プリンセスにはなれない

王子

プリンセスにはなれない

 ショッピングモールの自動ドアをくぐると、南の島に到着したみたいだった。ガラスを一枚へだてた外側は、天気予報が夜から雪だと言っていたとおり、冷え込みはますます深まり小雪がちらついていた。

 仕事終わりに開いたメールに「急な仕事が入って行けない」と、彼から一報が届いていた。仕事用のパンプスを買い換えるだけだから別に一人でもよかったのだけれど、直前になって短文一つで約束をにされるのは、やはり面白くない。明日は私の誕生日で、今日が二十代最後の日なのだけれど、そんなことは彼の関心事ではないのかもしれない。「花の命は短くて」なんて言葉が、つい頭をよぎる。

 本降りになる前にさっさと済ませて帰りたい。二階に至るエスカレーターに乗った。

 靴屋に入るとすぐ、そのポップは目に飛び込んできた。

 ガラスの靴、九千八百円。

 赤い太字が画面いっぱいに詰め込まれていて、余白の美なんてものは無くて、だからそのポップの下にディスプレイされた透明の靴とは不釣り合いに思えた。ピンヒールのシルエットに、つま先は細くとがったポインテッドトゥ、ヒールの高さは十センチほどだろうか。つるりとしたなめらかな曲線と、気品に満ちたヒール、そして何よりも靴の向こう側に景色の延長が見える神秘は、店頭の展示に足る十分な存在感を放っていた。

 その靴の前で足を止めていると、罠にかかった蝶を捕えるのごとし素早さで女性店員が近付いてきて「珍しいでしょう? ご試着いただけますよ」と言う。

 ガラスの靴を履く自分を想像する。仕事着のスーツ、足だけが輝きを主張する姿だ。なんて滑稽こっけいなお姫様だろうと思う。プリンセスが登場する話はあまり好きではなかった。現実なんて一歩間違えればバッドエンドに直行するシナリオであふれているのに、プリンセスは王子様とハッピーエンドを迎えるのがセオリーだ。都合のいい世界だ。

 でもガラスの靴は履いてみたくもあった。その素材に包まれた足はどんな心地がするのか、ただのお飾りアイテムではないのか、確かめたくなった。結局好奇心が勝って、既に履かせる準備を整えてしゃがんでいた店員に首肯しゅこうしてしまった。

 椅子に座り、壊れたパンプスを脱いでガラスの靴に足を差し入れる。足の裏が捉えた感触は、ガラスとは違うように思えた。安っぽくぺたぺたする。目をらしてポップを改めて見ると『ガラスの靴』の横に小さく『風』と書かれている。私の視線の先に気付いた店員が「アクリル製なんですけど、よくできていますでしょう!」と取りつくろった。買うつもりは無いからそんな気を遣われても困る。「履き心地はいかがですか」と問われ、足をもぞもぞさせてみると、驚いたことにサイズはぴったりで、素材感も悪くない。

「いい感じですね。足にしっくり来ます」

 店員はスマイルで大きく頷くと、立ち上がって両手をハの字にして、口元に当てた。まるで「これから大声で叫びますよ」というように。

「おまわりさーん!!」

 本当に叫んだ。突然の大声に体が縮こまっていると、すぐに紺色の制服と制帽姿の男性が二人、私に向かって来た。この事態を引き起こしたがんきょうの店員は、いつの間に立ち去ったのか姿がなかった。

 何が起きているのか分からないまま、何も抵抗できないまま、店舗の外、買い物客が行き交う通路の真ん中に連れて来られた。買い物客達は、私と、その両脇に立つ紺の制服を視界に捉えると立ち止まって、何事かとこちらをうかがうように遠巻きに眺めている。

 片方の男が無線で「応援を要請します」と告げると、長く続く通路の向こう側から、紺の制服が私に向かってくる姿が見えた。

 終わった。なぜだかよく分からないけれど、もう一人警察が来て三人で私を警察署へ連行するのだろう。ただ、靴を買いに来ただけなのに。いや、プリンセスでもないのにガラスの靴を履いた罰だろうか。それともアクリルだったのがダメだったか。

「お待たせしました」

 警察官は私から五歩ほどの間をとって立ち止まった。その顔は、見知った顔だった。

 驚いている間も無く、突如流れ出した大音量の音楽に身をすくめる。

 警察官の顔を、じっともう一度確認してみたが、やはり、メールで私との約束をふいにした彼だ。制帽を脱ぎ捨て、いつの間にか取り出したマラカスを音楽に合わせて振り出した。

 聞いたことのある曲だった。白い馬を駆る将軍の姿が思い起こされる。その時代劇の主役である俳優が、歌って踊って大ヒットしたあの曲。誰が何のためにそうさせたのか当時も今も謎のままである曲。陽気なリズム、記憶に焼き付く振り付け。曲名には俳優の略名が入っている、あのサンバ。

