怪獣遊戯

関谷光太郎

第1話

 それは荒ぶる獣だった。

 十階建てのビルに相当する身長と、それを支える筋肉が小山のように盛りあがる。巨体に比して小さな頭部には禍々しい光を放つ目、そして発達したあごに鋭い牙が並んでいた。


 スモールヘッド。


 当初は『巨大生物』と呼ばれていたものが、自衛隊による武力行使決定と同時につけられた戦略上の呼称である。そして、十二時間に及ぶ掃討作戦そうとうさくせんは失敗に終わり、スモールヘッドの周囲には山となった兵器の残骸と、崩れ落ちたビル群の廃墟だけが残ったのだ。


 地獄絵図の中心でスモールヘッドが咆哮した。人間達に対して勝利宣言するように、大きな尾を何度も地面に打ち鳴らす。


 バン、バン、バン……!


 なんの前触れもなく、突如現れた異形に世界が壊されていく。


 その現実に――人々は恐怖した。


 ◇◇◇


『わたしの責任だす。わたしが悪いのだす』


 さっきからずっと続いている、頭に直接響いてくる声。


『星海に突入する寸前で止めるチャンスはあったはずだすのに!』


 声の主はどこかの異星の存在で、瞬時に他言語を理解、変換して話すと説明した。ちょっと変な部分はあるものの、理解は十分に可能だった。


『本当に馬鹿、馬鹿、馬鹿だす!』


 ホンマに、うるさい!


 男は言葉を口に出そうとしたが、内臓から溢れる血液によって発声器官が阻害され、咳込むばかりだ。次第に肉体の感覚は戻りつつあったが、彼にとってそれが良かったのかどうか。なぜなら、覚醒の瞬間地獄の業火に焼かれるような激痛が襲ってきたからだ。それはそれは、耐え難い痛みの嵐だった。


『おお、痛いか。痛いのだすか?』


 声のテンションが上がる。


 男はそれどころではない。自らに降りかかった災いに誰を呪うこともできず苦悶するしかないのだ。


『物理的痛み! その痛み、わたしにはわからんだすが、ごめんね。ごめんね 。全部わたしが原因だす! 』


 謝っているわりに感情のとぼしい声。聞きようによっては、ふざけているようにも取れる。


 痛みの海に溺れながら、男は思わず絶叫した。


「ホンマに悪いと思たら、責任取ったらんかい、このボケ!」


 ゴボゴボ。口から血が吹き出した。もう限界だった。意識が急速に遠のく。全身の熱がみるみる奪われて、男は彼岸ひがんの川を渡る。


 遠距離恋愛の彼女と会うため、大阪から東京へ初めてやって来たその日。男は彼女から別れを告げられた。


「他に好きな人ができたから」


 付き合って三ヶ月。やっと会いに来たというのにこの仕打ち。その夜は、一人寂しく浴びるように飲んだ。彼女と一夜を明かすために取った高級ホテルの部屋に、ベロベロになって戻ったまでは覚えていたが……。


 スモールヘッドの出現に緊急に出された避難勧告。しかし男は気がつかなかった。それほどの深酒だった。男一人を残したホテルは、スモールヘッドと自衛隊の戦闘に巻き込まれて破壊された。そして、崩れ去る建物から救い出してくれたのが『声』だったのだ。


 瀕死ひんしの彼を前に『声』は言った。


『わたしは、異星人だす』


 唐突な自己紹介。このタイミングで名乗られても……。



 ◇◇◇



『責任、取るだす!』


 ――えっ?


 彼岸の川の途上。水面から五センチほど浮かんだ状態で男は声を聞いた。あの地獄の痛みは嘘のようになくなっている。


 ――おいおい、また、このタイミングでかい?


