エクストリーム押しかけ女房―あるいは探偵部の冒険―
白鳥一二五
エクストリーム押しかけ女房
「もし、自分の現在と、愛する人の現在が違っているとしたら……」
「そして、愛する人が未来へではなく、過去へ向かっているとしたら……」
「互いの現在がすれ違って行くとすれば……」
……
…………
……
【???】
「渉君……ようやく解決したよ」
【???】
「もっとも、この事件の解決は、私の気の持ちよう次第ではあったがね」
夕暮れ時の探偵部。
部長の左文字律奏(さもんじりつか)は名探偵にかぶれた口調で、
捜査資料に目を落とす俺――犬走渉(いぬばしりわたる)に声をかけた。
部室内に沈黙が走り、放課後のざわめきが満ちる。
【渉】
「え? 解決したって!! 本当か!?」
今回俺たちが捜査していたのは生徒からの依頼で、
キャンディー(♂)という飼い猫が失踪した事件だった。
探偵部部長の左文字律奏(さもんじりつか)は、
伊達メガネのレンズ越しに深刻なまなざしで僕を見つめていた。
【律奏】
「そうだね、しかしこの場合、どちらが犯人と呼ぶべきか……」
普通に逃げ出したものだと思ったが、律奏先輩の推理ではそうではなかったらしい。
【渉】
「犯人がいるって……どういうことだ?」
【律奏】
「いい質問だよ渉君。それはだね、奪った側がいたわけだが、
奪った側は奪われてしまったというわけだよ」
【渉】
「第三者の登場ということか……」
【律奏】
「いいや、この件に第三者など存在しないさ」
自身の意見をキッパリと否定された俺はさらに考えてみる。
まずこの事件は失踪事件ではなく、誘拐めいたものだと先輩は推理した。
加害者が存在するということは、この時点で依頼者は被害者となる。
しかし、その加害者はさらに被害者となってしまった。
だとすれば、第三者の登場しかありえないはずだ。
加害者が被害者に……被害者が加害者に?
なるほど、舞台に二人しかいないという状況ならこれで合点がいく。
【渉】
「部長、それじゃあおかしい。今俺たちは、何のためにここにいるんだ?」
【律奏】
「だからそれなのだよ。どちらもその事実に気が付いていない。
……いや、実は気づかないフリをしているだけなのかもしれないよ」
【渉】
「つまり、こういう感じか……」
手元のノートに相関図を書き込み、注釈を加えていく。
【渉】
「奪われた側の人間は奪ったことに気づいていない。
または見て見ぬフリをする……」
【律奏】
「そして、奪った側は奪われたことに気づいていない」
【渉】
「または気づかないフリをしている……」
つまり、事件は収束している。
これが犯人探しの依頼となれば話はまた変わってくるが、
今回の事件は猫探し。
被害者が加害者から取り返したことで事件は一段落している。
【渉】
「問題はなぜ気づかないか? 黙っているのか?」
キャンディー(♂)は雑種のキジ猫だ。
ごく一般的な考えなら雑種に保険をかけるはずはないし、
保険がかかっていないことも裏は取れている。
【律奏】
「少々難しく考えすぎているよ、渉君」
【渉】
「だっておかしいじゃないか、なにか一言あってもいいと思うんだが?」
【律奏】
「それはもちろん、自分が今いる環境を壊したくなかったからだろうね?」
【律奏】
「そのことが明るみに出るなり、友人家族や学校に広まって……
自身が恥ずかしい思いにあってしまう」
【律奏】
「相手に対して、普段は何気なく接しているが、
その関係さえも失われてしまう可能性が高い」
【律奏】
「こういったことは意外と……いや、かなりリスキーだからね。
怪しいと思って行動を起こしても、勘違いで終わることもあるんだよ」
【渉】
「確証が得られないままだから、どちらも知らないフリをした……」
つまり、二人は顔見知りということだ……
考えれば考えるほど事件は複雑怪奇になっていく。
探偵ドラマに出てくる刑事は、痺れを切らして『早く犯人を教えろ!!』とよく言うが、
今の俺と同じ気分なんだろうな。
【律奏】
「だから言っているじゃないか、『気の持ちよう次第』だとね」
奪われた人間と奪った側の人間。
二人は顔見知りであるがゆえに、互いにその事実を追及できずにいる。
奪った奪われたの関係であるが、確証が得られず、実際そうでなかった場合、
二人の関係は大きく崩壊してしまうリスクをはらんでいる。
注目すべき一番の問題は、必然か偶然かの違いだ。
そして、奪われた側の人間は“奪った”のではなく、
奪って“しまった”ことである。
故意に奪ったならば確証が得られているはずだが、
この事件を複雑にしているのは、奪ってしまったという偶然性にある。
必然と偶然の衝突に発生した歪み、といっても過言ではない。
【渉】
「……何がどうなってるんだ? 先輩はわかってるんだよな!?」
【律奏】
「もちろんだとも」
互いに顔見知りであるという条件を置いて絞ったとしても、
怪しい人物は十数人にはのぼるはずだ。
指折り程度ならともかく、それを推理で埋めることなど可能なのだろうか?
