旅館の朝

 カーテンの隙間から朝の陽ざしがこぼれて落ちる。

「……うん、いい朝だ」

 窓の外を見るまでもなく天気の良さを確信し、スマホのアラームを止めて起き上がる。

 現在時刻、朝6:00。

 重たいまぶたに喝を入れるため、カーテンを一気に開いて朝日を浴びた。

 朝食は食堂でルームキーを見せれば食べられるそうな。ルピネさんとミズリさんの会話で小耳にはさんだ焼きニシンを食べたい。

 顔を洗って着替えて食堂へ向かおうとしていると、女性陣が泊っている部屋から紫織ちゃんが出てきた。

「……お。紫織ちゃん、おはよ」

「へぁっ!?」

 謎の声を発した紫織ちゃんがわたわたと振り向く。

 肩より少し下くらいまでの黒髪を髪飾りでまとめている。彼女はいつもそのままおろしているので、髪型が変わると新鮮だ。

 そして、格好はランニングウェア。

「お……おはよう、ございます……」

「……おや」

 もじもじする彼女の後ろの扉が開き、ルピネさんがやってくる。

 紫織ちゃんは慌ててルピネさんの後ろに隠れた。

 ルピネさんは微笑んで軽く手を振った。俺もふり返す。

「光太も外へ?」

「はい」

 ルピネさんはラフなTシャツ長ズボン。

 なんというか……胸のあたりが凄い。『いつものかっちりとした服装のどこに収まってるんだ』というサイズである。

「お二人もジョギング?」

「ああ。紫織のリハビリだ」

「あ……ですよね」

「体力づくりも兼ねてな。……隠れていないで出なさい、紫織」

「わっ……」

 ルピネさんに優しく背中を押され、紫織ちゃんがわたわたと前に出てきた。

 薄めのパステルブルーのランニングウェア。ところどころに桜のモチーフが入っており、大和撫子な彼女のイメージにぴったりだ。

「そのウェアいいやつっすね。通気性通湿性が高いって売りの」

 俺が陸上部に居た時、ランナーズハイに取りつかれた女子が『欲しい! 高い!』と騒いでいたのを覚えている。

 確か、それこそアーカイブの技術を使って、極限まで性能を高めたのだとか。

「すぐに暑いだの疲れただの言うからな。かつての技術協力の礼に安くしてもらった1セットをあげたんだ」

「あうぅ。でも、最近は、平気ですよ。平気なんです……」

「一緒に走っているのだからわかっているよ。……二人とも、廊下で話すのもなんだから、食堂へ行こう」

「そうですね。紫織ちゃん、行こう」

「はっ、ふひゃい!」



  ――*――

 息子が苛立ちのこもった目で俺を睨みつけている。

「なーんで、二日酔いするまで飲むかなあ」

 どうしてかわからないけれど、リナリアは怒れば怒るほど”妖精らしい”口調になる。

「ケイのことで相談したいことも、佳奈子と紫織についても光太についても。俺だけじゃなくてひぞれとシェルからも聞きたいことあったのに。父さんはどうしていつもそうなのかなあ? その頭の中に入ってるのはスイカか?」

