真夏の同窓会3

俺レベルになると、階段を駆け下りる速度もハンパじゃない。

秘技三段飛ばしを駆使して、一気に駆け抜けていくのだ。

全二十四段の階段を下りる速度、約四秒。

本日もその神懸かり的なスキルを使い、階段を超人的なスピードで下りる事に成功。

他の追随を許さない。

遅れてノブちゃんとタカピーが、俺を追いかけて階段を駆け下りてきた。


「負けないぜっ!りょーちん!ロケットスタートを決めても、こっちにはトゲゾーがあるのだぁっ!」


語尾の『だぁっ!』と同時のタイミングで、ノブちゃんの体が宙に舞った。

それは別にノブちゃんが自ら意識してジャンプしたわけじゃなく、足を引っかけて体が空中に投げ出されたのだ。

空中で前回転ドライブがかかったまま、ノブちゃんの体は階段に叩きつけられ、惰性により階段の一番下まで転がっていく。


「ノ、ノブちゃん……?」


一番下でうつ伏せになって倒れたまま起きあがらないノブちゃんの姿。

下にいた俺、そして階段の上で言葉を失うタカピー。

さっきまでの高かったテンションは、一瞬にして吹き飛んでいった。


「ノブちゃん!」


俺はすぐにノブちゃんの元へ駆け寄り、うつ伏せのノブちゃんを仰向けにさせる。

その時既にノブちゃんには意識はなく、額は切れて血が流れ出していた。


「誰か救急車を!救急車を呼んでくれ!」










―――「思い出した……」


蘇ってきた記憶。それは遙か遠い昔の記憶。


「そうだ!そうだよ!タカピーの言う通りだ!終業式のあの日、ノブちゃんは階段から落ちて救急車で運ばれたんだ!」


「え~……そんな事あったっけ~?う~ん……」


俺がそう言っても、他のみんなはやはり首を傾げるばかり。

そして俺自身も、今何が起きたのか、よく理解していなかった。

唐突に蘇った記憶。今の今まで忘れていた記憶が、まるでさっき体験したかのように鮮明に蘇ったのである。

十年間も忘れていた記憶がこんなにも鮮明に、そして唐突に思い出すなんて事はあるのだろうか。

最低でも俺が今まで生きてきた約二十五年間、こんな事を体験したのは今回が初めてだ。


俺は柄にもなく動揺してしまう。

まるで魔法のように、十年も探し続けた中三の夏の記憶の片鱗が蘇った。


これは一体……


「本当に、本当に確かなのりょーちん?僕は思い出せないけど……」


童顔代表ヒゲナシゆっちも必死に思い出そうとしているようだが、やはり未だに思い出せないでいるようだ。


「100パーだ!ノブちゃんが階段から落ちるのを、俺が下で見てたからな!」


あの夏、中三の夏、日付はちょうど10年前の7月23日火曜日、終業式の日。


ノブちゃんは足を滑らせて階段から転落し、意識を失ったまま救急車で運ばれた。

救急車まで出動したとあれば、それは北嵩部村では大事故。

もっと大した事のないものは覚えているのに、そんなに大きな出来事を俺は何故忘れていたのか。

あれからどっかに頭ぶつけた記憶もないし、そもそも全員が忘れているのなら、全員が頭ぶつけてる事になる。


あ!もしかして全員で頭ぶつけて、ぶつけた事すら忘れちゃったとか!


んなわけあるかい!


「なんかモヤモヤ~。ぜーんぜんお~も~い~だ~せ~な~い~~!」


あっちんはだだをこねる子供のように手足をバタつかせてみせる。

あっちんってこんなキャラだったっけ?


