第58話 約束の海へ

 交渉の場は比較的落ち着いた雰囲気で行なわれた。グレトンにとっても国交のない国家相手にもハッキリと意見を述べて、自身の主張と相手との関係を考えて交渉は進んでいく。


「今回海賊の軍に関する被害についてはこちらで補償致します」


「彼女の救出における被害だけれどね」


 セルバンデスとシェイドの連携によって彼女の救出に対する彼らなりの褒賞のつもりなのだろう。高官のほとんども納得はしていた。大統領自身も今回のロゼットの一件でドラストニアとの関係に亀裂が生じることは好ましくなかった。彼らの補償いよって軍の再編と補強は賄われることとなったが問題はその先である。


 そして領海の交渉へと移り、レイティスもこの件に関しては譲る姿勢は見せなかった。彼らがロゼット救出のためだけに軍を動かしたわけではないことはドラストニア、グレトン陣営もわかっていた。今回の救出をダシに使って彼らは当然の如く領海の主張をするだろう。しかしロゼットは違っていた。自身の一件を上手く利用されてしまっているのではないかと責任を感じてしまっていた。


 彼女は少し顔が青ざめ始め、自分のせいでドラストニアにとって損益を出してしまうような事態になってしまったらどうすればよいかと、考えが頭の中をまるでミキサーで掻き混ぜるように流れていた。


 案の定レイティスの高官達はその事を直接的には言わないにしても匂わせるようなことを口節にしていた。思わずビクッと反応してしまい、歯ががたがたと震えロゼットはすっかり声が出なくなってしまっていた。


「それで大統領、交易所の様子はどうでしょうかな? 彼ら行商人は復帰出来ましたでしょうか?」


 ふと――…ロブトン大公がクローデット大統領に対してこう述べたのだった。彼らの様子は至って変わりなく、海賊との関係で得た情報やコネを通じてむしろ市場と商社に大きく貢献していると答える。


 ロゼットの救出の際に消耗した軍備に対して、行商人の救出を担ったという『事実』をぶつけることで彼らは言葉を濁さざるを得ない。ロブトン大公なりの牽制でもあって別段ロゼットを庇護するような意図はおそらくなかっただろう。


「しかしあの現状から救出どころかほとんど無傷で帰還するとは―…よく出来ましたな」


「ええ、運が良かったとしか言いようがありません」


 大統領はロブトン大公の事を勘ぐるように彼らの無事に対して示唆する。実際に十数隻以上も引き連れていたにも関わらず無傷であったのは彼らの乗っていた軍船だけであったことが疑わしいところ。それはシェイドも同じ――…。しかしそのことには言及せずにあえて彼は大統領から別の切り口を引き出すために事実だけを告げる。


「言い忘れていたけどあの海賊の長の討伐をやってのけたのは自分とそこにいるヴェルクドロール嬢だということを―…まずは頭に入れておいてもらっていいかな?」


 シェイドの煽りとも反論とも取れる物言いにざわつき、レイティスの高官達の視線が一斉にロゼットとシェイドの方へと向かう。


(なんでわざわざ煽るのよー!! 大体とどめを刺したのは私じゃないんだけど!?)


 ロゼットは彼を恨めしそうな視線で睨みつけるがシェイドは口笛を吹くような素振りを見せる。確かに彼があの戦場で生き延びていたらレイティス内部へ入り込んでいた可能性、それどころか海賊再編を目論んで再び牙を向く可能性は十分にありえる。そもそもあの海賊一派もダヴィッドの統率の下で動きが取れていた節があったために現状での海賊の離散の理由は誰の目から見ても明々白々だろうに。


 このまま揚げ足の取り合いをやっていても埒が明かないという意味合いでもあったのだろう。それを汲んだのか大統領は彼らの意見を取り込めるように伺う。


「勿論こちらも領海の主張に関して黙っているつもりはございませんが、そちらも対応する案をお持ちになってこちらまで参られたのでしょう」


 大統領の言葉に高官の一部はあまり面白くないと表情を変えていただろう。硬直しているロゼットに対しての気遣いを見せたのかはたまた、大器の違いを見せ付けるための外交手段を用いたのか真偽は定かではないが。セルバンデスも当然出し惜しんで黙って彼らの領海の主張を認めるつもりなどなかった。