「俺の髪、緑だもんね!」

 冗談を言った瞬間にライフルを突きつけられ、慌てて謝罪する。

「ご、ごめんなさい。……はしゃいじゃって」

 こっそりと娘に助けを視線で求めると目が逸らされた。

「そっかあ。はしゃいだせいで調子に乗ってウィスキー2本も開けたのかあ。父さんは大変だね」

 ライフルをしまいながら舌打ち。

「…………。ルピィ……リナが恐いよう……」

「私に飛び火するから話しかけないで」

 冷たい目で拒否された。

「ルピィが酷い……」

「父さんのテンションが暴走しやすいのも、それを父さん自身が制御するのが難しいのも知ってるけどさ」

「う」

 俺の持つハンデは、『緊張状態が保てない』こと。

 緊張というのはストレスを与えるものでもあるけれど、適度な緊張感は悪いことばかりじゃない。

 物事に慎重になったり、集中したりするのに役立つ。俺はそれが上手く持続できない。

「俺も色々話したいことあるんだよ。ひぞれたちだって、大学が同じだからって……ってか、同じだからこそ、プライベートな話は長くしてらんないだろ?」

「……うん」

 ひぞれとシェルは公私をきっちり線引きするタイプだ。大学の外で顔を合わせない限り、踏み込んだ話はしない。

 他の生徒や教員の耳目がある大学内では相談しづらいこともあるだろう。

「ごめんね。今日は、飲まないし……キミたちと話すよ」

 喜ぶ顔を見ると、リナリアは母親似だなあと思う。

「! ……ありがとう」

「だからその……悪いんだけど。勉強会については不参加でいいかな」

 緊張出来ないハンデのお陰で、人に一対一でものを教えるのが下手だ。昨日のしおりんで限界。

「わかってる。シェルが『オウキは寝かしておきなさい』って言ってたから」

「わーひどーい」

 シェルはいつも残酷なほど正確な判断能力を発揮する。そういうところはお父さんそっくりだ。

「休んでてほしい。姉さんついててくれる?」

「もちろん! 私が勉強教えたりなんかしちゃったらどんなこと吹き込むか責任持てないからね!」

「そこは責任持てよ」

 ルピナスは俺に似て、性格がざっくばらんに適当。ルピナスに物を教えられるとは思えない。

「あはははは! ……うぶっ」

 二日酔いで爆笑すると頭に響く。

「父さんっ⁉」

「あー、リナ。揺らさないであげて」

 慌てるリナリアをルピナスが制止している。酔っ払いの扱いを心得た出来た娘なんだよね。

 ……ほんとにごめんなさい。

『すみませーん、いま大丈夫ですかー』

 部屋の扉越しに光太の声が聞こえた。ノックつき。

「リナ、行ってきてあげて」

 ルピナスが促すと、リナリアがため息をついて立ち上がった。

「……父さん任せた」

「うん」

 寝転がっているから様子は見えないけど、声は聞こえている。

「おはよ、光太」

「はよっす、リーネアさん。……って、オウキさん二日酔いですか?」

「そうだ。身内の恥を晒すようで申し訳ないけど」

 酷いよリナリア。

「あ……大丈夫っす」

「なんか用か?」

「これ、昨日買ってたやつで」

「……フロマージュか」

 ふろまーじゅ?

 ――チーズケーキ‼ 俺の好物‼

「ショコラ」

 わーい一番大好き――☆‼

「はい。お世話になったんで、お礼に。昼のおやつにでも食べてもらえたら」

「ありがとう、味わって頂く」

「良かったっす」

「これ、父さんと姉さんにも分けていいか?」

「それは、存分に。ご家族で楽しんでください」

 わー、光太いいひと! 優しい!

