第24話

やまなみ賞当日。

朝から同僚の手伝いをこなしていささか疲れ気味だが、そんなことも言ってられない。

午前中のレースに出走馬がいるんで先生はいないが、そんな時は番頭が張り切って仕切ってる。

そろそろお昼になろうかという時間。だいたいこっちの仕事が終わった頃合いで、番頭が声をかけてきた。

「スーツに着替えてアップしとこうや。そろそろだぜ」

はい、了解です。

それだけ言うと、外階段を二階へ駆け上がる。


厩舎の二階は住み込み出来るように部屋がいくつか用意されてる。

もっとも、最近じゃ住み込むのはあまりいなくて、うちじゃもっぱら厩務員の休憩所。

人数分のロッカーにちゃぶ台、後はテレビとポットと電子レンジ。

そこに駆け込んで、自分のロッカーを開く。


薄汚れた作業着を脱いで放り込み、ワイシャツに袖を通す。

今日のために用意した空色のネクタイ。

ゴーヘーの馬装と揃えてみた。

お洒落するようなガラじゃないが、このくらいはやってもバチは当たるまい。

ゴーヘーの復帰戦だもの。一緒に戦うんだってとこは見せたいからさ。


ゴーヘーの復帰戦はやまなみ賞。

ここの3歳限定重賞の中でも一番賞金が高い。だからダービーとも言われたりする。

クラシック路線が整備されてないから三冠もダービーもないんだけど、3歳はここが目標ってのがほとんど。

そこを復帰戦に選んだのだから、先生も勝負師だよなぁ……。

もっとも、俺も番頭も出るならここだろうと思ってたんだけどね。


スーツを着てヘルメットをかぶり、ゴーヘーの馬房に潜り込む。

バンテージを巻いて、頭絡を着け、ハミを噛ませる。

はみ環に引き手をつけて馬房から引き出すと、ゴーヘーは自分から歩きだす。

よしよし、いつも通りだ。

少しだけホッとして、ウォームアップの散歩に出る。


引き手の長さはいつも通り。

歩く速さもいつも通り。

ゴーヘーに話しかけるのもいつも通り。

変に気負ってゴーヘーに気づかれても困る。

だから、いつも通りを徹底する。


なあゴーヘー、久しぶりの実戦だなあ。

お前よりキャリア豊富なのもいるし、強いのもいるかも知れん。

だが、アンチャンとふたりで話し合っていいレースにするんだぞ。

俺と番頭で出迎えてやっからな。

ゴーヘーはうんうんと頷きながら歩く。

これもいつも通り。

これなら力は出せるはず。

そう自分に言い聞かせながら、装鞍所へとゴーヘーを曳いていく。

「さすが担当さんは仕事が早いや。俺が遅れを取るんだからなあ」

そんなことを言いながら、首に引き綱を引っ掛けた番頭が追いかけてきた。

番頭と二人曳きで連れて行くことにする。


ゴーヘーを体重計に載せて、壁のモニターを睨みつける。


……439キロ。

「まあ、こんなもんだろうなぁ」と番頭が言う。

俺は少しガックリしてた。

稽古でだいぶ絞れたにしても、445はあるだろうと思ってたからね。

それでも、休養前からすればずいぶんと大きくなった。

そんなことを思っていると、番頭がモニターから視線をこっちに向ける。

「心配すんな。この体重でもそこらの連中に負けるような稽古はしてないんだから」

ええ、ですよね。

「競られても我慢が出来るようにはしてきたつもりだし、やれることはやってきたよな?」

はい、少なくとも出来に関してはやれることやりましたから。

「なら大丈夫だ。自信持ってこうや」

番頭はそれだけ言うと、ゴーヘーを待機馬房へ向かわせる。

もちろん、引き手を掴んでる俺も一緒に。


検査も装鞍も終わって、いよいよパドックへ出る。

装鞍してる最中に先生がこんな事言ってた。

