第十五話:暗殺者は新商品を開発する

 いつもなら、本部へと顔を出す時間だが新店舗の準備に集中している。

 家で記憶を頼りに、この世界にはない化粧品を作っていた。

 レシピはうろ覚えでも、化学知識があれば効能から逆算できるし、作ったことがある。

 昔、母が辛そうにしており、なんとかしてやりたいと作ったのだ。

 トウアハーデの領地で作ったときよりも多くの材料が手に入るのでレシピを改良する。

 朝のうちに試作のために必要な材料の一覧は作れた。

 バロール商会の調達部門に頼めば、明日の夕方には材料が届くだろう。


    ◇


「明日の夕方には届く、そう思ったんだがな……」

 昼過ぎには試作に必要な材料が届けられていた。希少な材料もあるのに。

「バロールからの急げというメッセージと考えるべきだ」

 バロールのことだ。試作品のために材料を要求したと知れば、すでにどんな店舗にするか青写真はできていると判断し、明日には呼び出して話を聞こうとするだろう。

 あの人は行動と決断が早い。完璧なものを仕上げ、入念な準備をしてプレゼンをするより、形だけでもいいから物を作り、口頭でいいから一秒でも早く話を聞かせろと言う。

 そうすれば、ダメなアイディアの場合はすぐに没にして次に行けるし、有望だと判断すれば、こちらが商品開発をしている間にバロールがバックアップ体制を整えられる。

「……やり手の商人は怖いな」

 早速、取り掛かる。材料は、たった今届けられた最上級のオリーブオイル、水質が軟水の地下水、各種ハーブから抽出された香りがいい精油と多種多様な薬草だ。

 これらを加工し、混ぜ合わせることで完成する化粧品こそが俺の作る目玉商品。

 当然ではあるが、オリーブオイルと水は普通なら混ざりあわない。

 それを混ぜ合わせるために、ちょっとした化学知識と別に用意した材料を使う。

 さあ、作ろう。ハーブと薬草の組み合わせで無数にバリエーションができる。香りと薬効のバランス調整が難しい。今日一日では最善のものを作れないが、明日までに比較的優れたものぐらいは作れるだろう。


    ◇


 翌日、バロールの指定した時刻に本部の商会長室へと足を運んでいた。

 昨日のうちにバロールに新店舗の主力商品の試作品が出来たので話をしたいと連絡をしており、必ず奥様を連れてきてくれと頼んでいる。

 俺が部屋に入るなり、バロールはにこやかに会釈し、奥様は不機嫌そうに目を細めた。

 彼女は俺のことをバロールがしように産ませた子だと思って嫌っている。

「僕のために時間を作ってくださり、ありがとうございます。父上、母上」

「イルグは仕事が早いと思っていたが。たった二日で主力商品を用意するとはね」

「わざわざわたくしを呼んでおいて、つまらないものを持ってきたのであれば承知しませんわ。そうでなくても、あなたが嫌いなのです」

 奥様がわかりやすく敵意を向けてくるが逆に好感が持てる。表面上はにこにこして、腹では敵意を向けてくる相手よりよほどいい。

 彼女は顔をスカーフで隠していた。

 俺の頼みで化粧をしないで来たからだ。りな彼女は化粧なしに顔を出せない。

「ご期待に添えるだけのものを用意しました。新店舗の主力製品は化粧品となります」

「それだが、私はあまり気が乗らない。化粧品は質ではなくブランドが何より重視される商材だ。後発で参入するのは厳しい。仮にヒット商品が作れたとしても化粧品の流行はやり廃りが早すぎて長期的な収益は見込めない」

 すべて正しい。さすがバロールだ。

「そうでしょうね。……既存の化粧品であれば。奥様に問いましょう。化粧は女性を美しく彩る。ですが、代償に肌を痛めます。就寝前、化粧をせつけんを使い苦労して落とした翌朝など、化粧と石鹼のダメージで肌はひどく傷ついているのではないでしょうか?」

「……っ、そのことは否定しませんわね。それでも美しくなるために使うのですわ」

 すでに、この世界でも口紅やファンデーション、チークなどというのは出回っているのだが、化粧水や乳液などを使う文化がない。

 つまるところ、飾り立てる発想はあっても、肌を保護し潤すという発想がないのだ。

 化粧水や乳液で皮膚を保護せず化粧をすれば肌が痛むし、化粧を落とす際には石鹼を多く使うことになり、汚れと一緒に必要以上の油分を肌から奪う。

 油分がなければ水分が逃げてしまい肌は乾燥してダメージを負う。

 この地方は空気が乾いており、化粧を多くする女性ほど肌のトラブルに悩んでいる。

「女性の美しさへの熱意には頭が下がります。ですが、悪循環を生んでいることも事実。化粧で痛んだ肌を隠すためにより厚い化粧をすることになり、さらに肌を痛めてしまう。そんな悩みから女性を解放する。これはそういう化粧品です。……乳液と名付けました」

