心霊現象たちは今日も饒舌に語りかける
世間亭しらず
三題噺「水子」「東京メトロ」「がんもどき」
・あらすじ・
仕事に疲れた冴えない社会人である女は仕事帰りに水子の霊に取り憑かれてしまうのだが……。
『おっぱい!おっぱい!おっぱい!』
ちょっと黙ってろ。
===
かつて死人は棺桶に入れられ地面の底へと葬られたものだけれど、今や人は自ら地下へと潜り、都市へと出向く。
一日の終わりに精気の果てた風体の人々を詰め込み走る東京メトロはさながら生屍の棺桶のようだ。
同じく疲れた死人と化し座席深くに沈み込みながら、私はふとそんな事を考える。
例えこの人ごみの中に本物の死人が混ざっていたとしても、決して意識をしてはいけない。
声を掛けるのは勿論、見るのも、避けるような仕草も『彼等』は敏感に察知する。
――だから今。網棚の上からじっとこちらを見下ろす赤ん坊にも、反応してはいけないのだ。
だけど遅かった。なんとなしに顔を上げた瞬間、明らかに異質で異常なこの存在と目が合ってしまった。
質感のない肌に丸く浮かぶ二つの目を真っ直ぐに私の胸へと注ぎながら、赤ん坊はその小さな口を開いた。
『いや~、ねぇちゃんええおっぱいしとるべ』
私はとりあえず無視する事に決めた。
◇◇◇
気が付いたら取り憑かれていた。
なんで家までついてくるの。迷惑なんだけど。
『そらおっぱいには、ろまんとえいようがつまっちょるからだべ!』
意味が判らない。
『まいにちおーぜーのねぇちゃんみてきたべが、しんでこのかたこんなにええおっぱいみたのははじめてだべさ。ちょっといっぷくすわせてもらってええだべか?』
黙れ。
近くにあったがんもどきをセクハラ乳幼児の口に押しこむ。今日の夕飯のおでんの具だ。生きてる赤ん坊に真似してはダメ。絶対。
『ん!? なんだべこれ!? ものすんごくうまいべ!?』
がんもだよがんも。
『もいっこたべたいもいっこ!! がんももいっこ!』
今ので終わりだよ。
『がんも! がんも! がんも! がんも!』
あぁうるさい・・・。
胎児や、産まれて間もなくして亡くなった子供は水子と呼ばれる。
時たまこうして現世をうろつく子供もいるけど、大抵があの世へ行けない単なる迷子だったりする。祟ったり呪ったりしない、元々まったく害のない幽霊だ。
で、あんたはあんな網棚の上で何やってたの?
『あそこにいると、いろんなおっぱいをみおろせるんだべ!』
再び赤ん坊の口にハンペンをねじ込んでやる。
『はんぺん! はんぺん! はんぺん! はんぺん!』
更にテンションを上げる結果になってしまった。幽霊のくせして元気すぎるだろ。
あんたこの世に未練とかでもあるの?
『おっぱい!! がんも!! はんぺん!!』
ちっさい悩みだな。
まったくただでさえ仕事で疲れてるってのに。しょうがない、このままだと私の夕飯が無くなるし、何とかしてやるよ、ほらついてきな。
『がんもくれるべか!?』
途中のコンビニで買ってやるからはよ来いガキンチョ。
◇◇◇
辿り着いたのは町を離れてしばらく歩いた道端にある小さな祠。
風雨を避けるだけの簡素な祠の中に、一体のお地蔵さまが鎮座している。
『なんだべこれ?』
お地蔵さまだよ。お地蔵さまは子供の守り神なんだ。現世に生きる子供を見守って、成仏できない子供を正しい場所まで導いてくれる。
『・・・・・・』
ざらりと冷たい石の像だけれど、お地蔵さまの顔は慈愛に満ちた表情を浮かべている。その表情に吸い寄せられるように、赤ん坊はふわりと祠へ近づいていく。その紅葉のような小さな手が触れた瞬間、お地蔵さまからまばゆい光が溢れ出す。
お迎えが来たみたいだよ。
一度だけ、赤ん坊がこちらを振り返る。安心出来るように微笑み返してやる。
大丈夫。行っといで。
『またな、おっぱいねえちゃん』
はよ行け。
そして。やさしい光に包まれながら、赤ん坊は姿を消した。後には何の変哲もないお地蔵さまが道端にひっそりと立つばかりだ。
先程までの賑やかさも相まって、この場を支配する無音に僅かばかりの寂しさを覚える。
私は買っておいたがんもどきとハンペンを袋から出しそこにお供えをした。名も知らない赤ん坊の、安らかな成仏を願って。
現世で何も罪を犯さず、誰も恨むことなく旅立った水子の魂は清らかで、すぐに輪廻して新しい生を生きる事が出来るそうだ。ただただ無垢で無邪気な霊、それが水子だ。
あの赤ん坊もお地蔵さまに導かれて無事あの世へ行っただろう。
次の人生では沢山騒いで、長生きして、がんもどきいっぱい食べろよ。
……またな。ガキンチョ。
おしまい
三題噺「水子」「東京メトロ」「がんもどき」
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