第2話 Have You Ever Seen The Rain?

 地面に放り出された鬼子と鬼美が『何事か』と顔を見合わせていると、遠くの方で再び爆発したような音が響き渡り、鬼娘たちの足元を揺らした。森からは、爆音に驚いた天狗の子供たちが、お面も忘れて慌てて木の枝から飛び立っていく。ドスン、ドスン! と大気を震わす振動は徐々に間隔を短くしていき、鬼子はとうとう立っていられなくなって、四つん這いになって泣き叫んだ。


「鬼美ちゃあんっ!」

 鬼美は暗いジャングルの、さらにその向こうに広がる山々と、黒い空を食い入るようにじっと見つめていた。鬼子が鬼美の視線を追うと、その先にはまるで火事でも起こったかのように何本もの黒煙が上がっていた。震える視界の中、鬼子は不安げな顔で次々と空に広がっていく黒煙を見つめた。

「何、あれ?」

「分からない……稽古場の方だ。行こう!」

 分からないことが、余計に二人の胸の不安を掻き立てた。鬼子がゴクリと唾を飲み込んで、黙って頷いた。鬼美は緊迫した面持ちで、鬼子の手をもう一度しっかりと握りしめ、一目散に走り出した。



「ハァ、ハァ……ッ!」

 暗い森の中を、鬼の子二人が手を繋いで急げや急げと駆け抜けて行く。

 二人は崖になっている斜面の上の、崩れかけた足場を飛び跳ねるように進んでいった。その間にも、振動は激しく森全体を揺さぶり続けていた。途中、火に毛並みを焼かれた豆狸まめだぬき管狐くだきつねの群れが、慌てて水の流れる方へ逃げていくのとすれ違う。先へ先へと進むたび、普段の見慣れた光景とは全く違う森の姿に、鬼美はいよいよ表情を固くしていった。


「森が……泣いてる……」

「鬼美ちゃん、前っ!」

「……しっかりあたいに掴まってな、鬼子!」

 鬼子が目を丸くして前を指差した。どぉん! と大きな音がして、森の中に凶風が吹き荒れ、二人の頭上を覆っていた腐ったブナの木が突然メキメキと音を立てて倒れて来た。鬼美は急いで鬼子を抱き寄せると、そのまま進行方向から向かって左手の、断崖絶壁にダイブした。


「きゃあああっ!?」

 悲鳴を上げるおかっぱ頭の少女を抱いて、鬼美はジャングルの中に生い茂るつたに器用にぶら下がり、上手く枝葉に体をぶつけ、減速しつつ崖の下の地面に着地した。


「あああぁ……!」

「……ったく、鬼子はホンットに運動オンチだな。鬼の子なら、これっくらい出来るようにならなくっちゃあ」

「うぅぅ……ごめん……」

「冗談よ」


 ズシン、ズシンと不気味な音を立て、その間にも地面は小刻みに震え続けた。涙目になっている鬼子を抱き寄せて、鬼美は幼子のおかっぱ頭をぽんぽんと撫でた。それから彼女は鬱蒼と生い茂る暗闇の中に鋭く目を光らせ、やがてそばを走って行く山犬の影を嗅ぎ取った。

「乗って行こう」

「わわっ!?」

 鬼美は鬼子を背中に、指を輪っかにして口笛を吹くと、あぜ道をひた走る山犬の群れに近づき飛び乗った。鬼子や鬼美たちの数倍は大きな山犬たちもまた、森の異変を感じ取って逃げている最中だった。鬼美は山犬の首筋にしがみつき、鬼子は鬼美の体にしっかりと腕を回した。二人は白い山犬の群れに連れられて、風を切って暗い森の中を駆け抜けて行った。



「鬼美ちゃん! 見て、あれ!」

 南の黒い森を抜け、西側の海に面した崖が見え始めると、鬼子が何やら慌てた様子で前方を指差した。鬼美もそれに気づき、急いで山犬に耳打ちし、走る速度を緩めた。

「青鬼の爺さんだ!」

 鬼美が叫んだ。岩場の影に蹲って倒れているのは、先ほど別れたあの老鬼に違いなかった。


「おじいちゃん!」

 鬼子が山犬から飛び降り、急いで老鬼の元に駆け寄った。

「う……うぅ……!」

「おじいちゃん……!?」

 老鬼の顔を覗き込み、鬼子はハッとなって小さな体を強張らせた。


 苦しそうに呻く老鬼の、その青かった皮膚は真っ黒に焼け爛れ、肉の焦げた匂いが辺りに漂っていた。老鬼の周りには、まるで岩でも降って来たかのようにボコボコと巨大なクレーターがたくさん空いており、よく見ると周辺の景色いわばも、さっきまでとは違う形に削り取られ変形していた。鬼子はゾッとなってその場に立ち尽くした。

