第103話 遊覧飛行

 巨大な気球と船体からなる構造の空飛ぶ船。プロペラと機械音、蒸気の吹き出す音を立てて空高く飛び立つ。上昇速度自体はさほど早くはないが、ゆったりと上がっていく様、堂々とした様子は海を泳ぐ鯨を彷彿とさせる。心の高揚が抑えきれずに感嘆の声を上げてロゼットは見送るセバスとシャーナルを見下ろしながら、徐々に小さくなっていく王都を眺めている。


「すごい……! これが飛行艇……!!」


 ロゼットの声に反応したビレフの高官が声をかけてこの船に関する知識の説明をする。


「正確には『飛空船』と呼んでいます。飛行艇はこれよりももっと小さく機動力に優れております。元々この船も旅客機能をコンセプトに作られたものですのでこれほどの大規模な船体となり、乗員も百名を越えており彼らによってこの船の飛行が可能となってます」


「じゃあほんとに空船なんですね」


 ロゼットの物言いを気に入ったのかモローが笑いながら彼女たちへと歩み寄ってくる。


「そちらの小さなお嬢さんが目を輝かせて話しておられますので、私共といたしましても大変喜ばしい限りです」


「どうも連れの者が阻喪を……。何分まだ子供なので」とラインズはモローに頭を下げるがロゼットは少しだけ顔を膨らまして反論したい様子だった。その様に再び笑いが巻き起こるビレフ陣営。

目を丸くするロゼットに呆れるドラストニア一行。遊びに来たわけじゃないとイヴにも窘められたところでモローに『飛空船』中央部にある客室のほうへと連れられる。結局やってきたのはロゼットを含めて紫苑、イヴ、ラインズそしてアーガストに加えて数名の護衛兵を引き連れての外遊となったのだった。

 イヴは自分も同行することになったことに対して警戒しながら疑問を吐く。


「私でなくてセバス殿を連れてこなくて本当に良かったの?」


「あいつを連れてきたとして、シャーナルとサンドラだけで上手くやれると思うか? それにアンタもビレフの情勢を見ておいた方がいい。内情ってのは外面だけじゃ案外わからないもんだぞ」


 そう返すとラインズは出された珈琲を口に運ばせる。彼の物言いからやはりあの書簡から別の事情を読み取っているのだと推測するが彼女にはそれが何なのか推し量ることは出来なかった。確かにビレフの内情を知るにはこういう機会でもなければ実現は不可能ではあっただろう。なにより飛行船という新たな技術にも興味を向けていたこともあり彼の気遣いには感謝をしていた。

だが大きな疑問がここで彼らにのしかかる。産業進出以外のビレフの目的だ。推測の限りではガザレリアからの寄生体の情報くらいしか考えつくものもない。

談笑と航路計画を伺った後それぞれの客室へと案内され、ビレフまでの旅路の休息を取るのだった。




 ドラストニアでは見送ったのちにすぐに城内へと戻っていくシャーナルとセバス。同行しなくてよかったのかと彼は彼女に問いかけるが、ガザレリアでの旅の疲れが残ってるせいもあり今回は流したと答える。


「しかし、あの飛行艇技術がビレフ、ベスパルティアで基礎技術となっていると今後多大な影響を及ぼす脅威になりえましょう……」


 危惧するセバスに対し、シャーナルは淡々と事実を認識し受け答える。


「それが連中の目的よ。私たちに脅威の対象として焼き付ける、必要以上に危機感を煽ること。技術力の格差を目の当たりにさせて私たちがどう思うか。それを向こうから技術を提供するなんてー……ちゃんちゃらおかしな話よね?」


「もちろん、ビレフやベスパルティアの産業進出は我が国にも影響力は多大でしょうね。既存の産業が生き残れるかどうかの懸念もございます……」


 セバスの分析に少々がっかりした様子のシャーナル。セバスも彼女の反応に疑問符を浮かべるがそのことも明確に示されぬまま今度は国内の名士達と会談を行うと告げる。なぜ名士達と今のタイミングでの会談なのかと問うも彼女は語らず彼を連れて行うとだけ伝えたのだった。やはり長老派ということもあって自身の権威を示したいがためなのか、国のために動いているといえど彼女も対立派閥の一人であることに変わりはないと彼の中では警戒心と同時に虚しさがより一層増していくのだが―…。


 ◇


 所用として会議には顔を出さなかった夜、ラインズはというと書物庫にやってきていたのだった。暗がりの中でランプの明かりが一つ付いており、すでに彼女も椅子に腰を掛けていた。ついでの調べもののために本を選び取ると彼女の座るテーブルへ向かう。湯上がりなのかほのかに頬が紅潮している彼女の姿に僅かに『女』を感じるラインズ。ある人物にも彼女の落ち着いた様を見習わせてやりたいと少しため息をつくのであった。