だとすれば、そのヒントはどこから得たのだろうか?
【渉】
「一体、どんな方法を使ったんだ?」
ここ数日間、この事件に付きっ切りでずっと一緒にいた。キャットフードを使ったり、マタタビを使ったり……エサしか使ってないな……
今朝の今朝まで事件にはまったく進展が見られなかったというのに、放課後までの短時間で本当に解決に導いたというなら、やはり天才だとしか言いようがない。
【律奏】
「とにかく、情報収集が重要だったね。
自分の知らないことを徹底的に調べるんだ。
そんなことも覚えていないのかと言われることもあったがね?」
【渉】
「そんなことも覚えていないのか……
今までの情報に真実があるのか……」
なにを見落としている? まさか……
【渉】
「まさか! 過去に解決した事件がらみなのか?」
【律奏】
「そうと言えないこともないね。ただ、そうだという事もない」
【渉】
「……ダメだ……さっぱりわからない……」
【律奏】
「相変わらずせっかちだね君は。いいだろう。今回は私の勝ちということだね?
それでは、負けた君は、私の願いを一つ叶える。それでいいかね?」
探偵部は変人奇人の集まりでありながら、金持ちの道楽のような部活。しかし、本当は実力派の組織だ。成績を上げた物が正義であるという仕組みを取っている。
【渉】
「……わかりました……」
妖しい目つきで俺を睨みつけたら合図だ。
推理ショーが始まる……
律奏先輩は伊達メガネを外すと、まっすぐとした瞳で俺を睨んだ。
【律奏】
「渉君……真実を知る覚悟はできているかい?」
半ば威圧するような目つきで尋ねられ緩んでいた空気が緊張する。
瞬間に部室内はまるで時間が止まったように静まり返った。
【渉】
「嘘なんてクソッタレですよ」
ニヤリと笑い先輩は夕日に染まった長い黒髪を揺らしながら、
安楽椅子から立ち上がりステッキを弄んだ。
これからこのステッキの先端が犯人を突き刺す。
その時、何人たりとも力から逃れることはできない。
【渉】
「…………」
唾を呑み込み息を殺すようにして今か今かとその時を待ち望む。
瞬間、開け放たれた窓から風が吹きすさび、カーテンが強い音を立てて翻る。
ステッキがクルリと振り回され、その先端は俺に突き付けられた。
背後に誰か現れたのかと思い振り返るが、誰もいない。
【渉】
「えっ? 何のつもりだ!?」
【律奏】
「渉君……」
一瞬の沈黙が数秒、数十秒にも感じられた。
その間にも何かが迫ってくるかのように、息苦しくなってくる。
【律奏】
「君は私のことが好きなのだろう!!」
【渉】
「…………」
あれっ?
【渉】
「えっと……なんの話だ?」
【律奏】
「えっ?」
【渉】
「えっ?」
【渉&律奏】
「えっ!?」
互いに理解できない様子でしばらく見つめあう。
先輩は露骨に取り乱した表情で頬を赤らめた。
【律奏】
「コホン……いや、え、遠慮しなくてもいいのだよ。素直になりたまえ」
小さく咳ばらいをすると俺に背を向けた。
恥ずかしいんだろうか?
【渉】
「いや、広義には、好きだが……」
【律奏】
「そう言って気づかないフリをするのはよしたほうが賢明だよ?
私にだって覚悟くらいはある。なんならここで押し倒したって――」
【渉】
「結構だ!」
【律奏】
「ほ、ほら、手を繋ぐくらいならば恥ずかしくはないだろう?」
【渉】
「いや、その前にどうしてそういう推理に至ったのか聞かせてくれないか?」
先輩はピタリと動きを止めると、
ニヤリと表情に浮かべながら振り返った。
【律奏】
「そうだそうだ!
言い当てられたって、犯人と認めるバカがどこにいる……」
小声でつぶやいているが俺にはしっかり聞こえている。
【律奏】
「じゃあ証拠を突きつけるとしよう。現場は購買部だ」
【律奏】
「いつものように妃那君と私がパンを買い求めているところで、
渉君は私にクリームパンをおごってくれた」
【律奏】
「そうだね、今日が5月の2日だから、5日前になるね
……4月の27日午後0時44分……の事だよ? 合っているかね?」
【渉】
「時間までは把握してないが、たいした意味はない。
バイトの給料日後だったからおごっただけだ」
万年金欠の俺にとって稼ぎがあるのはうれしいことだから、
主に二つの意味でおごったわけだが。
【律奏】
「何!? クリームパンはウソだったというのかね!?」
【律奏】
「そ、それならばこれはどうだね? 荷物を持ってくれた!!