「一体何があったの……!?」

「鬼子! あれ!」

 崖の中腹から、山犬に乗っていた鬼美が、飛沫を上げる波の方角を見て鋭く叫んだ。鬼子が顔を上げると、そこには見慣れた真っ黒な海と、見慣れない真っ黒な鉄の塊が海を埋め尽くさんばかりに何隻も何隻も浮かんでいた。鬼美が黄色い顔を真っ青にして引き攣らせた。


「戦艦だ……!」

?」


 鬼子は、海の中に隙間なくびっしりと浮かぶ、トゲトゲの生えた鉄の塊を見て目を丸くした。鉄の塊の上には、何やらごちゃごちゃとした四角いや、長いが積み上げられている。さらにその上にはのような、鉄で出来た昆虫が何匹も留まっていた。

 鬼子は口をパクパクと開けた。初めて見るに幼子が目を奪われていると、突然は筒の先をこちらに向けて、大きな叫び声を上げた。


「!!」

 の砲台が一斉に火を吹き、耳を劈くような轟音に鬼子は思わずその場に蹲み込んだ。その途端、バラバラとあられのように降って来た砲弾が鬼子のすぐそばに着弾し、凸凹した岩場をぐちゃぐちゃに吹っ飛ばして辺りに土煙つちけむりを撒き散らした。


「鬼子ォーッ!!」

 鬼子はキーンとして聞こえなくなった耳で、友が自分を呼ぶ声を何処か遠くの方に聞いていた。突然の出来事に、体がついていかない。どんなに目を凝らしても、見えるのは焦げ茶色の土埃ばかりだった。さらに休む間も無く降り注ぐ土砂と熱気に、鬼子は完全に震え上がってしまい、最早立つことすらままならなかった。そうしている間にも、は唸りを上げて吠え続け、鬼子のいる岩場、いや島全体に爆弾の雨を降らし続けた。


(ああ、そうか……)



 この揺れと、大きな音は、の仕業だったんだ。



 鬼子がそう気づいた時には、鬼ヶ島は既に半分以上が爆撃によって抉り取られていた。はさらに次の波状攻撃に向けて、照準を鬼子たちのいる方角に一斉に合わせた。


(鬼美ちゃん……おっちゃん……!)

 漆黒に染まった空から、鋼鉄の雨霰あめあられが降り注ぐ。次から次へと飛んでくる爆弾が、鬼子のいる岩場に新しい穴をどんどんと作って行った。鬼子は両手で顔を覆い、ダンゴムシのように体を丸めてその場でぎゅっと身を縮こまらせた。すると、ボロボロと涙を流す鬼子の『布』を、不意に誰かが引っ張った。


「おじいちゃん……!?」

 鬼子が驚いて顔を向けると、爆弾の煙の向こうに老鬼の血だらけになった顔があった。老鬼は自らも地面に平伏したまま、痛ましいぐらいに生々しい傷跡を作った手を伸ばし、鬼子の『布』の端を握りしめていた。

