第15話 白い騎士の訪れ

   眩く日の光が輝きを放ちドラストニア皇女の寝室を照らし出す。その光に目を覚ます白い少女。


「んっ、眩しい……」


 日の光によって彼女の白い素肌が白銀の輝きへ変わる。透き通った白い身体を起こすと、寝室の外からやかましい声が飛び込んでくる。


「ロゼット様! もう朝食のご用意は出来ております! いつまでご就寝されているおつもりですか? 日が沈んでしまいますぞ!」


 そんな冗談を交えながらセルバンデスは彼女を起こす。朝から彼のしゃがれた大声は効き目強い気付け薬になりそうである。目を擦りながらメイド服に着替えたのち、自室を後にする。


 朝食は一段と立派なものであった。銀の食器にシチュー、干し肉ではなく焼き立ての生ハムに加え、濃厚そうなチーズ。バスケットにたくさん入ったサクサクのパン。色を添えるのは鮮やかな野菜とフルーツ。充実した朝食内容、王族らしい彼女が想像する優雅な食事ではあった。普段使われていない質素な小部屋での食事という点を除けばの話だが。


「なんか……色々と不釣り合いだよねコレ」


 ロゼットは困り顔で食事を続ける。出来ることならいろんな人と食事を楽しみたいと思うところであった。ただ、自分の今の立場を考えれば、みんなと団らんとした食事はメイド同士くらいの時であろう。


「まだ大っぴらに出来ないからな。かと言って粗末な食事なんてさせようもんなら、セバスに俺がブチのめされる」と冗談交じりで話すラインズ。彼の声にセルバンデスが呆れた様子で答えながらやってくる。


「そのようなこと致しません。ロゼット様、水をお持ちいたしました」


 ロゼットはセルバンデスにお礼を言った後、今後の方針について話題に触れる。

 あれから時間が経ち、アズランド家との紛争は一応の決着はついた。継承者不在のアズランド家は取り潰しとなった。アズランドに仕えていた人材の半数近くが、今回の蜂起に対してはやはり疑念を抱いたようである。『バロール及びその側近の将兵からなる急進派によるもの』というのがドラストニア側が出した結論。


「それで王都の人たちは大丈夫なんですか?」


「まぁ、多くは納得してくれたよ。死者もなし、怪我人も重傷者はほとんどいなかった。城壁の外で生活していた住民達の避難も迅速に行えたのも大きかったな」


 ラインズの言葉を聞いて、ロゼットは少し安堵する。ただバロール派閥の爵位持ちの人物たちは生き残り、帰順する気も一切なかったため、ドラストニアからの国外追放という形となった。


「妥当でしょうな」と頷くセルバンデス。


「少々甘いとは言われたがな。そのおかげでアズランド側の兵の生き残りもほとんど吸収出来た」 


「それって良いことなんですか?」


「誰だって死にたくはないだろ。懐疑的だった兵達でも主に忠実だった点を考慮すれば、彼らにチャンスを与えてもいいんじゃないか」


 ただ国王派の一部からは処刑という声も上がっていたようだった。謀反を起こした者達を重用する。ましてや一兵力として国民の安全保障に関わらせることに疑問の声が上がっていた。

 しかし長老派から猛反発を食らい、彼ら曰く『国民に与える心象は良いものではなく、不安を煽る』とのことである。勿論、国に対して刃を向けた事実も否定はできない。反対意見はあったものの、長老派の顔も立てるという意味も兼ねて彼らを引き入れる選択を取った。今後ドラストニアのために尽くす、ということで彼らの命は保証されたのであった。


「『国民に与える心象が良くない』ですか……」


 少し首を傾げるセルバンデス。長老派の尤もらしい意見を勘繰っているようであった。


「解せないか?」


「いえ……。処刑という選択を取れば、彼らの親族が反体制になりうる可能性も十分ございます」


 理解はしていたが、彼らの真意が掴めないことが気がかりの様子。ラインズは深く考えすぎだと、彼を納得させようとする。少し考え、セルバンデスもこれ以上詮索しても答えは出ないとして納得したようだ。


