逢魔ヶ刻のストライン

和鳳ハジメ

第1話 バケモノの少女


 肌に刺さるような冷たい風が吹く中、中庭の隅で一人の女の子が涙していた。


 その様子を見かけた私は、中庭に出て少女に近づく。



「どうなさったの?」



 心配そうに、そして優しそうに、少女を警戒させないよう、言葉をかける。



「あ、いえ。なんでも……」



 慌てて顔を上げた少女は、私の容姿を見て驚いたように口を止めた。



 私、伊神火澄の容貌は純日本人にしては異端だった。


 血の色を喚起させる、赤い髪。


 不気味なほど、白い肌。


 見るものを惑わす、琥珀色の瞳。



「なんでもなくないわ、貴女泣いているでしょう」



 少女が動きを止めた一瞬の隙を突き、私は少女の涙を拭う。



「せん、ぱい?」



 私は戸惑う少女の目を見つめ、その意識を絡めとる。


 何かを言おうとした少女は、目を虚ろにして立ち尽くした。




 ――私は人間ではない、ヒトの形をした化物である。




 物事の「歪み」や人の肉を喰らい生きる、古くには化け物と畏れられた存在だ。


 小娘一人、虜にするぐらい訳がない。


 私は近くにあったベンチに誘導して、一緒に座る。



「ふふ、聞かせて。何故、貴女は泣いているの?」



 少女の心の歪みを、私は視た。


 彼女の姿に、小さく青い野花が重なる。



 ――そう、それが貴女の心の形。


 普段ならば可愛らしく咲いているであろうそれは、失恋の黒色で浸食されつつあり。


 あと数日で、腐り落ちるだろうと思われた。



「そう、辛かったわね」



 私は、愉悦を感じながら微笑んだ。



 ――当たりを引いた。



 普通、人の心は失恋程度で駄目にはならない。


 せいぜい、少し色あせたり、形にブレが走るぐらいである。


 無垢な少女の心が腐り落ちるぐらいの変色というのは、よほど手ひどい失恋を、不幸を味わったということだ。



 しかも、これは少女自身から発生した歪みではない。


 もう一人、大きな歪みを抱えた誰かがいる。


 ――ふふっ、楽しみだわ。



「……では、いただくわ」



 私は少女に目を閉じさせ、次いで、顎を持ち上げ顔を近づける。



「全部、全部。お忘れなさい」



 少女の溢れでる涙、その頬に伝う一滴に私は優しく口づけを落とした。


 すると、彼女の心から黒色が消えてゆく。


 同時に辛かった想いが、その記憶ごと無くなっていった。



「……あ、ああ」



 自身から大切なものが喪失してゆく感覚に、少女は弱々しく悲しそうな声をあげ、やがて能面の様な表情になっていった。



 ――ああ、美味しかった。



 私は、彼女への口づけをやめる。


 少女はその途端、気を失って倒れた。




 ■




 数分後、少女は私の膝枕の上で目を覚ました。


 もちろん少女は何も覚えておらず、急に倒れたので介抱していた、という嘘を素直に信じている。



「あ、あの先輩! ありがとうございました!」



「貴女も、体調には気を付けてね」



「はい! ではこれで!」



 少女はぴょこんとお辞儀をすると、元気に去っていった。



「ああ、いいことをしたわ」



「――火澄」



「きゃっ!」



 ポコン、と軽い音と共に私の頭が叩かれる。


 後ろから丸めたノートで叩いたのは、斎宮円この樹野女学園の生徒会長で、私を飼っている斎宮神社の跡取りだった。



「その調子で、生徒会の仕事も手伝ってくれないかな……」



 私はにっこり笑って、意趣返しをする。



「それで、何のよう? 変態男さん」



「ひ、火澄!? 声大きい!」



 人差し指を口元にもってゆき「しーっ、しーっ」といいながら慌てて周囲を見渡す円。



 ――ふふ、焦るといいわ。



 彼女、もとい彼。斎宮円は男である。


 しかし女系である斎宮の本家には、円以外の子供は無く。


 また円自身の特殊な体質と相まり、跡取り娘として育てられ今日に至っている。



「大丈夫よ。周囲には誰もいないわ」



 化物である私は、人間の何倍にも高められる五感を有している。


 周囲に誰もいないことなど、最初から確認済みだ。



「……あ、あせった。脅かさないでよ、もう!」



 円はむすっとした顔をしてこちらを睨む。


 ――どうしてこの子は、拗ねた顔も、こう、可愛らしいのだろう。男の癖に……。



「……ずるいわ」



 私は、円の頬をぐにっと摘む。


 いつ見ても、円は年頃の男とは思えない容姿や声をしている。



 ツインテールにしている、長く艶やかな髪。


 誰が聞いても、美少女にしか聞こえない声。


 大きく、ぱっちりとした目。


 きめ細かい肌と、たおやかな花のように華奢な体。



 私とて容姿にそれなりの自信はあるものの、これには勝てる気がしない。



「ふぃふみ……、いふぁい、いふぁいはらはらひへほ」



「……貴方、生まれてくる性別間違えたんじゃない?」



 私はため息を一つ落とし、円を解放する。



「はぁ、火澄は、いっつもそれだ」



「はいはい。……それで? 用があって声をかけたんでしょう」



「そうそう、生徒会の仕事が――」



「幽霊委員でいいから、名前を貸してっていったの円でしょう」



「ぐぅ」



「ふざけるのも程々にして、本題に入りなさい」



 円は表情を正すと私に近づき、真っ直ぐに私の瞳を見る。



「仕事だよ」



「ええ、わかったわ」



 ――今日はいい日だわ。オヤツだけではなく、メインディッシュがあるなんて。


 お腹一杯になれそうね、と。私は楽しそうに嘲笑った。

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