もしも彼と同じ年なら【13】

 私は受験生だ。

 …これはただの息抜き。勉強の合間の息抜きに作ったものだから。

 それと庇ってくれたお礼だから。

 義理チョコと…義理チョコだと言えば相手も気にしない。

 何だったらご家族と分けて食べたら良いし、橘君は甘いものがそんなに得意じゃないと聞いたから甘さ控えめで作ったし。

 そう、そう言えば大丈夫だ。


 私は包装されたバレンタインギフトを片手に、すぅ~はぁ~と深呼吸を繰り返すと、勇気を出して彼に声を掛けた。


「橘君、おはよ」

「おはよう」

「………すごい、荷物だね……」

「ははは…貰ったものはありがたく受け取る主義なんだが……今年はお返しができないからどうしたものか」


 彼が座っている席の机には大きな紙袋がかかっており、その中には色とりどりのラッピングされたギフトが収まっていた。

 毎年の事のようで橘君は慣れた様子であった。

 この量で渡すのをちょっと躊躇いそうになったが、私は勇気を出して差し出した。


「これあげる」

「え」

「べ、別に大した理由はないから。お世話になってるから作ってきただけで、お返しとかいらないし。もうあれだったら家族の人と分けて食べていいから」


 ……わぁ私可愛くないこと言ってるなぁ。口が勝手に滑るんだよ! 

 恥ずかしくてそっぽ向きながら、彼にチョコの入った箱を差し出す。

 

「……ありがとう。…開けてもいいか」

「えっ? …あ、うん…いいけど……」


 いますぐに食えって意味で渡したんじゃないけど、橘君は私が作ってきたチョコの箱を開けて食べ始めた。


「…うまいよ」

「……それはよかった」

「図書館の時も思ったが、田端は料理が上手だな」

「……ありがと……」


 て、照れる……

 私の頬はきっとチークの色ではない赤さで真っ赤に染まっていることであろう。だって火が点いたように頬が熱いもの。


 全部食べなくていいのにその場で完食してしまった橘君。

 …うぅ、嬉しい……


「ごちそうさま」

「…お粗末様でした」


 嬉しいはずなんだけど心臓が今にも破裂しそうで苦しくて耐えられなくなってきたので、自習するからと言い訳して橘君の元から離れていく。

 自分の席で胸を抑えて深呼吸を繰り返していると、ガツンと私の椅子の脚を誰かが蹴った。


「…ごめんね。足が滑っちゃった」

「………」


 私の椅子を蹴ったのは木場さんだ。

 あの事件の時に橘君や担任に叱責され、多分家でも注意されたはずなのに木場さんは相変わらず私を敵対視する。

 今みたいに友人と会話している橘君の目が逸れたときとかにね。


 私は彼女を一瞥して、ツンとそっぽ向いた。

 うん、気にせず自習自習。相手する必要なし。 

 テキストを取り出して勉強始めた私の背後で「マジ調子のるなし…」と悪態を吐かれたが、無視だ無視。


 …私が今目指すべき事は志望校合格。

 今日と明日で登校は一旦終わり。その後は自宅学習を隔てて、今月末には二次試験なのだ。

 もう時間はない。

 ならば受験に集中するだけだろう。

 

 もう橘君にはチョコ渡したからオッケー。

 付き合うとかそういうことは望まない。

 だって橘君モテるし、ハードル高いし……攻略対象だし。

 私はモブ、叶わぬ想いだよ。


 恋にうつつを抜かして、自分の人生を左右する受験を棒に振るわけにはいかない。

 恋のことは一旦忘れよう。


 私が無視して勉強してるとわかるなり、木場さんはどっかに行った。


 …あの人はチョコレート渡さないのかな… 

 私に悪意をぶつけるんじゃなくて、最初から想いを橘君にぶつけた方が良かったんじゃないのかな。

 他人事だから簡単に言えることだけど……私に嫉妬をぶつけてもしょうがないでしょう?



☆★☆



「田端」

「あ、橘君……なんか増えたね荷物」

「昼休みにまた貰ったんだ…」

「モテモテだね色男。羨ましいな。そのモテ力を私に分けてくれよ」

 

 その日の補講が終わり、帰宅しようと靴を履き替えていると橘君に声を掛けられた。

 良かった。普通に話せる。

 橘君の傍にいるとテンパりそうになるから不自然になってないか気になるんだよね。


 橘君は自分の靴箱を開けて、軽くため息を吐いていた。

 更におかわりのバレンタインギフトが入っていたから。

 靴箱の中に食べ物って衛生的にどうなんだろう…包装はされてるけどさ。


 うーん…やっぱり私のチョコはあげないほうが良かっただろうか。もう橘君が全部食べてしまったけど。


「…エコバックあるけど貸そうか?」

「…すまん助かる」


 橘君の持ってる紙袋はもういっぱい。

 私は手持ちのエコバックを彼に貸してあげた。



「自宅学習になったら自分怠けそうで怖いんだよね」

「なら一緒に図書館で勉強するか?」

「またー! だから他人のことより自分のことだっていつも言ってるでしょー!」


 最寄り駅までは一緒だから、私は橘君と帰宅していた。

 話題は主に受験の話である。受験大学も同じだから共通の話題で盛り上がっていた。

 

