episode1『王国ドラストニア』
第3話 それはまるで『アリス』のように
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情景が駆け巡る――。まるで空を舞うようにして空と雲が映し出される。どこの空なのか、どうして飛んでいるのか、それともこれはただの夢なのか私にはわからなかった。自分の意志に関係なく、視界は上空から地上へ向かって降り立っていく。厚い雲の層を抜けていき、地上が見え始めるとそこは新緑の大地。
美しい大地とは裏腹に大勢の兵士たちが激突し合う様を見ていた。ぼやけていた視界が段々と鮮明になり、そこが戦場だと気づく。怒号と鉄の打ち合う音。剣や槍で斬られ突かれる生々しい音、大砲の轟音が響き煙に火薬の匂いが混じっている。その中で、走り抜ける一人の青年男性が白馬に跨り、大勢の兵士に単騎で果敢に突き抜けていく。まるでパパのような綺麗な黒の長い髪を束ね、端麗な顔立ちにも関わらず、その表情は戦場を駆ける姿は戦士、いや騎士と呼ぶのがふさわしく勇ましかった。
騎士は敵と思われる兵に囲まれ、ここが彼にとっての敵陣。そこへ一人で乗り込んだのだと私は理解する。
「アズランド軍所属の天龍紫苑、ドラストニア王家との停戦を求め馳せ参じました。何卒、お取りつぎを」
たった一人で話し合いの場を設けるためだけに死線を潜り抜け危険を冒し、やってきたのだった。なぜそんな危険なことをしてまでやってきたのか。理解も追いつかずに考えていると、陣の中から小さな影が彼の元へと歩いてくる。兵士達と比べて異様な背の低さ、頭巾を被っておりどんな容姿をしているのかはわからなかったけれど、どこか寂しさを持った
「天龍将軍、お待ちしておりました。このままでは内戦にまで発展しかねます。すぐに全軍停止の呼びかけに協力していただけませんか?」
「そのつもりで参りました。ですが王家からも呼び掛けて頂けなければアズランドも聞き入れてはくれないでしょう。無礼を承知での頼みます、どうか陛下への謁見を」
紫苑と名乗る将軍が頭巾の男性に対して跪いて懇願をするけれど、彼はなぜか渋るように唸って見せるだけだ。こんな戦争になっているのに……王様と会うことが出来ないことに何か事情でもあるのだろうかと考えていると、戦場の声が一際大きくなるのに気づく。
紫苑将軍が敵陣を突破してきたことに呼応し、彼の所属するであろうアズランド軍と思しき軍勢が勢いを増している声だった。それと同時に陣の奥から仰々しくやって来る一団の姿。栗色の美しい髪に鋭い目つきが印象的だったが、その輝きは私の同じ碧を宿している。簡素な鎧に身を包み、兵を引き連れて紫苑将軍を拘束するように命じたのだ。そんな彼女の命を制止するように頭巾の男性は訴えかける。
「お待ちくださいシャーナル皇女殿下! アズランド軍が停戦を求めてきた将軍の行動を利用してのことなのは目に見えてお分かりでしょう? 彼ほどの人物を捕えるなど……何卒ご再考を」
頭巾の男性の訴えを制止し、シャーナル皇女と呼ばれた女性は彼に鋭い視線を向けて言い放つ。
「この男は王家に刃を向けた家紋の人間。王家に刃を向けるということはすなわち、王国と国民に刃を向けることと同義。その意味が分かっていて尚もアズランド家に仕えていたのでしょう、天龍将軍」
「それはアズランド家を説得するためでは…!?」
疑いの目を向けるシャーナル皇女、それに対してフードの男性は将軍がアズランド家の説得に動いていたためだと彼女の説得を試みるが、動いたのは紫苑将軍だった。
「いえ……申し開きの言葉もございません。事実は事実です。たとえこの場で首をはねられようとも、それでも停戦の意志を示したく赴きました。覚悟の上です」
彼の目は真っ直ぐで強く、そして静かな意志の強さを感じさせるもの。とても裏切り者と呼ばれるような人には見えなかった。まるで私まで心を動かされてしまうような、そんな感覚に陥る。陣では一瞬の沈黙の空間が広がるがその直後戦場の声が変わったように聞こえてくる。アズランド軍の勢いに対してドラストニア軍が盛り返したのか、彼ら側の陣営で歓声にも似た声が沸き上がり、陣から戻ってきた人物が将軍の言葉に水を差した。