「復帰戦がここだからって気負うこたぁねぇや。やる事やったんだし、ゴーヘーなら大丈夫だ」

たぶん、俺がまた緊張で青い顔してるのを見てたからだろう。

そうだよな。やる事やったんだし緊張したって始まらん。

引き手を握り、誰にも気づかれないように自分に気合を入れる。

4枠8番。いい枠をもらえたんだもの。


パドックに出たら驚いた。

普段でも重賞となればそれなりに客はいるものだけど、今日は超満員。

なんでだろうと思っていると、番頭がこう言ってきた。

「オッズ板見てみな。こんだけ客が多いのもわかるから」

チラッと横目で見たら、ゴーヘーの単勝が1倍台。

……だよなぁ。

パドックのお客さんたちからも、「ゴーヘーがんばれー」と声が飛ぶ。

「みんなゴーヘー目当てらしいな。すっかり人気者だなぁ」

番頭が感心したような声を出した。

「まあ、こんな小さな競馬場から中央に殴り込みしたってだけでもな」

ええ、でも競走中止じゃ格好つきませんでしたけどね。

「そうでもないってのがこの人気さ。もっとも、ゴーヘーにはあんま関係ないか」

ですねぇ。ドシッとしちゃって、まるで古馬の一線級ですよ。

そう答えながら横目でゴーヘーを見る。

もともと他の馬を気にするタイプではないが、それにしても堂々としてる。

これならなんとかなるかな。


止まれの合図でアンチャンが駆け寄ってきてゴーヘーに乗る。

するとゴーヘーも気合の入った顔になる。

これもいつもと一緒。

いつも通りを徹底すること。

今の俺に出来ることは、それだけな気がする。


先生もやって来た。

「いつも通りだ。アンチャンに任せたからな。頼んだぜ」

先生の指示もいつもと一緒。

「はい、承知ですー」

アンチャンの返事もいつもと一緒。

そうして馬場へ冗談を言いながら出るのも一緒。

よし、これなら。

そんな気持ちも少し出てきた。


ゴーヘーを曳いて馬場に出る。

ゴーヘーは早く走らせろと言わんばかりの気合で引っ張りにかかる。

「そろそろいいですよー。ゴーヘーと話し合いつけてきますー」

アンチャンがゴーヘーの上でニコニコしてる。

そうだな。話し合っていいレースにしてくれよ。

これだけ言って引き手を離す。

ゴーヘーはアンチャンの言うことを聞く前にキャンターで飛び出してった。

話し合い、つくんかなぁ……。


待機所に駆け込み、引き綱を首から下ろす間もなくモニターの前へ。

「お、ダービー馬の厩務員さんだ」

早速ライバル馬の調教助手さんから口撃だ。

いやいや、まだゲートインもしてないでしょうが。

苦笑いしながら答えると、彼はこう続ける。

「見ればわかるさ。あれに勝てるのはここにはいないってな。競馬だから何があるかわからんが」

そうですよ、何があるかわからないんですから。

「だが、何もなきゃあっさりで決まるさ。うちのは良くて2着かぁ」

そう言って彼は天を仰ぐ。

俺は苦笑いするしかない。

でも、彼はこうして三味線を弾くのが癖。

同じレースに使うといつもこうして自信なさげにしてる。

そうして、彼の馬が勝つと「何かあったんだね。お陰様でした」とニコニコする。

それを知ってるから、周りはあまり相手にしない。

俺も今日はそれどころじゃない。

モニターを見るので精一杯だ。


ファンファーレが鳴った。

モニターの向こう側ではゲート入りが始まってる。

ゴーヘーは無事に収まった。

あと5頭、なんとかすんなり入ってくれ……。

祈るような気持ちでモニターをにらみつける。


最後の1頭が収まって、ゲートが開く。

ゴーヘーはロケットスタートを決めてくれた。

