短編とか

芝下英吾

言葉を話す樹

 言葉を話す樹がある。

 そんな噂を私が耳にしたのは、とある地方都市へと取材に向かった時のことだった。


 フリーライターである私はその日、某県某市にある複数の飲食店をまわって取材をしていた。朝のドラマで話題沸騰中!●●のB級グルメ特集。そんな具合の記事を書き上げることが今度の仕事の内容だった。

 いくつもの店をめぐり、目当ての写真を撮り、店主からの話を聞き終えた私は、そのまま最後の店で食事を取ることにした。

 暖色の電燈に照らされた店内は和気あいあいとした雰囲気に満たされている。壁にはメニューが並び、その端には色あせた芸能人のサイン。酒瓶の並ぶカウンター奥では店主が料理を作り、それを奥さんが運んでいる。

 地酒を飲み、出された料理をつついていると、カウンター席に座る私の背後から、ふと声が聞こえてきた。


 「――だからさ、今度ちょっと行ってみないか?」

 「え?やだよ、あんな薄気味悪いところ」

 「お前、実家が近くなかったか?」

 「だから何もないところだってのも知ってるの。だいたい、あそこは私有地だったはずだぞ」

 「夜中に行くんだし誰も見ちゃいないよ」

 「だとしても俺はパス。……そもそも大学生にもなって肝試しって、ちょっとガキっぽくないか?」

 「いいもんだぞ?あわよくばお持ち帰りもできるしな。そうだ、前言ってたあの子にも声かけてみようぜ」

 「バカお前、あいつは……」


 どうやら通路を挟んだ向かいには大学生がいるようだ。会話の内容からして、女の子を連れて肝試しに向かおうとしているらしい。もちろん下心込みで楽しむつもりなのだろう。

 なんというか、分かりやすい子たちだな。と苦笑しながら、酒の肴に彼らの会話を盗み聞きしていると、私の耳にある言葉が飛び込んできた。


 「――喋る樹なんて、怪談としても微妙じゃないか?」

 「そんなことないって。なんか波長?が合うやつは、囁くような声が聞こえるらしいぞ。知ってる奴に1人、良く聞こえるって奴がいてさ、そいつなんか樹に試験の内容教えてもらったとか言ってたぜ」


 ハッキリ言うと、少し興味がわいた。

 妖怪や都市伝説といった話題は枚挙にいとまがないが、化け物風でもない話す樹と言うのは少々変わり種だ。何事かを教えてくれるというのも面白い。パワースポットだとか、そういう記事に使うことも出来そうだ。

 フリーランスの身の上である私にとって、少しでも面白そうなネタは手元に抑えておくに限る。

 そう思い、私は振り返った。「君達、ちょっといいかな」と、酒の入った若者たちに話しかけた。形ばかりの名刺を見せてボイスレコーダーを向けると、それだけで若者たちは喜んで樹について教えてくれた。

 「でも、ほんと何もないところですよ」

 色々と話をした後に、実家が近くにあるという青年はそう言った。


 青年たちに礼を言い、会計を済ませた私は店を出た。

 地方とはいえ開発された都心部は、夜中でもあたり一面が煌々としている。

 カプセルホテルへ向かう道すがら、私は青年たちが教えてくれた男の名前を調べていた。

 『喋る樹』の生えている土地。その所有者である男は大地主だった。

 裸一貫から身を起こし、ついにはその県有数の資産家になった稀代の成功者だった。今では政財界にも顔が効くほどの有力者らしい。

 しかしながらその人柄は温厚そのものであり、若者らのような地元の人間からの評判も良好だという。

 今は一線を退いて故郷の町でゆっくりと隠棲しているようで、連絡先もすぐに見つかった。

 男の身分に少々の気おくれを感じたが、物は試しに取材を申し出てみたいとも思った。

 もしかしたら、むこうも隠居の身で話し相手を欲しがったりしているかも、と期待しながら私は床に就いた。


 その翌日、私は早速くだんの男に連絡を取った。電話に出たのは別の人間だったが、すぐに目的の男へと話を取り次いでくれた。

 「いいですよ、是非いらしてください」

 ……とんとん拍子に進む話の最後は快諾で締めくくられた。

 意外なほどすんなりと話が進むことにいささかの疑問を覚えながらも、私は後日に教えられた場所へと足を運んだ。

 閑静な田舎町とは聞かされていたが、そこからさらに山近くの辺鄙な場所に、男の家はあった。

 呼び鈴を鳴らすと初老の男が出てきた。事前に調べたとおりの、60代後半の表情の柔い温和そうな男だった。歳の割には締まった体型をしており、きれいな銀髪は丁寧に整えられている。シックな服装も相まってさっぱりとした印象の人物だ。堅苦しいところはなさそうに見える。