「ええ、まずはこちらを…」


 そう言って運ばせた品を見てレイティスの高官達は目を丸くして驚いていた。太陽に照らされた碧く輝く翠晶石製装具一式。これらはフローゼルから仕入れた翠晶石をドラストニアの技術によって加工されたものだと紹介し、小銃、マスケット銃程度の銃撃であれば耐えうるだけの耐久性を保持していると語る。それだけに留まらず装飾品等にも加工が可能、様々な用途で応用が利くと現時点では利用されている。


 軍船や兵器、日常生活における細かな部品に関しては従来どおり鉄鉱石から作り出せる鉄製品のままではあるものの、兵士に装備品としては今後、鉄鉱石に変わる非常に有用なものと出来ると判断はしているようであった。


 フローゼルとの国交を結ぶ際には協力するとセルバンデスは伝え、グレトンも軍備の補償に加えて鉄鉱石に関する技術協力も行なうことを提示してきた。現状でレイティスは自国で鉄鉱石の産出と加工を行なっていたが生産速度がどうやっても追い付かない。その上防備に関しては翠晶石の装備は銃の技術が軍で普及しているレイティス側からして見れば脅威には違いない。


 今後を考えるとなるとここで彼らと友好関係を結んでおくことはデメリットの方が遥かに少ない。高官は賛否分かれていた。時間をかければ普及そのものは可能ではあるし海軍に関して言えば他の二国を圧倒している。だがそうなると経済的な面での損失と、二国を今後相手取らなければならなくなるのだ。ただでさえ総合的な軍事力の面では現在ドラストニアに圧倒されている上に消耗した現状ではより厳しい立場に立たされてしまう。


 今回の一件に関して言えば貸し借りは一応のところ解消はされている。レイティス側からして見ても『翠晶石』は魅力的なものには違いない。フローゼルも現状の財政危機を乗り越えるべく外貨獲得を優先しているに国交を結ぶこと自体は難航することはないと考えられる。


 クローデット大統領はおもむろに口を開き彼らとの交渉に応じる姿勢を見せた。


「そちらの用意してきたものは十分に理解できました。では領海の件に話を移しましょうか」



 ◇



 交渉は纏まり、ロゼットは緊張感から解放されたのか抜け殻のようになっていた。シェイドが彼女の頬っぺたをつんつんと指でつくと素っ頓狂な声を上げて驚き、周囲の人も彼女に視線を向ける。ロゼットは顔を真っ赤にして平謝りしつつシェイドを睨みつけてくる。それを見たシェイドもいつもの彼女に戻ったことに安心して、フローゼルのときの事を問う。


「まさかフローゼルの時もあんな感じだったわけ? それでよく外交の場に来ようと思ったね」


「あの時と状況が違うじゃない! 同盟…? っていうとこじゃないお国との話し合いでしかも誘拐されて迷惑掛けてるし、その辺はちゃんと弁えるよ」


 周囲には聞かれないように小声でひそひそと会話する二人。交渉後といっても弱みを見せれば他国にとっては格好の標的にされかねない。ロゼットも交渉中は出来る限り言葉を挟まず、自身が弱みにならないようについていくことで必死であった。そのために隠れてメモを取っておいた文字数もフローゼルのときとは比較にならない量になっていた。


「……結構話してたと思うけど、よくメモなんて出来たね。ほとんどの会話をメモ出来てるし」


「うん、ドラストニアの普段の生活でもそうだけど、大概のことは暗記して思い出しながら書けるようにはなったかも。この技術だけは自分でも褒めたいくらい凄いんじゃないかな」


 両名とも呆れた顔をしつつ、ロゼットはほんの少しだけ自慢げに書いたメモを見せていた。そして二人の様子を見ていたセルバンデスは会談終了後も大統領の元へとロゼットを連れて訪れ、改めて挨拶を交わす。


 海域は三国それぞれに均等に分割されることとなり、中心地であったあの激戦を繰り広げた孤島に関してはグレトン、レイティス軍の駐屯地として治め、三国の交易所という形で纏まった。孤島に関してはドラストニアは一歩退いてレイティス側が見せてくれた『譲歩』に対して応える意味合い含めた姿勢であった。