「人の顔見てため息つくなんてどういう了見かしら」


「そうじゃない、素直に見惚れてただけだよ。外面だけでもあの姫様に教えてやりたいよ」


 シャーナルは微笑を浮かべ鼻で僅かに笑う。まだ年端も十五ばかりの少女が出す色気とは思えない落ち着いた様に余裕。それと対照的な二人の少女を近くで見ているから余計におかしく思えるのだ。


「夜遅くまで学問……で、さっきまで鍛錬場でポスト公爵と剣を交えていたというのに…己磨きに余念がないことで」


 なんだか皮肉のようにも聞こえたシャーナルは目を細めて返す。


「知識なんていくら身につけても足りないものよ。一を知れば十、百と数えたらキリがないほど新しい知識を知らなければならない。一国の皇女となればなおのことでしょう……」


 日中は互いに軽い談笑でのやり取りで夜にはこうして密会を繰り返すくらいの関係。互いに男女としての特別な感情を持ち合わせているわけでもなく、ただでさえ対立派閥同士のましてや王位継承権を争う相手同士での密会など、とても公に晒されるわけにもいかない。


「それなのにこんなリスキーな関係を続けるなんて、私も大概ね」


「ドラストニアは国王派閥だけのものじゃないからな。あ、お茶とか持ってきたほうが良かったか?」


「結構よ。大体書物庫での飲食は禁止されてるでしょう。というかそんな事を言うためにわざわざ呼び出したの?」


 回りくどい前口上に不機嫌な様子のシャーナルも彼らの会談で交わされた真意を知りたかったために主題を早々に聞き出す。邪険にあしらわれたため今度は真面目にラインズが前置きを始めた。

曰く、今から二年ほど前にベスパルティアとビレフの間で協定が結ばれたようであった。互いの産業が交差するといったもので実質的に領土問題から市場競争へと転換したようであった。互いに消耗し合うだけの領土問題でドラストニア含む他国が利するよりも産業で手を打ったのだろうが―……。


「けどあれだけピリついていたのに妙な話ね」


「まずは疑って入るか……。アンタらしいな」


「基本中の基本よ。あなただって性悪説側の人間でしょう?」


「どうかな、人の善意は信じようと努力してるつもりだが……。まぁ眉唾物だっていうのには同意だ」


 二人の意見は同じものだった。領土問題で戦力の消耗をしないためにそれぞれが国の産業を他国にまで進出させて市場の拡大を図って勢力図を伸ばすことが彼らの目的だということ。ここまではセバス達が会議で話しているであろう内容のままである。あくまでここまでを前置きと彼は定義づけていたことにシャーナルは少し考える。


「まだその先にある―……。可能性として考えられないものではないけど果たしてそれがなんなのか」


「そんな単純な話でビレフが直接出向く理由になり得るのかって考えるとな。まぁあくまで俺の憶測でしかないからな。それも兼ねて確かめに行ってくるよ」


「そうね。そっちは貴方達の方が慣れてるでしょうし、私はもう少し休ませてもらうわ。その代わりにセバスとマディソンを置いていきなさい」


 シャーナルからの意外な注文に目を丸くする。理解はしていたが一応理由を訊ねる。彼女としてはラインズが直接行くのであれば冷静に動ける紫苑とアーガストの二人を連れていくことが妥当だと判断。内政だけならセバスと自分がいれば事足りる上にすぐに軍も動ける手筈は整えておくことが出来る。国王派の人間も置いておかなければいざというときに動けないことを回避するための措置と考えられる。


「私の言葉で動く人間もいるでしょうけど、軍全体のことを考えたら冷静に判断できるセバスがいれば十分。彼、信用は厚いでしょうしね」


 彼女の言葉に含み笑いで返事を返すラインズ。


「マディソンのことは手懐けているのにか?」


「アレは貴方が思ってるほど単純じゃないわよ」


 単純に武力だけを評価していたラインズとは違い、ガザレリアで同行していた間にマディソンに一定の評価を下していたシャーナル。

それに対して「だったら報告書の書き方くらい教えてやれよ…」と愚痴を溢すラインズ。彼が見たマディソンの報告書の内容は『敵を血祭りに上げた』とだけしか書かれておらず問いただしても肝心なことはシャーナルから受けているだろうと言い残して、そそくさと退散していったのだと話す。彼女は笑いながらマディソンのことを「わかりやすい奴」と評していたが今後のことを考えるとラインズは少し頭を抱え、セバスの『学問教室』をロゼットと共に受けさせようかと本気で思案中のようである。

 当面の方針を定めて、互いの役目に就いていくが警告ともとれる彼女の言葉を最後に掛けられる。


「善意として言っておくわ。貴方にも言えることなのだけど―……ロゼットにも伝えておいて頂戴。外の人間をあまり過信しすぎないようにね」


 ラインズは一冊の本を持って彼女の言葉を『忠告』として受け取り、書物庫を後にする。


 ◇


 飛行船内で客人用の個室へとそれぞれ案内される。イヴとロゼット、アーガストと紫苑の同室、ラインズは皇子であるために一人の部屋という振り分けになった。アーガストは他国の王族と一有識者を同室に扱う礼儀に欠ける行為に呆れている。荷物だけを置いて会議室へと合流する途中のことであった。


