第3話
悪い予感はよく当たるもんだ。
調教が始まると、ゴーヘーはやはり暴れだした。
ウォーミングアップは俺がやるので大人しかったが、問題はその後。
乗り込んでの調教は乗り役さんに頼むはずが、番頭が乗ると言い出した。
今でこそうちの厩舎の番頭だけど、少し前までは重賞をいくつも取った腕利きの騎手だったらしい。
状態確認もしたいし、一度乗ってみるということになったんだ。
番頭がまたがった途端、ゴーヘーは耳を絞りだした。
おいおい頼むよ、言うこと聞いてやってくれよ。
心の中で念じながら、番頭にゴーヘーを託す。
ダクでゴーヘーは早速尻っ跳ねをしてる。
よほど番頭が気に入らないらしい。
番頭はどうにか言うことを聞かせたらしく、本馬場へ向かっていった。
それを確認して、俺は厩舎に戻る。
休んでる同僚の担当馬はみんなが手の空いたときに見ることになってて、俺もゴーヘーの隣の馬房を頼まれてる。
大人しくて手のかからない牝馬だから、こういう馬の世話ならいつでも助っ人大歓迎なんだが。
もちろん、自分のもう一頭の担当馬の世話だってある。
こっちもあまり手のかかる方ではないから、いくらか気楽だけどね。
一度調教に出れば2時間は帰って来ない。
世話が終わった後も道具の片付けやらで忙しい。
そんな中でも、ふっと手の空く時間が出来たりもする。
今日もそんな時間が出来て、俺はゴーヘーのことを考えてた。
血統は地味だし、おまけに両親最後の仔。
見た目も冴えないし、おまけに人を見て暴れる。
それでも、前に進むしかないんだよな。
進めなきゃあいつの行き先は……。
そんな感傷を切り裂くように、けたたましくサイレンが鳴り響く。
本馬場で放馬が出たときの合図だ。
反射的に厩舎を飛び出す。
もしかしたらゴーヘーか?
だとしたら……。
嫌な胸騒ぎを抑えながら本馬場まで走る。
本馬場に着くと、ゴーヘーが走って来た。
乗ってたはずの番頭がいない。
そして、俺の目の前で止まった。
ああ、やっぱりお前かぁ……。
少しがっかりしながら引き綱をつける。
遅れて、番頭が歩いてきた。
「いやぁやられた。ハッキングしてたらものすごい勢いで行きたがってなぁ。抑えにかかったら今度は振り落とそうとして大暴れよ。さすがに抑えられなかった、すまん」
番頭はまくしたてるようにこう言った。怪我はなさそうだがうまく落ちたんだろう。
「こりゃあ乗り役考えないといかんなあ。誰でもってわけにはいかんし……」
ですよね。なんでこんなに暴れるんでしょうね。
ゴーヘーを連れて厩舎に戻りながら、番頭に聞いてみる。
「ただの人間嫌いならまだやりようあるんだけどな。どうもそうじゃないらしいし」
番頭は腰をさすりながら歩いてる。
「でもな、背中の感じは段違いだぞ。うまく行けばでかいとこ狙える。今までで一番かもしれん」
名馬の背中を知ってる番頭にこう言われたら、申し訳なさよりも嬉しさが上回る。
「顔に出てるぞ。俺が落ちたのはヘマしたからだ。気にしなくていい。それよりも乗り役を誰に頼むかだ……」
番頭は腰をさすりつつ、厩舎に駆け込んで行った。
次の日は俺が休み。明けて出てきたら、早速ベテランの同僚が声をかけてきた。
「お前んとこのゴーヘー、すげぇなあ。久しぶりにあんな暴れん坊見たぞ」
……ええ?
「まともに出来たのは飼葉つけるだけだったよ。脚元もブラッシングも暴れて暴れて全然だ。お前なんともなかったん?」
はぁ、俺には悪さしないらしくて。
「こうなると世話の仕方も考えていかないとだねぇ。お前だけなんともなくても他がダメじゃなぁ……」
お前また暴れたのか。まったく……。
半ば呆れてゴーヘーを見れば、前掻きをして飯の催促だ。
でも、何もしなかったんですかと聞くと、同僚も呆れ顔で返してくる。
「やらんわけにはいかんから、鼻ネジかけて3人がかりやったけどさぁ……」
やっぱ、鼻ネジ使ったか。使わんわけにはいかんもんな。
それにしても3人がかりとは。お前どんだけ暴れたのよ。
ゴーヘーの顔を見ながら、ついぼやいてしまう。
その日の午後の作業前。
大仲では先生と番頭を囲んで厩務員たちが作戦会議。
議題はもちろん、ゴーヘーの世話について。
何をするにも2人でやること。
俺がいるときでも必ず後ろに誰かがいなきゃならんし、いないときは2人がかりでやること。
そして暴れたら鼻ネジも辞さず。
暴れん坊が入厩したときはだいたいこんな感じ。
こうやって決めごとにしても必ずけが人が出るし、そこのフォローをどうやるかについても細かく打ち合わせをした。
ゴーヘーが大人になるまではこの態勢で行くことになったが、俺はまた不安を覚える。
もし、ゴーヘーがあのままだったらどうすんだろうか。
俺に何かあったら、それこそあいつは暴れん坊のままで終わりかねん。
そんなことだけは避けなきゃ。
調教も今の乗り役じゃ危ないってんで、先生が暴れ馬に強いベテラン騎手に頼むことにしたらしい。
そっちは俺が心配することでもないだろうけど、誰でも乗れるってわけでもなさそうだしな。
なんとか使えるようにしてもらえればって感じだ。
どんなに才能があっても、競馬に使えないんじゃ意味がない。
最低限、そこまで持って行くために先生も番頭も俺たちも知恵を絞る。
「せっかく縁あってうちに入った仔だもの、なんとかしようや」
先生はニコニコしながらこう言うが、目が笑ってない。
そして俺に向かってこう言った。
「キミにはなつくんだから、他のスタッフにもなつくよう、何かわかったら教えてもらえないか」
ええ、わかりました。
こう返事はしたものの、まだ何もわかってない気がする。
さあて、どうしたものか……。
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