第20話 バケモノは暁七つに誘われて



 胸が急にざわめいて、思わず目を覚ました。


 カーテンの隙間から見える外まだ暗く、おそらく朝はまだ遠い。



 部屋の中にはオレ、斎宮円とその隣には数日前に恋人となったばかりの少女、伊神火澄が眠っている。


 起きている時とは違い、驚くほど幼げな表情で寝息を立てる彼女を見ていると、自分の疚しさを責められているように感じた。



 ――このままでいいのか?



 オレは自分に問い掛ける。


 火澄を好きな、愛する気持ちに嘘は無いと思う。


 幼い頃は、不自然に湧き上がる火澄への気持ちに戸惑ったが、今は自分自身のものだと確かに言える。



 しかし。  


 弱みに付け込んだ関係は、本当によかったのか。


 彼女を求める本能とは別に、理性が警鐘を鳴らす。


 でも。



「……オレには、火澄しかいないよ」



 吐き出された声は、吃驚するほどか細く、力無かった。


 火澄にたった一つだけ、秘密にしている過去。



 オレという人物の、普段から感じている核の欠けた感じがそのまま出ているようだった。


 両親の存在は偽物で、斎宮の長男という身分は与えられたもの。


 人から産まれた存在ですらないオレは、死んだ者である幽霊となんら変わりなく思えた。



 ――火澄。



 自分のルーツを思い出してしまうと、急に心細くなって火澄に触りたくなる。


 今の自分を構成する全てを授けてくれた彼女に、縋りたくなる。


 起こさないようにそっと手を伸ばすが、温度が感じられるほどの距離まできて、躊躇いを憶えた。



 ――触ったら、壊れそうだ。 



 呼吸に併せてゆっくりと上下する形のよい胸、陶磁器で出来た人形のように白い肌。


 理性を蕩かしてゆく彼女の匂いに、眠りが浅いのか時折漏れる艶かしい呻き声。


 寝床にしどけなく散らばった、夕日色の長い髪。



 その全てが、こちらを誘惑する淫魔のようで。


 同時に、地上の者が触れられない聖なる女神のようで。


 どちらにせよ、触れたら全てが終わってしまう気がして、その手を引っ込めた。



 ――もし、火澄を失ったら…………。



 幾つもの不吉な考えが頭を過ぎる。


 それを振り払うように、オレは火澄を起こさないように寝床からそっと出て部屋を後にした。



 冬の寒さで冷え切った廊下に出る。 


 その冷たさを心地よく感じながら、いつものように故人へ気持ちを吐露する。



「いや、不安になったら姉さんに失礼かな?」



 自分と同じ様にして生み出され、同じ様に失敗作の烙印を押された上に体が弱く死んでしまったヒト。


 生を望んで、死んでいった彼女の分まで幸せを享受しなければならない。



 あの時のオレ達は幼くて、同じ双子の筈なのに妙に賢しい姉さんに、欲しいもの全部奪われたり。


 その癖、体は弱くて同情を誘って。



 ――姉さん生きていたら、どんな悪辣な女になっていたか。



 どちらが生き残っても、精一杯、正々堂々と幸せに成る。


 でも、それが姉さんとのたった一つの約束――。



「――話、いいですか円さん」



 鋭く、華やかな声。


 オレの回想を止めたのは、耀子ちゃんだった。 



 彼女は剣呑な雰囲気を出しながら、着いて来るように指し示す。


 耀子が連れてきたのは今は使われない土蔵だった。



「こんな所で何の話?」


「別に、あのバケモノに聞かれない場所まで離れただけですわ」



 オレは彼女を警戒しながら見つめる。



「ふふ、こんな時間にごめんなさいね。全ての仕込みが今終わったので。アナタが起きていてくれて丁度よかったですわ」



「……言葉の意味が解らないよ」



「宣戦布告ですわ」



 耀子ちゃんは、まるで近所へ買い物に行ってくると告げるように、あっさりと言い放った。



「君は、やっぱり……」



 姉さんと死別した後、初めて出会った人間。


 斎宮の長男として用意された存在の裏づけとして、出会わされた少女。



 彼女と過した時間は、僅か半年にも満たなかったけれど、裏表の無い笑顔の少女だと印象に残っている。


 オレは年が経つにつれ、彼女が居なくなった理由を理解した。


 同じ、斎宮という怪物が生んだ被害者だということを。



 案の定というべきか、先日再開した耀子ちゃんは、憎悪に囚われた目をした鬼とでも言うべき存在に為っていた。


 旧交を温めにきた訳ではないと思ってたけど――。



「――ええ、ご想像の通りですわ」



「君は、復讐、するんだね」



「アナタはしないんですのね」



「オレは、今のままでいい。だから……」



「だから、放って置いてくれと?」



「ああ」



 彼女の言葉にオレは頷いた。


 しかし同時に、その願いが聞き入れられない事も予想していた。



