呪殺代行企業

松明

呪殺代行企業

 人を呪わば穴ふたつ、という言葉がある。

 平安時代、加持祈祷を生業としていた陰陽師たちは、人を呪い殺すのにあたって反撃を受けることを覚悟し、相手の墓だけではなく自分の入る墓穴も掘らせたという。転じて、人を呪うような奴にはそれなりの報いがある、という教訓になった。

「私たちは呪われないんですかね」

 そう訊いてきた矢野に、私は護摩壇を磨く手を休めて答えた。

「我々がやっているのは単なる気休めだ。憎い相手が業火で焼き尽くされるとか鬼に手足を引きちぎられるとか、依頼人もそんな過度の期待をしているわけじゃない。ちょっと不快にさせるくらいが関の山だ」

 毎朝しつこく郵便受けを埋めるダイレクトメール。いつの間にか寝室に忍び込んでいる蚊。それらに勝るとも劣らない。そう言うと、

「せめて、そんなものよりはダメージを受けてほしいですけどね」

「どうしてそう思う?」

「私たちは弱い者たちの味方であるべきだからです。占野さんはそう思わないんですか」

「そうだな、私はお客様の味方だよ。金払いがいい客ならなおさらだ」

 矢野はちょっとばかり傷ついたように見えた。それきり黙り込んでしまう。

 私はそれに構わず、手元の資料に目を落とした。白と黄色の二枚の書類に、それぞれ顔写真が貼り付けられている。

 白いほうには二十代の女性。沢田という名前らしい。目元が暗く、少々思いつめたように顔をこわばらせている。彼女が今回の依頼人である。

 一方、黄色のほうに顔写真はないが、その名前、住所、他の経歴は詳しく記されている。

 今回の呪殺対象者である。

 用紙の下のほうまで目を走らせると、社長の認印が目に入り、ため息をつきたくなった。四角い印が斜めになって、枠外にはみ出している。困ったものだ。

「そろそろ来るぞ。今回は私がやる」

「ええ、たまには班長にもやってもらわないと。いつも僕に押しつけてばかりなんですから」

 約束の時間になると、依頼人はおずおずと部屋に入ってきた。喪服のような恰好をしている。私は緊張をほぐすように彼女に声をかけた。

「そんなに肩を張らなくてもいいんですよ。これは形式的なものですから。これをやらない非認可のところもあるようですが、うちは国に正式に認められた呪術代行業者ですので」

「――わかりました」

 彼女にソファを勧め、私と矢野も向かい合って座った。私は、クリアファイルから資料を広げて説明を始める。

「今回、沢田さんはプランSのオプションAということで、こちらですね。真言宗をベースにした呪術で、わが社独自の手法となっています。オプションとしては、最上位の呪符百枚と大鴉の羽、それにお持ち帰り用の護符。これはいわゆる『呪い返し』から身を守るためです。……注文は以上でよろしかったでしょうか」

「呪い返し……」

 沢田の顔に微かな怯えが走った。

「あの、私は安全なんですか。その……あっちから報復されるようなことは」

 こういう客は珍しくない。人を呪うという、人道を外れた悪事に手を染めながら、仕返しされる恐怖に震えあがるのだ。

 人を呪わば穴ふたつ。ある程度のリスクを背負わなければ、呪術に手を出そうなんて考えてはならない。

「もちろん大丈夫ですよ。もし相手側が沢田さんに何らかの危害を加えた場合、裁判での判決には呪殺証明書の存在が大きく加味されます。沢田さんは被害者だということを強調できるわけです。それに」

 少し声のトーンを落とした。

「我々が全力を挙げて呪いますので、安心してください」

 沢田は小刻みに頷いた。わかりました、と消え入りそうな声で呟く。

 面倒な説明が終わり、さっそく呪いの儀式が始まる。

 私は煙の上がる護摩壇に向かい、あらかじめ用意してあった木板に五寸釘を打ち込む。それには、不幸にも恨みを買ってしまった対象者の名が刻まれている。

 完全に釘が貫通したところで、それを炎に投げ込んだ。

 傍で聞いている分には理解不能な呪文を繰り返し、手を擦り合わせた。生き物のように動き回る炎に当てられて、私の顔も次第に火照ってくる。

 呪符の束をゆっくりと持ち上げ、指でばらしながら護摩壇に投入する。大鴉の羽もまとめて投げ込む。さっと塩を撒いて、手印を切ると鋭く喝を入れる。

 宗教も宗派もごたまぜの、オリジナルの呪術。

 結局のところ、ほとんどの客が求めているのは呪殺証明書だけだ。なんだか物々しくて効力があるような感じがする、と思わせたら十割成功である。もともと密教における呪術はパフォーマンスとしての側面が大きかった。それは現代においても変わらない。

