第一章 大人にはわからない

それは長きに渡る縁

 英雄とはどういうものだろうか。この乱れた世を治められるような器か、それとも誰かに寄り添う身近な存在か、それとも大徳たる器を持つ者だろうか。

 後漢末期――世は荒れに荒れていた。飢饉、宦官の専横、官吏達の対立、朝廷での汚職など挙げればきりがないほどに漢王室は穢れ、朝廷は機能せず民は貧困に喘いでいた。そんな国を英雄達が救うのはまだまだ遠い未来の話。

 幽州・涿郡。その州から何十キロも離れた漁陽の港では首都・洛陽からの船がやって来ていた。港は賑わいを見せ、多数の商人達が様々な物を売っている。半年に一度、港が活気づく日だった。黒髪を一つに纏め、緑の漢服を纏う小柄な子供は肉の刺さった串を口にくわえながら港を歩く。手には紅茶が入った小さな袋が握られている。左手を静かに、目視出来ぬよう動かしながら、港を出て行く。

 数分歩き、子供は足を止めた。そして口角を上げては懐から数個袋を取り出した。懐にはまだ袋が詰められている。鉄と鉄の掠れる音が響いた。

「ちょろいもんだぜ。これだけあれば、半年は食っていけるな」

 袋の中身は硬貨。そう、子供はスリであった。そうやって日銭を稼いでいる。この紅茶もそんな金で買ったものだ。罪悪感がない訳ではないが、生きるためには仕方のない事である。

「さて、と今日の仕事は終了っと。これで帰れる――」

 と思った瞬間、左右の木々生い茂る森から蛇矛と偃月刀が目の前に飛び出す。二つの武器は交差され、子供の目の前に差し出された。だが子供の目に恐怖の色も驚きもなかった。まるで慣れているとでも言うような、興味のない瞳をしていた。

「やっぱりテメェか。楽しんでる奴らの金を盗むなんざ、太ェガキだ」

「盗みとあっては、我ら許してはおけん!」

 脇から出て来たのは立派な長い髭を蓄えた男と、少し恰幅のよい体格をした髭の男だ。子供は鬱陶しそうに漆黒の瞳で二人を貫いた。蛇矛を子供に向ける、顎を覆うような髭を生やした男は子供を睨み付けるが、子供は眉一つ動かさない。

「……用心棒って奴か。流石に俺の話は耳に入っているみたいだな」

「当たり前だ! 俺達は港の役人から雇われた。この辺りで盗みを働くガキが居るって聞いてな。だが、テメェみたいな女が子供だとは思わなかったぜ」

 女。その言葉に子供は僅かに右目をぴくりと痙攣したように動かした。それが気に入らなかったのだ。女ね、女、そう――と告げては手に持っている袋を地面に置いて、携えている双剣を抜いた。

「――後悔させてやるよ、その言葉」

 子供は目を伏せ、氷のように凍り果てた漆黒の瞳で二人の身体を刻んだ――かと思いきや、一瞬で彼らの前から姿を消した。そして彼らは子供の存在を後ろに感じた次の瞬間、その場に膝をついた。

「峰打ちだ。俺は殺す事はしない」

「峰打ち、だと……!? そなた、我らを馬鹿にしているのか」

 目にも見えぬ速さで剣の側面を使って二人をいなした。峰打ちをした。二人は子供の技術に驚く傍ら、表情を変えない子供にも驚きの感情が瞳に宿っていた。子供は手の中の双剣を見つめてから双剣を腰の剣鞘に戻し、紅茶が入った袋を持ち歩き出す。

「待たれよ!」

「弱い奴には興味ない」

 子供はそれだけを言い残し、膝をついたままの二人に背を向ける。が、すぐに二人が子供の進行方向に出て来ては跪き拱手し子供の進行を止める。

「我は関雲長、こっちは張翼徳。我ら二人、日銭を稼ぐために港の護衛を託されていた。……単刀直入に申し上げる。我らはそなたの武に惚れ申した。この若輩二人、そなたの傍に置いてはくれまいか」

「なら、何処かの武門にでも仕えるんだな。俺は弱い奴に興味ないっつったろ。それに――“女”に頭を下げる男なんて見ていられねえぜ」

 子供は”女“に頭を下げる関羽と張飛を嘲笑う。わざとらしく口角を上げて、悪党のように嗤うその姿は純真無垢な子供とは言えなかった。

「強さに、男も女もござらん」

 立派な髭を蓄えた長身の男、関羽は子供から視線を離さなかった。それは隣の張飛とて同じ。だがそれでも子供は二人に揺らがない。何も言わず関羽と張飛を見上げているだけだ。しかし、関羽達も負けてはいない。双方一歩も退く事はなかった。

「俺達は強さを求めてる。理不尽な世の中を少しでも変えたいと思っているからだ。小さな事からしようと俺と雲長は様々な事をやって来た」

 小さな事から。その言葉に子供は僅かに反応する。無反応だった瞳を二人へ向けた。覚えがあるからだ、共感出来るからだ。その「小さな事からこつこつ」と動く事は。

 だが、それでも、子供は首を縦に振らなかった。振れなかった。

「俺と同じ盗みが出来るのなら考えといてやるよ」

 その言葉に関羽と張飛は留まった。清廉潔白、純真無垢。その言葉が似合う二人だ。子供は「じゃあな」とだけ言い残してその場を今度こそ去って行く。一陣の風の如く、百合の香りを残して。


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