誰もがあなたを望む

「で、玄徳様、先ほどから聞きたい事がありまして」

「何だ」

「あちらの方々は誰ですの?」

「あちらの方々……?」

 憲英が指した方向を見つめる。そっちはただの肉屋だ。貧相な男が売っている、質の悪い肉が売られているこの村唯一の店だった。その店の物陰に大きな陰が二つ。見た事のある顔が二つある。関羽と張飛――つい数刻前出会った男達だった。劉備は立ち上がり、そのまま二人の元へ向かえば彼らの顔面に拳を叩きつける。

「おい、何着いてきてんだよ。つきまといか? 役人呼ぶぞ」

 劉備は腰に携えている双剣を二人の首に突きつけるが、二人はそれを気にせず唇を噛み締めた。どうやら先ほどの話を聞いていたらしい。

「姉者、俺感動したぜ! あんたは母上のために盗みをしていただなんて……! 感動して姉者の顔が見えねえ!」

「我も感動致しましたぞ、姉上! 自分の身を汚して母君のために奮闘するそのお姿! まさに大徳たるべきお方!」

「いや、俺男だから。いつまで信じてんだ、お前ら」

 あと変な呼び方すんじゃねえ。劉備は双剣を剣鞘に戻し、二人を見上げる。信じられないという顔をする二人の手を掴み、信じさせるために己の股間に手を添えさせた。すれば、二人は「ある」「確かに」「あるな」と言葉を漏らし、手を引いた。傍から見れば絵面が危険なものになっている事など劉備はおろか、関羽と張飛も気付いていなかった。

「で、何の用だ」

「我ら姉――、兄上のお傍で兄上を守りたくはせ参じました。我らの武、如何様にもお使いくだされ! 我らは兄上の刃となりましょう!」

「俺は官吏でも何でもねえ。ただの村人その一だ」

「承知の上。ですが、兄上の仕事上我らの武が必要になる時もありましょう」

 必要になる時なんてない。が、この二人は力がある。南の畑を作り上げるのにちょうどいいか。劉備は彼らを畑の人手として使う事を決める。

「俺の弟分になりてえならまずはこの村の人間に認めさせてみせろ、それからだ」

 旅をしてきた二人だ。それくらいなら容易いだろう。だがそれすら諦めてしまうのなら、彼らは劉備の下に来てもすぐに去ってしまうだけ。なんせ劉備の道は厳しく険しい。

「おう、兄者! 任せとけ! 必ず認めさせてやるからよ!」

 劉備は張飛の言葉に期待せず憲英の元へ戻った。関羽と張飛は早速何処かへ去って行く。

「あの方々は……?」

 俺もよく知らない。劉備は憲英にそう答えた。知っているのは名前くらいだ。彼らが何を目的にしているのかも知らない。

「旅は道連れ、世は情けとも言いますし、玄徳様の心強いお友達になりそうですわ」

「それはあいつら次第だ」

 井戸を求める村人がやって来る。劉備は彼らに筵を売りつけつつ、金を貰い、憲英の言葉に耳を貸す。

「玄徳様は、世の中を変えたいとか思ったりしませんの?」

「俺が? 無理だろ。俺はただの農民だぞ」

「あら、農民でも夢を持ちますわ。だから黄巾党という賊が蔓延っているのでしょう?」

 憲英の言う通りだ。しかし劉備はそんな大それた事を考えない。天子の乗る馬車は一度乗ってみたいと思うが、そんなものただの夢である。

「では叶えたい夢はありますか?」

「叶えたい夢はあるさ。母上が元気になってくれるだけで俺は十分だ」

 それは長きに渡るだろう。叶う事あるのかと最近思ってしまう。それがすぐ叶う訳ないと知っているが、劉備にとってそれは幼き頃からの夢であり、叶えたい現実だ。

 そんな願いを叶える「神様」でもいればと何度思っただろうか。

 だが今日の憲英は少しおかしかった。まるで彼女がそれを行ってくれるのかとでも言うように、彼女は儚げな笑みを漂わせる。

 まさか、もしかして――。

「おい、憲英、お前はまさか……」

「わたくしはただ非力な村人ですので、助けるのは無理ですわ」

 ただわたくしは玄徳様がこんな村人で終わる訳がないと知っております。あなたは大きな人になる。誰かを救う。それは決まっている事実ですわ。そのためにわたくしは尋ねたに過ぎません――と憲英は口元に手を添えて小さく笑い彼女は立ち上がる。

「でも、面白い噂は知っていますわ、玄徳様」

 噂。劉備は首を傾げた。憲英はゆっくりと口を開きその噂を話し出す。

「願いを叶えてくれる建物があるそうですわ。金銀財宝が眠っているそうです。それが何処にあるのかはわかりませんが、玄徳様がもしそれを手にする事が出来れば……甘家の力を借りずに洛陽の医者を呼べるかと」

 そうすれば、彼らに利用されずに済む。劉備はその答えに行き着いた。邪魔をされない、つまりは盗みをしなくていい。それは劉備にとっての幸せであり、自由だ。

「その建物の場所の検討は?」

「さあ、何分ただの噂ですのでそこまでは」

 こんなご時世。ただの噂が人々に希望を持たせた。漢王室は荒れ果て、民は貧困に苦しみ、何を信じていいのかわからない時代だ。劉備とてこんな時代でなければ盗みもしていない。

 だがその噂を信じてみる価値はある。火のない所に煙は立たぬとも言う。何かしらあるのだろう。早速調べるに限る――そう考え、憲英に筵を託せば彼女と別れその場から去って行った。

 とはいえ、探すにも一苦労である。利用されているのならこっちも甘家を使って探ってみようか。劉備はそんな事を考えながら家への帰路についた。庭に向かい、桑の木の根元に置いてある筵を退けて、土を掘る。掘る、掘る、掘る――ひたすら掘る。

 日が暮れた頃、深い穴からは木箱が現れる。それを取り出し、蓋を開ければ大量の硬貨と貨幣が詰められていた。これは劉備が盗んで来た金である。また、鉄やらを売り得た金でもある。この金があれば、官吏にもなれるし、土地を貰う事だって可能だ。しかし、劉備はこの金を母親の病を治すために使う。目標の金額まであと少し、あと数回盗みを行えば目標の金が貯まる。そうすれば、母親もきっと。

 がさり。何かが動く音がした。家の庭のすぐ隣には広大に広がる森。家と森には境界線がない。狼でも出たかと警戒するも、現れたのは子猫だった。猫は劉備の元へやって来ては、劉備の指を舐めてから何処かへ去って行く。

「猫か……久し振りに見たな」

 この辺りには猫なんていない。珍しいものもいるものだと劉備は木箱の蓋を閉めようとした瞬間だった。

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