「陛下は亡くなられた」という一言で紫苑将軍は唖然としていた。声の主はシャーナル皇女とは対照的に褐色肌に赤色の髪を持つ容姿の男性。年の瀬は紫苑将軍と同い年くらいに感じる青年。
「……陛下不在で……? では今は誰がこの軍の指揮を……?」
紫苑将軍は驚嘆混じりに訊ねる。褐色の男性が自分だと答えるが、続けて更なる波乱を巻き起こす言葉を残した。
「いつまでも陛下不在という訳にはいかない。今は俺を含めた四人の内から王位継承が協議されているところだ。いや……最後の一人『五人目』が集まってからだがな」
王位継承とその『五人目』の存在を示唆したところで私の記憶はなくなっていた。長い夢のような、映画のようなものを見せられて、何がなんだかわからなかった。あの本と鏡のせいなのだろうかと考えるけれど、すぐにどうでもよくなってしまった。今はただ眠りたい。その欲求に応えるように深い眠気が私の頭の中で広がり視界は暗闇へと消えていく。ただ紫苑将軍のその後だけがどうしても気がかかりだった……。
◇
眩い日の光が差し込んでいるのに気づき目を覚ます。目をこすってぼやけた視界、覚醒しきっていない頭のまま身体を起き上がらせる。徐々に頭がハッキリしていき自分がどこで眠っていたのかということに気づくいた途端周囲を見渡す。
「……っ!!」
目を開けると見慣れない木造の部屋、草木の香り、そしてベッドの軋む音。全く見に覚えのない場所で私は眠っていた。
「え……どこ…?ここ。というか図書館で本を見つけて…」
慌ててベッドから離れ、外を目指して出口を探し回る。周囲の家具、戸棚、収納スペース、テーブルに椅子、何から何まで使い古された物で随分と古い時代にあるような、どこか趣きのある風景にも見える。突然のことに動揺しながら、慌てて外へ出てみる。
周囲には草木と緑が生い茂り、川のせせらぎ、鳥の囀りが響き渡る。まるでどこかへ飛ばされてしまったかのような、自分のいた世界とは全く異なった場所へと来てしまっていたようだった。
「あれ…? ほ、本当にここはどこなの…!?」
美しい風景を前にしていても感じたものは焦りと恐怖にも似た、得体のしれないもの見たときの不気味な感覚。風景だけを見ると自身の故郷のことを思い出すが、僅か数分前までは現代日本の図書館にいた。それとはまるでかけ離れた風景がいきなり目の前で広がっているとなると話は別である。
頭の中は混乱して理解がとても追い付いている状態ではなかった。ここが何処で――どうしていきなりこんな場所に来たのかそればかりを考えて、帰りたいという強い気持ちだけが沸き上がる。
「ど、どうしよう……帰りたい」
絶望に打ちひしがれ、その場にへたり込んでしまう。そんな私の元に警戒するように近づいてくる小さな白い物体。それは少し体を震わせながらも私に興味を持っているのか、口元を小さく動かしてじっと見ている。そのウサギの子供が私の今の心情を物語っているようにも見えた。私も恐る恐るウサギに触れようとすると驚いて森の中へと走り去っていく。気になってしまった私は気づくと、身体が動き出し森の中へと入っていた。
ウサギを探しながら周囲を見渡すけれど、見たこともないような森林地帯という印象。動物の鳴き声が響いたところで途端に怖くなって元の小屋へと戻ろうとした時、黒い影が目の前に飛び出してきた。
その黒い影、大きな狼のようにも見えた。私が森にやってきて騒がしくしてしまったから怒ってやってきたのかと思い、腰が引けながらも逃げようと後ずさる。狼もそれに合わせて一歩二歩と歩み寄ってくる。時折、白い牙を剥き出しては蒼く鋭い目を向けて私のことを警戒している。狼から視線を逸らせば、きっと食べられてしまうと思い、そのまま目線を外せずに後ずさる。けど目の前の狼に意識を向けすぎてしまい、派手に尻もちをついてしまう。
驚いた狼が姿勢を高くしたところで恐怖に負け、目を強く閉じてしまった。すると一発の乾いた銃声が響き、同時に狼が警戒心を銃声の鳴った方へと向ける。
