隠レンボ・肆

 

「結局なにも怪しいところはなかったな」

「嗚呼。異変も特にはなさそうだ」


 軽食を済ませたあと、菊乃が出ていた茶屋や置屋周辺を見て回っていた。

 茶屋の主人や周辺の人物に聞き込みをしても、怪しい人物は見ていないし芸妓に手を出すような不埒な輩がいればすぐに助けに入るといっていた。

 花街自体も平穏そのもので、鴉取も怪しい気配や異変などを感じることはなさそうだった。


「これ以上探し回っても手掛かりは見つかりそうにないな。日も暮れてきたしとりあえず今日は帰ることにしよう」

「そうだな」


 鴉取が空を仰ぐ。陽が傾き始めた空は茜色に染まりつつあった。


「付き合わせて悪かったな」

「いいや、これも仕事の内だよ。それにいい気分転換になった」


 怪異探偵をしている鴉取の助手になること。

 それが八咫烏館に格安で住む際に大家である鴉取と取り決めた条件だ。しかし原稿で籠りがちになる三毛縞にとっては鴉取との仕事はいい気分転換になっていた。


「それならよかったよ」

「なぁ、鴉取」


 駅に向かって歩き始めた鴉取を三毛縞が呼び止めた。


「よかったら家まで歩いてもいいかい? この辺りの土地勘もつけておきたいんだよ」

「構わないよ。もうなにも予定はないし、いい運動になるだろう。暑さは大丈夫か?」

「ああ。日も暮れて涼しくなってきたからね」


 三毛縞の提案で二人は東都まで徒歩で帰ることにした。

 暑さも落ち着き風も幾分か涼しくなってきた。ひぐらしの泣き声を聞きながら歩いていく。

 四半刻歩くと住宅地にたどり着いた。文明開化で日本国も西洋文化だ浸透しつつあるこの頃だが、やはり民家は昔ながらの日本家屋が多く、和装の住民がほとんどだ。


「それにしても綺麗な夕焼けだな」

「赤い空は綺麗だが、不気味でもあるな」


 三毛縞はふと立ち止まり空を見上げる。

 頭上に広がる茜色の空は恐ろしく不気味なほどに真っ赤に染まっていた。


「そろそろ黄昏時だ。怪異に巻き込まれるならいい頃合いだな」

「おいおい……それは君がいうと冗談にならないぞ」

「くく、それならそれで俺は大歓迎なんだがな」


 楽しそうに口角を上げる鴉取に三毛縞が呆れていると、突然目の前に小さな影が飛び出してきた。


「うわっ!」

「いてっ」


 それは三毛縞の足にぶつかるとどすんと音を立てて地面に落ちる。

 三毛縞が足元を見ると、五つほどの歳の頃の少年が尻餅をついていた。


「ごめんよ坊や。大丈夫かい?」


 三毛縞は慌てて身をかがめ、少年に手を差し伸べた。

 転んだ衝撃で目を閉じていた少年がゆっくりと顔を上げ、三毛縞を捉えた途端恐ろしげに瞳が揺れる。


「ご……ご、めんなさい」


 少年の声は怯えたように震えていた。 

 ただでさえ長身で日本人とかけ離れた容姿の見知らぬ男。そして隣に佇む黒ずくめの怪しい男。恐怖を感じるのも無理はない。三毛縞は苦笑を浮かべながら固まっている少年の小脇を抱え、ゆっくりと立ち上がらせた。