「ただ、これで少し軍拡の勢いが出たのも事実。今回の件で軍への志願者が実は結構増えたんだ。アズランドに対して疑念を抱いている王都民も少なくはない。けど急進派による強行だったと情報各局に流させたから、当面連中も話題に事欠かさないだろ」


「兵士の皆さんを増やすんですか??」


「志願者だけだ。今ある兵力でも十分だし、何よりも食わしていくのも大変だからな」


 食事を楽しみつつラインズ達の会話に時折、質問を投げかける。彼女の中でもやもやと残る、アズランドの言っていた強国のことも気になっていた。もしも、そんな国が攻めてこようものなら、またあの惨状が繰り返されるのだろうか考えるロゼット。そう思うと急に不安になり、食事の手が止まってしまっていた。


「ロゼット様? 如何なされましたか? 食事で何かご不満な点でも?」


「あ、そうじゃないんです。アズランド……さんも言っていたんですけど。強国があって、それが攻めてきたらどうなるんだろうって考えちゃって」


 彼女の純粋な不安の気持ち。ラインズは少し笑いながら彼女のことを褒める。


「良いじゃないか。そういう不安や心配する気持ちがあるってことは、それに備えようという考えにも繋がる」


「笑い事じゃないですよ。だって……もうあんな戦争なんて見たくないですし」


怖がる様子のロゼットを見て、ラインズは少しため息をついて彼女の頭を軽く撫でる。


「あんな惨状を見て、トラウマにならない方がおかしい。だからお前の感性は正しい。戦争なんてものはしなくて済むなら、その方が良いに決まってる。今の考え方だけでもお前は十分、王位継承者として相応しい人間だ」


 傷心の彼女を少し、元気付けるように話す。不器用な励まし方ではあったが、彼なりのやり方でロゼットの不安を取り除こうと努める。


「その王位に就くためにも、まずはやらなきゃならないことが山積みだ。その一歩が図書館で学習に励め」


 ラインズに知識を身に付けるように言われ、途端に嫌な顔をするロゼット。思わず本音が出て、違う意味に気分が沈み込む。


「ということでセバス、お嬢の教育頼みますよ」


 セルバンデスは快く「心得ました」と答える。その横でロゼットは不満げな表情を浮かべて「えぇー……勉強ですかぁ……」と愚痴を溢す。


「当たり前だろ、百を知るにはまず十、一を知ることからお前は始めないとならないんだよ。他の王位に就く人間なんて幼少期から知識を積んでいるんだぞ」


 内戦が落ち着き、国内政治も進み始めた頃から始まった勉強会。学校の授業よりも難しい話を聞かされる講演会みたいなもので最近の彼女の悩みの種。ロゼットは項垂れながらもセルバンデスに図書館へと連れられ一日の始まりを迎えた。


 ◇


 夕刻、メイドの仕事も追えてから自室で服を着替えてトボトボと一人で廊下を歩いている。


「学校がないから勉強しなくてもいいと思ってたけど……。メイドのお仕事がある分こっちの方が大変かも」


 勉強会とメイドのお仕事が終わったが、セルバンデスさんから夕刻に鍛錬場へ向かうようにと言付かる。こんな時間から鍛錬でもするのだろうか。あのセルバンデスさんが剣術なんて、想像もつかない。言われるがままに向かうけど、本音を言えば今日はもう休みたい。午前は勉強、午後からはメイドのお仕事というサイクルが私には想像以上にきつかった。くたくたの身体を引き摺りながら、廊下を歩いていると不思議そうにチラチラと見ていく高官の人々。彼らはお勤めを終えて帰路につく中、私だけは一人鍛錬場に向かうのが不思議に思えたのだろう。この時は彼らの顔を伺う余裕もなく、軽く会釈をして横切るだけだった。

 カーテンがゆらゆらと揺れる広いバルコニーから吹き寄せる風を感じ、ぼやけた頭が少しだけ覚める。肌寒く感じる風の向こう側、そこに広がる風景は夕闇の空。足元に広がる王都の街並み。その先に広がる平原にはまだ戦禍の痕が残っている。その向こう側には少し霞み掛かった山々が朱く輝いていた。眺める景色は相変わらず美しく、王宮から見える都市も平穏そのものだった。仕事を終えた大人たちが帰る様子、子供達の夕食を楽しみにする声。時間は経ったとはいえ、あれだけの戦禍にあったとは思えないほどに静かな安寧があった。


