お年玉をどうする?
吾妻栄子
お年玉をどうする?
“
打ち込んだ私のLINEにはすぐ「既読」が付いた。
“ありがとう。でも姉弟でケンカになるといけないのでどちらも二千円でいいです。こちらも
義姉の
“分かりました。こちらも同じ分用意します”
今度は「既読」が付くだけで返信はない。
クリスマス翌日の12月26日。実家に帰省して顔を合わせる前の最後のやり取りだ。
互いに子供が生まれてから毎年恒例の「お年玉談合」だ。
お年玉を渡す側になると、お歳暮や香典などと同じく「極力、両家で等価交換に」という発想になる。
相手より安いのは失礼だが、高くても負担を与える。
だから、我が家ではセーラー服の中学生でもベビードレスの〇歳児でも渡されるお金は一律二千円。
「お年玉」という名の未成年人頭税のようなものだ。
*****
「こんにちは」
リビングの
美咲ちゃんは台湾人作家・黄春明の小説「さよなら・再見」、春樹くんは「ちびまる子ちゃん」の一巻。いずれも私が昔、買って実家の本棚に置いて行ったものだ。
「明けましておめでとうございます」
努めて笑顔で告げると、二人も正座して頭を下げた。
「おめでとうございます」
「おめでとうございます!」
五歳の莉奈が笑いながら私の隣で声を張り上げる。
「オエエトウゴザマス!」
腕に抱いた二歳の玲奈が笑顔で真似ると、正座した二人の甥姪のどこか固い笑顔も和らいだ。
この二人も莉奈と玲奈くらいの時は満面の笑顔で手放しで甘えてきたのに。
私としてはこの子たちにきつい言葉を掛けたりそっけない態度を取ったりした覚えはない。
だが、中学一年生と小学五年生の甥姪たちにとって盆暮れに顔を合わせる叔母はもう手放しで甘えられる存在ではないのだろう。自分たちより幼い従妹二人も出来たわけだし。
「葵さんは今、ちょっとお使いに出てるの。
台所から出てきた母が告げる。また明らかに白髪が増えたというか、頭全体として黒より白が主勢になってしまった。体全体としても前より小さく縮んでしまった気がする。
「分かった」
コートを脱いで持ってきたボストンバッグからエプロンを取り出す。盆暮れの実家では兄は子供に戻れるが、娘の私はそうもいかない。
むしろ、兄嫁の葵さんが今まで母を手伝って立ち働いた分だけ実の娘の私も動かざるを得ないのだ。
盆暮れの帰省は女性たちの種々の無償労役の上に成り立っている。
「美咲ちゃん、遊ぼ!」
莉奈の楽しげな声が後ろで響く。
「じゃ、お絵描きしよっか」
応じる美咲ちゃんの声はこの前までは無かった大人びた色合いを帯びていた。
*****
ポットから沸騰を伝える電子メロディーが流れてきた。
「お母さん、紅茶とコーヒーのどちらにする?」
漸くぐずりが収まってうつらうつらと寝入りかけた玲奈の頭を撫でつつダイニングの椅子から尋ねる。
「ただいま、戻りました」
母が返事をする前に玄関から葵さんの声がした。
「こんにちは」
十キロを超えた二歳児の体を抱き抱えたまま迎えに出る。パタパタと久し振りに履いた実家のスリッパが足元で忙しない音を立てた。
「あら、おめでとうございます」
マフラーとコート姿の相手に言われてまだ新年の挨拶をしていないと思い当たる。
「明けましておめでとうございます」
玲奈が起きてまたぐずらないように小さな頭を押さえつつ精一杯笑顔で挨拶する。
お盆に会ってからまだ四ヶ月だが、葵さんの頬がその時より少し削げてその分だけ老けて見える。
私より五歳上だから四十一歳。こちらも相手の目には年を取ったと思われているかもしれないが、互いに若い頃の顔を見知っていた間柄でそうした変化を認めるのは少し寂しい。
お年玉を貰っていた頃は三十六歳も四十一歳も同じ「おばさん」の括りだったけれど。
「フエーン」
耳元で目を覚ました子供の泣く声が響く。ヒーターを焚いたダイニングから寒い玄関に来て目を覚ましてしまったのかもしれない。二歳の、まだ「小さい子」に成り切らない赤ちゃんには全てがそんな皮膚感覚一つで決まるのだ。
ふと温かなコーヒーの甘い香りが流れてきた。
「お帰りなさい」
母もキッチンから出てくる。
「葵さんもコーヒーでよろしいですか?」
「ありがとうございます」
ぐずる玲奈を揺さぶりながら私はまたパタパタとスリッパの足で戻る。
「お年玉、子供たちに渡しましょう」
母が見計らった風に告げる声がした。
*****
「じゃ、お年玉渡すよ」
コーヒーとクッキーの甘い匂いが漂う茶の間で母は顔の皺をいっそう深くして笑った。
「ありがとう」
