01第一章2

「うーん。不味い。これも不味い」

 ぺネパロは、俺が与えた希少な食材に酷評をつけては口に運ぶ作業をひたすらに繰り返していた。

「なら食うなよ」

 俺は、当然いい気はしない。もともと、龍人種族は消化器官の関係でクプル草などの葉っぱを食すことができない。野菜や菌類も同様に摂取することが不可能で、主食は龍の実などの『実』である。実は、龍人種族以外にも一部の中、上位モンスターの主食となっており、その自生地には必ずといってよい程に強力なモンスターがうろついている。また、人工的な栽培にも向いていないため大都市では金持ちしか口にすることの出来ない高級食材として出回っている。他にも、地下ダンジョンや洞窟の深部で採取できるヌルハチ液なども食すことが可能らしいが、そんな高価なものはまず手に入らない。俺が彼女に献上した食材は、実の中では比較的入手難度の低いオーガの実と呼ばれるものだ。入手難度が低いと言っても、容易に採取できるという訳ではない。オーガの実は、直径十センチ程度の球体で、その名の通りオーガの主食として知られている。ということは、その自生地の近辺にはほぼ確実に彼らの棲み処があるということだ。オーガは、亜人種に分類されるモンスターで、非常に獰猛な性格をしている。自らのテリトリーに侵入した生物は容赦なく惨殺する。また、ある程度の知能を持つことが確認されており、棍棒などの道具を使用したり、落とし穴などの罠を設ける個体も存在するという。三メートルほどの身長、筋骨隆々で強靭な体躯、群れを成す性質など、ぱっと思いつくだけでもかなり厄介なモンスターであることが分かる。彼らの目を盗んで採取するのは命懸けだ。もちろん、オーガの実の収集を俺なんかが率先して行うわけがない。そんな危険を冒してまで手に入れる程の価値があるとは到底思えないからだ。これは、数日前にいけすかない偉そうな商人からこっそりくすねたものである。今頃、目玉商品がごっそり消失していて泣きべそを掻いていることだろう。その場の勢いに任せて盗んだので、特にこれといった使い道があった訳でもなく、食料の備蓄に困っていたわけでもないので、腐ってしまう前のどこかのタイミングで必要としている誰かに売り払い金銭に変えてしまおうかと考えていたところだ。結果的に、金銭になることはなさそうであるが。

「ペネパロは食べないとは言っていない。ただ、美味しくないと言っているんだ」

「いや、そういう意味じゃなくてな」

「違うのか。ペネパロには、お前の言っていることはよく分からん」

「あぁそうかい」

 この恐ろしい古代龍人族の少女に対する恐怖心は完全になくなっていた。あの後オーガの実で餌付けをしながら詳しく事情を聞いたのだが、ペネパロ曰く、もともと害を加えるつもりはなかったとのことだ。ただ、産まれてからずっと『歩く山』で他種族と交流することなく生活をしてきたため、コミュニケーションの取り方が分からず焦ってあのような高圧的な態度をとってしまったのだとか。誇り高き龍人として振舞おうとするがゆえの出来事だったらしいが、あまりにも酷い。まぁ、冷静に考えてみればあの時ペネパロが本気で俺たちを殺そうとしていた可能性は極めて低かった。もともと龍人種族は族長であるマグナルから、ノストル地方の外で正当防衛以外の理由により他種族に危害を加えることを一切禁じられている。もしそれを破れば問答無用で最も重い処罰、つまりは『死刑』の対象となる。圧倒的強者の立場である龍人種族が他種族と共存する上で、どうしても背負わなければならない鉄の掟だ。この掟のために、ほとんどの龍人種族は濃霧で覆われたノストル地方で他種族と友好関係を持つことなくその生涯を終える。それでも、アドリブのくだりの時のペネパロの殺気は本物だったような気がしないこともない。

 それくらいに、重い規則に縛られていながらも故郷を飛び出してきたのには何か深いわけがあるのだろうか。千年を軽く超える程の寿命を持つ種族だ。俺よりははるかに長い人生を歩んできたのだろうが、同種族の中ではまだ年端もいかない子供のはず。そんな幼い少女が何の理由もなく、ある意味危険だらけの外の世界に足を踏み入れるとは考えづらい。おせっかいだとは思うが、いくら最強の種族といってもまだ子供。俺に何かできることがあるのではないだろうか。