昨日だ! 渉君自身から聞いたんだ、間違っているとは言わせないよ!?」
昨日なのは確かなことだが、俺自身から聞く必要がどこにあるのだろう。
そんな疑問はさておき、間違いがあるとすれば、
それは日付とかではなく先輩の推理だ。
【渉】
「捜査ばかりで先輩が疲れていそうだったから、それだけだ」
【律奏】
「えっ……ええい! ならばこれは正真正銘の――」
先輩がまた何か言おうとするのを遮って、
後輩の浅見妃那(あさみひな)が部室に入ってきた。
【妃那】
「仲のいい友達を勘違いさせちゃった……こんなこと、よくあるよね?」
【渉】
「ないよ!
挨拶もなしに入ってきておいて、海外の通販始めるな」
【妃那】
「でも、落ち込まないでメアリー!!」
俺の肩に手を置き慰めるようにした。
【渉】
「俺は誰なんだ」
【妃那】
「そんな時はこれ」
【渉】
「どんな時の何だ」
【妃那】
「メアリー、結婚を前提に僕と付き合ってくれ」
【渉】
「勘違いしてるのお前もだろ!!」
【律奏】
「コホン、それでだね渉君――」
【妃那】
「えっ? 私の告白はスルーっすか!?」
【律奏】
「いや、スルーされているのは私では――」
【渉】
「何? 今のが告白!?」
【妃那】
「そうっすけど!?」
【渉】
「すごく斬新! 信じられないほど革新的だ!!」
【律奏】
「その件については調査済みだよ。妃那君にその気がないのはわかって――」
【妃那】
「マジっすか~。じゃあ、今度はクライムサスペンスのテイストで考えてきます」
【渉】
「めんどくさいことになるからやめてくれ! ……ってあれ?」
背中に柔らかい衝撃が走り、ぬくもりが広がる。
どうやら、先輩が抱き着いているらしい……
胸の奥底が締め付けられるような感覚が俺の中に広がった。
【渉】
「先輩……?」
【律奏】
「渉君……新しいパワードスーツを着てきたんだ。
前に見たいと言っていた物だよ?
静かだから装着していることに気がつかなかっただろう?」
なんでこんな状況でこんな話をするんだろう?
いや、構って欲しいけどそれが言えないんだろう。
この三人の中で、先輩は一番の寂しがりやだから。
【渉】
「そんなのなくても大丈夫だ。身の安全は保障する」
我ながら恥ずかしいことを言ってしまったと後悔する。
だけど、先輩も先輩でこの部活が危険なことをわかっている。
それで、迷惑かけたくないと思っているんだろう。
【律奏】
「300万きってニーキュッパだったんだ。それで、このスーツの特徴はだね!!」
先輩の声に力がこもると同時に俺の身体は重力の呪縛から解き放たれる。
と同時に、世界の上下が逆転し、後頭部に強い衝撃が走り抜けた。
【渉】
「がはっ!!」
脳は痛覚を持たないというが、それはウソじゃないかと思えるほどの痛み!