美咲ちゃんと春樹くんはどこか待ち兼ねていた風な笑顔で声を揃えて答える。
「莉奈ちゃんも『ありがとう』は?」
私の言葉にクッキーを齧っていた五歳の娘は良く飲み込めない表情を浮かべつつ返した。
「ありがとう」
この子には「お年玉」という現金の贈り物がまだオモチャや絵本のような価値あるプレゼントとして認識されていないのだ。
「玲奈ちゃんも『ありがとうございます』だね」
「エヘヘヘヘ」
夫の胸に抱かれた二歳の娘は上機嫌な笑い声を響かせる。この子には多分、「パパが来て抱っこしてくれた、笑顔で話し掛けてくれて嬉しい」くらいしか状況が把握されていない。
「お祖母ちゃんからはこれ」
猪と瓜坊の描かれたポチ袋が四つ並ぶ。隅には鉛筆で“美咲”“春樹”“莉奈”“玲奈”とそれぞれ記されていた。
母は孫たちへの年賀状も兼ねているつもりなのか、毎年干支の動物がプリントされたポチ袋を使う。
「うちからはこちらです」
葵さんが私に差し出したのはマイメロディのポチ袋二つ。これも隅に“莉奈ちゃん”“玲奈ちゃん”とボールペンで書かれていた。
去年はキティちゃんの柄だったが、幼い娘たちにはサンリオのキャラクターが相応しいと考えて今年も選んでくれたのだろう。
「うちもこちらになります」
私からは小型の熨斗袋風のポチ袋二つだ。隅には“美咲ちゃん”“春樹くん”とネームペンの細字で綴った。
色気も素っ気もない装丁だが、思春期を迎えた子たちにはあまり子供らしいキャラクター物や男女の性差を感じさせるデザインより「金一封送ります」という事務的な一律の包装の方が却って良いように思えるのだ。
「ありがとうございます」
私の手元からミニ熨斗袋二つが消えた代わりに、猪柄のポチ袋二つとマイメロディが小首を傾げたポチ袋二つの計四つが集まった。
「俺、貯金するから、お母さん持ってて」
春樹くんは思いの外大人びた顔つきで葵さんに告げる。
「クリスマスにニンテンドースイッチ買ってもらったばかりだからお年玉は貯めとくよ」
普段はさほど似ていないが、寂しい感じになるとこの子は顔も口調もこの場にいない兄そっくりになる。
美咲ちゃんが私立中学に入ったので兄一家は家計が色々大変だとは葵さんや母の話からも何となく聞き知っている。
そうした事情は今、公立小学校に通っている弟の春樹くんにも察せられているのだろう。
――下の子は成績もそこまででないので、中学受験はさせないつもりです。
葵さんは子供たちのいない時にそう語っていたが、春樹くんが何も引け目を感じていない訳はない。
「私も『82年生まれ、キム・ジヨン』だけ買ったら貯金する」
美咲ちゃんが何だか懇願する調子で続けた。
「図書館だと予約がいっぱいでいつ借りられるか分からないから」
話しながら目を落とす。
「ヨンアはもうハングル版で読んだし、リオも買ったって」
葵さんが苦笑いして私に説明した。
「韓国人の外科医のお嬢さんと台湾人の社長のお嬢さんと仲がいいんですよ」
私立の女子校だと聞いていたが、随分グローバルだ。
「公立だと日本人の良くない子にいじめられるから、お金持ちの外国人の子がうちの学校には多いの」
美咲ちゃんは寂しい声で付け加えた。
「今は私みたいに日本人で入ってくる子の方が貧しいくらい」
*****
「ありがとう、ございました」
ATMの女声アナウンスを背にベビーカーを引いて郵便局を出る。
初春とは名ばかりの冷え切った風が吹き付けた。
ベビーカーを覗き込むと莉奈のお下がりのコートにブランケットにくるまった玲奈はすやすやと眠っている。
実家の玄関よりこちらの屋外の方が寒いはずだが、二歳のこの子はベビーカーで眠り込んでしまうとまるでスイッチが切れたようになかなか目を覚ますことはない。
五歳の莉奈を幼稚園に送り出してから立ち寄った最寄りの郵便局。
子供たち二人の口座に両方の祖父母と私の兄夫婦から貰ったお年玉の合計をそれぞれ振り込んだ。
二人の各々の名で作った通帳には出産祝いから今まで頂いたお年玉全てが預けられている。
むろん、一回一回の入金はそんな御大層な額ではないが、今まで二つの口座から出金したことはない。
出来るだけ積み立てて二人が大人になったら渡すつもりだ。母が私たち兄妹にしてくれたように。
「まだ、まだだよ」
吹く風は冷たいが、雲が払われて眩しい陽の光が射してくる晴れ空の下、私は再びベビーカーを押して歩き出した。(了)
お年玉をどうする? 吾妻栄子 @gaoqiao412
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