 助けられた時と同じ唐突さだった。


 天上へと吸い込まれる感覚。彼岸の川がみるみる遠ざかっていく。気がつけば薄暗い空間を漂っていた。仰ぎ見る遥か頭上で柔らかな陽光が射し込み、たゆたゆ液体に乱反射する。どうやらここは海の底のようだった。


 眼前に現れた銀色の光が、男に対して思念を送る。それは映像となって男の網膜に焼きついた。


 宇宙空間を渡るエネルギー生命体。銀に彩られた光を放出して高速で移動する。その先には、虹色に輝く別のエネルギー生命体が存在した。銀の生命体は虹色を捕獲する使命を帯びている。虹色は、宇宙に混乱をもたらす『破滅の深淵しんえん』であり、銀色は『秩序ちつじょ』を体現するものだった。追跡劇は長大な時間で繰り広げられた。


 銀色がいよいよ虹色を追い詰めた。絡まり合う光の帯。だが、もう一歩というところで現れたのが、青い惑星『地球』だった。


 虹色は地球へ逃げ込もうと転進。大気圏突入の衝撃によって二つの光は分離を余儀なくされた。地上への激突を回避するために方向転換した銀色は、逃した虹色が大海を滑るように移動しているのを確認する。やがてそれは海中へと姿を消し、一時は見失ってしまうのだが……。


 海の底で銀の光が揺れた。虹色のエネルギー生命体が、この海で怪物と化したことを光は告げている。言葉よりも早く、正確な情報として男に与えられたビジョンは、大海に記憶された多様な生物進化のデータを取り込んで怪物と化す、虹色のエネルギー生命体の姿だった。


『あなたの亡くした命、わたし助けるだす』


「おれ……やっぱり死んだんか」


『大丈夫だす』


「なにが大丈夫やねん。おれ死んでるねんぞ?」


『大したことではないだす!』


「はぁ? 他人事やと思いやがって!」


『心配無用。助かる方法があるのだす』


「死んでるのにか?」


『合体だす』


「が、合体?」


『わたしの身体に取り込めば、あなたの魂を救うことができるだす』


「ちょっと待てよ。魂って、おれの身体はどうなるんや?」


『諦めるだす』


「な、なんやと……簡単に言うな!」


 言うな、言うな、言うな、言うな……。


 反響する言葉。


 言い募る男を無視するように、『声』は光の渦を生み出した。


『合体いくだす!』


 男の意識が光に吸い込まれる。


 びゅいいいい~ん。


 耳に響く不思議な音。次の瞬間、光はひとつの形へと収斂していく。


 銀色に輝く人型の巨人。


 つるつるの全身に、ぬるぬるの顔。人型を形成したとはいえ、そのディテールはまだ定まっていなかった。


 光に取り込まれた男にも、その不安定さへの違和感が伝わってくる。


「おい、なんか全身が気持ち悪いぞ」


『今、検索中だすのよ』


「検索って、なんやそれ?」


『この惑星の生態系と生物進化のデータ。そしてあなた達、知的生命体の持つ戦士のイメージ』


「戦士? なんでそんなんが必要なんや?」


『奴に勝つためのプラスアルファだす!』


「勝つって……おいおい、あの怪物と戦うんかい。冗談やめてくれや!」


 つるつるの全身が波打った。何事か喜びにうち震えるという状況らしい。


『おおおお。凄いねん、凄いだすねん。あなたの記憶に刻まれた戦士のキーワードをきっかけに、他の知的生命体の戦士のイメージがヒットしまくっとるんだす』


「な、なにを言うてんねん。訳わからんわ」


『まず怪物はやめて、これからは『怪獣』と呼称するだす。どうやらそれが重複する一番のイメージのようだすな。そして……』


 ディテールが急速に定まっていく。


 びよわわわわわ~ん。


 つぶらな瞳に桃のような唇。わっさと生えた緑の髪の毛が腰まで伸びる。銀色のボディにひるがえるスカート。右手に持ったハートのバトンがくるくる回った。


『マジカきたーな!』


 突き出す胸がその存在を誇示した。


「ちょっと待て。これがおれらの持ってる戦士のイメージってか? かなり情報が偏ってるやろ!」


 男の意見は無視された。


 銀色の魔法少女は、天を仰ぐと高速で飛び上がった。


『イヤ~ン』


 衝撃波によって、海底が揺れた。


 ◇◇◇


 スモールヘッドは微塵も動く気配がない。都会に住み着いた多くのカラスたちが、その身体に集まってきた。カラスだけでなく、雀や鳩、その他周辺に棲息する野鳥がスモールヘッドの発する特殊な磁気に惹かれてやってきたのだ。


