episode2『ユーロピア共栄圏』
第16話 安寧と静寂
静寂の闇夜――
ドラストニア王都、城下町はまだ賑わっている中、王宮はすでに静寂に包まれていた。虫や動物の鳴き声だけが僅かに聞こえ、夜風が王宮の隙間を駆け巡り、時折、歌声のように聞こえる。
深い闇夜に点々と輝く星々と月の光が王宮を照らす。廊下は静まり返り、足音一つだけでも響く中、裸足で歩く音が僅かに響き渡る。こんな深夜にも関わらず、歩き回るロゼットの姿があった。
彼女の向かう先は図書館――
扉は既に鍵が掛けられ、閉ざされており、先日発見した『隠し扉』から入り込む。正面の扉の両脇にある柱のうち、右側の三つ目の柱にわずかなくぼみがあり、そこを押すと図書館に接する壁が僅かに開くというものである。どういった仕組みなのかはロゼットには理解できなかったが、子供心を射止めるには十分な仕掛けである。
目的のものを探すために図書館を物色し、民族・文化・種族・生物の棚を探索。
「あ、これかな? エンティア生物書……? って読むのかな」
『エンティア』という単語は以前に勉強会で目にしたことがあるロゼット。本を開くと手書きの絵画で姿形の大まかな図が描かれており、生物や種族の解説や歴史、文化などが記載されていた。
◇
遡ること数日前――
ロゼットはいつものようにセルバンデスと勉強会を行なっていた。歴史や文化、地域による主流の特産品、それによって貿易で行なわれる際に起こる、物流とそれぞれの政治についてであった。そもそもまずここが『エンティア』と呼ばれており、ロゼットの知るところの『世界』という概念にあたると、この勉強会を通じて学んだのである。
そんな『エンティア』は大きく東西南北のそれぞれ4つの大陸に分けられ、ドラストニア王国はそのうち東大陸の中部に位置しており、他国との交流も比較的行ないやすい場所に位置している。
そしてそれらの国々を含む、この大陸を『ユーロピア大陸』と呼ばれていた。
ユーロピア大陸は北部の広大な草原地帯を持ち、鉱物資源と水資源に富んでいる。特にドラストニアは四季の変化が顕著である珍しい国、その豊かな気候を活かした農産・畜産業が強みの国家。
貿易面ではこの農産物を主流とし、鉱物資源の取引を行なっていた。貿易を開始したことにより他文化と触れ合う機会も増え、領地内では異種族の姿も増えたという。
セルバンデスが授業を進める中、「センセー質問です」とロゼットが学校の教師に対してするように訊ねる。
「どんな種族がいるんですか??」
彼女の質問は異種族についてのことだ。彼も異種族であるものの、淡々とそれに答える。
「現在の東大陸では、私のようなゴブリンを含み、政治形態を持つものは、インペル、獣人、オーク、ドラゴニアン(リザードマン)が主だと」
獣人、オーク、リザードマンとなんとなくファンタジーの物語に出てくる存在を想像するが『インペル』という種族に関しては初めて耳にしたロゼット。
「『インペル』ってなんですか?」
「実際には人間(ヒューム)と大差ございませんね」と彼は答える。
違いと言えば『インペル』と呼ばれる人種には美しい女性しか存在しないようである。その美しさは晩年を経ても尚、続くと言われているとか。特徴は美しい姿に左右非対称の目の色、背中に僅かな紋様が浮かび上がっている点であると彼は話す。
「ほぇー……美人さんばかりでお婆ちゃんにもならないんだ」
「さぞ楽しいでしょうな。そんな美しい女がおられるのであれば、是非ともお目にかかりたいものです」と返すセルバンデス。思わぬ彼の発言に少し、悪戯っぽく訊ねるロゼット。
「セルバンデスさんも美人さん好きなんですね」
「ええ勿論。一般論ですよ、特に豊満な女性は魅力的です」
顔つきはいたって真剣、しかしながら自分の煩悩をさらけ出すセルバンデスに対し、少し怪訝な顔で見つめるロゼット。自分の胸元に手を当てながら「きっと育つ」と呟き、先程疑問に思ったことを述べる。
「聞く限りだと人と変わらないのにどうして異種族という扱いなのですか?」
ロゼットの素朴な疑問にセルバンデスは難しい顔をして答える。
「人の社会については私自身もまだ研鑽を積んでいる半ばですが一つは宗教的な問題に起因しているでしょう」
「宗教ですか……?」
ロゼット自身宗教に関してはまるで知識もなければ敬虔な信者というわけでもないため、あまり理解がなかった。
多くの場合女性の魅惑的な姿形は悪魔の誘惑とも取られるようで『インペル』は悪魔の化身ではないかと、宗派によってはかなり過激な考え方が為されているようである。
「ようする女の人の身体がエッチなことを連想させて、良くないってことなんですか?」と開き直ったように臆面もなく訊ねるロゼット。その様子に咳払いをして話を続けるセルバンデス。
「若い女性……という存在がそうなのかもしれませんね。敬虔な女性信者は慎ましく、清楚であること。という概念が彼らにはあるのでしょうな」
あまりしっくりこないというよりも納得が出来ない様子のロゼット。宗教的な考え方はそれに留まらず、リザードマンやオークのような『力』に長けた存在はいずれ悪魔に魅入られるなど特定の動物の肉食を禁じるなど疑問に思うような戒律や掟が設けられていることに驚いていた。
「人の社会ってなんか難しいですね……」
自分も人間であるがそれ故に理解できないこともあり少し考えさせられた。呟くロゼットに対して、セルバンデスも同調していた。
「人は知識と知能を持つ故、自らを縛り付ける決まりを作り、その中で生活していくというものでしょう」
「他の生物にも当てはまりますが、宗教的な考え方を持つ命はおそらく人間だけかと」
けれど人間を準位に考えるということは本当にそれで良いのだろうか?