「食べ終わった。もっと寄こせ」

 ペネパロは、九個あったオーガの実をいつの間にか平らげていた。一個だけでもかなりの価値がある高級食材をなんの有難みも感じずにぺろりと。さらに、追加の貢物を要求してくるとは、なんて傍若無人なやつなのだ。

「まだ、お腹空いてるのか」

「もちろん。ペネパロは、燃費が悪い」

「それは、誇らしげに言うことじゃないぞ」

「そうなのか」

「それに、寄こせじゃないだろ。人にお願いするときは、もっと別の言い方があるんじゃないのか」

 俺は、じとっとした目でペネパロを見た。

「うぐぅ」

 ペネパロは、一瞬たじろいだ後、きまりが悪そうに俺から視線を外し、「他に食べられる物はありませんか」と、早口に呟いた。

 俺は、少し意地悪をしてやろうと無言を貫く。そのまま数秒が経過し、不安になったのか俺の方を横目でちらちらと見て様子を伺うペネパロ。

「仕方ねぇなぁ」

 俺は、ため息を吐きながら地面に置いていた鞄を持ち上げる。そして、期待の眼差しで俺を見上げるペネパロの頭を軽く小突いてやった。ペネパロは「あぅっ。」と小さく反応する。

「ハマナミ草がいくらかあった筈だ」

「ハマナミ草?ペネパロに食べれるのかそれ」

「あぁ。火を通せばお前でも食べられるぞ」

「物知りだな」

「俺みたいなのが生きていくには何よりも知識が必要なんだよ」

 ハマナミ草は、別名ミナリモドキと呼ばれる特殊な植物で、加熱することで成分が変化し実を主食とする生物にも食すことが可能となる。まぁ、強者絶対主義のこの世界で実を主食とするような生物がハマナミ草を食さなければならなくなることなどはほとんどなく、情報としての需要がないため、あまり知られてはいないが。もちろん、この植物も自分で採集したわけではない。

「誰かさんのおかげで、目的地に着く前に食料が底をつきそうだ。ところでお前は、何か急ぎの用でもあるのか」

 食に対しての興味が尽きないようで、早く食わせろとでも言わんばかりに目を爛々とさせるペネパロに、俺はそれとなく事情を聞き出そうと探りを入れた。

「特に何もない。ペネパロは自分探しの旅の途中だ」

 自分探しって、まだ子供だろう。きっと何か家に帰れない事情がある筈だ。例えば、

「家出か」

 俺は、思いついた事を率直に聞いてみた。

「いや、そういう訳ではない」

「じゃあ、なんでわざわざノストル地方からここまで来たんだ」

「だから、言っているだろう。ペネパロは、自分探しの旅の途中だ」

「それだけか」

「それだけだ」

「本当にそれだけ」

「それだけだ。強いて言えば、退屈で死にそうだったから、暇つぶしに外の世界を見てこようと思ったのだ」

「親の反対とかは」

「ある訳ないだろう。ペネパロは信頼されているのだ」

「故郷で嫌なことがあったとか」

「お前は先ほどから何を気にしているのだ。気持ち悪いぞ」

「・・・」

 ペネパロは、俺の心配しているような事情を抱えているわけではなさそうだった。深読みだったようだ。むしろ、気味悪がられてしまった。地味に心にダメージを負いつつ、スーパー世話焼きモードを強制的に解除する。

「心配して損したよ」と、聞こえないようにぼやいて、帝国へと続く道を見据える。

「急ぎの用がないなら、もう少し俺に付き合ってくれ。日が暮れる前にもう少し進んでおきたいしな」

「え?食事は」

 ペネパロの瞳からすぅっと光が消えていく。どれだけ食い意地を張っているのだこいつは。

「それは、日が沈んでからだ。時間は有効的に使わないとな。移動できる間はできる限り移動したい」

「余裕がない奴だ」

「お前と俺では、一分の価値が全然違うんだよ」

「・・・そうか」

 ペネパロは、渋々といった感じで頷くと、すくっと立ち上がった。

「ならば、善は急げだ」

「おう」

 俺はようやく長い遠回りを終え、本来の目的に回帰するのだった。

しかし、数歩進んだところでペネパロが俺の腕を後ろからぐいっと引っ張った。

「うおっ」

ミンユの時とは違いもの凄い力だ。俺は、思いっきり後ろにのけ反り頭から倒れそうになるが、何とか態勢を立て直した。さっと振り返り、「危ないだろうが」と叱ろうとしたが、その前にペネパロが上空を指さしながら口を開いた。