「アーガスト殿には少しあの部屋は狭いでしょうか?」


 アーガストの杞憂を他所に紫苑はというと、七尺以上の背丈もある彼の頭上が天井に届くか届かないかの内装に心配を寄せていた。


「体を丸めれば問題はござらん。そんなことよりもロゼット嬢とイヴ嬢が同室とは―……。いくら向こうの方が優位性があるとはいえ、このような扱いを受ける道理はごさらんのではないか? 他国の人間同士を同じ部屋にするのはいささか礼儀に欠いているようにしか思えん。表向きはロゼット嬢は有識者という扱いだが本来であれば……」


「お気持ちは理解できますが、ラインズ皇子も受け入れておりますし。皇子なりに考えのあっての事でしょう」


 紫苑がラインズの判断に理解を示す中で彼の自室へと到着し、合流を果たす。先ほどの会話の続きが彼にも聞こえていたみたいでありあまり他言しないようにと咎められる。


「あまりデカい声で話すなよ。俺たちにとってここから先は『アウェイ』なんだから。それにお嬢達もあれで楽しんでるみたいだし、いいじゃないの」


 寛容な心というよりもラインズの本音であろうと、彼の呑気さにも少々呆れる。彼なりに考えあっての事であろうがこの軽率さがいずれ災いにも繋がるのではないかと危惧もしていた。


「……身内の中でも礼節を欠けば軽く見られますぞ」


「お前までシャーナルみたいなことを言うなよ……。向こうが優越感に浸れるならそうしてやるし、乗ってやれ。表面上のことよりもこっちは内情が探れるならどんな扱いを受けても構やしないよ」


 実際のところ今回こちらはかなり下手に出ていることをアーガストは相当気にしている様子。互いに尊重し合う関係に重きを置くことが彼なりの考え方だが、一方的に見くびられるのであれば今後の外交、ましてや今回の協定に大きく影響するのではないかと苦言を呈する。

 飛空船中央部に位置する会議室ですでに彼らの席と飲み物が用意されており、紫苑とアーガストは護衛のために着席はせずに一歩引いたところで待機。


 そして展望台ロビーでは姫君達は空からの眺めをや望遠鏡を覗いて満喫している様子。満悦した様子ではしゃぐロゼットを窘めるイヴという構図がなんとも様になっており、見れば見るほど姉妹のような関係に見えてくる。


「ほぇ……黒龍に乗っている時とは全然違って見えますね」


「そうね、列車に乗るのと馬で駆けるのとでも感じ方は違うし、こんなゆったりとした空の旅ができるのも技術力あってのことよね」


 満面の笑みで空の旅を楽しんでいるロゼットと飛空船の造りを観察しているイヴ。内装も城壁のような強固な構造となっており、嵐の中でも飛行が可能ではないかとも関心を示していた。二人の会話の様子に気が付いた一人の女性が声を掛けてくる。


「もしかして、ロゼット・ヴェルクドロールさん?」


 ロゼットが振り返るとそこにいたのは意外な人物、ミスティアで出会ったクローディア。彼女はブレジステンの邸宅でハウスキーパーとして雇われていた時に一度助けられていたこともあり、ロゼットも覚えていた。イヴとは面識はなかったために互いに自己紹介を済ませてここにいる理由を尋ねる。


「私は先祖の家系がビレフの貴族にあたるもので、実家が商社をやっててブレジステンとは旧知の仲なのよ。それでハウスキーパーとして雇われながら取引を行なっていたというわけよ」


「そうだったんですね! じゃあラムザさんと面識があるように感じたのも……」


「商売敵ってわけじゃないけど、彼とブレジステンが契約したことで私はお払い箱ってね。彼がやけに内情に詳しいから薄々そんな感じはしていたんだけどね」


 彼女からビレフの商売の話を持ち掛けている側の人間であったことを明かされる。本来彼女の実家がブレジステンと売買契約を果たして魔物討伐の兵器提供の橋渡しを行うのであったが、それよりも安値で叩き売ったラムザの方に傾いたということであった。


「ミスティアはなんとか助かりましたけど……クローディアさんにとっては残念な結果だったんですね」


 残念そうに顔色を伺うロゼット。クローディアの表情も悲壮感混じりの困り顔といった様子だったが「むしろそれでよかったのかもしれない」と意味深なことを言う。だがすぐに明るい表情に変わりこの船内を案内すると言って彼女達を連れだした。表面上では明るく振る舞う彼女に妙な違和感を覚えながらもイヴは先ほどのクローディアの言葉が妙に残り、首をひねりながらも彼女に追従するのであった。

船体が強風でわずかに揺れ動きよろめく一同。これから行く先への不安を表すかの如く、航路上に現れた暗雲が徐々に厚く変化していくことも知らずに彼らは予定通りの航路を取っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る