「陛下、簡素な挨拶となり申し訳ございません。レイティス大統領サフロ・クローデットです。本日はわざわざおいでくださりありがとうございます。事情はお伺いしておりました故に失礼がございましたらどうかご容赦していただけると幸いです」


 ロゼットに対して丁寧な挨拶で頭を下げる。先ほどまでの緊張感から解放されたばかりでの突如の低姿勢な挨拶に仰天しロゼットもかしこまった反応で返してしまっていた。


「あ、いや…その!! そんな頭を上げてください! わ、私は正式に国王として即位したわけでもないですし」


 ロゼットにあわてて顔を上げさせられ、セルバンデスが今回の一件で大統領が僅かな譲歩を見せてくれたことに感謝を述べて続ける。


「実はフローゼルにて『翠晶石』の件で他の高官が渋る中、普及の英断に踏み切らせることにロゼット様は一役買っておられるのです」


「なんとそうでしたか…陛下ご自身が?」


 そう言われて彼女は慌ててほんの少し自分の意見を述べただけだと伝える。セルバンデスにもそんな大げさに言わないで欲しいと嗜め、彼らの間で笑いが起こる。クローデット大統領も彼女にある魅力の何かを感じ取ったのか将来良い君主となると彼女に告げて自身の仕事へと向かっていく。


 彼にはまだレイティス国内の問題も片つけなくてはならないし、大統領選挙は終わっていないのだ。内政に注力出来るようになったことは非常に大きな前進ではあるが、内部の移民問題が解決するのはまだ先になるだろう。




 一同は本日の便でそれぞれの国家へと帰っていくこととなり、海賊問題の解決によってこの海域での航行がようやく解禁となったことでジブラルタルへは寄らずに直通で帰れることとなった。


 港の船舶へと到着し、色々あったものの何処か名残惜しく感じるのかロゼットは切ない表情を浮べて海を見ていた。シェイドが彼女に近寄り『彼』の事を思い出しているのを感じたのかいつか約束を守ってもらおうと声をかけた。少女は悲しそうな表情の後にすぐに笑顔で頷く。


 出発の時刻、旅船へと向かう途中ロゼットの帽子が風で飛ばされてしまう。帽子は風に乗って港中を舞う様に飛んでいきある船舶へとたどり着いた。その船舶は海賊達が使っていたような昔にある船舶の風貌をしており、蒸気機関のような炉が搭載されているようなものではない。風に打たれた帆で前進していくような形質のものだ。


 ごくりと固唾を飲んでその船から海賊のことを思い出す。彼女は恐々と船を後にしようとした矢先に聞きなれた声が飛んできた。


「お嬢さん、俺の船には乗っていかないのかな?」


 気だるそうな、どこか抑揚のない声だがずっと聞きたいと思っていた声―…。


 背後を振り返って確かめているとそこに彼は立っていたのだ。


 あの時のように少し笑いながら、あの酒瓶を持って。


「あ……あ…ホントに?」


「ちゃんと脚もついてるよ」


 そんな冗談を飛ばして彼女に見せる。


 ロゼットは思わず駆け寄っていき彼に思いっきり抱きついて、涙を溢して彼の名を呼び彼が無事だったことを叫んでいた。彼は大げさだと彼女を宥めて、彼らの仲間も顔を見せる。そこにはあの時救ってくれたエイハブの姿もあった。


「約束したろ? 俺の船に乗せてやるって」


 ロゼットは涙を拭って笑顔で約束を果たしてくれた彼に答えた。


「じゃあ…私の国まで連れて行ってください…!」


 彼はそれに応えるように、船員達に出港の準備に取り掛かるように命令を下した。一同もロゼットに追い付き彼が無事であったことに驚きの表情を見せ、彼の船へと乗り込んだ。


 船は帆を広げ、追い風によって押されながら蒼海を突き進んでいく。彼が舵を取る横でロゼットは笑顔で船旅を楽しむ様子を見せている。一同もそれに釣られて笑顔を見せて、ジャックスの駆る船舶によってそれぞれの『帰路』につくのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る