「普通の道は使わないのか」

 しごくまっとうな質問だった。

「さっきの猫人族の親子を助けるためにここに降りてきたんだが、登れなくなってしまったんだよ」

 嘘をつくほどのことでもないと思い、正直に答えた。すると、ペネパロは突然俺の背後にピタリと体を密着させた。そのまま無言で、背伸びをしながら俺の両肩に手を置く。

「あの、ペネパロさん」

 俺は、本能的に何か嫌な気配を察知し、体を強張らせる。その予感はすぐに現実へと変わった。

「ペネパロに任せろ」

 そう呟いた瞬間、俺の両肩に万力のような力が加わった。

「いでぇぇぇぇ」

 骨がぎしぎしと軋み、皮が引きちぎれそうな激痛が走る。当のペネパロは、堪らず悲鳴をあげる俺のことなどお構いなしの用だった。龍人種族の握力は子供でもこれ程のものなのか。いや、これでもかなり手加減してくれているのかもしれないが、あまりにも痛すぎる。気を抜くと意識を手放してしまいそうだ。

「五月蠅い奴だ」

ペネパロが呆れたように息を吐く音が聞こえた。それと同時にばさぁっという何かが風を切る音。そして次の瞬間には、ふわりという浮遊感が俺を包んだ。

「と、飛んでる」

 足の裏が地面から離れていた。ジャンプした時のように一時的なものではなく、浮いたままの状態で静止している。気絶しそうな程の痛みの中で、突如訪れた感動。ペネパロの力を借りてではあるが、翼をもたない俺が空を飛んでいるのだ。飛ぶってこういう感じなのかと、純粋に興奮していた。

「すげえな。こんな感覚初めてだよ。だけど、あともう少し手の力抜いてくれないか。肩が粉砕されそうなんだが」

 俺は、顔だけをペネパロの方に向けてそう要請した。だが、ペネパロは「ん?」と首をかしげる。どうやら、自分の羽の音で俺の声が上手く聞きとれないようだ。その様子を見て俺は、きちんと聞こえるように先ほどよりも大きな声で、肩を握りつぶさんとする暴力の呪縛を解いてくれとお願いしようとするが、何を思ったのかペネパロは先ほどよりもさらに力強く羽を羽ばたかせた。

「一気に行くぞ」

 ペネパロがそう呟いた瞬間、どしっとした重力が俺の全身にふりかかる。それはもう立派な衝撃であった。息が詰まり、同時に強烈な吐き気が襲う。体が方向感覚を失い、空気の抵抗による負荷で首が折りたたまれそうになる。発狂してしまいそうな感覚だった。何が起こったのか理解する前に、気が付いたら亀裂に飛び込む前に通っていた街道の真上にいた。

「はぁ。はぁ。うえ」

 俺は、荒い息をしながらも徐々に呼吸を整えようと努めた。控えめに言って最悪の経験だった。俺が夢見ていた、『飛行』とは全然別物だ。

 時刻は十七時くらいだろうか。辺りは亀裂の底に降りる前よりもほのかに暗くなっていた。ペネパロは帝国方面に向かって止まることなくぐんぐんと飛んでいる。縦移動が無いためか、心なしか飛行速度が落ち着いたためか、不快感は我慢できる程度になってきた。それに伴い忘れかけていた肩の激痛も蘇ってくる。

 だが、そんなことよりも俺には一つ気にかかることがあった。気にかかることというよりも危惧することがあった。

「ペネパロ。限界だ。そろそろ降ろしてくれ」

「遠慮するな。お前には命を救われた。恩返しだ」

「頼むから。降ろしてくれ」

「何をそんなに頑なに。せっかくのペネパロの好意だというのに」

「下だよ」

 そう、猫人族の親子の時と同様、他種族にとって龍人種族は畏怖の対象。通常邂逅することのない半分伝説のような存在である。それが、安全が約束されている帝国直轄の巨大な平原に何の前触れもなく現れたのだ。しかも、その手には人族を握っている。事情を知らない他人から見たら、事件の香りしかしないことだろう。俺の足元では人々がパニック状態に陥っていた。