「私もダメ。やっぱり思い出せないや」


しーちゃんも頭を抱えて考えていたようだが、やはりあの記憶には手が届いていないようだ。

俺だって届くはずのなかった記憶。今まで思い出せなかったのも、脳の記憶倉庫の奥深くにしまってあったからだろう。

奥底にしまった記憶を無傷で引っ張り出すなんて、実際あり得ない事なんじゃないんだろうか。


「そんな事より今夜はパーリナイ!酔い潰れちゃうよ~!」


「イエーイ!ノブちゃんファイト~!」


救急車の話はノブちゃん自身が断ち切り、若いノリで再び飲み始める。

そんな空気に酔いしれながらも、俺は自分自身に沸き上がる興奮を抑えきれず、グラスに注がれた焼酎の水割りを一気に飲み干した。


「おお~う!りょーちんナイス飲みっぷり!」


「りょーちんサイコー!いいオトコ!」


この場にいた五人に会えた事が嬉しいのもあるが、俺が十年も探し続けてきた記憶の片鱗が、今ようやくその一欠片が見つかったのだ。


これは本当に喜ばしい事である。

もしかしたらこのまま、あの夏の事を丸ごと思い出せるかもしれない。












その日、日を跨ぐまで飲んでいた俺たち。

結局、集まった同級生は俺たちだけだったが、ここ数年の生活にようやく油が注がれた気分だ。

でもやっぱりそれ以上の収穫は、この記憶である。


「おぇぇ……きぼちわるぃ……」


だが今はこの酔っぱらいを家まで送るのが俺の使命だ。

フラフラでまっすぐ歩けない程の千鳥足、顔はなんだか青ざめている。


「おいおい大丈夫かよナンバーワン」


「あたひ、ナンバーワンだぁよ~うひひ!」


「ダメだこりゃ」


モッサモサのまつ毛をしたその目が据わっている。どうやらもう限界のようだ。


ナンバーワンキャバ嬢あっちん、泥酔!


「りょーちん、任せたよ!」


「アディオース!また会いたいぜ~!」


無情に帰って行くみんな。


てめぇの血は、一体何色だ!!


と言ってやりたい衝動を、俺の冷静な精神が軽く鎮圧する。

別に俺が自ら進んであっちんを送っていくなんて言い出した訳じゃない。

いくらかつての初恋の相手だからと言っても、今はもうあっちんに恋心を抱いてはいない。

そりゃあ何年も変わらずに誰かを好きでいる人もいるかもしれないが、こっちはあれから十年、あの頃はヒートアップしていた恋のハートビートもとっくに冷めてしまっている。

という訳で、この泥酔あっちんを家まで送るという任務は、俺からしてみたらめんどくさい事この上なしだ。

もちろん俺も御免被りたかったのだが、この泥酔で一人、家まで帰るのは困難であると判断。誰かが送っていかなければならぬ。

となれば必然的にジャンケンで勝負を決する事になるわけで、やっぱり俺は負けてしまうわけで。


今に至る。


「あっちん、寝るな。寝たら死ぬぞ」


「ねてあいよ~。おきへるよ~。グッヘヘ」


あっちんを無理矢理立たせてみても、すぐに座り込んでしまう。


こんな事をしていたらいつまで経っても帰れへんで!


「はぁ……」


出来れば勘弁してもらいたいが、こうなったら仕方ない。


「あっちん、ほら、おんぶしてやるよ」


「ふぁ~おんぶ~おんぶ~」


俺が背中を差し出すと、あっちんは勢いよく俺の背中に飛び乗る。

あっちんの体は予想以上に軽くて驚きだ。


「あったかいなぁ~りょーちんの体。なんか落ち着いちゃう」


「夏だからな。夜でも北嵩部はあったかいぞ。ま、正確に言うなら俺の心が熱すぎるんだ」


「ふはは~。りょーちんは熱い男なんだね~。シューゾーだね~」


「一緒にすんなよ」


あっちんをおんぶして歩く真夏の夜道。

北嵩部の夜は本当に静かで、車すらほとんど通らない。

外灯も少なく、世界中の人間が消えてしまったかのような錯覚を覚えるほどだ。

どこからかフクロウの鳴き声が聞こえてくる。


「ねぇ……りょーちん……」


あっちんが俺を呼ぶ声が一気に小さくなる。


「ん?」


「りょーちんはさぁ……昔思ってた通りの自分になれた……?」


「……」


あっちんは突然、さっきまでとは違った一面を見せる。

あの頃、中学時代のあっちんに戻ったような、そんな雰囲気。


「アタシはダメだった……全然。中学くらいの時はさぁ、アイドルになるんだとか、甘い幻想ばっか抱いて……。結局何にも得られなかったよ……」


耳元で囁くあっちんの声。それが今の俺と重なっていく。


「辛いね。人生を生きるって。何にもうまくいかないんだもんね……。昔描いた夢も……、今じゃ遠い過去の話……。あの頃に戻れたら……今度はもっといい人生を送りたいな……」