 やがて一連の儀式が終わると、ソファにかしこまって座る女性に向き直って言った。

「これで手続きはすべて終了です。後日、少なくとも三日以内に通知が向こうに届きます。ご利用ありがとうございました」

「は、はい」

 この会社を訪れる人々の主な目的は、宿敵を呪い殺してもらうことでも、インチキくさい儀式を見学することでもない。憎い相手に法を犯すことなく呪殺通知書を送りつけることである。個人的な恨みをつづった手紙を投函するのはタダだが、それは現在の法律上、脅迫罪に問われる恐れのある行為だ。一方で、呪殺通知書には刑法が適応されない。「あなたを恨む誰かさんがあなたに呪いをかけましたよ」という正式な報告書なのだから。

 呪いというものは、本来、魔術的な効果をもたらすものではない。ある人が自分を呪いにかけた。その事実が遅行性の毒のように対象の身体を巡り、少しずつ蝕んでいくことを人は呪いと呼んだ。大げさに表現するならこうなるが、実際、対象者のほとんどはそんなまわりくどい悪意をものともしない剛の者である。だからこそ恨まれるのだ、という見方もできる。

 要するに、常識を持った大人であれば、本気で人を呪い殺してもらうためにここへ来るなどあり得ない。

 女性が半ば逃げるようにして部屋を出て行ったあと、矢野は私に笑いかけた。

「班長の詠唱、久しぶりに聞きましたけど、良かったですよ」

 そうか、と生返事をしつつ、私は居心地の悪い感情に囚われていた。


 午前中に二件儀式をこなすと、午後の仕事はなくなった。こなしたといっても、実際に呪文を唱え、釘を打ち込んだのは私ではなく矢野だった。二人が儀式部A班のメンバーとして、ともに儀式を執り行うようになって二年が経つが、それ以来ほとんどの儀式を矢野が行っている。

 自分のデスクで過去の依頼人のファイルを整理していると、背後から矢野の声がした。

「占野さん、ちょっといいですか」

 彼に連れられて、パーテーションで区切られた面談室に行く。いつもはちらほらと依頼人と社員が席を埋めているのだが、今は閑古鳥が鳴いている。

「先週の木曜、沢田さんっていう女性が来たじゃないですか。依頼人として」

 私は頭を巡らす。あの、怯えた目をした二十歳ぐらいの女性だ。なぜはっきりと覚えているのかといえば、先週、私が儀式を担当したのはあの女性だけだったからだ。

「彼女の呪殺対象者の久岡さん、先週亡くなったんですよ。それも金曜日に。おかしくないですか?」

「どうして……」

「偶然なんですけど、対象者の久岡さんって、僕と同じアパートに住んでたんです。書類の住所のところを見て気づきました。それで、彼女がアパートの何号室にいるのかまでなんとなく覚えていたんです。金曜日、仕事が終わって帰ると、アパートの前にたくさんのパトカーが停まっていて、二階の一室に警察官たちが出入りしているのが見えました。後で確かめると、それが久岡さんの部屋だったみたいで。近所の人に話を聞いたら、どうやら強盗らしいと。刃物で体をズタズタにされていて、金目のものも何一つ盗まれていなかったのにですよ。僕の目には、怨恨によるものとしか映りません」

「つまり矢野は、依頼人がやったって主張したいのか」

「最初はそう思っていました。でも、あの沢田さんにそんなことができると思えますか? 被害者の久岡さんはミドル級のプロレスラーなのに」

「寝入り際を襲ったとか」

「全身めった刺しにされてるんです。たとえ寝てたとしても、最初の一撃で眠気なんて吹っ飛ぶでしょう。少しは抵抗するはずです。それなのに久岡さんの死体には抵抗した形跡がなかった。アルコールや薬で眠らされていた痕跡もなかったようです。あと、気になる話を聞いたんですけど――」

