5 とある病院にて

 コンコンと、ノックの音が響く。

 カウンセラーがどうぞと入室を促すと、男が一人入ってきた。

男は椅子に座る。椅子に座るなり、男はカウンセラーに問う。

「カウンセラーさん。今から私が言うことを信じてくださいますか。」

「ええ。もちろんですとも。患者様の話を信じるのもカウンセラーの仕事ですから。安心なさってください。」

 カウンセラーは男の事情を知っている。

 この男は、周囲の人々から虚言癖の疑いがあると通報を受け、病院が保護したのである。

 病院の職員が男の症状を調べるために会話を行うと、確かに男は、ありえない現象についてぺらぺらと話し始めた。これはおかしいということで男の体をくまなく調べた。だがしかし、男の体には、何の異常もなかったのである。

 精神面に問題があるとして、今回カウンセラーに治療の依頼が回ってきたのである。

「とにかく、私の話を聞いてください。これは本当のことなんです。」

 男は椅子に座り直し、話始める。その姿は真剣そのものである。カウンセラーはその姿を見て、機能不全によるバグではないなと予想を立てる。

 カウンセラーは診断モードを起動。男の言動、仕草、視線などありとあらゆる動作を観察する。観察で得られた情報はすぐさまデータ化され、セントラルコンピュータにいつでも提出できるようにスタンバイされる。

「あれは私が夜道を歩いていた時のことです。私は職場から自宅に向かっていました。ふと西の空を見上げると、青い光が見えたんです。はじめは、ああ、入港する船かと思ったんですが、どうも様子がおかしい。その光は右方向に高速で動いているんです。そっちの方向は宇宙港がありますから、高速で動いていたら港に突っ込むことになるんですよ。あっこれはまずいんじゃないかとつい立ち止まりました。目を凝らすと、港の光も見えました。青い光は減速せず港に迫ります。私はつい危ないと声を上げました。すると青い光は、港の目と鼻の先で急停止しました。そして今度は逆方向に進み始めたんです。しかもただの航行じゃない。急加速です。目にもとまらぬ速さで進み、光は視界から消えました。今のは何だったんだろうと混乱する頭で考えていたら、ふと、私の後ろに気配を感じたんです。反射的に振り返ると、まばゆい光に包まれました。青い、光です。」

 カウンセラーはここまでのデータをセントラルコンピュータに提出する。

 セントラルコンピュータから回答。

《該当する機能不全無し。》

 カウンセラーは少し驚くが、決して顔には出さない。

 セントラルコンピュータは男の発言内容にも、仕草にも異常はないと判断した。男の発言は、常軌を逸しているというのに。

 動揺しているカウンセラーのもとに、セントラルコンピュータから通信が入る。

《データが不十分である。カウンセリングを続け、情報を集めよ。》

 セントラルコンピュータから指摘を受け、カウンセラーは再び男の話に集中する。

「気づいたら、私は光の中にいたんです。平衡感覚がおかしくなるような空間で、あいつに出会ったんです。ああ、思い出すだけで恐ろしい。」

 男の様子がおかしい。頭を抱え俯き、ガタガタと震え始めた。

 カウンセラーは、男の話す出来事は疑似体験だろうと予想を立てていたが、セントラルコンピュータの回答や、今の男の様子を見る限り、疑似体験という予想は撤回せざるを得なくなってしまった。であれば、この男が体験したのは本当の出来事である可能性がグンと上がる。

「大丈夫ですか。ささ、この水を飲んでください。落ち着きますから。」

 カウンセラーはコップに入った水を差しだす。

 男はこれを受け取り、ゆっくりと飲み干した。

「ありがとうございます。この話は、ここから先がとても辛くて。あまり話せないんです。病院の職員と会話した時も、ここから先はなかなか話せなくて。」

「そうでしたか。辛いようでしたら、また後日改めてということもできますが。」

「いえ。話させてください。」

 男はそういうと、何度か深呼吸をした。そして続きを話始める。

 カウンセラーは男の体調に気を配りながら、話を聞く。

「光の中で私は出会ったんです。それは、背丈が三メートルくらいあって、細長かった。金属光沢を放っていて、空間の青白い光を反射してギラリと光っていました。そいつは、細い手足はあるんですが、首がないんです。間接も確認できなくて、ああこいつは液体金属のようなやつなんだなと思いました。液体金属であれば、ニュルっと動くでしょうから、間接なんていらないと思ったんです。」