 そう言い切ると、奥様はわずかに身を乗り出した。

 見栄っ張りなこの人は、化粧の弊害に一番苦しんでいることもあり興味津々だ。

 こぎれいな瓶に詰めた乳液を取り出す。

 奥様がそれを手に取り、瓶をあけて手で乳液を軽くすくう。

 化粧水もセットで作ったほうがいいのだが、乳液だけにした。

 日本では化粧水で水分を与え、乳液で保湿するのが一般的。だけど、欧米の場合化粧水は使わず乳液だけ使うのが一般的だ。

 こちらの文化は日本より欧米に近い。何より、化粧水と乳液の両方を使わないといけないとなると面倒だと思われ敬遠されるリスクが高いので欧米式の乳液を作り、乳液だけで完結するよう、水分の割合を多くしつつ、薬効成分を調整した。

「白く濁りねっとりとした液体。これはなんですの?」

「乾いた肌を潤し、潤った状態を維持する化粧品です。化粧とは飾り立て、偽りの美を作るものですが、これは違う。飾るのではなく、肌をいやし、肌を守り、元から美しくするためのものです。使ってみればわかります。顔に塗ってみてください」

 怪しみながらも、美しくなるという誘惑には勝てず、奥様はスカーフを取る。

 そこには連日の化粧と、それを無理に落とすための石鹼、乾いた空気で傷つきひび割れた肌があった。

 再び乳液を手に取り、奥様は顔に塗る。そして、薄く延ばし……目を見開く。

うそみたい。この乳液というのが染み込んで肌が潤っていくわ。肌がすべすべ。こんな肌、何十年ぶりでしょう」

 妻の顔を見て、実際に乳液を手に取ったバロールが口を開く。

「油か……だが、それにしてはあまりにもみずみずしい」

「さすがはお目が高い。瑞々しい油こそがこの化粧品。ただの油を塗れば、みっともない姿になるだけですが、大量の水と肌にいい薬効成分を含ませることで肌を潤し、癒し、その水分を油の力で逃がさないのです」

「これは素晴らしいわ。肌が喜んでいるのがわかりますもの。それにいい香り」

 それはそうだろう。それだけ肌が乾き、油分と水分が抜けきっていれば喜ぶし、この香りは奥様が気に入るものを調合したものだ。

「乳液はよろいにもなります。乳液の上から化粧をしてください。油の膜が肌を守るので、従来の化粧品を使っても肌が痛みにくくなりますし……」

 俺が言い終わるまえに、すでに奥様はかばんから化粧セット一式を取り出し、ファンデーションで肌を白く塗り、チークでほおに赤みを持たせる。

「まあ、すごく化粧がノリますわ」

「肌がコーティングされ凹凸もなくなり化粧がよくノリます。気に入っていただけましたか?」

「あなたのことは嫌いですが、これがいいものだと言うのは認めますわ。この一瓶、私が頂きますわね。それから、後三瓶、いえ、五瓶ほど急ぎ用意しなさい」

 奥様は試作品を鞄にしまう。何を言われても返さないという態度が見てとれる。

「妻が喜ぶのだから本物でしょう。勝算をイルグの言葉で語ってください」

「はい、これは化粧の革命となります。化粧をする貴婦人すべてがこの乳液を必要とするのです。肌を癒し、肌を守るために」

 そこで間を置く。そうすることで次の一言の印象を強める。

「今までの化粧品と置き換えるのではありません。これからは、この乳液を塗るのが当たり前になる。……その価値、バロール様ならおわかりになるのでは?」

 これが乳液を選んだ理由。化粧の在り方そのものに革命を起こす。既存の化粧業界の客を奪うのではなく、新たな習慣を追加する。客はすべての化粧をする貴婦人。

 もうからないわけがない。

「私は化粧というものがよくわかっていない。ミラ、この乳液というもの、友人たちが欲しがると思いますか?」

「これを欲しがらない女性なんて想像がつきませんわ。私、イルグが何を作ろうともあざ笑って、こき下ろすつもりでしたの。でも、これを手にしてそんな考えは吹き飛びました。乳液を手に入れるためなら、この娼婦の子だって息子だと言いましょう」

「そうか、それほどか……」

 バロールは目を閉じ、熟考する。ゆっくりと息を吐き語り始めた。

「であれば、バロール商会は全リソースをつぎ込んで勝負をかけましょう。ミラ、友人たちに乳液を配ってうわさを広げてください」

「私の友人は多いですわよ?」

「ミラ、商品が続く限り、使わせて噂を広めてください。渡すのは一人一瓶。二瓶目を欲しがれば、商会で発売予定だと断ること。イルグ、一週間でどれほど数を用意できますか?」