「下がどうした」

 だが、ペネパロは全く意に介せずといった風であった。こいつはまったく。

「どうしたって、皆怯えてるじゃないか」

「お前は一体何を言っているのだ。ペネパロには理解できない。劣位種族が何を思おうとペネパロの知ることではない」

「お前なぁ。良いから降ろせ」

「むぅ。お前がそこまで言うのなら、仕方ないか。ほい」

 ペネパロは、決して納得はしていないようであったが不承不承と俺の肩から手を離した。手を離したのだ。そう、空中で。

「お前ぇぇぇえぇぇ」

 次の瞬間には俺は思いっきり怒声をあげていた。だが、その怒りも空しく近づいてくる地面。

「おうふ」

 まさか、本日三度目の『おうふ』をかますことになるとは。

「着地失敗だな」

顔面を地面に半分めり込ませて意気消沈する俺のすぐ隣に、ペネパロがばさりと飛び降りる音がした。そしてすぐに周囲に響き渡る悲鳴、悲鳴、悲鳴。きっと俺の後頭部に広がる世界は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していることであろう。どたばたと人々の忙しい足音が聞こえる。落下のダメージから立ち直り、俺が顔を上げたころには既に、視界の届く範囲に生物の姿は見えなくなっていた。偉そうに腕を組み仁王立ちをして俺を見下ろす、この諸悪の根源を除いては。

「お前はもっと、周りのことを考えろ」

 俺は、さっと立ち上がり強めに拳骨を落とした。ごつんっという音とともにペネパロは、「うぐっ」と軽く声を上げるが、全く痛そうにはしていなかった。むしろ、俺の拳の方が割れそうだ。まるで、鋼でも殴ったかのような感触。龍人種族はこんなにも固いのか。俺はじんじんとする痛みに涙を我慢しつつも、きっとペネパロを睨みつけた。

「自分探しの旅をしてるのに、そんな調子でどうするんだ。観光しているわけじゃないんだろ。龍人種族の誇りとかがあるのかもしれないけどさ、せっかく自分の意志でここにいるなら、もっと別の種族と友好的に関われるように努力した方が良いと思うぜ」

 俺は、偉そうに腰に手を置いて小言を言った。ペネパロは、きょとんとした顔をしながら、拳骨された箇所に両手を置いてこちらを見つめている。えーと、これはどういう感情なんだ。子供と触れ合った機会が数える程しかない為か、若干戸惑う。

「ま、まぁ、今まで培ってきた習慣とか価値観っていうのは、そんなに簡単に変えられるものじゃないと思うから、自分のペースでゆっくりな」

 とりあえず、無理やり笑顔をつくってできる限り優しめの声でフォローをしておいた。ついでにポンポンと頭を撫でる。

「・・・」

 ペネパロは、無言のままであったが、その瞳が少しずつ湿り気を帯びていった。

「え?」

 俺は、思いもよらぬ反応に心臓の鼓動の間隔が短くなっていくのを感じた。

「・・・うぐっ」

 そしてペネパロの瞳から零れ落ちる宝石のように綺麗な雫。

「え、お、えぇと。あの。痛かったか」

 幼い少女を怒鳴って泣かせるという初めての体験に、慌てふためく俺。変な汗が体中からにじみ出てくる。

「・・・ペネパロ、初めて、怒られた」

 表情はきょとんとしたままでぽろぽろと涙を流す少女の言葉からは、叱られたことに対する驚きと、どこか感激のような感情が含まれていると感じた。

「言い過ぎたか。親でも無いのに、でしゃばりすぎたか。ごめんな」

 俺は、どうしたら良いのか一向に見当がつかず、とりあえず謝罪をしておいた。周りには誰もいないことを承知してはいるが、助けを求めるようにそわそわと視線を泳がす。

「構わない。ペネパロ、お前の言っていることは一割くらい理解した、と思う。それに、」

「それに?」

「怒られるのは、少し嬉しい」

 心なしかはにかむペネパロ。ドMかよ。と心の中で突っ込みを入れつつ、「お、おぅ。そうか。」とぎこちなく返事をしておいた。

 それにしても、こんなに我儘そうな性格をしておいて親から一度も怒られたことがないとは、相当理解のある親御さんなのか。それともただの親馬鹿なのか。とにもかくにも、ペネパロの涙は止まったようだったので、貴重な経験が出来たと半ば無理矢理自分の中で纏めて、この件は完結させることにした。

