第15話 バケモノと我が家の侵略者
「これは、どういうこと?」
家に帰った私が見たものは、引越し業者のトラックと運び込まれている荷物。
それとジャージ姿の耀子だった。
「あら、のんびりとしたお帰りですわね。火澄」
――真逆!
私は嫌な予感を感じながら、耀子に詰め寄る。
「何故貴女がここに居るの? 説明なさい」
「上の、御影衆からの要請ですわ。一緒に暮らして貴女を監視しなさいって。面倒ですわ」
言葉とは裏腹に、嬉しそうな顔をする耀子。
――まったく。この子に権力を与えた馬鹿は何処のどいつよ。
御影衆の名前を出されては、私に抗う術はない。
せめて、一矢報いようと口を開く。
「建前はいいわ。目的は何? どうせ円でしょうけど」
耀子は私の言葉に、少し泣きそうな目をして、
「――失くしたものを、取り戻しに。ですわ」
と言った。
「……ふん、なんだかよく解らないけれど。円に迷惑かけたら殺すわよ。――部屋にもどるわ」
耀子の表情に気が削がれた私は、話を切り上げて自室に行こうとする。
「……」
「……」
「……」
「何故、着いてくるの?」
「……私の部屋は、こっちなんですわ」
「そう」
この辺り一帯の地主でもあり、神社も兼ねている斎宮の邸宅は広い。
現在、私と円だけが住むこの家は、母屋だけでも当然の様に空き部屋だらけだが……。
――こっちには、もう空いている部屋は無いはずだけど。
黙り込む耀子は喜びと悲しみが入り混じって、尚且つ罰の悪そうな顔をしていた。
「……貴女って嘘のつけない子よね」
「……」
自室の前まで来た私は、予想が外れればいいと願いつつ襖を開ける。
そこには、私の住んでいた痕跡がまったく無くなった部屋があった。
「私の部屋は、いつからこんな可愛らしくなったのかしら?」
必要最低限の物しかなく殺風景だった部屋の中には、ぬいぐるみや可愛らしい小物で溢れかえっている。
私は中にはいってぬいぐるみを手に取り、興味深げに眺める。
耀子はそんな私に後ろから声をかける。
「わたくしは、謝りませんわ。この部屋は、元々わたくしのモノだったのですから。アナタのようなバケモノが母屋で生活している事が、間違いなのですわ」
強気な口調ながらも、震えた声。
そして私は思い出した、初めてこの部屋を与えられた時の、幼い円の陰った表情を。
「……」
「だから、譲りませんわ」
振り返り、私は耀子の目を見た。
涙が零れ落ちそうになっている目の奥に、不退転の覚悟が感じられる。
――住み慣れた部屋を離れるのは残念だけど。これは無理そうね。
私は正真正銘のバケモノではあるけれど、血も涙もない鬼ではない。
「まあいいわ。……私の荷物はどこ?」
「火澄……。アナタの荷物は円さんが持って行きましたわ」
「そう、ありがとう」
私はそう言って部屋を出た。
襖を閉めると、小さな嗚咽が聞こえ始める。
「父様、母様。……やっと帰って……」
涙で掠れた、か細い声。
――やっぱり、そうなのね。
邪魔をしない様に静かに立ち去り、円を求め彷徨う。
私は、納得はいかないものの、理解した。
前に噂で聞いたことがある。
約十年前、阿久津という、本家と同等の発言権を持つ分家が没落した事。
その原因が、阿久津家当主夫妻の暗殺である事を。
この斎宮という閉鎖的な旧家のなかで、没落した家の娘が上層部に喰らいつくまで這い上がるのに、どれだけの苦労があったことだろう。
――ここは、引き下がるしかないわね。
私は、人間を決して過小評価してはいない。
いくらこの身がこの地の歪みと一体化していると言っても、人間の肉体を好きなように玩ぶ力を持っていても。
そのバケモノを支配しているのはやはり、人間なのだ。
円との生活が邪魔されるのは、とてつもなく嫌だが、耀子とこの斎宮を裏から支配する御影衆が繋がっている以上、下手に逆らってまた封印処分になるのはいただけない。
――憂鬱だわ。
私はこれからの生活を思い、うんざりした。
――もう一度、あの土蔵に戻らなければ為らないのかしら。
冷たく、暗く、どの建物とも離れているため音すら聞こえない場所。
両手両足を鎖で繋がれ、土蔵中に張り巡らされた術で一日中『力』を吸い取られる、寂しさと苦痛しかない空間へ。
円は、どうするのだろうか。
私を、どうするのだろうか。
そんな事はない、と理性では解っているものの、不安が頭の中で渦巻いている。
「…………?」
そんな中どこからか流れてきた、食べ物のいい匂いが思考の邪魔をした。
――食べ物の匂い、台所からかしら?