「忘れたわけじゃないと思うけど……時間が経てば、みんなの日常に戻るだけなのかな」


 あの時、感じた恐怖は今でも忘れることなんて出来ない。私の日常の中では絶対に経験することなんてなかった。そんな恐怖からなのか頻繁に現代の小学校のことや町のこと、友達や家族のことを思い出すようになっていた。帰れるのかどうかわからない不安も未だに心の中に残っている。今頃、夏休みを楽しんで友達と海で海水浴。山でキャンプに行ったりして、夜は星空の中でキャンプファイヤー。そんな家族や友達との時間を過ごしていたのかと―……そう思うと頬を熱いものが伝っていた。


「うぅ……最近、泣いてばっかり……ぐすっ……。寂しいよ……うぅっ……ひっく」


 その場で少ししゃがみ込み、膝を抱えてまた泣いてしまった。声は極力押し殺したけど、少しだけ気が楽になれた気がした。涙を拭ってほっぺたをペチペチと叩いていると、後ろから冷たい声が聞こえてくる。


「メイドの仕事がつらいのかしら? それとも、先日の戦禍を思い出していたのかしら?」


 冷たい声で私に問いかける。一度見たら忘れることが出来ない、氷のような冷たく綺麗な眼。吹き抜ける風に乗せられた冷徹な声。白く美しい素肌に栗色の柔らかな髪を靡かせて、シャーナル皇女がこちらにゆっくりと歩いてくる。


「お、お仕事は……辛くないです……。少し思い出していただけです」


 言葉使いを気をつけながら慎重に答える。一応、私はまだ王位継承者として大々的には発表していない。そのためメイドとして接しなければならない。


「それともセバスにしごかれたのかしら?」


 彼女の言葉で冷や汗が身体を伝った。私を心の中を見透かしているように勉強会のことを訊ねてくる。牢獄でも見せつけられたけれど、改めて恐ろしく感じる。ナイフを突きつけられるような勘の鋭さ。私の心の中に刺し込み、そのまま抉り取るように切り開いていく。中身を手に取り、見透かすどころか自分の手の中にあると言わんばかりの洞察力。


「勉強はちょっと苦手でして……こ、これから頑張って励んでいきたい、と思ってます」


 あくまでメイドとして、貴族の娘として知識を身に付けるための勉強会だと答える。けれど、彼女は私の返事を無視するようにすぐ隣に立ち、バルコニーから外を眺める。目を細めて、哀れむような表情を向けていた。氷のように冷ややかなものであるのに、吸い寄せられるような魅力があった。焼けるような夕日の光が闇夜に染まりゆく。徐々に暗く変化する空が、今度は星々と月の光によって深い青に染められていく。黄昏時と闇夜へ変わる一時(いっとき)に映るシャーナル皇女の姿が一枚の絵画のように『美しい』という言葉そのものに見えた。


「可笑しいと思うでしょ? あれだけの戦禍、子供の貴女ですら恐怖を焼き付けているにも関わらず。人は自分たちの生活へと戻っていく」


「人とは忘れる生き物。時の流れに流されてしまうことで、いくつもの記憶も一緒に流してしまう。思い出そうとしても、その時自分が感じたもの。感情や受けた感覚、感触。嫌な記憶ほど人は忘れたいものよ」


 私が疑問に思っていたことを代弁するような彼女の言葉。誰だって忘れたいものがある。恐怖、あるいは失うことの哀しみ。もしかしたらあの日常の中で大切な人が傷ついて、悲しんでいる人だっているかもしれない。


「あの時、体験した怖い思いは忘れたいです……。でも意識しちゃうとどうしても、その場面が頭の中で繰り返されて……」


 自然と皇女に答えるように呟いていた。フラッシュバックと言いたかったのだけど、上手く言葉に出来なかった。人が斬られたり、刺されたり、火だるまになって絶叫しながら逃げていく姿が頭から離れてくれない。生々しい音と悲鳴のような声が耳にも残っていて、今でも思い出してしまいそうだった。耳を塞いでその場にしゃがみ込んでしまう。


