第伍話「血ヲ吸ウ鬼」
血ヲ吸ウ鬼・壱
——十月十五日、深夜。東都、八咫烏館前通りで一人の女性の死体が発見された。
名前は鳥見かえ、二十三歳。職業記者。
第一発見者は八咫烏館大家鴉取久郎とその住人である作家の三毛縞公人の二名。
三毛縞の通報によって駆けつけた警官たちはその惨状に目を疑い、息を飲んだ。
血溜まりの中心に倒れていた彼女の顔はまるで白粉を塗ったかのように真っ白だった。死因は一目瞭然、出血死だ。
一見外傷がなさそうに見える綺麗な遺体。だが、その首筋にはまるで鋭い牙に噛まれたかのような二つの穴がぽっかりとあいていた。
警官は第一発見者である鴉取と三毛縞の怪しい風貌を見て、まず彼らが犯人ではないのかと疑いの眼差しを向けた。
通報者ということで事情聴取の名目の元、二人は家に帰ることなくそのまま署に連れて行かれた。
参考人とは呼ばれているが、警察官が彼らに向ける眼差しは明らかに容疑者としての疑いの色が込められている。けれど、現場を幾ら探しても犯人につながる証拠は指紋ひとつ出てこない。
それに被害者が襲われたと見られる時間帯は、二人は仕事で見世物小屋の調査に赴いていた時刻だ。
露草やリリの証言のおかげで二人は現場不在証明がされ、長い長い事情聴取は幕を閉じたのだった。
「……散々だったな」
「まさか三日連続で徹夜する羽目になるとは思わなかった」
東都駅近くにある警察署を出て、八咫烏館まで歩いて帰る二人の様子は明らかにやつれていた。
空は白みがかりもう間もなく朝を迎える頃。連日連夜の寝不足がたたっている三毛縞の目元にはくっきりとしたクマができ上がっている。
「……鴉取、珈琲を飲んでいこう」
「おい、ついに頭がおかしくなったか。まだ店なんて開いている時間じゃないぞ」
スクイアルの前を通りかかると三毛縞は吸い寄せられるように店の方へと足を進めていく。
店に入ろうとする三毛縞を止めにかかった鴉取だが、三毛縞は気にせず扉に手をかけ引いた。
「すみません、まだ準備中——おや、三毛縞さんに鴉取さん」
普段なら閉まっているはずの扉が開いていた。
鴉取も驚きながら三毛縞の後に続いて店の中に入る。するとそこには店の掃除をしている店主がいた。
「どうも、店主殿。すまない、三毛縞が徹夜続きで頭がおかしくなっているようで……また後ほど出直します」
鴉取は店主に頭を下げ、三毛縞の腕を引き店を出ようとするのを店主は引き留めた。
「昨晩は大変だったでしょう。宜しければ入ってください、熱い珈琲お淹れしますよ」
「……もしかして、もうそちらまでお噂が?」
なにが、とも言わずともその一言で全てが伝わった。
店主が苦笑を浮かべながらええ、と頷くと鴉取はその言葉に甘え店に足を踏み入れた。
カウンターの席に座り、店主と向かい合う。開店前の店内はいつも賑わいを見せている場所とは思えないほどしんと静まり返っている。
「開店準備のために早く店に来てみると駅前に野次馬ができたのでなにがあったか尋ねてみたんです。すると八咫烏館の前で女性が死んだというじゃないですか……お二人がご無事か心配していたんですよ」
「それはお気遣い傷みいる。先ほどまで警察に事情聴取を受けていてね……」
「本当にお疲れ様でした。こちら、私からの労いの気持ちです」
鴉取が珍しく軽く着物の裾を寛げた。余程疲れているのだろう。三毛縞に至っては鴉取の隣で力尽きたように机に突っ伏していた。
店主は鴉取から事情を聞くと、心底同情するように暖かい珈琲を淹れてくれた。
香ばしい香りが疲れを解してくれるようだ。
「お疲れのようですし、お砂糖入れますか? 甘くて美味しいですよ」
角砂糖を摘みながら店主は鴉取に尋ねる。
「ええ。是非お願いします」
疲れ果てた体は今すぐにでも糖分を欲していた。
いつもは砂糖を入れずに飲む鴉取も今日ばかりは砂糖を入れた甘い珈琲を飲むことにしたようだ。
「いただきます」
そうして一口啜ると熱い珈琲が腹を温めてくれる。また砂糖の甘みが全身に広がっていくかのようだ。
「鴉取さん、これからどうするおつもりで? やはり探偵としては、事件を追うのですか?」
店主の問いに、鴉取は珈琲カップを軽く揺らしながら口を開いた。
「決まっていますよ。帰って、寝ます」
拍子抜けの言葉に店主は驚いて目を瞬かせる。
「なに。疲れ果てた頭であれこれ考えたところでろくなことにならない。私の助手ももう電池が切れているようですしね……ひとまずお互いしっかりと休息をとって体勢を立て直します」
人間は寝ないと死にますから、と鴉取は隣で死んだように眠っている友人をみながらゆっくりと早朝の珈琲を味わうのであった。
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