い冗談のつもりだったのに。

「座標を狂わせてでも引き寄せるのに、ここから外に出るのは少し難しい。……まあ、ちょっとの誤差だけれど」

「?」

「ああ、ごめんなさい」

 彼女は赤銀髪を揺らして微笑む。

 物凄い美人だと感じる。

「私たちは8人兄弟。私が長女で、一番上」

「……」

 道理で、ルピネさんに輪をかけてしっかりとして見えるわけだ。

「お父さん似なんですね」

 顔立ちがシュレミアさんとよく似ている。

「そうね。顔はそっくりだわ」

 くすくすと笑う。

「でも、種族判定は竜。特技は祝福することと呪うこと」

「の、呪い?」

「ええ。……それはいいの」

 彼女は『目を閉じて』と俺に告げる。

「……は、はい」

 言われた通り、固く眼を瞑る。

「あなたに祝福を」

「――」

 耳元で声が聞こえ、咄嗟に後ずさる。

 ハノンさんは楽しそうに笑って俺を見ていた。

「な……なん、ですか」

 非常に綺麗な声で囁かれてどぎまぎしている。

「言ったでしょう? 私は祝福と呪いが特技なの。あなたの周りは運勢のバランスが崩れがちだから。せめてもの力添え」

「何で俺に?」

 何の変哲もない、むしろ浅慮で身勝手な俺なんかに。

「ひーちゃんとお父さんから、あなたのことを聞いたわ。敬意を表したいと思ったの」

「敬意……」

「ええ。……あなたにとっては、見知らぬ他人から勝手に敬意を注がれて勝手に気遣いをされるのは気色が悪いかもしれないわね」

「き、気色が悪いなんて。ありがたいですけど、何でなのかなって……」

 俺はただやさぐれていただけのアホだ。

私たちローザライマにとって、理不尽な運命に負けずにいたあなたは十分に尊敬できる人なの。ひーちゃんも喜ばせてくれたから。可愛い友人に代わってのお礼でもあるわ」

「……」

 あまりに綺麗な顔で綺麗に笑うので、直視しがたい。

「そ、それは。その……あのっ。掃除。ありがとうございます」

 照れ隠しに、話を逸らす。

 時間が余りまくっていた以前ならともかく、受験勉強を始めたここ最近では、ついつい水場の掃除が疎かになりがちだった。

「どういたしまして」

 なんとなく質問してみる。

「……ローザライマ一家のこと、聞いてもいいですか?」

「いいわよ。父が迷惑をかけていることについては謝罪するわ。あと、佳奈子ちゃんにも」

「…………」

 家長への負の信頼が厚い。

「知っていると思うけれど、私たちの父はシュレミア・ローザライマ。母が鬼、父が竜のミックスで、種族判定は鬼。頭はおかしいけれど賢くて優しいひと」

 娘さんからも『頭がおかしい』と判定を下されるのか、あの鬼畜の人……

「……鬼って、何なんでしょう。俺の知ってるのとはずいぶん違う」

 赤ら肌か青い肌。角と牙と、おっかない金棒。

 大体こんなところだ。

「こちらで鬼と言えば、『災いと恐怖を運ぶもの』ね。私たちの元居た世界の鬼は『不条理・災害が形を成した概念』」

「難しいっす」

「要は、『どうしようもなく理不尽で、出会うなり魂をもぎ取る種族』ってことね」

「……………………えっ」

 ハノンさんは『うちの父さんがもぎ取りたがるのは敵の首だけど』と恐ろしい補足をしてくれる。

「お母さんは竜よ。綺麗な人でしょう」

「……はい」

「本当はもっとたくさん話したいことがあるのだけれど……時間ね」

 彼女はどことなく残念そうに肩をすくめた。

「弟妹たちをよろしくね」

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