しかし内枠の2頭が目一杯におっつけてハナを譲らない構え。

アンチャンはゴーヘーを番手のポジションに置いた。

こういう事もあると思って、ずっと番手の競馬を練習してきたんだ。

その成果を見せてくれ。


モニターで見る限り、ゴーヘーは落ち着いて走れてるようだ。

折り合いもついてる。

先頭は2頭が競り合って速いペース。

その直後にゴーヘー。後はだいぶ離された。

残り800。後ろが追いかけ始めたが、まず届くまい。

前の2頭もだいぶやりあって手応えがだいぶ怪しくなって来た。

ゴーヘーと前との差が詰まりだした。

「大丈夫だ、これなら勝てるさ」

いつの間にか、後ろに来てた番頭が声をかけてきた。

「アンチャン、まだ持ったままだ。番手でうまいこと我慢させられたみたいだな」

ですね。ゴーヘーも落ち着いて走れてますよ。

「俺が稽古で乗ってた時とえらい違いだわ。本当にアンチャンと手が合うんだなあ」

番頭が感心したような声を出した瞬間、ゴーヘーが動き出した。

アンチャンが前の2頭を交わせるように外に出すと、ゴーヘーの身体がぐんと沈み込んだ。


残り600。

前の2頭を一気に交わしてトップスピードに乗る。

後ろは追い上げてるはずがどんどん離される。

最後はゴーヘーもバテたようだが、2着以下に5馬身の差をつけてゴール。

俺も番頭も半ば呆然としてた。

軽いものとはいえ故障明け。

それもずっと使ってきたのを相手にしてこの着差。

「……な。大丈夫だって言ったろ」

番頭がようやく声を出す。言葉とは裏腹に、ずいぶんと驚いた様子。

ええ、大丈夫でしたね。

「前にも差して勝ってるけど、あの時は好き勝手走ってだったからな。今回はきちんと競馬して勝った。これは大きいぜ」

ですね。ちょっとは大人になりましたかね。

「それは担当さんが一番わかってるんでない?さあ、ゴーヘー迎えに行くぞ」

首に引き綱を引っ掛けて馬場の出入り口まで向かう。


表彰式や口取りの間、頭の片隅で考えてた。

確かにまともな競馬が出来るようになった。

それって、大人になったってことなのかな。

大人で聞き分けのいいゴーヘーはイマイチ想像出来ない。

むしろ、やんちゃ坊主で暴れん坊な方がゴーヘーらしいんだがな。


厩舎に戻って、洗い場にゴーヘーをつなぐ。

同僚が道具を取りに行ってる間、ゴーヘーと少し遊んでやる。

ゴーヘーは自分が勝ったことがわかるらしく、大威張りだ。

「ホント、ゴーヘーはわかりやすいっすよね。稽古でやっつけられてた時とは大違いっすね」

同僚が道具を運んできてこんなことを言う。

だよなぁ。競馬の後はこうだし、稽古の後はコンチクショーってなるしな。

「んでも、これで3歳には敵なしになったっすね。次はどこになるんすかね」

そうだなあ……。先生がどこに出すかだよなぁ。

そんな事を言いながら少し目をそらした瞬間、ゴーヘーは脚にホースを巻こうとした同僚に前蹴りを食らわそうとしてる。

おい、危ねえぞ。

声をかけた瞬間、同僚はさっと飛び退いた。

「ふぅ、やっぱゴーヘーはこうでなくちゃっすね」

同僚はそう言って笑う。

「暴れん坊でガキ大将で、うちのエースなんすから」

そうだなぁ……。


重賞2勝したし、3歳の頂点に立った。

それだけでもう、うちのエースだもんな。

それらしい振る舞いも求められるのかもしれないけど。


ホースから出る水を追いかけて首を伸ばそうとしてるゴーヘーを見てると、そうじゃなくてもいい気もする。

今のまま、強くなれたらいいのだけどな。

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