 「先日お電話した者ですが」

 私がそう話を切り出すと、男は嬉しそうに、そしてすぐ申し訳なさそうな表情を見せた。

 「お待ちしていましたよ。……ですが、すみません。実は家の中の空調が故障していましてね。離れがあるのでそちらでお話ししても構いませんか」

 と、男は私の前を歩いて行き、離れを案内した。

 男の指し示すそこは、日本家屋である母屋と似た建て方の、小ぶりな木造建築だった。とはいえそこは資産家。母屋に比べて小さいと言っても、普通の一軒家と見まがう程度には大きい。

 通された室内もまた、凝った家具と調度品に彩られている。そのどれもが派手さはない。しかしよく見ると上等なものばかりだ。

 床や天井は綺麗に磨かれた木で覆われており、落ち着いた雰囲気を湛えている。そんな綺麗な材木を見せるためだろうか、通された廊下や玄関と違い、部屋の中には壁紙やカーペットがどこにもなかった。

 男に言われるがまま、ソファに腰かけていると、彼はコップを両手に持って現れた。

 一つを私の前にあるテーブルに置き、自分はそのまま近くの椅子に腰かける。コップの中身は紅茶のようで、出された手前口をつけた。良い香りのものだった。

 「さて、それでは彼の取材の前に、少し私の話を聞いてもらってもいいでしょうか。私も彼とは浅からぬ縁がありましてね」

 「彼?」と、問おうとして、私はふと思った。もしかしたら目の前の男も、樹の声が聞こえる人間なのかもしれない。だからこそ、樹のことを彼と呼ぶのかもしれない。

 私がそう考えているうちに、男は話し始めた。


 「彼と出会ったのは私が小学生のことでした。その頃はこの町も開発なんてされていない、それは貧乏な田舎でしてね。子供が遊ぶと言ったら近所の子と川で水遊びをしたり、山で虫を取ったりといったことばかりで、私もその例にもれず、山に入って遊んでいました。そんなある日、私は山のふもとにある森の中で、ある若木の前に声を聞いたんです。不思議と頭に響く、優しい声でした。一緒に遊んでいた子供には聞こえていない様子で、それでも私にだけははっきりと聞こえていたので、私は返事をしてみたのです。すると彼も話せる人間がいたことに驚いたようで、私に何度も話しかけてきました」


 男の視線は宙を漂う。樹の話だというのに、その様子はまるで旧友を懐かしんでいるようで、なんとも奇妙だ。

とはいえ、これはこれで話のネタになるはずだ。私は黙って話を聞き入った。


 「友人たちは私の様子を気味悪がっていましたが、私としてはこんな面白いことはないと楽しんでいました。そうして友人たちと遊ぶのも忘れて、私は何度も彼に会いに行くようになりました。そんなある日、彼は私に言いました『お腹がすいた』と。言われて気付いたのですが、そこは森の中。陽の光が少ない環境では背の低い若木は弱ってしまうものです。そこで親に持たされたお弁当を差し出しましたが『人のものは喰わん』と言うので、試しにバッタの入った虫カゴをその場に置いてみました。すると風が吹き、私は一瞬目を閉じました。次に虫カゴを見た時にはバッタは影も形も無くなっていました。しかし彼はそれで満足したようで、『ありがとう。明日の夜にお前の家に空き巣が入るから、気をつけるといい』と教えてくれました。彼の予言は的中し、次の日の晩に『便所に行きたいけど怖い』と親を無理矢理起こしてみると、忍び込んでいた男と鉢合わせしました」


 青年らの言っていた試験を言い当てた、というのもこれなのだろう。神通力、あるいは千里眼とでも呼べばいいのだろうか。


 「私はもう一度バッタを捕まえて、お礼として彼に渡してやりました。彼もそれを良く思ってくれたようで、それ以降、彼と私はある種の協力関係を結ぶようになりました。彼は栄養を。私は知識と先を見る目を。……私たちはお互いに支え合うことで、彼は立派な大木に、そして私も多少ながら出世することが出来ました。ですから、今の私があるのも彼のおかげなんですよ」