見事なスープレックスの一撃を、受け身もなしにもろに食らった。
【渉】
「――!!!!」
声にならないほどの激痛を発しながら痛みに悶えていると、先輩はわずかに涙しながら俺を睨んだ。
【律奏】
「渉君のバカァァァァァー!!」
それだけ言い残すと先輩は部室を飛び出していった。
しばらくは意識が朦朧とし立ち上がることもままならない。
【妃那】
「だーいじょうぶすかー?」
妃那は半分死にかけている俺を、心配する素振りもなく定規でつつきまわす。
【渉】
「おい、てめぇ人を汚いものみたいに突くな」
【妃那】
「遺産の受取人、私じゃないっすよね? サインするまで死んじゃダメっすよ」
ようやく体に意識が戻ってきたというのか、とにかく立ち上がれるまでに回復した。
【渉】
「誰がサインするかよ。結局ジジイの財産目当てだろ?」
【妃那】
「それ以外あるんすか!?」
【渉】
「俺はおばあちゃん子なんだ。ジジイの悪徳商売で得た金なんか相続しない」
ひとまず落ち着くためにソファへ寝転がる。
【渉】
「あぁーもう、何が起こってるんだよ」
【妃那】
「大丈夫っすよ、どうせいつものビョーキですよ」
【渉】
「300万きって298万って結局高額じゃないか……」
【妃那】
「そういえば、キャンディーの件、解決したっすよ」
【渉】
「マジで……ありがとう。でもそれどころじゃないんだ……今日は帰る」
【妃那】
「いえいえ、先輩たちがファッカーなんで仕方ないっす」
【渉】
「相変わらず口悪いな……そろそろ直したらどうだ?」
【妃那】
「私から口の悪さ取ったら、なんも残んないっすよ。ね~?」
自身の隣へ同意を求めるが、そこには誰もいない。
【渉】
「誰もいないだろ!! 恐いぞ。なんで虚無に同意を求めてるんだ」
【妃那】
「始末つけときますよ。チョココロネおごってください『ベーカリー腹パン』の」
【渉】
「物騒なパン屋だな!! いらっしゃいませーって、殴ってきそうじゃん」
【妃那】
「ボディしか狙ってこねぇんで大丈夫っす」
【渉】
「えっ? ホントに殴ってくるんだ」
【妃那】
「行かないんすか?」
【渉】
「いいよ、命が買えるなら安いよ。ボったくられているんだろうけどな」
ちょうど財布にあった500円玉をテーブルに置く。
納得はしてないが他のパン買ったりできるだろうと、
先輩らしい気遣いをしてやる。
【妃那】
「ゼロが一つ足りないっすよ」
【渉】
「この期に及んでさらにボる気か! もういい俺は帰る!!」
【妃那】
「んじゃ、お疲れ~っす」
【渉】
「お疲れ!!」
……
…………
……
【渉】
「ただいま」
リビングに向かって声をかけると母さんの返事はなかった。
そういえば今日の朝から親父と海外旅行に出かけたんだった。
【渉】
「はぁ~、面倒だな……」
鞄を投げ出してソファに倒れこむ。
そうしてモヤモヤとしているうちにいろんなことを考えた。
去年の今頃、友人と俺は奇妙な事件に遭遇した。
その時、推理対決をしたのがすべての始まりだ。
一緒に探偵部を結成して普通な物から異常な物まで、
様々な案件を取り扱った。
猫探しやストーカー被害、超常現象……UMA……UFO……呪いや魔法……
二人で協力して大きな何かに立ち向かう。
そんな非日常の日々を送り、俺と先輩の距離は近づいたかもしれないし、
互いに友人とかじゃ済まされない仲だってのはわかる。
しかし……
【律奏】
「なにが不安なのだね?」
【渉】
「えっ!!」
驚いてソファから飛び起きて見回すが、
先輩の姿はどこにもない。
【渉】
「はぁ……」
しかし、今日のあの事以降、
先輩のことを考えると息苦しさを覚えるのも確かだ。
俺を一瞥した妹の朱音は、無視するようにキッチンへ向かっていく。
【渉】
「ただいま」
【朱音】
「あ、帰ってきてたの。おかえり」
冷蔵庫から牛乳を取り出すと、
リビングから出ていこうとした。
【渉】
「何が帰ってきてたの。だよ? 気づいてたくせに」
【朱音】
「洗濯物ありがとうね」
嫌味を言うかのような口調で礼を言われた。
【渉】
「ん? 洗濯物?」
そういえば、庭に洗濯物が見当たらない。
てっきり、朱音が取り込んだもんだと思ってたけど……
【朱音】
「妹の発育に興味がおありのようですね?」
侮蔑したような目つきで俺を睨むと、怒った様子でリビングを出て行った。
【渉】
「おい! 何のことだ!?」
【朱音】
「Eって書くなんてね。あれDカップなのにね!?」
この前Dカップのブラジャーを買ったとか言ってたのに、
また大きくなったのか……
いや、DのブラにEって、現在進行形でサイズを知ってなきゃ書けないわけだよな。
【渉】
「おい、俺はそんなの知らない!!」
【朱音】
「部屋には入ってこなかったから許してあげる」
なんでお前なんかに許してもらわなきゃいけないんだ!!