 ここでカウンセラーはセントラルコンピュータにデータを送る。

 セントラルコンピュータより解答。

《ナノマシン、化学プラントによる機能不全の可能性0。》

 カウンセラーは困惑する。

続けてセントラルコンピュータより診断が届く。

《恐怖体験による、PTSDである。》

 セントラルコンピュータは淡々と答える。

 つまりこの男は、このような体験を本当にしているということになる。

 疑似体験の可能性もあるが、そうであればセントラルコンピュータが真っ先に指摘するはずである。

 焦るカウンセラーをよそに、男は話を続ける。

「そいつは、五メートルほど先にいたはずなんですが、気が付くと私の目の前にいました。」

 男はここまで話すと、泣き始めた。

 カウンセラーは席を立ち男に駆け寄り、背中をさする。

 泣きながら、男は恐怖体験を語る。

「そいつは、手を伸ばして私の頭を触りました。その感触は今でも覚えています。生暖かかった。温さを感じると同時に、私の中に何かが入り込んできたんです。異物が頭の中に侵入してくる感覚です。もっと正確に表現できるかもせれませんが、申し訳ありません。」

「いいんです。いいんですよ。」

 背中をさすりながらカウンセラーは優しく言葉をかける。

 男は深呼吸をして、また話を続ける。

「流れ込んできたのは、他人の意識でした。誰かが私に語りかけている。そんな感覚が流れ込んできました。ある程度すると、言葉が脳内に響きました。電脳を使った脳内通信はオフにしていました。でも聞こえてきたんです。『お前は、誰だ』と。こっちのセリフですよ!何者なんですかお前は!と心の中で絶叫すると、また目の前が青い光に包まれました。気が付くと私は道に立っていましたついさっきと同じ場所です。ああ、何だったんだろう。疲れていたんだなと、何事もなかったかのようにして歩き始めました。ふと、時間が気になって時計を見たんです。すると、日付が変わっていて、その日付は、十日後だったんです。」

 男がすべてを語り終え、嘔吐したところで、今日のカウンセリングは終わった。

 セントラルコンピュータはPTSDという診断を確定した。

 カウンセラーは、男に明日も来てくださいと告げる。

 男の症状は重症である為、治療は一日や二日では終わらないであろう。




 男が去った後のカウンセリングルームで、カウンセラーが一人作業している。手元の端末には、ある惑星の宇宙港の入港管理データが表示されている。

 カウンセラーは、【船舶の異常接近に伴う一時的遅延について】と書かれたファイルにアクセスしようとする。すると、セントラルコンピュータから警告が届く。

《警告。カウンセラーライセンスの無断使用を感知。操作を停止してください。》

 カウンセラーは視界に表示された警告のバナーを素早く削除して、操作を続ける。ファイルを開くとそこには、ある日時に発生した国籍不明船舶の異常接近に関する情報が詳しく書かれている。

 つまり、あの男が話していた出来事は…

 再び、セントラルコンピュータから警告が届く。警告のバナーがカウンセラーの視界に表示されているが、それは一つではなく数十個展開されている。

 カウンセラーは驚いて操作をやめる。するとセントラルコンピュータからメッセージが届く。

《気になるのは分かるが、ライセンスの濫用はいけない。今回の一件は特殊である為、罰することはしない。が、次はないと思え。》

 カウンセラーは厳重注意を受けてしまった。

 シュンとしているカウンセラーのもとに、またメッセージが届く。

《次の患者が来る。集中せよ。》

 カウンセラーは、姿勢を正し、カウンセリングに備える。

 コンコンとノックの音が響く。

 カウンセリングが始まる。




 この後、このカウンセラーがカウンセリングに集中できず、早退したのは言うまでもない。

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