やってきたのは三人の男性、狩人なのか狩猟銃に似ている銃で狼への向けて銃弾が飛び交う。流れ弾を避けるため、頭を守るように抱えて地面に倒れこんでやり過ごす。僅かに目を開けてその様子を見ていたけれど、狼は軽々と銃弾を避けながらその場を走り去っていく。狼を逃がし、小さな舌打ちをする三人の狩人。突然のことに困惑してしながら恐る恐る顔を上げる。手を差し伸べて無事を確かめる男性の一人に軽く会釈。
「あ、ありがとうございます」
彼らの姿をまじまじと見ると現代のような身なりではなく、明らかに時代の異なる古い衣類に身を包んでいた。
彼らにここがどこなのかと尋ねるが、アザレスト森林地帯という聞いたこともない地名が返ってきた。そもそも日にちや今年が何年なのかも全く異なった回答が返ってくるばかりだ。困惑する私を他所に男性の一人が私の身なりを見回しながら、安全な場所へと連れていくと提案をする。知らない人について言っちゃダメとはママにもよく言われてたけど、場所も何もわからない、他に頼れそうな人もいない。さっきの狼にまた襲われたりしたら今度こそ命がないとも思い、警戒しつつも彼らについていくことにした。森を進む間、軽い談笑を交えていたけれど、私が警戒していることに気づいて和らぐように会話を振ってくれる。正直こういうのが一番反応に困ってしまう。相手のこともよくわからないし、知らない三人の男性に囲まれるような状態で安心してほしいと言われても無理な話だ。
森を抜けてたどり着いた先の林道では馬車が待っており、何やら檻に入れた生き物を運び出そうとしていた。私たちに気づいた馬車の主と思われる少し肥えた男性が近づいてくる。
「遅かったじゃねぇか、さっきの魔物はどうしたんだ」
「駄目だ逃げられた」と三人の狩人の内一人が答える。「何やってんだよ」という怒気の混ざった声色で馬車の主が小言を言う。しかし狩人の一人が私を前に突き出し、「こいつを売れば足しくらいにはなるだろう」と言い放つ。振り返って狩人の顔を見上げると「悪く思うな」と言わんばかりの表情をこちらに向けてくる。
「え、ちょっと……どういうこと」
私が問いかける前に肥えた男に引き渡され、彼も溜め息をつきながら私を品定めするように見回す。
「辺境でこんな上物よく見つけたと言いたいが――まだガキじゃねぇか。仕込むのと金になるのに時間掛けろってか」
「けどどう見たって傷物じゃないし、金持ちなら買ってくれるって」
何やら下衆な会話に聞こえる。私を売り飛ばすだのなんだのと、勝手に話を進められ不安だけが膨らんでいく。男に手を掴まれて馬車へと連れていかれそうになり、必死に抵抗をする以外になかった。
「イヤァッ…! 放してぇ!!」
こんな訳のわからない状況で助けてもらったと思っていたら、今度は売り飛ばされそうになる。とにかくここから脱するために抵抗してみせるが、頬に強い衝撃を受けて倒れ込む。
「一々喚き散らすんじゃねぇクソガキが!! 金にならねぇなら、てめぇから今すぐバラして豚の餌にすんぞ!!」
熱くじんじんとする頬、擦りながら涙目で震え、肥えた男を見ていた。今まで大人の男の人にこんな乱暴な扱いと言葉をぶつけられたこともなかったため、恐怖で震えて泣き声すらも上げられなかった。再び腕を強くつかまれて引っ張られていく。小さく抵抗すると髪の毛を掴まれて馬車まで無理矢理引き摺られ、振り返ると先ほどの狩人達がお金を受け取って喜んでいる様子が映る。悔しさと悲しさで胸がいっぱいになって涙が溢れる。けれど彼らの歓喜の声が突然怒声に変わった。同時に微かにだが蹄の音が段々と近づいてくる。それがやがて大きくなり、馬車の走る音のように聞こえてくる。
「ヤバイ! 王都軍の連中の護送車じゃねぇか。なんでこんな日に限って…」
狩人の一人が逃走の準備を促すと馬車の主は「おい! さっさと発車準備させろ」と仲間に指示を出す。
「王都……軍?」