「忘れたいのは怖い思いだけ?」


 シャーナル皇女は今度は無視することなく、私に問いかける。彼女の問いかけに今度はアズランドさんと紫苑さんのことを思い出す。あの時の二人の悲しそうな顔。親子の別れの瞬間と人の『死』。恐怖によるものではない、悲しいと思う涙がまた頬を伝う。


「泣いてばかりね。貴女は歳の割には人の痛みを真に受けてしまうのね」


 その時、私に向けていた彼女の眼は僅かに温かなものを感じた。すぐに涙を拭い、頭を下げると意外な言葉を投げかけられる。


「ねぇ……ちょっと付き合ってくれる?」


 あまりに予想もしていなかった言葉に今度はキョトンとしてしまう。彼女が付いてくるように先に歩き出し、私は返事をする間もなく付いていくしかなかった。このあとセルバンデスさんとの用事があるから、手早く済ませなきゃいけない。そんなことを考えていると、案内された場所はまさかの鍛錬場であった。幸いといっていいのか人はおらず、何に付き合わされるのだろうかと少し身構える。彼女が剣を手に取ると私に投げて渡す。細剣ではあるものの、思っていたよりも重く、受け取った際に膝をついてしまう。


「心配しなくても、鍛錬用のものだから刃は落としてあるわ」


 と言われても、剣道や武道の経験なんて全く無い。どう立ち回れば良いの分からず剣を眺めていると、彼女は「何も考えずに自分の思うように好きに構えろ」と一言。私は両手で握り構え、少し体を強張らせながらシャーナル皇女と向かい合う。初めて持つ剣の感触はとても冷たかった。手は震え、冷えた夜風のせいで余計に身体が震える。


「それでいいわ、変な先入観を持つよりも自分の思うようにやりなさい」


 シャーナル皇女は左手で握り、右手を添えるような構えをする。立ち姿もやはり皇女らしく気品に満ち溢れながらも凛々しい。素人の私でもわかるくらい隙を感じられなかった。端麗な容姿も相まって優雅な様に私は「綺麗……」と吐露していた。

 だが、突如としてシャーナル皇女が顔つきを変え、こちらに向かってくる。驚いた私はそのまま後ずさるも歩調が合わず、そのまま尻餅をついてしまう。

 僅か一瞬の出来事だった。

 私の持っていた剣は一撃で弾き飛ばされる。少し遅れるように尻もちをつく。手は電流が走ったような痺れ、指の関節部分に痛みが襲う。何よりもシャーナル皇女の眼力に気圧されしていた。紫苑さんが見せた剣術のように『一閃』、一筋の光が走ったようにしか見えなかった。


「早く拾いなさい」


 シャーナル皇女は冷たく言い放つ。でも立とうにも体が上手く動かない。右手が痺れて、左手で抑えながら剣を拾いに行く。拾い上げて握りしめるが、じんじんと手から熱が伝わる。まるで心臓でもあるかのような拍動と痛みが残る。痛みと痺れを抑えながら再び構えると、シャーナル皇女は既に先ほどの体勢に戻っていた。

「もっと強く握り、構えなさい」とシャーナル皇女が助言を投げかけてくれる。


 ――また来る――


 私は構え直し、再度の攻撃に身構える。僅かに時が止まっていたように感じた。何処を見ればいいのかわからない。相手の目の動きなのか、剣の切っ先なのか、それとも脚か。考えを巡らせていると再び向かってくる。今度は身構えていたこともあり反応自体はできた。


 しかし――……


「きゃぁっ!!」


 金属の響きあう音だけが耳に残る。気づいたときには私の持っていた剣がまた転がっていた。力の差が違いすぎてまるで相手にさえならない。私を相手取るよりも、大木を打って練習しているほうがマシなんじゃないかとさえ思える。それほどまでに私はひ弱で非力だった。ただの王族のお嬢様という印象しかなかったが、シャーナル皇女は剣術も強かった。痛みを堪えて、再び拾いに戻ろうとすると「もういいわ」とシャーナル皇女に止められる。