「鬼子、や……」

 息も絶え絶えになった老鬼が、徐々に光を失っていくその青い瞳で鬼子を覗き込んだ。鬼子が言葉を失っている前で、老鬼は最後の力を振り絞って嗄れた声で彼女に告げた。


「お、鬼子や……。人間様を、う恨むでないぞ……」

「……!?」

「ワシらは昔……人間様に悪い行いを……。これは……ワシらの蒔いたタ」

 その瞬間。

 鬼子の目の前で、飛んできた砲弾が老鬼に命中し、彼の顔を木っ端微塵に吹き飛ばした。

 鬼子の小さな体が爆風と熱気に包まれる、一歩手前。


「鬼子ォーッ!!」

 鬼美が絶叫した。土煙の中を飛んできた山犬が間一髪のところで鬼子を咥え、鬼神の如き身のこなしでその場から走り去った。


□□□


「ただいま……」


 夜になり、静まり返った農園の一角。

「お帰りなさい。桃太郎や」

「母さん」

 真っ暗闇の中、蝋燭を持って出迎えてくれた母親に、桃太郎は長旅で疲れ切った顔を少し緩ませた。後ろ手で引き戸を閉め、彼は数週間ぶりに実家の敷居を跨いだ。


「先に寝ててくれて良かったのに……」

「ご飯はもう食べたの? 釜が湧いてますよ」

 自分よりも息子のことを真っ先に心配する母の背中に、桃太郎は急に胸が締め付けられる思いだった。玄関の片隅にそっと荷物を降ろし、桃太郎はチロチロと火を揺らめかせる囲炉裏の端に座り込んだ。母親が台所に引っ込んでいる間、桃太郎は久しぶりの我が家をゆっくりと見渡した。虫食いだらけの大黒柱に、破れたままの硝子窓、大きな蜘蛛の巣の張った天井……。


「お食べ。寒かったでしょう?」

「ありがとう、母さん」

 奥の部屋では、既に父が床に就いているのだろう。障子の向こうから地鳴りのように聞こえてくるいびきに苦笑しながら、桃太郎は母から熱々の味噌汁を受け取った。


「……帝から、僕、征夷軍に所属するよう任命されたよ」

「まあ、まあ!」


 しばらく黙って味噌汁を啜っていた桃太郎だったが、やがて母の顔を見つめ、その精悍な顔をくしゃっと綻ばせた。息子の言葉に、母親はしゃもじを片手に目を丸くした。


「まだ、だけどね。手柄を立てたら、昇格制度大将軍だってある……」

「でもあなた、お勉強はどうするの?」

「勉強なんて!」

「あなたまだ、十歳でしょう? そんな、身なりをしているけれど……」

 母親がまじまじと桃太郎を見上げた。

 桃太郎はで、既に同い年の子や父親の背丈すら追い越し、二十歳くらいの見た目をしていた。おかげですっかり大人と変わらない肉体をしている彼だったが、中身はまだ十の子供と変わりなく、母親の前で強請ねだるように口を尖らせた。


「母さん。を退治したら、帝は金銀財宝を約束してるんだよ。そうしたら、都で『電気』だって買える。もうこんなトコで暮らさなくて済むんだ」

「でも……」

「帝の命令に背くなんて、そんなことは出来ないよね?」

「……そう、ね」

 頬に手を当て目を伏せる母を見て、桃太郎は少し悲しくなった。母親を悩ませるつもりはなかったのだが、あいにく彼はまだそんな言い回しを身につけてはいなかった。


「……退? 寺子屋の先生だって言ってたよ。『ムカシムカシ、桃太郎は鬼ヶ島に悪い鬼を退治しに行きました』……」

「ええ……」

 教科書をそらんじてみせる桃太郎に、しかし母は不安げな表情を崩さなかった。


 昔から、桃太郎は大人びた子だった。

 難しい知識や言葉を使いたがり背伸びをしたがる、どこにでもいるような元気な男の子。ただし息子の場合は……その特殊な生まれのせいか……背伸びするだけでなく。体が頑丈に育った分、同年代の他の子たちに比べ何でも卒なくこなしたし、教えれば何でも出来る賢さもあった。だからこそ、自分より弱いものを労わる『優しさ』を教えなければと常々思っていたのだが……息子の成長速度は、母の予想を遥かに超えていた。

 成人と変わらない姿の十歳の息子を前に、母は小さくため息を漏らした。


「ねえ桃太郎。そう言うのは、もうちょっと大きくなってからでもいいんじゃないかしら? 母さんはね、心配なの。万が一あなたが戦場に行って、悪い鬼に怪我でもさせられたらって……」

「大丈夫だよ」

 桃太郎は味噌汁を飲み干して、あっけらかんと笑った。


「今や軍の最新設備は強大なんだ。僕も見学させてもらったよ。未だに肉体フィジカルにモノを言わせて、金棒振ってる鬼なんかに遅れを取るもんか」

「…………」

 無邪気に目を輝かせる桃太郎とは裏腹に、母の顔はどんどんと翳るばかりであった。


「今頃は海軍と、それから『雉部隊』が鬼ヶ島に第一陣を送ってる頃じゃないかな」

「『きじぶたい』?」

 聞き慣れない言葉に首をかしげる母親に、桃太郎は満面の笑みを浮かべて得意げに語った。


「ああ。『空軍』さ。すごいんだ。なんか、遠くの空から爆弾で全部燃やしちゃうよ!」


 

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