第四十二話:舞華権座衛門の場合・1



 舞華権座衛門は物心ついた時から自分の生まれた意味を考えている。


 大嫌いなその名前の事も理由の一つだ。


 何故自分はこんな名前を付けられてしまったのか。親の気紛れ、という言葉だけで納得する事は出来ず、過去に一度両親にこんな名前嫌だと言った事がある。



 その返しは、嫌なら改名してもいい、だった。



 その答えがさらに自分の存在理由、存在意義を透明化させていく。



 つまりなんでもよかったのではないか、と。




 自分でなくとも、こんな名前でなくとも、親にとってはなんでもよかったのではないかと疑いながら生活を続けた。



 幼い頃から自意識が芽生え、頭の回転も同年代の他の子らより早かったからか、幼稚園に通う頃にはもうそんな事ばかりを考えて自分を偽り、仮面を被って過ごしていた。




 いい子にしていればきっと父親ももっと家に帰ってくるに違いない。



 父親があまり家にいない理由を知らなかった頃は自分の事をなんとも思っていないが故に家に寄り付かないのだと、そう思い込んでいた。



 母親は優しい。その名前の事も何度となく謝られた。



 謝られても仕方がないと権座衛門は理解していたし、諦めてもいた。



 きっとこの人にとっても自分は血の繋がった子供という名のアクセサリーなのではないか。その疑問が消える事はなく、心を開く事が出来なかった。



 そして、外面だけを整える日々に疲れていくのと比例して家では内向的になっていく。



 権座衛門はいつしか読書の虜になった。



 本を読んでいる間は自分が誰かなどどうでもいい。そんな事関係なく、物語の主人公になれるのだ。



 精一杯の仮面を被り、母に本をねだる。



 各種取り揃えてもらった本とは別に、自分を命名したという祖父の書斎にある本も自由に読んでいい事になった。



 祖父は物心つく前に他界したらしく、文句の一つもぶつける事は出来ないが、権座衛門は山のような本を提供してもらった事に感謝する事でその罪を帳消しにする事にした。



 母が買ってくれる本は少年が活躍する冒険物だったり、勇者が魔王を倒しにいくファンタジーだったり、魔法少女が魔法で人々を幸せにしていくお話だったり、とにかく明るく楽しい物がメインだった。



 勿論そういう本が嫌いなわけではないのでそれはそれで楽しく、自分を物語に溶け込ませるように読み漁る。



 ある時は勇敢な勇者、そしてまたある時は可憐な魔法少女。



 物語の中では何者にもなれる。



 権座衛門にとってそんな架空の世界に没入して行く事が唯一の幸せだった。



 しかし、あらゆる本を読み進めるうちに、だんだんと祖父の書斎にある本を読む比率が高くなっていく。



 そこにある本はいずれも難しく、常用ではない漢字もふんだんに使われていて電子辞書を片手に少しずつ読み進めた。



 気が付けば大体の本はスムーズに読めるようになっていて、それからというもの祖父の書斎に入り浸るようになる。



 むしろ書斎に住み着いたという表現が正しいのかもしれない。



 祖父の蔵書には時代小説や官能小説などもあり、自分にはまだ理解できない人間の感情の推移を伺う事ができた。



 他には分厚い歴史についての書物だったり、海外の本も沢山でてきた為、権座衛門は幼くして外語の勉強に取り掛かる。



 とはいえ、また電子辞書片手に少しずつ読んでいくというスタイルだった。



 いずれそれもすらすら読めるようになっていたのは、権座衛門の読書への強い執着故だろう。



 そして、祖父の本もあらかた読んでしまった頃、それに気付く。



 書斎の本棚の一番下の段、一番隅の一角にある本。その本の後ろに隠すようにしまわれていたそれは、本というには随分とボロボロでまるで手製のように見えた。



 権座衛門がボロボロの和綴じ本を捲ると、そこに記されていたものは何という事もない、祖父の自伝、つまりは日記だったのだ。



 がっかりしつつも、腹いせに過去の恥ずかしい出来事を読んでやろうという気持ちが沸き起こる。



 そして、読み進めていく上である事実を知った。



 到底現実味の無い話であるが、その当時の権座衛門にとっては…そういう事があってほしい。事実だったらどんなに素晴らしいだろう。そう思える内容だったのだ。




 祖父は若くして海外へ渡る。そしてそこで天使と出会う。



 天使は名前がなかったらしい。天使というのは名前が無いものなのだろうか?



 不思議に思いながら読み進めると、以前は名前があったらしい。何か理由があってその名前を失ったのだそうだ。その頃の名前も記載されていたが、なんだか見た事もない変な名前だった。



 どのようにしてその天使が現世に現れたのかは記されておらず、また祖父にもわからないようだった。



 最初は祖父も天使など信じなかったようだがいろいろな事柄を総合的に考えて信じるしかなくなったらしい。



 しかし、その天使と交流を持つようになり、一緒に出掛けるような間柄になったそうだ。



 そして、ともに汽車に乗ったさい大きな事故に巻き込まれ、祖父は大怪我をしてしまう。



 勿論天使は無傷。



 そして天使は祖父にこう持ち掛けた。



「貴方は、まだ生きたいですか?」



 祖父は「無論、君を残して死にたくは無い」



 …そう答えたらしい。すでにその時祖父は天使に恋心を抱いていたのだろう。



 すると天使はたちどころに祖父の怪我を治してみせる。



 しかし、後々話を聞くとどうやら天使の力は尽きようとしていた。



 天使は誰かと契約を結び、力を得ないとそのうちに消えて無くなるのだそうだ。



 祖父は自分と契約をと持ち掛けたが、天使がそれに頷く事は無かった。



 天使にとっても祖父は大事な存在になってしまっていたらしい。



 契約を結べば祖父からエネルギーを供給してもらう事になる。それが出来なければ祖父の命に関わる。



 だから、天使は祖父との契約を許容しなかったのだ。



 そして、天使は普通の人間として数年の時を生きる。その際に二人の間には子供が設けられたらしいが、それは、そこに記されていた名前は、父の物だった。



 父が人間と天使のハーフだった、などという事実を権座衛門は信じることが出来なかったが、できれば事実であってほしいと願った。



 父がもしそうならば、自分は天使と人間のクォーターという事になる。天使の血を引いているとはなんてファンタジー。

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