 と、そこで矢野はオフィスの入り口をちらりと見た。パーテーションに隠れるようにひょいと身をかがめて、私に顔を近づけた。

「さっきから視線を感じていたんですけど、案の定、あっちのほうに見たことがない連中がいましたよ」

 私は苦笑する。

「見たことがない連中か。あいつらはれっきとした情報部の社員だ」

「え、そうなんですか。初めて見た。それにしても目つき悪いですね」

「情報部は探偵まがいのことをやっているからな。必要に応じて依頼人や対象者の身辺調査をしているらしい」

 矢野ははっとした顔をした。

「……この件は僕が個人的に調べます。もしかしたら、僕も班長もとんでもないことに加担させられているのかもしれない」


 炎が揺れている。繰り返される呪文が単調な旋律となって、そっけない部屋の中に反響する。それは静かな吐息を含んでいて、炎に活気を与えていた。

 矢野の唱える呪文は抑揚に乏しいが、四面四角の風貌と相成って、生真面目な印象を与える。何の意味もないのに、その効果を信じてもいないのに、ひたすら手を擦り合わせて職務を全うする男の姿は痛々しかった。

 もうやめていいんだ、と一言その背中に声をかけることができたら、この胸のつかえは取れるに違いない。退屈しのぎにそんなことを考えた。

「ありがとうございます」

 深々と礼をして、依頼人である初老の男性は部屋を出て行った。

「礼を言われるようなことをしたんですかね」

 矢野はこのごろやけにふさぎこんでいるようだった。自分の仕事に確固とした自信が持てなくなっているのだろうか。

「矢野はよくやってくれたよ。俺たちがやっているのは一種のエンターテインメントだと思えばいい。依頼人を喜ばせることが一番だ」

 予想に反して彼はかぶりを振った。

「そうじゃないんです。この間、対象者が死んだって話をしましたね。あの後、僕一人でいろいろと動いて調べてみました。そしたら――死んでしまった対象者は他にもいることがわかったんです。僕が調べられた範囲でも二十人は死んでいます。それに、どれも不審としか言いようがない死に方でした」

「――そんなことはありえない」

「事実なんです。僕は、この一連の事件は殺人事件なのだと考えています。加害者はこの会社で、依頼人たちから指定された呪殺対象者を暗殺しているんじゃないですか。呪文や儀式によってではなくて、もっと物理的な手段で」

「おまえがそう考える根拠はあるのか?」

「確かに、ここまでは単なる推測の域を出ません。でも、あんなものを見てしまったら疑いたくもなりますよ。昨日たまたま情報管理室のドアが開いていたので、何か手がかりがあるかもしれないと思って中を覗いてみたんです」

 情報管理室はこのビルの地下にあるのだが、情報部の人間以外はそこに降りることもない。ということは、矢野はあらかじめ見当をつけていたのだろう。

「部屋ではたくさんの人間がモニターを監視していました。その中の一つが目に入って、これはまずいと思って慌てて隠れたんです。ちらりとしか見えなかったけど、あれは誰かの部屋の映像でした。明らかに隠しカメラのような構図だったので確信しました。この犯行には情報部が関与している、と」

「それは、あいつらの探偵まがいの仕事の一環じゃないのか」

「わざわざ部屋の中にカメラを設置して? やりすぎですよ。身辺調査の範囲を超えているし、犯罪です。あれは情報部の裏の仕事を円滑に行うための下準備なのだと僕は考えています。要するに、暗殺のための情報収集です」

「おい、これ以上は――」

「この会社の本業は呪殺代行ですが、いつからか依頼人の代わりに人を殺す暗殺代行を副業として行うようになったんでしょう。どうやってその交渉をしているのかはわかりませんが、いずれはっきりさせたいと思っています。こんなこと、許されるはずがない」