俺はそんなことしてないのに八つ当たりされる方が迷惑だ。
【渉】
「まったく、なんなんだ…………」
リビングでは落ち着かないと思い、二階の自室へ上がって行く。
部屋のドアを閉めると落ち着くために、大きく息を吸い込んだ。
【渉】
「oh my――!!!!!!」
しかし、肺いっぱいに溜められた空気は、叫びとなって吐き出された。
【渉】
「はぁ~……くそぅ!!」
叫んだおかげかなんとか心が落ち着いたから結果オーライだ。
だが、この後、晩御飯を作ったりしなきゃならない。
そう考えると非常に億劫で仕方ない。
朱音の分も作らなきゃいけないわけだし、
口にしたところでまた嫌味をいわれるだけだろう。
寝過ごしてやろうかとベッドへ向かうと、
綺麗に畳まれた衣服が積み上げられていた。
【渉】
「やっぱりおかしい……」
ワイシャツを広げてみると、アイロンがけまでしっかりされている。
面倒くさがりの母親を持ったがために、
洗濯はやってもらってもアイロンくらいはいつも自分でかける。
というか、端的にいえばかけないから自分でかけるしかないのだ。
散らかっていたはずの部屋も片付いているし、
デスク周りの埃も綺麗に拭い去られている。
PCのディスプレイは少しだけ指紋があったはずなのに、
ピカピカで鏡面に俺の顔を映している。
入ったときからなにか違和感があったが、
ここまであからさまに事実を直視すると見ぬフリはできない。
【渉】
「朱音か?」
アイツがそんなツンデレみたいなことをするわけがない。
それはハッキリしているが、もし何かが起こっているとすれば……
【???】
「きゃー!!」
【渉】
「なんだ!?」
リビングから響いた声は母さんのものだった。
咄嗟に自室を飛び出し、リビングへ駆けつける。
【渉】
「母さん!?」
凍り付いた表情で指差すその先の光景に、
俺は自分の目を疑った。
【渉】
「こ、これは!!」
食卓に整然と並べられた晩餐。
チャーハンやエビチリをはじめとし、
誰が見たってフルコースという言葉が浮かぶような豪華な食事。
【渉】
「いったい誰が!!」
【父】
「どうしたんだ!?」
【渉】
「親父! この家、なんかおかしいぞ!!」
【父】
「どうしたんだ母さん!? こんな料理、新婚の頃以来だぞ?」
なにも知らない様子で椅子に腰かけると、
淹れたてのコーヒーを口にする。
【渉】
「親父! 待て!!」
【父】
「うっ……」
みるみるうちに親父の表情は変わっていき、
やがてぐったりとうなだれるようになった。
【渉】
「親父!!」
【父】
「うんまぁーい!!」
【渉】
「はぁ?」
【父】
「これは、若い頃にジャマイカで飲んだ最高級コーヒー、コピルアク!!」
【渉】
「いや、ジャマイカ何しに行ったんだよ!?」
【父】
「俺ら友達! マジ感謝! YO! YO!! Yeah!」
【渉】
「偏見も甚だしいよ! 韻も踏めてねぇし!! 感謝しときゃラップじゃねぇよ!!
俺らは友達じゃねぇよ家族だよ! しかも、ジャマイカはレゲェだよ!!」
【父】
「さすが我が息子……ツッコミの神童。だが見落としが一点――」
【渉】
「だいたい、コピルアクは東南アジア圏だ!!」
【父】
「ひとつ残らず我がボケを平らげるとは。さすがツッコミの神童」
【渉】
「いよいよ恥ずかしいからやめろよその呼び方。ダサいし」
【父】
「ツッコミの……申し子」
【渉】
「ツッコミの話はいい!! ダサいって言われてショックだったんだな。
あともう一つ残ってんだよ! そもそも親父、今回が初の海外だろ!?」
勢いに乗せられてツッコミばかりしていたが、事態に気が付いた瞬間、鳥肌が立った。
【渉】
「あれ? てか、お前ら誰だよ……」
事実を突きつけた途端、リビングはシンと静まり、時計の秒針だけが音を刻んでいる。
【母】
「どうしたの渉?」
【渉】
「やめろ、近づくな!! もうわかってんだよ」
【渉】
「どうしたんだ渉、早く座れ。ほら、朱音もゲームばかりしてないで」
【朱音】
「はーい」
携帯ゲーム機をローテーブルの上に置くと朱音は俺の背後から食卓へ近づこうとする。
【渉】
「いやいやいやいや、いったん待て、いったん止まれ……」
ゆっくりゆっくり慎重に、三人と距離を取る。
【渉】
「お前ら、誰なんだよ!?」
【父】
「何をふざけてるんだ? いい加減にしないとパパ怒っちゃうゾ!!」