他の種族も社会形態を持ち生活しているのであれば彼らと交流を深める際にはどうするのだろうと疑問が湧く。
「友達になる時とかどうするんだろう……。それとも関わり合いにならないように避けるのかなぁ」
ロゼットは異種族の生活や特質に対し興味を抱くようになり、度々図書館で本を探すようになっていた。
◇
――そして現在に至り、ユーロピア圏内の種族や生物に関しての書物を読み漁っていた。元々図鑑を読むのが好きだったためか、幼い彼女でもスラスラと内容が頭に入ってくる。深夜にまで読みに来る程に興味を持ち、新しい生物の項目を見つけるたびに何度も読み返していた。
「やっぱり教えてもらったことしか載ってないなぁ」
しかし読み返すたびに基本的には同じ事しか書かれていない。魔物は邪悪な生き物、異種族は人とは相容れないなどどれも人間の観点から書かれたものばかりであった。
「かと言って他の種族の書いた文書なんて置いてないし」
難しく考えていると入り口の方から声が聞こえてくる。
「誰かいるのか?」
聞き慣れた声が飛んできてもう休んでいたと思っていたから少し意外であったがおそらく見回りをしていたのだろうと思い、ロゼットは本棚から少し顔を覗かせて挨拶をする。
「あ、こんばんは」
「ロゼット様? こんな夜更けにいかがされましたか?」
彼女だと気づいた紫苑は怪訝そうな顔で訊ねる。少し慌てて本をしまい込み、彼の元へ駆け寄る。
「夜間の勉学、それともセルバンデス殿からの課題でしょうか?」と彼は少し笑って訊ねる。ロゼットも困り顔でそれに応えて、彼と共に図書館を後にする。
深夜の廊下を二人で歩きながらロゼットはいきさつをざっと説明、というよりも言い訳をしていた。
「そうでしたか。それでこんな夜更けまで勉学なさっておられるとは感服いたします」
紫苑は感心した様子だったが、ロゼット自身はむしろ興味を持った分野で好きなように調べていただけだった。勉学と言われ褒められると内心少し後ろめたさ、心苦しさのようなものを感じ困っていた。
「それで今日は何か収穫はございましたか?」と冗談っぽく勉学の成果を訊ねる紫苑に対して唸るロゼット。少し考えたあと、躊躇うように尋ねた。
「紫苑さんは……元々ドラストニアの人じゃないんですよね?」
「ええ、私は出身は……もっと西―……ユーロピア大陸を超えたどこかだと聞いたことがございます」
「それってここじゃないんですか?」
ロゼットは授業でもらったエンティア全地図を開いて示す。そこは巨大な大陸に挟まれる形で浮かぶ、広大な海に面した小さな島だった。彼女の知る限り、現代の『日本』に限りなく近い存在に見えたからだったのか、彼の故郷がなんとなくここだと直感的に示していた。
「どうでしょうか、そこまではわかりませんが。ただユーロピア大陸ではないことは確かなようです」
「故郷の文化とか、思い出みたいなものを覚えてたりしませんか?」
「幼少期の頃にはすでにこの大陸で生活しておりました。ただ……この首飾りは幼少のころよりずっとつけておりました」
そう言って彼が取り出したものは『勾玉』のようなものだった。日本の神社、土産屋で何度か目にしたことがあった彼女はうろ覚えながら思い出すことができた。
「変わった形してますよね」
「確かにこの地域では見ない装飾品ですね。何度か購入を申し出てきた商人たちもおりましたが、これだけはなぜか売り渡してはならないような気がしまして……」
それがきっと彼にとって大切なものだとこの時ロゼットは直感的に思った。彼が大切そうに語る横顔。どこか寂しげで悲しそうな、そして嬉そうに語る彼の瞳にロゼットの心は揺れ動く。しかし紫苑の言葉でそれを遮られ、彼女は慌てて質問した。
「そ、それとドラストニアに来たときどんな感じだったのですか?」
「ドラストニアにですか……。どんな…とは、周囲の反応がという意味でしょうか?」
先ほどの調べ物、民族や種族のことを調べていたという彼女の話から察した紫苑は確認する。ロゼットは小さく何度も頷く。
「難しい話ですね。反響が大きかったのはやはりアズランドの方でしょうか」
やはり、同じドラストニアの人間ではない紫苑が軍に所属するということは大きな反響を呼ぶのも無理はない。本当にその国の人々を守るために身を呈して戦うことができるのか、軍人にとって求められるものは当然ながら強い『愛国心』。懐疑的な声が上がるのも当然だが、本人としても辛くあまり思い出したくないもの。彼に謝罪するロゼットだったが紫苑は気にしないで欲しいと一言返す。