この家を維持するため週に何回か家政婦がやって来て、ついでに食事を作っていくのだが、今日はその日でないはずだ。
つまりは。
――円、帰ってたのね。
私は今日も円の手料理が食べられる事を喜び、同時に耀子も食べる事を思い出し不機嫌になる。
自然と早足になり、駆け込むように台所に入った。
「あ、火澄、お帰りなさい」
「……円、説明なさ――」
私はその光景に、思わず黙った。
「あれ、どうしたの? 変な顔して」
円は新妻が着るようなフリフリのエプロンを、女装を解いた男の姿で着ていた。
本来男が着ると違和感しか起こらないそれは、中性的な円の顔立ちもあって妙な色気を醸し出している。
「……どうしたの? その格好」
いつも彼が着ているのは、青色の普通のエプロンのはずだ。
必要以上の女装を嫌う円にとって、そういうエプロンを着るはずはないのだけれど――。
「それが、手持ちのエプロンが全部これに変えられてて……」
円は困ったように、苦笑いした。
「いったい誰が……って、一人しかいないわね」
私は、犯人の顔を推測し嘆息した。
「トネさんも大変だね。苺の悪戯に付き合わされて」
トネという人物は家政婦だ。
数年前から苺の紹介で派遣されてきた彼女は、本来の雇い主である苺の要請により、時折こんな悪戯に巻き込まれている。
「まったく。苺は碌な事しないんだから……。ってそうじゃないわ」
「うん? どうしたの火澄」
円は私に、無邪気に笑いかける。
彼への想いを自覚した所為か、つい見とれそうになるも本来の用事を思い出す。
頬が赤らんでいることを、気付かれないように祈りながら、私は問い詰める。
「――説明しなさい。耀子の件、私は聞いていないわ」
胸の高まりと、暗雲たる気持ちを併せて味わう私を前に、円は急にしょぼくれて答えた。
「……ごめん。オレがもっと――――」
目を逸らす彼、その手は堅く握り締められ震えている。
やはり、当主といえど御影衆の意向には逆らえないのだろう。
「はぁ。私は、貴方のそんな顔を見たいのではないわ。今後如何するか、答えなさい」
私は円が幼かった頃にした様に、頭を乱暴に撫でた。
「わわっ! やめろよ火澄、もう子供じゃないんだから」
「その言葉は後、四百年早いわ」
「…………むう」
「それで、私は何処で寝ればいいの?」
今度は複雑そうな顔をして唸り出した円に、私は先を促す。
すると、うって変わってそわそわし始めた彼は、顔を赤くしながら言った。
「――ええっと。その。オレに良い考えがあるんだ」
「良い考え?」
円は問いに答えず、私の手を引っ張って進む。
いつになく強引な態度に、違和感を覚える。
――苺にでも、何か吹き込まれれたのかしら。
学園で別れた時、彼女がウインクがこの事を暗示していたのでは、と勘ぐってしまう。
兎も角、妙なほど情報に通じている彼女の事だ、この事態も予測しているに違いな――。
「――着いた」
「円、貴方の部屋が私に関係あるの?」
彼は、こちらに振り向くと私の両手を包み込み、思いつめた表情で言った。
「…………火澄、オレの部屋で暮らさないか」
――は?
「――は?」
思いもよらぬ言葉で、私の思考が固まる。
「火澄の部屋は耀子ちゃんに返しちゃったし、元の土蔵に行かせるわけないから」
「え、え? 円?」
そして彼の言葉の意味を理解するにつれ、顔が赤くなって何て反応すればいいか、わからなくなる。
「その、他の部屋は誰もいないけど片付けて無いだろ、だから、その」
心臓の鼓動がバクバクと大きく鳴り、幸せそうな勝手な妄想が過ぎる。
同時に、少しだけ残った理性が警鐘を鳴らす。
嬉しさと切なさがせめぎ合い、私は息苦しくなって、口をパクパクさせた。
「…………」
「――オレの部屋に来ないか?」
――本当に、どうすればいいの?
円の将来の事を考えれば、彼が私に向けているであろう気持ちを、拒まなければ為らない。
――ずるいわ。
何時もそうだった。
この四百年、斎宮に使役されている中、契約者が向ける感情は大抵が憎悪か無関心だった。
しかし円だけは違った。
彼を一目見たときから、特別なモノを感じた。
長年捜し求めていた故郷を見つけた様な、懐かしい感覚。
そして、狂気にも似た執着心。
時が経つにつれ、押さえ込まれてきたそれらが、私の中で再び湧き上がってくる。
「……」
「……」
私を真直ぐに見る円の瞳、その奥に昔と変わらぬ表裏のない魂を見る。
思考を犯してゆく、胸の甘い痛みが怖くなって、
「……それが、命令なら従うわ」
私は逃げた。
円の視線から逃れるように背けた顔が、赤く火照っているのが解る。
最後の一線を引いたものの、誰がどう見ても答えは喜んでいるようにしか見えないだろう。
ちらりと円を見ると、彼は驚きながら私と同じ様に顔を真っ赤に染めていた。
繋がっている手がやけに熱く感じる。
「……」
「……」
ごくりと、喉がなった。
私には、それがどちらのか解らなかった。
「……な、なら、命令するよ。オレの部屋に――」
「――そんなこと、させるものですかーーーーーーー!」
「うわぁっ! よ、耀子ちゃん!」
妙に熱い空間に、闘牛の如く怒り狂った耀子が乱入した。
結局、有耶無耶のまま三人で寝ることになった。
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