いぬみみ

 12:24。

 佳奈子がやって来て、紫織と対面する。

「ねこみみ生えてる……くけふっ」

 笑いをこらえて咽る佳奈子を、紫織がぽかぽかと叩く。

「わ、笑わないでよぅ、佳奈子ちゃん……‼」

 紫織は佳奈子に対しては敬語を取る。何でも、小樽旅行最終日での大ゲンカの仲直りの末にそうしたのだとか。

 友情を感じる。

「いやあ……だって、ねえ。コスプレなんて」

 紫織の耳をリアルな猫耳カチューシャだとでも思っているのか、ひーひー笑いながら猫耳に手を伸ばした。

 ――触れた瞬間、佳奈子の頭上から耳が生えた。

 本人は気付いていない。

 父の方を見ると瞳にスペルの発露の印である銀色の火花を散らして、小さく首を傾げていた。……首を傾げるのは、思索を繰り返して言葉を探しているサイン。

 佳奈子の耳は猫の耳ではなく……おそらく柴犬のものだ。

「? ルピネさん、どっか行くの?」

 のんきな佳奈子に言葉を誤魔化しつつ、父に目線で促されて洗面所に移動する。指図しているというより、父が動いては余計な恐怖や違和感を与えてしまうからだろう。

 ひとまず、手鏡を取って戻ってきた。

 紫織と小競り合いを続ける佳奈子の顔を映すようにして、彼女に見せてやる。

「紫織はいっつも――……って……」

 彼女の威勢が萎み、自らの頭上に生えた耳を触り始めた。

 しばらくそうしてから叫ぶ。

「あたしにも生えたんですけど⁉」

「佳奈子も大変そうですね」

 選んだ挙句のセリフがそれなのか父上。

「究極に他人事‼」

 ほら、逆撫でした……

 あまりの空気の読めなさに頭痛を錯覚してくる。

 ぎゃんぎゃんと騒ぐ佳奈子に気付いているのか意図的に無視しているのか。

 神経がカーボンケーブルで出来ているのではないかというほど太く頑丈な父は、私の服の袖を引いている。

「ところでルピネ」

「……なんでしょうか、父上」

「あれはねこですか?」

 悩んでいたのはそれだったらしい。

 確かに、三角形に近い形自体は似ているものの、それでいて別物の耳だから……単体で見ると迷ってしまうかもしれない。

「犬だな。柴犬だ」

「ねこではないのですか?」

 話を聞け父上。

「柴犬という種の犬だよ。日本固有種だ」

「ねこではないのですね」

 猫への熱いこだわりはなんなんだ。

「そうだ。犬だ」

「ねこではない。いぬ。ねこではない」

「犬だぞ。動物界脊索動物門哺乳綱ネコ目イヌ亜目犬科イエイヌ。そのうちの柴犬だ。日本原産の日本犬で、日本の天然記念物に指定された7種の1つ。小型犬だな」

 父は界門綱目科属種の分類で話さないと上手く覚えられない。

 そのおかげで、私たちローザライマ家は生物分類に詳しくなってしまった。

「いぬ。いぬ」

「そうだ。犬だ」

 学習とは反復。

 何度も、丁寧に言い聞かせる。

「……なんか、変な記憶力テスト見せられてるみたいな気分」

「さっきは猫さんに関してああいうことしてたよ」

「ええ……」

 女子二人が何やら話しているが、応対する余裕はない。

 ここで選択肢を誤れば、父に間違った知識がインプットされる。

 間違えると修正が難しいので慎重に挑む必要がある。

「わかりました。あの耳は犬のパーツなのですね」

「パーツと呼ぶのは憚られるからやめろ」

「? 人体にも同じパーツがありますよね」

「わかった。パーツではなく、犬の耳とか……そういう表現に変えてくれ」

「わかりました。あれは犬の耳です」

「ルピネさん、大変そう……」

「先生の動作ってどうなってるの?」

 父は賢いがポンコツだ。

 生徒のお前たちも知っているだろうに。

 ようやく納得したらしく、父は満足げに頷いた。

「ありがとうございます」

「……どういたしまして、父上」

 父の幸せそうな顔を見ると私も幸せな気持ちになる。



 約束した通り、父の昼食はホットケーキにした。イチゴをつけてやると黙々と食べている。

 女の子たちの昼食はエビピラフ。デザートには小さく焼いたホットケーキだ。

「「いただきます」」

「召し上がれ」

 お口に合うと良いのだが。

「美味しいです」

「良かった」

「ご馳走してくれてありがとう。今度お土産持ってきます」

 佳奈子が会釈する。