しかし意外にもドラストニア側からはあまり大きな反応は無かったそうである。実際に紫苑の影響もあり、軍備の強化にも繋がったことや特に他者への接し方には十分に注意を払い、敬意をもって接する彼の勤勉さと誠実さが評価へと繋がったようだ。
「ロゼット様はいかがでしょうか?」
「へ? 私ですか?」
今度は逆に自身が質問を受けて、素っ頓狂な声を出してしまい少し顔を赤らめるロゼット。自分はどうかという問い。思えばあまり考えたことがない、というよりも考える余裕がなかったというのが彼女の本音だろう
自分に強く、厳しく当たるシャーナル皇女。彼女とは鍛錬場の一件以来、鍛錬に度々付き合わされているようだ。最近手に血豆が出来たようで、勉強会で筆を握る際も四苦八苦している様子をセルバンデスに心配されている。
疑いの目を向けているポスト公爵やロブトン大公。シャーナル皇女ほどではないにしろ、晩餐の際に色々と探りをいれられるような会話をされ、幾度もボロが出そうになり肝を冷やす毎日。
「でも最近やっとメイドさんのお仕事が慣れてきて、メイドさんたちとは仲良く出来てます。私と年の近い子もいて仲も良いんですよ」
一番の自分と関わり合いのある事柄については問題は解消されつつある。
しかしメイド長からはセルバンデスやラインズと交流があることをあまり快く思われていないようでロゼットの仕事の粗を探しては厳しく追求するといった現状を説明する。
「やはり正体を隠しながらの生活は厳しいようですね」
心配そうに見つめる紫苑に疲れた様子で答えるロゼット。
「確かにちょっと色々覚えることもあったり、やっと慣れてきたのに……嫌な顔、なのかな。なんか難しそうな顔して私のこと見てくるんですよ……。自分が何かしでかしたのかなって不安になるからやめてほしいのに」
「というか私だって、メイドさんのお仕事ほんとはやりたくないのに。朝だって六時には起こされて、七時半には朝礼なんですよ? 早すぎると思いませんか?」
「お姫様って言われても全然お姫様っぽいことしてないですし。むしろメイドとして仕事してる時間の方が多いんですよ!! 一生懸命やってるのに周りはガミガミ言いますし!!」
「ラインズさんなんてたまに遠くからニヤニヤした表情で見てきて……。いや、こっちの手伝いしてよって言いたくもなりますよ!! 隅で私のこと小バカにするような目で見てて……思い出しただけでもムカついてきた!!」
段々と内に溜め込んでいたものが暴走し途中からは怒りの感情で発散させていた。ある程度発散してから我に返り、紫苑に当たってしまったことを反省し慌てて頭を下げて謝罪していた。
「ご、ごめんなさいっ。なんか無茶苦茶言ってて…紫苑さんは何も悪くないのにこんな当たり散らすようなことしちゃって!! ホントにごめんなさい!!」
しかし紫苑は気にする様子でもなく、微笑んでいた。
「やはり貴女は面白い御方です。傍にいて元気を分け与えて頂けるように感じます」
「むぅ……紫苑さんまで私のこと馬鹿にしてぇ……」
ロゼットは拗ねるような仕草で消え入るような声でぼやく。紫苑は彼女の前に跪き、彼女の目を見る。優しく、けれど鋭く真剣な眼差し。どこまでも誠実な彼の態度に胸が高鳴るロゼット。
「ロゼット様はどんなことに対しても、一生懸命に取り組まれております。だからこそ貴女を快く迎えてくれている人もいます」
「少なくとも私はそうでした。あの日、貴女に強い言葉をかけていただき、私の中で消えかけていた生きる力が甦りました。私はそんな貴女をお慕いしております。今の貴女がいるからこそ私はここに存在しております」
真っ直ぐな目でそう言われ、深夜の月明かりで白く輝くロゼットの頬は熱を帯び赤く染まっていた。そんな真っ直ぐな目に対して目を逸らし、困ったような表情をしながらもどこか嬉しさが混じる。心を鷲掴みにされてしまったような、表現の出来ない彼女の気持ち。彼女自身が一番よくわかっていた。
言葉に出来ない感情が身体中を駆け巡り、血液の循環と共に体が熱く火照り、心臓の鼓動も余計に高鳴る。頬も緩み、嬉しくて更に顔も熱くなると自然と恍惚な表情へと変わっていく。そんなロゼットの様子に紫苑は彼女の手を取りただ優しく微笑む。温かく、がっしりとしていて強く、それでありながら彼女の小さな手をまるで綿を触るような優しさで包み込む。彼のような大人の優しさを持った暖かさ初めて感じ、戸惑いながらも嬉しさが溢れたロゼット。自然と晴れやかな気持ちへ変わり、明るい笑顔で返すのだった。
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