 全ての機能が停止してしまったように見えたが、体内では活発に情報処理が行われている。全方位レーダーと化した皮膚表面に、自らと同じ次元の存在を捉えていたのだ。


 高速で飛来したその存在は、スモールヘッドの行く手を阻むように立ち塞がった。


 ◇◇◇


 スモールヘッドに対峙した銀色の魔法少女。降り注ぐ陽光に少女の勇姿が輝きを放つ。


「ほんまに戦う気か?」


『奴をこの惑星に逃したのは、わたしの責任だす。『破滅の深淵』による世界の蹂躙を放っておく訳にはいかんだす!』


 ぷるん。


 胸を揺らして、銀色の魔法少女はジャンプした。右手のバトンが振りおろされる。


 スモールヘッドの身体に集まっていた鳥たちが一斉に飛び立った。


『エイ、エイ、エイ!』


 バトンの先のハートが、鋭い刃物となってスモールヘッドの皮膚を切り裂く。


 相手の怯む気配を感じて、魔法少女はさらに蹴りを連発。傷に塩を塗るように切り裂かれた皮膚への攻撃を続けた。どばっと緑色の血液が噴き出した。返り血を浴びた魔法少女の身体から白い煙が立ちのぼる。それは強力な酸を含んだ体液だった。


『あああ、熱ーい!』


 魔法少女が全身をくねらせる。


「か、身体が溶けてきてるぞ!」


 魂を取り込まれた男は、その肉体に直接神経は繋がっていないが、全ての状況が把握できている。超感覚というのだろうか。第三者の目があるかのように銀色の姿を俯瞰することができるのだ。


『大丈夫、変身しなおすだすよ!』


「そんな事できるんか?」


『タイプチェンジだす!』


 銀色のスパーク。


 魔法少女の姿が弾ける光の粒子となって消失し、次の瞬間には新たな巨人が形を現した。


 銀に赤い模様の戦士。頭に鶏冠とさかいただいて、段平だんびらの甲冑が筋肉で隆起する胸を防御していた。まるで中世の騎士といったその姿に、男は感嘆した。


「おお、ヒーローって感じや!」


『デイヤっ!』


 パンチ、キック。回し蹴り。繰り出される技は、ヒーロー物お決まりのパターンだった。それはこの世界に生きる知的生命体、つまりこの日本に住む人間たちのイメージに他ならない。


 膨大な情報の嵐の中から、より密度の高い波が立ちあがるのを男は見た。銀の光が抽出したヒーローに関するデータが視覚として捉えられているのだ。


 高次元の感覚に興奮しながらも、男は違和感を持った。


 抽出されるデータが、肉弾戦に関するものばかりなのだ。


 ーーなんで必殺技の光線を検索せんのや?


 戦士のチョップが炸裂した。それまで動きを止めていたスモールヘッドが息を吹き返し、自分を攻撃する敵に対して牙をむいた。発達した顎を大きく開き、喉の奥で青い光源が点滅する。


 危険を察知した戦士が離脱を試みるも、スモールヘッドの背中から生えた六本の触手よって、その動きは封じられた。両腕だけを残して、触手に絡みとられた戦士の身体。スモールヘッドの口蓋が迫った。


 怪獣は熱線を吐くつもりなのだ。男は戦士と同じ目線で、死の恐怖に迫られた。


 後編へつづく。

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