幽霊屋敷・参


「此処か」


 喫茶店を出て歩くこと十分足らず。三毛縞はとある建物の前で足を止めた。

 大通りから数本外れ、駅前の賑わいが少し遠くに感じる馬車も通りそうにない道の途中に、立派な洋館が建っていた。

 曰く付きの格安アパートというから、心のどこかであばら家を想像していた三毛縞だが、井守は決して言葉を誇張してはいなかったのだ。

 三角屋根に真っ白な壁に西洋の格子窓が並ぶ。言葉通り、綺麗で御洒落な二階建ての洋館だった。

 井守が逃げ出した通り他の住人も同じ道を辿った様で、二階右側の数個の窓以外に日除けは下がっていない。

 洋館を囲む様に連なる煉瓦塀の端には『八咫烏館やたがらすかん』と、アパートにしては随分と厳つい名前の看板が下げられている。

 三毛縞は意を決し、入り口を示す様に敷かれた大きめの石畳を歩く。敷地内は雑草一つなく、植木に花壇、小さな畑もあったりと割とよく手入れされていた。

 三毛縞は注意深く周囲を見渡しながら、八咫烏館の扉を開けた。

 

 扉の向こうもまた美しかった。

 執事が出迎えに現れそうな程厳かなロビー。飴色の木床は艶やかに光っている。

 入って直ぐ、両側に各二部屋ずつ。最奥には二階へと続く木階段があった。

 大家が住んでいるのは二階の一号室だ。長身の三毛縞でも息が詰まることのないほど天井が高いロビーを進み、床を僅かに軋ませながら階段を登った。

 二階に上がり見える扉は三つ。恐らく大家は二部屋分を我が家として使っているのだろう。


鴉取怪異探偵事務所あとりかいいたんていじむしょ


 階段から少し奥まった真っ正面に見える扉に、アパート名と同等に奇妙な名前が書かれた看板がかけられていた。

 この様な怪しすぎる探偵に舞い込んで来る仕事はあるものなのかと、三毛縞は僅かに首を傾けた。


「御免下さい」


 正方形が並ぶチョコレイト色の凹凸の扉。その上部につけられた取っ手金具を数度鳴らし、住民の返事を待つ。


「——どうぞ。空いているよ」


 扉の奥から聞き覚えのある低い声が聞こえた。

 返答からするに勝手に入れとの事だが、名前も名乗らぬ内に入り込ませるとは偉く不用心ではないか。

 一瞬戸惑ったものの、部屋の中から此方に向かう足音は聞こえない。三毛縞は鴉の装飾が彫られたドアノブを捻り、ゆっくりと部屋に入った。

 看板にあった通り、事務所兼住宅の様で一般的な住宅とは異なり玄関はなかった。三毛縞は土足のまま人の気配がする奥の部屋へと向かう。


 扉の向こうは立派な応接室だった。

 扉を背にして左手には大きな絨毯が敷かれ、その上に背の低い長机と、豪華な猫足のカウチソファが対面する様に置かれている。

 一方右手側には壁一面の本棚。その前には重そうな木製の事務机。そして座り心地の良さそうな黒い布張りの椅子に凭れかかり、窓の外を眺めている黒い男がいた。

 格子窓からは三毛縞が先程歩いてきた此処へ続く石畳がはっきりと見えている。恐らく、彼がこの敷地に入ってきた時から様子を伺っていたのだろう。


「こんな所に三毛猫が迷い込むなんて、珍しい事もあるものだな」


 ゆっくりと三毛縞の方を見たのは、黒い和服に身を包み、室内にも関わらず両の手に黒革の手袋をつけた全身真っ黒な男。

 三毛縞の予感はやはり間違っていなかった。鴉の様に全身が黒く、長い前髪に目元が隠され、僅かに見える口元は此方を見透かした様に弧を描いている。紛れもない。学生時代の友人である鴉取久郎本人だった。


「……や、やあ、鴉取。久し振り……だな」


 覚えているか、と三毛縞の声が僅かに震えた。

 なにせ目の前の男と会うのは卒業以来なのだ。間に流れる沈黙がどうにも居た堪れない。

 相手の反応を見ようにも、前髪のせいで表情はあまり読み取れない。意地悪く弧を描く口から言葉が紡がれるのを緊張した面持ちで待つ。


「君は、誰だ?」


 鴉取は机に手をつき僅かに前のめり三毛縞を見つめると不思議そうに首を傾げた。

 その瞬間、三毛縞の心にすうっと冷たい風が吹いた。

 そうか。学生時代のことを覚えていたのは、鴉取に友情を抱いていたのは自分だけだったのか、と途端に寂しくなった。


「あ、えっと……僕だよ。三毛縞だ。ほら、学生時代一緒だった……」


 三毛縞の声はどんどん自信なさげに尻すぼみになっていく。

 これまで本人だと確証していた自信が、みるみると人違いではないのかという不安へと変わっていってしまう。


「もしかして……三毛縞公人か」


 はっとした様に声をあげた鴉取に、三毛縞は嬉しそうに目を輝かせた。

 数年経てば身なりも変わる。最後に会ったのは互いに学生服だ。洋装姿で中々思い出せなかっただけだろう。

 鴉取は背後の本棚から一冊の本を取り出すと、口元に弧を描き真っ直ぐと三毛縞に歩み寄った。


「まさかこんなところで三毛縞先生とお目にかかれるとは。『奇怪』拝読いたしました」


 鴉取は嬉しそうに微笑みながら、握手を求める様に右手を差し出した。左手には、読み古された三毛縞唯一の著書「奇怪」が握られている。


「——読んで、頂けたのですか」

「まるで実体験したかのような描写が如実で鬼気迫るものがありました。満腹とはいかないが、小腹を満たすには最適で……次回作も楽しみにしております」


 鴉取に褒められたことは素直に嬉しかった。

 しかし固い握手を交わしても、結局彼は三毛縞の事を思い出してはくれなかった。

 それが三毛縞は堪らなく悲しく思えた。しかしそれも鴉取らしいな、とそれ以上は何もいわず肩を竦めながら悲しげに微笑んだ。

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