王都と言われて直感的に夢で見たドラストニア軍とアズランド軍のことを思い出す。助けてもらえるかもしれないという僅かな希望が持てたが先ほどの馬車主は私を乱暴に馬車へと押し込んで馬車に繋がれた手錠を付けられる。馬車の中の檻にはいろんな見たこともないような生き物、先ほど話していた魔物が閉じ込められていた。
彼らの焦燥の声が良く響く中で慌ただしく逃走の準備が行われていたがそんな彼らに気づいた王都の軍一行が徐々に速度を上げてこちらへ向かってくるのがわかる。
焦った狩人の一人が遂に銃撃を開始。それにつられるように他の男達も銃撃を始めて、スタートの合図と言わんばかりに馬車も走り出したために王都の軍に向かって私は大声で助けを求めた。こんなに力いっぱい叫んだことがないというくらいに声を張り上げて。後方で銃撃音は長くは続かず、すぐに馬車は怒涛の勢いで追いついてくる。
「嘘だろ!? もう追いついてきやがったのかよ!!」
馬車主の声をかき消すほどに大きな音を立てて、王都軍の馬車は迫ってくる。軍の馬ということもあって、力強く屈強な躯体に対してこちらの馬はわずかにやせ細っており不衛生な印象を与える容姿。見ていてもすでに勝負がついているような状態、馬車が追いつくのもあっという間の出来事であった。馬車主の仲間たちが銃を取り出して銃撃を始め、王都軍も応戦。弾はこちらに向けられてはいなかったものの怖くなりその場でかがみながら、時折恐る恐る顔を覗かせている、すると王都軍の馬車からこちらへ飛び移ってくる影が目に入る。どこかで見覚えのあるその影は飛び移ると、武器も無しに馬車主たちを瞬く間に素手と体術を以って、次々と制していく。銃を持った相手なのに臆する様子も全くなく、ただただ倒していく姿は勇敢そのものだった。そんな彼の雄姿に呆けている私の元へ逃げてきた馬車主が刃物を突き立てる。人質に取られてしまい彼も動きが止まり、鋭い視線を向けてにじり寄る。馬車主は何度も脅し文句を叫ぶが彼は黙し、ただじりじりと前進していたかと思うと馬車主が僅かに見せた一瞬の隙を突き、刃物を取り上げてねじ伏せた。拘束し動けなくしたところで私に歩み寄り、優しい笑顔で無事を確かめてくれる。
「大丈夫ですか?」という彼の優しい声に私は思わず吐露した。
「紫苑…将軍…?」
私の言葉で彼も顔つきを変え、今度は驚いた表情を見せたが馬車が大きく揺れた。御者を失った馬が暴走を始めたので急いで御者席へと向かう。御者席へ座ると馬を落ち着かせるために手綱を握り、制する紫苑将軍。揺れる馬車の中で彼にしがみついて必死に堪える。激しい揺れが徐々に収まっていき、やがて停止すると王都軍と思われる鎧で固めた兵士達が駆け寄ってくる。
その中で見覚えのある姿を見かける。頭巾を被った彼は私の元へとやって来るや否や、すぐに保護するように兵士達に指示を出す。私はというと紫苑将軍のことが気になって彼に目をやるとすぐに手枷をかけられて彼は王立軍馬車の後方へと連れていかれる。
「え、待ってください! 彼は私を助けてくれたんですよ!?」
私の疑問を無視して兵士たちは彼を連行。訴えを窘めるように錆声で頭巾の男性は私に耳打つ。
「ロゼット・ヴェルクドロール様であらせられますか?」
「そ、そうですけど……えっと、どうして私の名前を?」
事情を訊ねるが説明は王都に到着した後にとのこと。何やらと慌ただしい様子で私を探していたみたいだけれど、ここがどこなのかもわからない私をどうして探していたのか、疑問が残る。人違いなのではないかと訊ねても、彼らの探す『ロゼット・ヴェルクドロール』の像は私に合致するものばかりであった。不信感を抱きつつ、先ほどの狩人達とは違い王都軍と呼ばれてる上、頭巾の男性と紫苑将軍のことは信用できた。
ただ彼がなぜ連行されている状況なのか、いくつか気になる点はあったものの、見知った存在がいただけでも安心感のようなものを感じ、付いていくことを決める。不安が拭えたわけでもなかったけれど、ほかに頼れるものがない私にそもそも選択の余地はなかった。
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