「バカな事言ってんなって。お前はナンバーワンになったんだろ?輝いてんじゃん。俺から見たら十分立派だよお前は」


俺の首に巻かれたあっちんの腕、そこに力が入るのがわかる。

その腕が俺の首を締め付ける。


「りょーちん~!優しすぎるよ~りょーちん~!」


「わ……お……おい……くるし……死ぬ……」


「なんかすごい元気出たよぉ!ありがと~!」


「は、離せ……息が……息が……」


意識が遠のく寸前で解放され、なんとか一命は取り留める事が出来た。


「はぁはぁはぁ……殺す気か!」


「あははっごめんねぇ~、すっごく嬉しくてつい!」


「まったく……」


あっちんをおんぶして再び歩き始めようとすると、彼女がそれを拒否する。


「もう大丈夫。一人で歩けるよ」


あら不思議、さっきまで千鳥足だったのに、今は足腰しっかりしてるじゃありませんか。

体もフラついてないし、言葉もいつの間にか普通になってるし。

この短期間でこれほど酔いが冷めるとは考えにくい。


となると……


「あっちん……演技したな……?」


「ん~?何の事かなぁ~?」


悪戯な笑顔を見せるあっちんに、どことなく懐かしい彼女自身の面影を感じられた。


「またみんなと会えなくなっちゃうのはちょっと寂しいね」


月明かりの下で傷んだ髪を掻き上げる仕草は、なんだか色っぽい。

中学の時だったらドキドキだったんだろうな。


「あっちにはいつ戻るんだ?」


「三日くらいはこっちにいようと思ってるよ~。りょーちんもまだこっちにいるんでしょ?」


「まぁな」


「んじゃあまだしばらく一緒にいられるね~!」


友達としての会話なのに、なんだか離れ離れになってしまう恋人同士の会話のようだ。

多分本人はそんなつもりはないんだろうけど、こんな会話が男を虜にしてしまうのである。

俺だってかつての被害者なのだ。


「ま、そういう事だな。暇だったら連絡してくれて構わんよ」


「イエ~イ!それじゃまた連絡するね!」


あっちんは俺にバイバイを告げると、暗闇の中に元気に駆けていった。

闇に消える前に一度振り返ると、一際大きく手を振る。

だから俺もカッコよく敬礼をした。

酔っぱらいのフリをしたあっちんを無事に送り届け、俺も何事もなく家につく。


「ただいま」


「ほかへひ~」


家でテレビを見ながら煎餅を口にくわえている美紗子。

いつの間にか随分とおばちゃんになっているように見える。


「あれ~?誰もお持ち帰りして来なかったの~?布団用意しておいたのに」


「おい美紗子、同窓会と合コンを間違えているぞ」


「似たようなもんだってそんなの。久々に会った男の子がカッコよくなってたりして、熱い恋が燃え上がったりして……」


ウチの母親は一体どんな人生を送ってきたのか、こういう会話をされると少し気になるが、聞くのも怖いので触れない事にしよう。


「ふぁ~あ、俺は寝るぞ。もう寝るぞ」


「もう寝ちゃうのりょーちゃん?親子水入らずの会話は?」


「そりゃまた明日だな。美紗子も早く寝ろよ?いい歳なんだから、明日に響くぞ?」


「私の心はまだピチピチの十七歳なの!」


「……おやすみ」


四十代半ばの美紗子だが、確かに精神年齢は十七歳くらいかもしれんな。

とりあえず眠さがヤバいので、美紗子にツッコミも入れずに部屋へ戻るとすぐに布団に入った。










――――美紗子は二階へ上がった自分の息子の姿に、思わず笑みを漏らした。


「いつの間にか大きくなって……。子は親の知らないところで成長していくんだね」


成長した我が子の姿に感慨深い気持ちになっていた。

そんな彼女の脳裏をよぎっていくのは、自分が今まで一番愛した人の顔。


「ふふふ……りょーちゃんはあの人にそっくり」


そんな懐かしい人の事を思い出しながらビールを飲み干すと、高揚した気分のまま美紗子は布団へと入った。


「おやすみ」


誰に向かって言ったわけでもないその言葉は、夜の静けさに溶けていく。


そして日常がゆっくりと軋み始める。


ギシギシ、ギシギシと。


本人達の意志とは無関係に。


息子の龍太が、衝撃の事実を知ったのは翌日の事だった。

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