 そう言って笑ったあと、男は少し表情を曇らせた。それからおもむろに、一枚の写真を差し出した。

 木々が立ち並ぶ森の中で、ひときわ太く大きな樹の傍に男が立っている写真だった。


 「これが、『彼』ですか?」

 「ええ。最後の写真です」

 「最後……枯れたんですか?」

 「去年の夏の終り頃に台風があったのを憶えていますか?あれで運悪く根元のあたりから折れてしまったんですよ」

 確かにほとんど秋のシーズンに、一度台風が来たことがあった。当時は季節外れの台風と騒がれ、行楽シーズンと被ったことで観光スポットの被害が取りざたされていたものだ。私もそれで数件の仕事ができた。

 「じゃあもう、その樹は……」

 「はい。今はもう何も残っていません」

 「その『彼』は先のことが見えていたんですよね?それなら――」

 「自分のことは見えなかったのか、あるいは見えていたけど、どうにもならないことが分かっていたんでしょうね。年を取ったあと、私は老いた両親がいつまで生きていられるかを彼に聞いたことがありましたが、その時も教えてくれませんでした。だからきっと、避けられないことは、話すつもりがなかったのかもしれません」


 「では、その折れた跡地を見せてもらっても構いませんか?撮影をしたいので……」

 そう言うと共に、私の視界は歪んだ。

 「……?」

 体が重くなっていることに気付いた。そのまま寝ころぶようにソファの上に倒れる。

 意識は残っているが身体は強張るばかりで意思に反して動こうとしない。

 「これは……」と男に問う。

 「……やっと効きましたか」

 男はそう言うと、自分のコーヒーを一口すすった。

 出された飲み物に薬が入れられていたのだろうか。しかし何のために?いくら考えても理由が見つからない。……まさかこの男。

 「殺人鬼、なんてわけじゃないですよ」

 朗らかな表情で、男は私の思考に先回りした。


 「実は先ほど話した内容には二つ、隠していたことがありましてね。……まず一つ目は、彼の食事の内容です。彼は成長するために栄養を欲しました。しかし同時に彼は生き物しか食べられませんでした。そのうえ彼の食欲は彼が成長するにつれて大きくなっていきました。最初は虫で済みましたが、次第に魚やウサギのような小さな獣。それから犬猫のような動物。ついにはブタや若い牛を求めるようになりました。最近は老いたのか、食べる量そのものは減りましたが、今度は舌が肥えるとでも言いますか、珍味のような味に重きを置くようになりましてね。賢いほどいいそうで、サルをよく食べるようになりました」

 男が話している間もこの状況からの脱出を試みたが、やはり難しいようで、身体は全く動かない。

 そしてまた、男の話しぶりにも少し引っかかるところがあった。『話す樹』はすでに折れているはずなのに、なぜか今も健在であるかのような話し方をしていたからだ。

 私の胸中に答えるように、男は話を続ける。


 「……二つ目なのですが、実は彼はまだ生きています。折れたのは事実ですけどね。やはり話せる樹ともなると特別なのでしょう。あの日、台風が去ったあと、私は急いで彼のもとへと向かいました。彼は『君ならきっとすぐに来てくれると思ったよ』と嬉しそうな声で言い、それから『私はもう話す樹としては生きていけそうにない。でもありがたいことに、どうやら木という形をとらなくても私は私でいられるようだ』とも言いました」

 ぞくり、と寒気が背筋を撫でた。理由は分からないが、とにかく嫌な予感がした。

 薬のせいか、歪んだ視界の中で、部屋を囲う床や天井が動いた気がした。それは得物の様子を窺う捕食者のように、ゆっくりとした動きだった。

 しかし、私は動けない。動けない。どうやっても動けない。薬が回り切ったのか、 今では声すらまともに出すことが出来ない。力いっぱい振り絞って腹の底から押し出した空気は、わずかな吐息となって口から出るだけだ。

 部屋の中を流れる空気が私の頬に触れる。それは獣の口から洩れる吐息のようだった。


 「……気づきましたか?ここは彼の部屋なんです。折れて倒れた彼の言葉はこうでした『どうか私の体を使って家を建てて欲しい』」

 言い終えると、男はコップをテーブルに置いて席を立った。

 「それではもう失礼します。彼は誰かに食事をしているところを見られたくないらしいのですよ。こればっかりは、どれだけ仲良くなっても譲ってくれません」

 待って。という声も、喉を通ると掠れた息になっていた。

 体は動かない。だがいまだに動く目は、今やはっきりと動く床を目にしていた。

 叫び声すらあげられずに、私は男を視線で追う。

 男はすたすたと歩くと、樹のドアを開け、部屋から出た。

 すぐにドアは壁になった。

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