「力量に差があり過ぎるわね。見ている人間からしても気分の良いものではないし、相手をさせて悪かったわ。ごめんなさい」


 剣を回収しシャーナル皇女はその場を後にした。ただ、去り際にふと立ち止まって言い残す。


「恐怖を味わいたくないなら、強くなりなさい。戦乱の中ではたとえ女であっても、生きる術を知っていないと、ただ―……」


 途中まで言いかけると彼女は鼻で笑う。そして「また明日、この時間に来なさい。いいわね?」と冷たい声で明日も鍛錬に来るようにと仕向ける。ビクビクしながら震える声で私は答えるしかなかった。イエス以外の答えを返したら、今度は本物の剣が飛んで来そうで怖かった。


「あの人が恐怖そのものだよ……」


 彼女が立ち去った後、月の光が照らし出す暗がりの中でぼやく。砂埃を払い、なんだかやられ損をした気分になった。多分剣術を教えてくれるつもりなのだろうけど、今の私からしてみたら、一方的に打ち込まれたようにしか思えない。立ち上がって身なりを整えていると、鍛錬場の陰からラインズさんが顔を覗かせた。


「悪かったな、こんなところに呼び出したりして。まさかシャーナルのお嬢が一緒だとは思って無かったから」


 シャーナル皇女にセルバンデスさんを伝って、呼び出されたのかと、思っていたけれど違ったようだ。こんな夜に何をするのだろうかと、疑問に思いながらついて行く。するとドラストニアの国旗が掲げられた円卓とは違う、軍の会議室のような場所へと案内された。周囲には鎧や槍などの武具が飾られており、その中央でセルバンデスさんが待っていた。


「お待ちしておりました。どうぞこちらを―……」


 渡されたものは龍のレリーフが彫られたペンダントに細剣と指輪であった。ペンダントの中にはドラストニアの王族の証明とされる紋章が刻み込まれていた。裏側には私の名前でもある『リズリス・ベル・ドラストニア』とも掘られていた。指輪には見たことの無い文字が刻み込まれており、ラインズさん曰く聖堂で受けた加護の力が宿っているそうだ。


「わぁ! 凄い綺麗ですね!! つけてみてもいいですか?」


「勿論」とラインズさんが答える。ペンダントは非常に軽く、肌の心地も悪くない。指輪のサイズも少しゆとりのある程度のものでありすぐに外れるという心配もなさそう。

 そして細剣は先ほどの訓練用のものとは異なり、簡素な造形ながら磨かれた金の装飾が美しく輝き立派なものだ。先ほど散々な目に遭っているため、受け取る際にほんの少しだけ躊躇ってしまう。すると一部始終を見ていたラインズさんにそのことをからかわれてしまった。


「さっきのシャーナル嬢との鍛錬がトラウマになったのか?」


「むぅ……見てたのなら止めてくださいよ」


 セルバンデスさんは何のことやらと疑問符を浮かべていたけれど、私が濁して別の話題を振る。


「でもどうしてこれを私に?」


「いずれ国外でも飛んでもらうことがあるからな。そいつは一応、王家の証でもあるから絶対に無くすなよ」


 これで私は外を自由に出歩くことが出来るようになったらしい。いつかは勉強として国外のことも見て回らなければならない。そのためにも今はセルバンデスさんとの勉強会でしっかり予習をしておくように言われ、少し顔が引きつる。

「また勉強ですかぁ……」とぼやくと二人は笑っていた。


「今回見させて頂きましたが、ロゼット様は飲み込みが早く十分に素質はあるかと思われます」


 勉強は得意ではなかったけど、セルバンデスさんに誉められ、ちょっと嬉しく満更でもなかった

 そしてラインズさんが続けて、他にも用件があると促す。


「そういえばお前に会わせたい人がいるんだ」


 ラインズさんがそう言って、私たちが入ってきた扉を開ける

 すると白と黒で合わせられた鎧と衣類を身に纏った長身の男性が歩み寄ってくる。透き通った漆黒の髪に整った顔立ち、力強くも優しい眼差し。牢獄にいた時とはまた違った雰囲気。けれどもあの時見た威風堂々とした風格。騎士とはまた違った彼の姿を見て言葉を絞り出すのに、少し時間が掛かってしまった。