「橘君は理系寄りでしょ? 法学部とはいえ文系受験キツくない?」

「嫌いなわけじゃないから全然。自分の兄も別の大学の法学部に通っているから昔使っていた教科書やテキストを借りて勉強できたし」


 受験の傾向をダラダラ喋っていると、橘君が急に立ち止まったので私も釣られて立ち止まる。

 彼は前を見て難しい表情をしていたので、不審に思った私は彼の視線を追った。


「……あ」

「………沙織」


 最寄り駅を出て歩き出した私達の前に、橘君の元カノさんが現れたのだ。

 彼女は私を軽くひと睨みすると、橘君を潤んだ瞳で見上げていた。

 その変わり身に私は恐ろしくなった。

 え、それ演技? 演技なんですか?


「…もう会いに来ないでくれと言ったはずだが」

「……チョコレート作ってきたの! 受け取ってくれるわよね?」

「沙織、困るんだよ」

「亮介、好きなのよ。お願い私とやり直して」


 …修羅場だ……

 私はどうしたら良いのだろうか。


 ぶっちゃけ彼らの間で何が起きたのかが私にはわからない。どうして別れたのかも知らない。

 ……だから口を出せないのだ。悔しいけども。


 オロオロと2人を見比べていた私だが、隣にいた橘君が私の手を掴んできた。

 えっ、と思って彼を見上げたが、彼は沙織さんをまっすぐ見つめて「ごめん。お前とはやり直せないんだ」と告げていた。


 どうして私の手を握るんだ?

 え、なにこの場での言い逃れの理由にされてんのか私は。

 意味がわからなくて私は固まっていた。

 

 沙織さんは愕然とした表情をして「もういいわっ」と叫ぶと、泣いて走り去って行った。

 えぇーなにこれぇー。

 状況が把握できずに呆然としている私の隣で、橘君はどこか疲れた様子でため息を吐いていた。


「…あの」

「待たせて悪かったな。…帰ろう」

「え。あの、ここで大丈夫なんだけど。まだ明るいから」

「いいから」


 ため息つくほど疲れてるなら早く帰ったほうがいいよ。

 あの、なんで手離さないの? 


 橘君は私の手をしっかり掴んでグイグイ引っ張ってくる。

 それにつられて私も着いていくけど、声を掛けても橘君はこっちを見てくれない。


「橘君、手」

「…嫌か?」

「…いやじゃ、ないけど……」


 嫌じゃないよ、何いってんの。

 嬉しいに決まってんじゃん。


 …だけど、彼女でもない女にこんな事するのは良くないと思う。

 ……やめてよ。自惚れちゃいそうだから。


 以前なら言えたはずのその言葉が言えずに、私は黙り込んでしまった。

 橘君の手が更に私の手を強く握り込んできた。この手を伝って私の脈の速さが彼にバレるのではないかとヒヤヒヤした。


 無言のまま家まで送られたので、私は彼に送ってくれたことに対してお礼を言った。


「送ってくれてありがとう」


 見上げた彼の表情はいつもと変わらない。

 だけど真っ直ぐなその瞳は私を熱く見つめているような気がしてなんだか落ち着かない。


「…田端」

「なに…?」

「…その……」


 橘君は私に何かを告げようとしたが、それを躊躇う素振りを見せると、私の頭をワシャワシャと撫でてきた。


「ちょ、なにするの!?」

「また明日な」

「ちょっとぉ!」


 私の髪の毛を思う存分ボサボサにして、橘君は何かを振り切るかのように帰っていった。

 私はグシャグシャの頭を手ぐしで直しながら彼の背中を見送る。


「…なんなんだよ……」



 …びっくりした。

 ……橘君のあの瞳、急に男の人に見えてしまってドキッとしてしまった。

 いや男なのは知ってたけど……そういうのじゃなくて……


 あんな瞳で男の人に見つめられたことがないから、びっくりしちゃっただけ。



 彼が私に何を言おうとしてたんだろうという疑問が湧いたけど、頭を振って忘れることにした。

 あと10日後に二次試験が待ち構えている。

 煩悩を捨てるんだ!!

 忘れろ忘れろ!

 

 ……だけど橘君の手大きかったな。…手の皮硬かったけどあれ剣道してたから……

 ……だめだ考えるな。私は受験生私は受験生……


 忘れようとしても思い出してしまう彼のこと。

 最も大事な時期なのに、私は煩悩に悩まされていたのである。

 


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