「気を使わなくていい。お前も大変だろう」

 佳奈子の祖母は東京で病気の治療中だ。

 家事が苦手な佳奈子は、父に家事を教わりながら勉強も頑張っている。

「お世話になってるもの」

 ホットケーキに夢中になっている父を除いてしばし歓談していると、佳奈子がふと思い出したかのように呟いた。

「……ルピネさん。なんであたしたち耳生えてるの? ルピネさんと先生には生えないのに」

「わからん。触らせてもらってもいいか?」

「いいけど……」

 佳奈子の犬耳に触れる。

 ……もふもふしている……

「る、ルピネさん?」

 困惑する佳奈子。普段の彼女と、彼女の緩やかに波打つ茶髪も相まって、小動物らしさが感じられる。

 名残惜しい気持ちはあったが、離れて一礼した。

 触れさせてくれたことへのお礼だ。

「……ありがとう」

「どういたしまして?」

「紫織」

「はっ、はい。どうぞ、ですっ」

 椅子の上で少しだけ身をかがめてくれる紫織。

 ……もふもふ。

 耳がぴくぴく動いている。

「先生、ルピネさんが」

「ルピネというか、俺たちは動物に怖がられてしまうことが多くて。ルピネは動物好きなのに触れられない悲しさを味わうので。耳とはいえ、触ることが出来て嬉しいのだと思います」

「なんか切ないわね……」

 耳が再びぴくんと動いた。

 もふんもふん。

「ところで、触れられたときに触感はありましたか?」

「物凄くぼんやりと……でも、くっついた動物の喜びが伝わってきたみたいな感じかなあ。ちっちゃいワンちゃんが、はしゃいでる感じ……」

「そうですか」

 ああ、耳だけなのが惜しい。

「……先生はどうにかできるの?」

「どうにかする手段を、あなた方から引き剥がして消滅させることに限定すれば容易いですが、しない方が良いですよね?」

「いや、それはまあ……可哀そうだし」

 だが、こんなに長く動物に触れたのは初めてだ。

 しあわせ。

「小動物の霊は人間ほどくっきりした意思を持っていませんが、存在を安定させたいと思うことは人間と変わりはないのです」

「紫織の……特性? 契約だっけ」

 触ると柔らかい。

 もふもふ。

「はい。契約すれば安定します。紫織は契約が成立するまでが不安定なので修行中。しかしながら、今回は睡眠中に偶然成立したようなので、不可抗力でしょう」

「……一匹だけじゃなかったんだ。ってことは。同時に契約するなんて、紫織ってかなり凄いんじゃない?」

「動物霊は寄り集まって群体になることが多いです。意思が統一されているのならば、一つの存在として契約も可能ですよ。……ですが、確かに紫織のあれは才能ですね」

「あー……他にも何匹か居るってことなのね。だから、あたしに株分けされてきた、と」

「株分けとは言い得て妙ですね。たぶん光太か京が触れても耳が生えます」

「やだ……ちょっと見たい。ルピネさんは何で生えないの?」

「俺とルピネでは、スペルの量で競り負けるからだと思います。生きた人間で例えるならば、絶賛稼働中のチェーンソーの刃に触れたいかという話で」

 もふもふ。

「スプラッタまっしぐら……って、触っても平気じゃない」

「皮膚表面にあるスペルは微々たるもの。俺たちと人間では、体内や魂が含む魔力量が段違いなのです。憑依は少なからず体の内部に侵入しますから」

「へー……ちなみにあたしってどうなんだろ」

「座敷童は概ね善性。寂しがる動物霊には心地よいと思います」

 紫織が困っているようなので、もふもふ祭りを終了した。

 名残惜しい。

「ルピネさんが可愛い」

「でしょう」

「……躊躇いなくそう言えるから、ルピネさんもお父さん大好きなんでしょうね」



 柴犬は毛が少しかっしりとしていて、指でなぞるともふもふ。

 茶トラは毛がふわふわしていて、指でなぞるともふんもふん。

「……」

 しばし、幸せな気持ちに浸る。

「あの……シェル先生」

「ソファで悶えるルピネさん可愛い……」

「ルピネはここ最近、よく働いてくれていましたので、癒しと休息をあげたいと思います。あとは俺が引き取りますね」

「そ、そうなんですか。よろしくお願いします!」

「はい」

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