「紫苑……さん?」と私が驚いた様子で声をかける。彼は優しく私に微笑みかけて、私はラインズさんの方を見て無言で訊ねる。


「俺がこの国に残って欲しいと頼み込んだんだ。アズランドとドラストニアを繋ぎ止めようと働きかけてくれていたこともある」


 加えて彼は笑みを溢しながら「何よりこの国じゃちょっとした人気者でもあるからな」と笑いを誘うように言う。


「紫苑殿を失うということはなんとしても避けとうございました。やむなく牢に繋ぐようなことしてしまい、どうかご容赦を」


「とんでもございません。私一人の力では止めることも叶わず、支えてくれた配下の者達のおかげで被害も抑えることができました。アズランドにいようともこの国のために尽くすことが、私の意思でございます。そして今は亡き父の意思でもあったと思っております」


「このような寛大な措置をとっていただき、身に余る光栄です」


 深々と頭を下げて、彼は感謝をしていた。


「しかし、いつの間に紫苑殿と交流がおありに……」


 セルバンデスさんの言葉に少し動揺し、狼狽える。ラインズさんの方を見ると、なぜか笑顔を見せながら彼は視線を外した。


「良いじゃないか。これから国の柱となる紫苑とロゼット嬢に面識があるなら話は早い。今後紫苑を護衛に就かせることもあるし、信頼関係が構築されてるならこっちは大歓迎さ」


 ラインズさんは話題を逸らしつつ、私たちの門出を祝うという意味を込め、改めてお互い挨拶をし合うよう提案する。紫苑さんは私に向き直り跪く。


「数々のご無礼をお許しください。この天龍紫苑、一命を以って皇女殿下にお仕えし、この国の盾としてお守り致します」


「願わくば、殿下と共にいられる『権利』をお与えてください」


 牢獄でのやり取りとは逆転し、紫苑さんも私が緊張しないようにちょっとした遊び心で気を使ってくれた。


「そ、そんな大げさにしなくてもいいんですよっ!! 私なんてポンコツで全然頼りないですけど……」


「こんな私でも宜しければ、私からも……お願いします」


 こんな大人の男性から『皇女殿下』と呼ばれ、跪いてお願いをされることなんて私の現実じゃありえない。少し恥ずかしくもあり、嬉しくもあり、申し訳ないという気持ちもありいろんな感情が入り混じってちょっと反応に困ってしまう。

 でも何よりも紫苑さんと一緒にいられるということが嬉しかった。顔は熱く、表情は真っ赤になっていたと思う。それでも紫苑さんは優しい笑顔を向けてくれて、自分の身体も熱くなり緊張していくのがわかる。


「私のほうこそ、紫苑さんと一緒ににいられる『権利』を頂いてもいいですか?」


 そう返すと紫苑さんは一層深く頭を下げて答える。馬車で出会い、牢獄でお互いを知った私たちは初めて交わしたときの『言葉』によって繋がれたのであった。



 ◇







 翌朝、ロゼットはメイド服に着替え仕事へと向かう。自室付近の廊下に差し掛かった時だった。ふと目に入ったアンティークの姿見。


「あれ……こんなものあったっけ……?」


 少女は思わず足を止めて観察してみるが、少し古そうな外観以外はただの姿見でどこもおかしな部分はない。身なりを少しだけ整え髪を弄っていたら、ふと現代の図書館でのことを思い出す。もう一度見れるかもしれない。もしかしたら『戻れる』かもしれないと目を強く閉じて、少し間を置いてから再び開く。


「……なわけないよね」


 淡い期待も虚しく、そこに映っていたのは普段のロゼット自身。彼女は少し落ち込んだもののすぐに気を取り直して、足早に仕事場へと向かう。パタパタ走り去っていく彼女の後姿が鏡には映し出されている。


 はずなのだが―……鏡に映った『少女』が立ち止まり、こちらを振り返る。


 少女は確かにロゼットの容姿をしていたが、映し出された左目は紅く輝いている――……。

 その輝きは全てを取り込むかの如く、深くそして怪しく煌めいているだけだった。


 ―王国ドラストニア編 END―

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