【渉】
「気持ち悪るいからやめろ!! お前は親父じゃない。友達でも家族でもねぇ」
【渉】
「それにあんたもだ。母さんは香水なんてしない!!」
【母】
「フフッ……私としたことが……でも、つけてないと落ち着かないのよねぇ~」
【渉】
「恐いよ! 誤魔化す気ゼロじゃないか!!」
【朱音】
「動かないで!!」
朱音が鋭い一言を放ちながら拳銃を俺へ向けた。
リビングは静寂に包まれ緊迫した空気が張り詰める。
獰猛な獣が獲物を狙うように漆黒の銃口は息を殺し、
俺を睨みつけている。
【渉】
「おい、待て! 落ち着け、いいからいったん落ち着け。目的はなんだ?」
【朱音】
「まずはお前から死んでもらう」
【父】
「ウッ……」
胸部から深紅の血を流しながら親父のフリをした何者かが力なく崩れ落ちる。
【渉】
「お、おい!! 何やってるんだ!? 仲間じゃないのか!!」
【朱音】
「しくじったヤツは組織に必要ない。さて……次はお前だ」
朱音のフリをした何者かは親指で撃鉄を引き起こすと、
刹那の猶予もなくトリガーを引いた。
【渉】
「やめろ!!」
【渉】
「えっ……俺は、どうなったんだ?」
赤い文字の書かれた小さな白い旗が銃口の先から飛び出している。
【朱音】
「大ー成功!!」
床に倒れていた男が起き上がる。
【父】
「いやぁ、まさかそんなに驚いてくれるとはな」
【渉】
「えっ? なんだ? えぇっ?」
【母】
「ドッキリでしたー」
【渉】
「うっわぁー、マジかよ。引っかかった、すっげぇビックリしたじゃん」
【父】
「はい、それじゃあみなさんご一緒に!」
【全員】
「大成――」
【朱音】
「うるせぇ!! 特に火星人!!」
【渉】
「うべしっ!!」
リビングのドアを突き破り、朱音のドロップキックが俺の顔面に鋭く突き刺さった。
【渉】
「いってぇ……なんだよ……お兄ちゃんのはちゃんと剥けてるよ……」
朱音は怒り心頭といった様子で、床を鳴らしながらリビングを出ていこうとする。
もう一人の朱音とすれ違う瞬間、その顔をまじまじと見つめ、
胸部を睨みつけ何事もなかったかのように、二階へと戻っていった。
【渉】
「えっ? なにもツッコミなし? 今見てたじゃん、ツッコミの宝庫だよ?」
【父】
「渉……ドンマイ。泣くな……ツッコミの鬼」
【渉】
「ついに鬼になったのか。かっこいいけど……それで、お前らは何者だ!?」
【朱音】
「今回は君の勝ちということにしてあげよう、渉君」
聞き覚えのある探偵小説かぶれの口調。
もうずっと前からこの家に侵入していたらしい。
【渉】
「俺の嗅覚は、犬並みっすからね」
三人は揃って首元に手をやると、化けの皮とも呼ぶべき特殊メイクを剥がした。
【律奏】
「私だよ」
【璃子】
「律奏の母の璃子です」
【真一】
「律奏の父の真一です。四人合わせて――」
【渉】
「頭数に入れんじゃねぇよ!! 俺は犬走だよ左文字じゃねぇんだよ」
【真一】
「……えっ? あぁ……うん」
【渉】
「なんでピンと来ないんだよ!! 家族じゃないんだよ」
【真一】
「でも、いずれは――」
【渉】
「なんねぇよ!! あり得るとしたらお前の娘が犬走になるんだよ!!」
【真一】
「いや、犬はちょっと……」
【璃子】
「ちゃんと世話するって約束できる?」
【渉】
「誰がペット飼う話したんだよ!! 苗字の話だよ!!」
【律奏】
「私はタヌキがいいと思うよ」
【渉】
「不良が好みか? タを抜いて、ワルになっちゃうとか!?」
【真一】
「ん……ワタル……ワル……あ、ホントだ! ハッハッハッハ!!」
【渉】
「うるせぇよ!! 時間差でウケんな!! ボケたこっちが恥ずかしいわ」
【璃子】
「それじゃあ、いただきます」
【渉】
「おいおいおいおい!! 何故食べ始めようとしているんだ!!」
【璃子】
「えっ? あぁ、そうね、やっぱり家族が揃わないと」
【渉】
「そうじゃない!! というか、家族総出で何してんだよアンタら」
【璃子】
「いや、犬走さんが一週間ほど旅行に出掛けるそうなので寂しいかなぁって」
【渉】
「エクストリームにも程があるよ!! 掃除洗濯炊事!! おまけに家族まで……
エクストリーム過ぎるんだよ!! ったく……」
【渉】
「押しかけ女房の時点ですでにすごくエクストリームだけどさ!!