「怪我はないかい?」

「…………うん。どうも、ありがと」

「どういたしまして。僕もぶつかってしまってごめんね」


 見た目に反した三毛縞の優しい声に少年は拍子ぬけた様子で頷いた。そして相手に敵意がないとわかると、少年は照れ臭そうに感謝をのべた。

 すると少年はふと我に帰ったように慌ててきょろきょろと周囲を見回しはじめる。


「何か探しているのか?」

「……うん」


 不審に思った鴉取が少年に声をかける。

 歯切れ悪く答えながらに住宅街をぐるりと見回している少年の表情は不安に満ち満ちていた。


「お兄ちゃんたち、うめちゃんみてない?」

「……うめちゃん?」

「ぼくと同い年のおかっぱ頭の女の子。隠れんぼしてたんだけど、全然見つからないんだ」


 不安げに二人を見上げる少年。鴉取と三毛縞は顔を見合わせた。

 ここにくるまで住宅地をずっと歩いてきたが、すれ違った子供はこの少年が最初であった。


「いや。見ていないよ」

「どうしよう……どこ行ったんだろう……」


 少年はがっくりと肩を落とす。

 隠れている友人が見つからず大人に助けを求めているというよりは、迷子を探しているかのような焦りが伝わってくる。


「……他の子供は見つかったのか」

「みんな見つけたよ。でも、うめちゃんだけが全然見つからないんだよ。そろそろ日も暮れるからみんなで探してんだ」


 少年が指差す方に視線を送ると、五、六人の少年少女がうめという少女の名を呼び懸命に探していた。

 騒ぎを聞きつけた大人達も出てたようで徐々に周辺に緊張感が走りはじめる。


「人攫いか?」

「ぼくたちずっとここで遊んでたけど、怪しい人は見てないよ」


 三毛縞の言葉に少年は首を横に振った。

 考え込むように顎に手を当てていた鴉取がぽつりと口を開く。


「……鬼に食べられたかもしれないな」

「え……」

「おい、鴉取!」


 恐ろしい言葉に少年の目が恐怖に揺れる。

 恐怖を助長するようなことをいうな、と三毛縞が叱るが鴉取は噛み殺した笑みを浮かべるだけ。


「少年。日が落ちきる前に、その少女を見つけないと恐らく二度と見つかることはないだろう」

「ええっ!」


 脅しのような言葉に、少年の顔がみるみると青白くなっていく。


「鴉取、いい加減に——」


 見かねた三毛縞が鴉取を咎めようとしたとき、夕刻を告げる寺の鐘が重く鳴り響く。その瞬間、家屋の屋根に止まっていた鴉ががぁがぁと鳴き飛び立っていく。その瞬間どこからか風が吹き付け周囲の木々がざあと揺れた。


「——寺の鐘が鳴った。黄昏時たそがれどきだ」


 寺の鐘が一度、二度鳴り、地響きのような重低音が木霊する。

 辺りが静まり返った頃合いで鴉取はゆっくりと言葉を紡ぐ。


「黄昏時は僅かな間だが現世と幽世の境界が曖昧になる。別名、逢魔が時とも呼ばれているな」


 全てを見透かすような鴉取の紅い瞳と同じように、空の色はまるで血濡れたような不気味な色に染まっていた。


「……怪異か」


 眉を潜めた三毛縞に、いいや、と鴉取が首を振った。


「逢う魔が時は異界への扉が開くといわれているだけで決して怪異などではない。問題は今子供達がやっている遊びだよ」

「隠れんぼが?」


 隠れんぼは誰もが子供の頃に一度はやったことがある遊び。三毛縞自身もやったことがあるが特に恐ろしいことに巻き込まれた記憶はなかった。

 不思議そうに首を傾げる三毛縞の横で、鴉取は少年を見下ろす。


「少年。隠れんぼは何から逃げ、隠れる遊びだ?」


 答えを求めるように鴉取の紅い瞳が少年を見据えた。

 突然質問を投げ掛けられた少年は戸惑いがちに答えを探す。

 

「……えっと、鬼に見つからないように隠れるんだよ」

「そう。鬼だ」


 鴉取の低い声が静かな住宅街を走る。


「ああ。そして鬼は隠れた者を探す。今頃、鬼が少女を探し回っているだろうよ」

「でも鬼の子はあそこにいるよ」

 

 少年は子供たちがいる方を指さした。その集団の中にいる体格のいい少年が隠れんぼの鬼だったようだ。


「違う、君たちの遊びの中の鬼じゃない。本物の鬼だ」

「……どういうこと?」

「恐らくうめという少女は運悪く隠れんぼの怪異に巻き込まれてしまったのだろうよ」

「隠れんぼはみんなでやってたんだよ! うめちゃんだけいなくなるのはおかしいよ!」


 鴉取の説明に少年は反発する。


「少年、先ほど探している少女以外は皆鬼に見つかったといっていたな」

「うん」

「君たちは怪異に巻き込まれる前に無事遊びを終えられた。だが、最後まで隠れていたうめだけが怪異の中に取り残されてしまったんだ。隠れるという行為は見つかりにくく、時にはこの世からも姿を消してしまう。特に子供はこういう類のものに影響を受けやすいからね」

「……じゃあうめちゃん、鬼に食べられちゃうの?」


 少年は恐怖で震え上がり、隣に立っている三毛縞の服の裾を掴む。


「案ずることはない。鬼が見つける前に、友人を見つければ良い話だ」


 鴉取は平然としたり顔で笑った。


「見つけるってどうやって探すんだ」

「簡単な話だ。今少年達が巻き込まれている怪異に俺たちも巻き込まれればいい」

「まさか……」


 楽しげに笑う鴉取を見て三毛縞は嫌な予感がすると背筋に悪寒を走らせる。


「——隠れんぼをしよう」


 にやりと笑う鴉取に三毛縞はやれやれと頭を抱えたのであった。

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