 リナリアが光太に親切をしなければこうはならなかったわけだし、お礼言わなくちゃ。光太にも後で言おう。

「ありがと。外出るんなら、気を付けて行けよ」

「あざます。ルピネさんもいるんで大丈夫ですよ」

 光太が部屋の入口から出ていく気配。

 リナリアが紙袋を持ってやってくる気配。

「ふろまーじゅ‼」

「父さん、さっきまでのは仮病?」

「朝食とってから食え。……部屋まで持ってこれないか聞いてみるわ」



  ――*――

 ヴァラセピス家の皆さんにチーズケーキを届け終え、ロビーに向かう。

「すんません、お二人!」

「速かったな」

「大丈夫ですよっ」

 朝食を食べ終えたはいいものの、恩人たちへのお礼に買ったお土産を渡していないことに気付き、ルピネさんに送り出された。

 7時出発のはずが7時半にまで伸びてしまった。

「気にするな。無事渡せたか?」

「はい。あ、ルピネさんとシュレミアさんの分も後で渡しますね」

「ありがとう。そんな真面目な光太と、帰りを待っていた健気な紫織に、年上のお姉さんとしてスポドリを買ってあげよう」

 ルピネさんはにんまりとして、ロビーの自販機から転がり出たペットボトルを俺と紫織ちゃんに押し付けた。

「すんません。ご馳走様です」

「ご、ごちそうさまです」

 俺はリュックに、紫織ちゃんは小さめなバックパックにボトルを入れる。

「うむ」

 ロビーから旅館の外に出ながら、ゆっくり歩きだす。

「ルートどうしますか?」

 俺もルートを調べてはいたものの、それは俺基準で選んだ長距離ルートだ。

 紫織ちゃんと一緒に走るなら、短距離でゆったり走った方がいい。

「運河周辺を回っていこうと思う。朝方なら涼しい」

「運河。見たいです」

「車通りもあるから、ゆっくりなペースでな」

「ういっす」



  ――*――

 紫織が部屋の外を出てからというもの、京の様子がおかしい。

 最初はあたしと世間話しながら、コウが置いていった洋菓子の寸評をして雑談をしていたんだけど……突然ぼうっとしてしまった。

 どこを見ているかわからない大きな黒い瞳の中に――青い火花が散っている。

「小樽、来てる。私は小樽に来たことがある? ……ある」

 泣き出しそうな顔で壁際に蹲って。

「……あるのに……」

 火花は不規則に現れては消えていく。

 パターンは内世界を外世界に映し出し、内世界を作り変えるアーカイブ。

 その副作用は――感情と行動の乖離。

 パターンシンドロームと呼ばれているくらい、医学界隈では有名だ。

 例えるとしたら、もし、同じクラスにムカつく奴が居たら、『あいつなんか居なくなればいいのに』と思ってしまうことは不自然じゃない。陰口を叩いたり面と向かって文句を言ったりすることもあるかもしれない。それはまだ正常な範囲で収まっている。

 でも、パターン持ちはやってしまう。『邪魔だから居なくなればいいのに』というくらいの感覚――極論すれば部屋を飛ぶ蚊を叩き潰すくらいの感覚で相手を仕留めにかかる。このせいで問題を起こして、10歳検査の前に判明するパターン持ちは多い。

 判明しないのは実力行使を実行しなかったパターン持ちち。要はケイのような人。

 その人は自分を律することに長けていて、自分を改造してしまう。嫌な思いをしたらそれを忘れてしまうように。痛みを受けたらすぐに消えてしまうようにと――

「先生、知ってた。……お兄ちゃんは」

「……」

「覚えて、ない……!」

 京は過去に小樽に来たことがある。あたしの推測ではなく、今までの京の振る舞いと会話から確信している。

 彼女は思い出を覚えていられない。副作用が悪化し切ると、改造した機能が治らず、記憶を留められなくなってしまう。

 つまり、目の前で錯乱する少女は超重度なパターンシンドローム。

「オウキ先生悲しむ……」

 今は回復してきているんだと思う。リーネアさんと京自身の努力と苦労があってのこと。

 寂しそうな顔で泣きわめく京はいつもより子ども。

「京。京」

「ひ、ぅぐ」

 可愛い顔なのに、涙で台無し。

 タオルで拭ってやる。

「……かなこ……」

「佳奈子よ、京。あたしは佳奈子」

「うん……」

「何で悲しいの?」

「わたっ、しは……私。ひどいひと。何もかも、忘れて……!」

「京は悪くないのに?」

「…………」

「あたしはあんたのいまの状態のこと知ってるわ。本で読んだもの」

 昔、コウがはしゃいで図書館から本を借りてくるから、一緒に読んでいた。……そういえばあいつも、昔覚えた神秘の知識を失くしてるのよね。

「……けいべつしない?」

「しないわ。……あんた、虐待された子どもに後遺症が残ってたら『自業自得だ』って軽蔑するわけ?」

「っ……」

「見縊らないでよ」

「私、卑怯、かなあ……⁉」

 あたしは京よりお姉さんだから、支えてあげなくちゃならない。

「卑怯じゃないわ」

「っひぐ」

「京は強かった。衝動を理性で抑え込んで、頑張ったんでしょ? 今回の旅行でだって、先導してくれる京は心強かったよ。頑張ってるのに」

 あたしたちの高校では、京の評価は『スーパーヒロイン』だけど、『名門私立をエスカレーター出来ずに公立に来た』だとか『いじめられていた』だとかの噂は付きまとっていて、中学時代の京にいい思い出はないんだと思う。

 でも、いまの京は凄く魅力的。……コウがちょっと惹かれてる理由もなんとなくわかる。

「あたしはお姉さんだから頼ってよ。大丈夫だから」

「あは、は」

 涙でぐしゃぐしゃな顔で笑う。

「かなこ、いいひと」

「でしょ? おやすみ、京」

 泣き疲れたのか、そのまま眠ってしまった。

「顔くらい拭きなさいよね……」

 もう一度タオルで軽く拭いてやり、パーカーを丸めて作った枕を頭と畳の間に入れ込む。

 子どものように泣きわめいて子どものように眠る……なんと面倒くさいヒロインなのか。

 でも、あたしはお姉さんなんだから、見守っていてあげよう。

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