エクストリームの意味さえわかんなくなっていくよ!!」
【律奏】
「動機が知りたいようだね、渉君。実は――」
【真一】
「律奏、ここは父さんの口から言わせてくれ!」
先輩のお父さんは真剣な面持ちになって俺に向かった。
【真一】
「実はだな……私たちがこんなことをしたのは――」
【璃子】
「待ってお父さん、それは私の口から――」
【渉】
「誰でもいいよ! この際だから誰でもいいんだ!!」
【渉】
「人の家でボケるのも大概にしろよ。ったく……」
【真一】
「律奏……席を外してくれないか?」
【律奏】
「でも――」
【真一】
「大事な話なんだ……頼むなにもできない不甲斐ない父だが、これぐらいは」
真一と目で頷き合うと先輩はリビングから出て行った。
【渉】
「それで、動機は?」
【真一】
「律奏から話は聞いている。渉君は随分物知りだそうだな」
【渉】
「あぁ、押しかけてきた家族に褒められるのもなんだけどな」
【真一】
「君も知っているだろう。世の中には、
生まれたときから寿命が出てしまう子ども達がいる」
【真一】
「その診断を受けたとき、その両親はどんな反応をするのか私は知っている……
そして、子どもに何をしてあげられるだろうかと考えるんだ」
【真一】
「律奏はもう、長くはないんだ……だから……」
真一は札束を取り出した目元を拭った。
しかし、涙は出ていない。
【渉】
「どっちを拾って欲しいんだ? どんなツッコミが欲しいのかアンタが聞かせろ」
【真一】
「頼む! この通りだ!!」
床に膝をつき頭を下げようとしたが、
咄嗟にすぐ近くに置かれていた突っ張り棒を差し込んだ。
【渉】
「いや、ここまでボケ倒されて、どうやって信じろってんだよ!!」
【真一】
「本当の事なんだ!! 頼む――」
【渉】
「いや、もういい、わかった……だから、土下座だけはやめてくれ」
【真一】
「本当か!?」
【渉】
「その代わり、アンタらは出て行ってくれ」
【真一】
「えっ?」
【渉】
「見られたら困るんだよ……主にアンタらがな!!」
【渉】
「あそこのご家庭、知らない人がいるわ。あらやだ通報しなきゃ……
そうなったら迷惑がかかる。俺じゃなくて警察に!
実害のない侵入者なんて警察も関わりたくないだろう!!」
【真一】
「わかってくれてよかった……」
【璃子】
「それじゃあ、律奏をよろしくお願いします」
【渉】
「わかったから早く出ていってくれ」
【真一】
「それじゃあ……どうか、これをお納めください」
そう言って真一はどこからか大きな包みを持ち出し、俺の目の前に置いた。
【渉】
「……これはなんだ!!」
【真一】
「手乗り文鳥のコッコです」
【渉】
「ペットまで押しかけか!!」
……
…………
……
【渉】
「はぁ~」
律奏先輩の手料理をごちそうになった後で、俺はようやく風呂場で一人きりという安らぎの時間を手に入れた。
肩まで湯につかりながら立ち込める湯煙を、
見るともなく眺めていた。
【渉】
「しかし、旨かったな」
料理の味を思い出しながらぼんやりと考える。
二人で食卓を囲んでいる最中、
なんだか気まずい感じがして詳しくは訊けなかった。
とりあえず、キャンディー(♂)失踪事件の報告だけで会話は終わる。
先輩からも特にこれと言って相談も何もなかった。
【渉】
「あんな話どうやって信じろって……」
よくある話、小さい頃から病弱で余命宣告を受けた人間でも、
めちゃくちゃ快活に活発にしていることはある。
そしてある日を境に、急に体調が悪くなって……
果たしてあり得るだろうか?
律奏先輩に限って……
【渉】
「不思議な事はなんでもあり得る……不思議じゃなくても起こり得る」
ただ一言、先輩から聞かされたのはこうだ……
【律奏】
「私たちは夫婦なんだから」
ドアの開く音に反応して目を向けるとそこには先輩の姿があった。
【渉】
「お、おい――」
思わず言葉を発しようとする俺の口を無理やり塞いで、ちょっとだけ荒っぽく口づけをする。
【律奏】
「んむっ……ちゅっ……はぁ……
ふふっ……好きにしても構わないのだよ?」
ハッとした様子で俺から離れると、なんだか切なそうな表情で俯いた。
やっぱり……先輩の気持ちはわからない……
【渉】
「先輩……」
なにか言ってやりたいが、俺の口からそんな慰めは出てこなかった。
我ながら情けないな……
そう思っていると、先輩は伏し目がちのままま、静かに口を開く。
【律奏】
「ご、ごめ――」
謝ろうとする先輩の口を塞ぐ。
【律奏】
「んっ……んはぁ……ちゅっ……」
ゆっくりと甘い口づけを交わしながら……
先輩と一つになるような感触を確かめながら……
【律奏】
「やっぱり、ドキドキするね……ちゅっ……
んふふっ、あぁっ……すごく息苦しい……」
【渉】
「すまない……」
【律奏】
「そういうなら……んちゅっ、にちゅっ……
んあぁ……少しは、気の利いた事を……
ちゅぴっ、言ってみたらどうだね?」
そう言われて、俺はゴクリと唾を飲んだ。
【渉】
「そ、その……」
大きく息を吸い込むと、溜息のごとく自身の抱えている思いを口にした。
【渉】
「俺なんかで……いいのか?」
【律奏】
「ふふっ……にちゅっ!」
ふんわりと俺を包み込む唇のぬくもり。
すごく、気持ちがいい。
【律奏】
「接吻というのはね?