「解るでしょう、円さん。それは無理ですの」



「だろうと思った」



 オレの答えに耀子ちゃんは目を細める。



「話が早いですわ。当然今更止めることもしませんわ」



「狙いは御影衆の幹部、分家の長老共だろう。そちらは好きにするといい。オレには関係ない話だ。けど……」



「駄目ですわよ、わたくし強欲ですの。円さんに怨みはないですけれど、斎宮の家ごと壊してさしあげますわ」



「っ! なら、オレと火澄はこの地を離れるから!」



 頼むから放って置いてくれと、目で訴えるが彼女は首を横に振って拒絶する。



「アナタの気持ちは解らないこともありませんわ。でもあのバケモノ女は、伊神火澄は、御影衆の老害達が神聖視する最後の拠り所です。あの女を潰さずにはわたくしの復讐は完遂しませんわ」



「……幾ら君が策を弄したところで、火澄の力には適わない」



「ええ、そうかもしれませんわね」



「ならなんで……」



「…………敵である円さんに教える義理はありませんわ」



 苛立ちを隠さずに、そっぽを向く彼女。



 ――耀子ちゃんは危険だ。



 オレはその体が、尋常ではないほど強大な歪みに侵食されているのを感じた。


 生まれつきちからの強い彼女の事だ。


 全てを解っていて放置しているに違いない。


 今はまだ人という範疇に収まっているが、後数年後には火澄に迫るちからを得るかもしれない。


 その前に。



 ――殺す。



 火澄さえ居ればいい。


 オレはそう心に言い聞かせて、頭を静かな殺意で塗り固める。


 空間と空間を隔離する『結界』というちからしか持たないが、それならそれでやりようはある。 



 ――呼吸器官の周囲にピンポイントで結界を貼り、空気の流れを途絶すれば!



「……!」



 生まれ持った鋭い五感で空間認識の処理速度を上げる。


 彼女が感づく前に不可視の壁を張って後は――。




「残念だけど、そうは行かないわ」




 幼い女の子の声と共に。


 カン、と木撥を叩き合わせたような渇いた音がして、術が無効にされる。


 続いて、クワンという耳鳴りと共に心臓の辺りから、ちからが何かと共鳴するように震え、膨れ上がり始める。



 ――真逆!



 オレは確信した。


 共鳴するかのようにではない。目の前の耀子ちゃん以外の誰かと、確かに共鳴している。前にもこんな事があった。


 しかし、その相手は――。



「死んだはずだ! 在り得るはずが無い!」



「――ご挨拶ね、久しぶりの再開なのに」 



 目の前に突然、幼い女の子が現れる。


 聞き覚えのある声。昔と変わらない姿。



「姉さん!」



「ふふっ、驚きました? 円さん」



 耀子ちゃんの、してやったりという顔。


 その傍らに立つ姉さん。



「……どういう、ことだ? 生きていたのならなんで……?」



「乙女の事情を詮索するなんて野暮ですわ、円さん」



「あら残念! 上司がこう言っているから、秘密よ、ひ、み、つ」



「姉さん! 耀子ちゃん! ……ならっ!」



 はぐらかす二人に、オレは火澄に呼びかけようとする。


 しかし。



「くっ、火澄に通じない?」



 胸の刻印からは、何の反応も示さない。



「そうそう。火澄を呼ぼうといても無駄よ、円。この空間は遮断させてもらったわ」



「……っ!」



 ――不味い。


 昔から、姉さんのほうが結界のちからを扱うのが上手かった。


 どうにかして火澄と合流を――。



「――聞いてるわよ円。アナタ、あたし達の事何も話していないんでしょ? バラされたくなかったら、大人しくなさい」



「………」



 姉さんの言葉に、オレは黙り混むしかなかった。



「何のことだか解りませんが、今のところは逃げさせていただきますわ。ああ、後日から詩も護衛としてあの学校に連れてきますわ。円さんは詩の事をあのバケモノ女に黙っておいてくださいな。だって、そのほうが面白いでしょう?」



「耀子ちゃん!」



「あはっ! 円! あんたの悔しそうな顔、とってもいいわ」



 高笑いをして姉さん達が去ってゆくのを、オレはただ見ている事しか出来なかった。


 火澄に、過去を知られるのが怖かったのだ。



 ――オレは、無力だ。



 オレが自身の力不足に肩を落とす中、いつの間にかやってきた火澄が優しく言葉をかける。 



「眠れないの、円? 目が覚めたら貴女が隣にいないから、何かあったのかって心配したわ」



「何もないよ」



「……そう」



 つっけんどんに返すオレに、彼女は何も聞かず優しく抱きしめてくれる。



 ――火澄は温かい。



 それは、震える程心地良かった。

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