 彼は弾けるような満面の笑みでマラカスを鳴らす。何がしたいのかさっぱり分からなかったし、できれば夢であってほしかった。

 彼に一人の女性が歩み寄る。さっき私を警察に売った店員だ。彼の横で立ち止まって私の方を向き、彼の表情が伝染したように笑顔で踊り始めた。

 まさかこれって……と一つの可能性が脳裏をよぎると、予想どおり、通路を歩いていた客が一人、また一人とダンスに加わっていく。買い物客ダンサーズを取り巻くように、どこから現れたのか、赤に黄色にオレンジにと派手な衣装をひらひらさせた本場っぽいダンサーも加わる。私の両脇にいた偽警察官たちも言わずもがなだ。

 ショッピングモールの通路で、踊り狂う大勢の人々と、一人取り残された私。

 本当に夢なら早く覚めてほしいと本気で思い始めたとき、曲が終わった。

 静まり返った通路を、彼が息切れしながらゆっくりと私に歩み寄る。おもむろにひざまずき、カラフルなマラカスを二本横に置くと、制服の内ポケットから小さな箱を取り出した。二枚貝のように開けられるふた。その中に指輪がきらめいていた。

「結婚しよう」

「は?」

「えっと、サプライズのつもりなんだけど。結婚、してくれるよね?」

「は?」

 彼の表情に戸惑いが見えたけれど、私はもう我慢ならなかった。

「なんだっけこれ、フラッシュモブだっけ? ちょっと流行ったものを自分でもやりたがる神経が理解できないし、こんな二番せんじ面白いわけがないって気付かない人、寒すぎるでしょ。音楽もよりによってなんでマツ◯ンサンバ? おふざけが過ぎるでしょ。それも振り付けの一つも覚えてきたかと思えば最前列でマラカス振ってるだけとかざまにもほどがある。大勢かき集めれば断られないとでも思った? サプライズだか何だか知らないけど、そんなものに頼って勢いに任せないとプロポーズもできないような男に、どこの誰が自分の人生を預けるっていうの? こういうのは、勝算があるからやるものだよね、絶対成功するものなんだよね。だけど残念、私の答えはNOだから!!」

 ダンサー達がざわざわし始めた。そんな騒然とした空気が気持ち悪くて、彼に背を向けて通路を走った。ガラスの靴風のハイヒールを履いたままだったけれど、そんなこと構っていられなかった。吸い付くように足にんだアクリル。こんなヒールの高い靴履いたことがないのに、不思議と走っても転ぶ気はしなかった。

 エスカレーターの乗り口まで来ると、一夜限りのお姫様がそうしたみたいに、脇目も振らず段差を駆け下りる。ヒールが踏み板をカンカンと音高く鳴らす。残り三段になったステップの踏面ふみづらを、右足で強く蹴った。体は思っていたより高く浮いて、お腹の辺りがヒュウっと冷たくなる。

 しまった、この靴で着地したら大変なことになる。瞬間、ガラスの靴風ハイヒールが両足からするりと抜けて、踏み板の上に落ちて安っぽい音を立てた。ベルトコンベアの駆動音をうならせながら、動く階段が靴を一階まで運んだ。

 着地して、エスカレーターの最下段でゴトンゴトンと行き止まっている靴を手に取る。一部始終を見ていたはずなのに、二階からは「怪我はない?」なんて気の利いた言葉は飛んでこない。手にした右足の靴を思いっきり振りかぶり、二階めがけて放り投げた。手から離れた偽物のガラスの靴は、不規則に回転しながら空を切って真っ直ぐに進む。思ったよりも飛距離を伸ばす。やがて失速し、床に落下してカツンと鳴った。

 素足のまま出口に向かって走る。自動ドアは私が近付くと素直に開いた。魔法をかけられたかぼちゃの馬車が「さあ帰りましょう」と扉を開いてくれたみたいだった。

 外に出ると、雪は本降りだった。さっきまで作り物の南国でサンバを見せられていたけれど、ここは日本で季節は冬だった。

 振り返って、駆けてきたエスカレーターの先を見ると、どうやら想定外の事態に混乱を来たしているらしい。わがままなプリンセスの脱走劇に、従者たちがあわてふためいているみたいで面白い。こんな愉快な気分になれるなら、おとぎ話のお姫様になってみるのも思ったより悪くない。

 握りしめたままだった左足の靴に気付いて、こんなものどうしようかと考えたけれど、もうどうでもいいことだった。悪夢のような魔法から解放された靴は、自動ドアの横に立て掛けたまま、次のプリンセスが現れるまで待ってもらうことにした。

 さて、これからどうしよう。できることならハッピーエンドを希望したいところだけれど、バッドエンドであろうと上等だ。私は都合のいい世界のお姫様じゃない。どんな魔女にだってハイキックを食らわせてやれる心持ちではあるけれど、とりあえずは代えの靴を見付けなきゃいけないし、身を委ねるシナリオには見当がつかないし、氷点下の冷気にしびれる足はもう走れそうもない。

 押し流されて先の見えない場所へ吸い込まれていく踏み板の上、行き止まって足踏みしていた靴のように、もうどこへ行っていいやら分からなくなった私は、ただ途方に暮れるしかなかった。

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