通常ならば恋人同士がするものなんだよ?
ほら、こうして……くちゅぢゅっ……」
先輩は少しだけ荒っぽく首を斜めにして口づけすると、俺の口を強引にこじ開けて、舌を滑り込ませてきた。
【律奏】
「あぁ、はむっ……ぢゅるっれろっ、ちゅくっ……
ほら、そんな顔しないでくれたまえ?」
【渉】
「で、でも――」
【律奏】
「あぅんっ、ちゅるっれちゅっ、ねぷくちゅ……
ちゃんと、私を、見てくれたまえ……
その舌で……ぢゅるろっ……私を……」
粘りを帯びた唾液から、先輩の熱と濃密な味が口いっぱいに広がって……
ずっと心の中で抱えていた――がんじがらめにして、封印した思いが、どろりと溶けてしまう。
【渉】
「部長……甘い……です……」
【律奏】
「そうだ。私は甘い味をしているんだよ?
渉君だけが感じ取れる味なんだよ?
だから……」
先輩の細い体を思わず強く抱き締めると、俺は貪るようにキスを繰り返してしまう。
【律奏】
「んんっ、ちゅっ。あはぁぁぁ、れちゅるっ……
むちゅっ、ぐぢゅっ、ちゅむっ……
んふふっ……やっぱり、私の勝ちのようだね?」
勝ち誇ったような憎らしいセリフを吐くが、先輩の表情はすでに蕩けきっている。
こんな顔を目にして、もう俺は限界だった。
【渉】
「……好きだ……」
【律奏】
「そんな事、私にはお見通しだよ?
渉君がその気なのは――」
【渉】
「好きだ!」
張り裂けそうな胸とはこのことを言うんだろう。
だから俺は、思わず自分の気持ちを告げると、先輩の唇へとキスをした。
【律奏】
「んふっ、ちゅるるっ、れぢゅるっ、にちゅっ……
どうだい? 感じるかい?
私は、今……ここにいるんだよ……」
涙ぐむような声色を聞いて慰めとばかりに唇を重ねた。
【律奏】
「むちゅっ……んふっ……はぁっんっ……
す、すごいね……んちゅっ……」
気分が高ぶってきているらしく、先輩は時々儚げな吐息をこぼす。
【律奏】
「んくっ……はぁ……ふふっ……ちゅっ!
うん……渉君がそうしたいのなら……
私はお願いを叶えてもらうとしよう……」
年上とは思えない貧相な胸部を潰すようにして、力いっぱい抱きしめる。
【渉】
「……先輩……」
【律奏】
「……私の事を……よろしく頼むよ?」
切なげな表情で俺に言うと、先輩はもう一度、苦しそうな口づけをしてくる。
やっぱり、この人はわからない。
だけど、そんな律奏の事が大好きだ。
【律奏】
「あぁっはぁっ、ちゅちゅちゅ、んふぅ……」
唇で気持ちを伝えると、先輩は満足そうに微笑んだ。
……
…………
……
律奏と互いの気持ちを確かめ合った後、
俺たちは一つのベッドで眠ることにした。
【律奏】
「どうだね? 渉君、これからはずっと一緒にこうしていられるんだ……」
【渉】
「とてもうれしいよ」
【律奏】
「なんだねその気のない返事は!?」
【渉】
「いや、ずっと気になってたんだ……」
訊きたい事は山ほどあるのに、だからこそ頭の中で整理がつかない。
【律奏】
「なんだか言い辛そうだね。しかし、心配はないよ」
【律奏】
「今日でちょうど、付き合って一年になるからね」
【渉】
「それって、出会ったときから俺に決めていたってことですか?」
律奏がずっと俺のことをそんな風に思っていたとは正直驚いた。
出会ってから今日に至るまで、
俺は律奏のことをただの面倒な先輩と思っていたのだから。
【律奏】
「いずれわかるよ……あの日が訪れればね」
律奏はそっと俺にキスをすると、静かにこう言った。
【律奏】
「私がキミを……ではなく、キミが私を選んだのだ」
【渉】
「あの日ってどういうことですか? わからない……」
【律奏】
「ふふっ……いずれにせよ、約束してくれ……」
【律奏】
「明日の私が私でなくても、愛してくれると……」
Fin……
エクストリーム押しかけ女房―あるいは探偵部の冒険― 白鳥一二五 @Ushiratori
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