ノルドの軛
一田和樹
第1話 時間は残酷な来訪者
時間は残酷な来訪者だ。時間が経てば人間は死ぬ。死ぬのはいやでも時間を止めることはできない。
高校の放課後だってのに教室が暗い。当たり前だ。電気がついてないからな。節電のために放課後、消灯することになっている。
教室の窓から差し込む残り火のようなオレンジ色の光がわずかに室内を照らしている。
教室にいるのは、たった3人の生徒。これがこのクラスの全員。ちょっと前まで20人以上いたなんて夢みたいだ。
「不合理きわまりない」
とキャタピラは言う。すべすべの横顔の半分がオレンジに染まり、もう一方は影になっている。
オレは、キャタピラの男よりも男らしい話し方が嫌いじゃない。今日の髪型はロングのストレート。淡い桃色。高校生としては、ちょっと派手じゃないか、と思うけど似合ってるから、それはそれでよし。ミニスカ迷彩服との組み合わせは微妙かもしれないが。
「人間は生まれた時から、いつか死ぬって決まってるじゃん。死ぬのが怖いなんて、おかしい。食べなきゃお腹へるけど、食べるのは楽しいでしょ。なんで死ぬのは楽しくないわけ? おかしいでしょ」
全くその通りだ。死ぬのが楽しかったら、この世は楽園だ。全員が楽園行きのチケットを持ってるようなもんだ。争いも起こらないだろう。
「天国に行くと思えばいいんだよ。それなら怖くないだろ」
委員長がわかったような口を叩いた。それは今オレが考えていたことだ。みんなも似たようなことを考えたらしく、一斉に委員長に非難の目を向けた。
当たり前のことを言うな。親や教師が言いそうなことを言うな。でも誰もあえて言わない。言ってもしょうがない。
委員長は、紺色のブレザーの襟を右手で引っ張った。意味不明のクセだ。今時、高校に制服のブレザー着てくるヤツなんて委員長以外にいない。それに銀縁の眼鏡なんてかけない。コンタクトかレーシックにする。
オレは委員長の左手を見た。ところどころ汚れが目立つ白い手袋をはめている。
「一昨年までが天国だったんだよ。でもって今が地獄。天国と地獄って、場所がなくて時代が違うんだ。去年までが日本人の天国時代。もう終わっちゃったんだ」
ハマちゃんはひとりごとを言いながら、携帯端末を片手で器用に打った。ハマちゃんは、話すこととツイートすることが同じ。おもしろい生き物だ。
ハマちゃんは、いつもアライグマのぬいぐるまを着ている。小柄で太っているから、似合いすぎて人間やめた方が幸せなんじゃないかと思うほどだ。
「ハマちゃん、ツイッター依存症だよ。立派な病気じゃねえの? そのうち目で見たものより、ツイッターの噂の方を信じるようになっちゃうよ」
とキャタピラが笑った。乾いた笑い。楽しそうじゃないし、卑下してるわけでもない。悲しい笑いだ。
それに間違ってる。ハマちゃんは、とっくの昔に生身の人間よりもツイッターのタイムラインに流れる話を信じるようになってる。
オレたちだって似たようなものだ。テレビも新聞も教師も親も、みんなウソをついているから、信じるものなんかない。それよりはネットの噂の方がまだ信じられるって思ってる。
「オレたちだって、みんな病気だろ」
委員長が、また正しいことを言った。みんなため息をついた。教室は冷や汗かくくらいの沈黙に襲われた。そして、おい誰かなにか言えよ的なそわそわ他力本願、そしてもうどうでもいいやという諦念。でもって、どんどん日が暮れて、教室はうすぼんやりした闇につつまれた。
「あ、うどんが死んだ」
ハマちゃんが顔をあげた。それが合図だったみたいにオレたち全員は、立ち上がった。全員って言ったって、たったの3人だけどね。最初っから、こんなに少なかったわけではない。病気で死んだんだ。
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