「矢野」

 私は彼に近づくとその耳に口を寄せた。

「ここには監視カメラがあるのを忘れるな。情報部に筒抜けだぞ」

 はっとした顔をして矢野は私から離れた。意志の強そうな目が私を見据える。

「占野班長がどうなさるかは自由です。でも、僕にはこの会社と運命を共にする覚悟がある」

 身をひるがえすと矢野は部屋を去った。後に残された私は、天井の隅に張りついた黒い害虫に目をやる。人工の眼が私を捉え、私の姿を電子の脳に記録する。

 私にはせいぜいそれを睨みつけることしかできない。


 炎がぱちぱちと爆ぜる。私が投げ込んだ木板は、たちまちのうちに黒く変色し灰になった。もちろん、刻まれた対象者の名前も読み取れなくなる。

 それにじっと目を落とし、呪文を繰り返すうちに、いつもの陶酔が私の体を支配するのを感じた。

 このやり方が本当に正しいのか知る者はいない。しかし、手段について理解することは必要だろうかと思う。手段はどこまで突き詰めても単なる道具に過ぎない。例えば、原始人がマッチを見つけて偶然火をつけることを覚えたとする。そこで原始人は乏しい知識を総動員して、その原理を理解しようとするだろうか。答えは否だ。その原始人にとっては、火を利用して肉を焼いたり暖をとったりすることが最大の目的であり、マッチそのものは手段でしかないからだ。

 その点に関して、私はその原始人と変わらない。

 最後の一片が炎の餌食になると、ソファに背を向けたまま厳粛に言い放つ。

「終わりました」

「ご苦労様。占野君」

「これで良かったのでしょうか」

「ああ。君にも、この会社と運命を共にする覚悟があるのだろう」

 私もまたマッチを持っている。例の原始人と違うのは、それを決して手放すことができないというところだ。


 矢野の葬式は粛々と進み、会社で行われる儀式と同じく厳かに幕を下ろした。葬儀場を立ち去ろうとする人々の中に見知った人物を認めて、私はその後を追いかけた。

「社長」

 先日、内々に矢野の呪殺を依頼してきた男は、おもむろに振り返った。

「ああ、占野君か」

「いらしてたのですね」

「もちろん。うちの大切な社員だからな。本当に惜しい人材を亡くした」

 社長の言には、どこか他人事のような響きがあった。

「君もつらいだろうが、これも会社のためだと思ってくれ。彼にこの会社の正体を暴かれるわけにはいかなかった」

「ええ。わかっています」

 矢野にしても、私がだとは思ってもみなかっただろうが。

 私が自分の能力を知ったのは十年前のことだった。私が儀式を執り行った対象者がことごとく不審死していることに社長が気づき、それを利用して暗殺の依頼を引き受けるようになったのだ。私がもたらしていた莫大な利益のおかげで、こぢんまりとした事務所は次第に規模を大きくし、業界では並ぶものがないほどの大企業に成長していた。

 どうやってその依頼を受けるのかといえば、まず社長が依頼人の話を聞き、一番高額のプランを購入させる。もちろん、これは暗殺依頼のために設けられたカモフラージュである。そして、依頼人の書類に押す印鑑を少しばかり枠外にはみ出させるのだ。儀式部A班に回されたその書類を見て、私は相棒を押しのけ、ため息をつきながら仕事にかかる。

 誤算だったのは、二年前に相棒となった矢野が、そんな悪事を見逃せない人間だったことだ。あの様子では、社長による口止めも無駄骨だったに違いない。

 陽の傾きかけた路地を歩きながら、社長はちらりと後ろに目をやったのに気づいた。

「ちゃんと居ましたか? 私のお守りは」

「今日は二人だ。あんまり気にするな」

 気にするな、か。心の中で苦笑する。私が家の中まで監視カメラで見張られているのを知っているだろうに。外出時も尾行され、呪術を使おうとしていないか、誰かに買収されないかを四六時中監視されていれば、どんなにタフな人間だって気をすり減らさずにはいられない。私の監視は情報部の仕事なのだ。

「――私たちは呪われるのでしょうか」

 ある日の仕事の後、矢野が私にした質問が口をついて出た。

 社長は諦念のこもった言葉を重々しく吐き出す。

「私たちは最初から呪われているんだ。この因果な稼業に片足を突っ込んだ、その瞬間からな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

呪殺代行企業 松明 @torchlight

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