「生産体制を整えられないうちは、私一人での作業になるので週に二百ほどが限界です」

「人を雇ってもいいのですよ?」

「製法がばれてもいいのであれば従います。おそらく、乳液を売り出せば即座に他の商会も乳液を売ろうとするでしょう」

「……私としたことが焦りすぎましたね。せめて、ブランドが確立するまでは独占しなければなりません。私が絶対に情報を漏らさないと信用できるものを二名ほど助手につけます。それで出来る限り作り、出来た分だけ私のところに。それをミラが貴族、資産家の夫人を中心に配って広め、上流階級の間で噂を広めましょう。このために、イルグは妻を呼んだのでしょう」

「その通りです。いかに素晴らしいものを作っても、それだけでは意味がない。乳液のようにわかりやすい効果があるものなら、奥様のネットワークを使った口コミ。これ以上に有効な宣伝方法はありませんから」

 商品の価値を認めさせるためにも、それを広めるためにも奥様の力が必要だ。

 新商品は手に取ってもらいにくく、肌に直接使うものであればなおさら抵抗感がある。

 だけど、信頼できる知人が使っていれば自分も使いたくなる。そして、劇的な効果があれば誰かに教えたくなり、噂が広まっていく。

 そこまでして初めて勝てる。素晴らしいものを作っただけでは売れはしない。

 とくに貴婦人を相手にするなら、口コミを広めるのは絶対条件。

「生産体制を作るのに、どれだけかかりますか?」

「一か月ほど。……それともう一つ問題が。瑞々しい油を作るには水と油を混ぜる矛盾を解決する特別な薬が必要になるのです。それはトウアハーデの秘薬で、かの地から仕入れる必要があります。そうですね、一つの乳液を作るのにこれぐらいの値段がかかります」

 乳液の材料、それぞれの想定される仕入れ値を書いた書類を提示する。

「……乳液の想定販売価格を考えると値段は安いですが、トウアハーデは遠いですね」

 俺の内心を探るように、バロールは俺の目を見る。

「それゆえに秘密がばれにくいのです。その薬なしに乳液は作れません。トウアハーデの薬師を呼んで、こちらで作業をさせることも可能かもしれませんが、ろうえいのリスクが増大します。トウアハーデで秘薬を作り続ける限り、秘密を守り抜くこと、そしてトウアハーデに他の商会に薬を売らないと約束させることができます」

「許可しましょう。トウアハーデとの仕入れ交渉はイルグに任せます」

「かしこまりました」

 これは、乳液の製造法を盗まれないための方策だ。

 油と水を混ぜるために使うのは、レシチン。原料は大豆だ。大豆を搾り油を取り出す。

 それをろ過して、不純物を取り除いた後、水を加えてかくはんしていく、油が分離するとペースト状のレシチンができる。

 これこそが植物由来の天然乳化剤となり、水と油を結び付けてくれる。

 乳化剤が作れなければ水と油が混ざらず乳液は完成しない。

 トウアハーデなら情報が絶対に漏れない環境でレシチンを生産できるし、レシチンの存在が他の商会による乳液のコピーを防いでくれる。

 ……もっとも、トウアハーデの利益も考えてのことであり、俺が用済みとして捨てられないための保険でもある。バロール商会にもレシチンの作り方は教えない。

「イルグ、繰り返しますが、この乳液にはバロール商会の全リソースをつぎ込む。成功すれば、あなたはバロール商会の新ブランド代表となり、その名声は世界中に響き渡るでしょう。ですが、失敗すればどうなるかはわかっていますね?」

「もちろんです。必ずや成功させてみせましょう。では、さっそく仕事に取り掛かります」

 主力商品が決まった。バロール商会の全力バックアップも受けられる。

 成功は約束されたようなものだ。このままいけばバロール商会の化粧品ブランドを立ち上げた男としてイルグ・バロールの名にはくが付く。

 それだけの格があれば、暗殺対象の懐に入るのも容易だ。美を求める夫人相手に、超新星の化粧ブランドの代表として売り込みに行けるのだから。

 それだけでなく、バロール商会の新ブランド代表となれば、情報網も流通網も使い放題だし、ばくだいな金額が懐に入る。

 成功は目前だ。このまま気を引き締めていこう。

 ……冗談で暗殺される側になるかもと言ったが、冗談ではなくなった。他の商会が俺を消そうとする、身内の嫉妬、あるいは乳液の製法を聞き出すために拉致しようとする。

 それもいいか。タルトとマーハ、二人にちょうどいい実戦経験をさせてやれるから。

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