「じゃあ、そろそろ行くか。あと、無駄な騒ぎになっても困るから。とりあえずこれ着とけ」

 俺は、鞄の中から防寒用のマントと毛皮の帽子を取り出し、ペネパロに渡した。とりあえず、異様に目立つ純白の羽と尻尾を隠しておけば、誰かとすれ違うたびに恐怖で逃げ出すその背中に空しく手を伸ばすことはなくなるだろう。

ペネパロは、俺から受け取ったその布の着方が分からないようで一人でもたもたとしていたので、無言で手伝ってやった。その後、ほらっとペネパロの背中を軽く押して、俺のすぐ横に立たせてから二人で並んで歩きだした。

「羽と尻尾は上手いこと隠しといてくれよ。それと、他種族からしたらお前は自分が思っているよりもずっと力が強いから、もっと加減してくれ」

「承知した。お前がそう言うのなら、ペネパロは従う。お前は多分正しい奴だ。劣位種族に配慮することも、支配者には必要ということか」

「えっとなぁ。その、劣位種族とかっていう考え方は、いや、まぁ、今は良いか。少しずつで」

 俺は、途中まで言いかけて口をつぐんだ。こいつはこいつなりに、答えを探して必死で考えているのだろう。無理に自分の考えを押し付けるのもあまり良くないしな。

 そのまましばらく、他愛もない会話をしながら歩いた。行き交う人々も俺たちを見て顔色を変えることはなかった。まぁ、天下の往来を最上位種族が徒歩で闊歩しているとは微塵も思わないのだろう。辺りはすっかりと暗くなり、人通りもほとんどなくなった。俺の視力では数歩先までしか視認できなくなったため、そろそろ野宿の準備をすることにした。ダムディリアス大平原に敷かれた道は非常に長く、俺たちのように道中で一夜を明かす者も少なくはない。そういった旅人達のために道の端の至る所に小規模な広場のようなものが設置されている。地面には芝生が敷き詰めてあり、温暖な気候のサスクワ地方では、それだけでゆっくりとくつろげる。俺達は一番近場にあった休憩場まで歩いてから、どしっと腰を落ち着けた。

「はぁ。今日はいつも以上に疲れた。もう動きたくねぇ」

 俺は、思いっきり背伸びをした。休憩場には先客はいないようで、今夜は俺達の貸し切りになりそうだ。

「何もしたくねぇけど、動けるうちにやれることはやってしまうか」

 痛む体に鞭を打って鞄の中から小さな鍋と十数本の鉄の棒、使い古した灼熱石とそれを置く為の鉄の受け皿、ペネパロとの約束のハマナミ草を取り出した。そして、いつものように皿の上に灼熱石を置き、それを囲むようにぱっぱっと鉄の棒でやぐらを立てる。ペネパロはその一連の流れを興味津々といった様子で見つめていた。

 俺は、満足のいくものが完成したところで、残りの材料を探して鞄を弄った。その最中に、ふとある疑問が浮かんできた。

「そういえば、お前は他種族に対して劣位種族って言葉をよく使うけど、俺もお前のいうところの劣位種族にあたるんだろ」

「ん。種族的にはそうなるな」

「その割には、俺に対してはあまり偉そうにしないというか、俺の言葉に結構従ってくれるよな」

 そこまで言っておいて、あまり良い質問ではなかったのではないかと思った。ペネパロ本人も気づいてないような繊細な心奥の話であるような気がしたからだ。だが、ペネパロは何を言っているのだとでもいうような表情をしてこちらを見ていた。

「お前は、ペネパロの命の恩人だ。いくらペネパロが優れた種族であるとしても、命の恩人を見下す程傲慢ではない。お前は特別だ」

 その言葉には、嘘や冗談の類は何一つ交じってはいないように感じた。確固たる信念と真っ直ぐな気持ちが伝わってきた。

「そ、そうか」

 俺は、思いがけない言葉に何となく恥ずかしくなった。心なしか高揚した気分で、お目当ての材料である火付け石を探し当てると、やぐらの中央に鎮座する灼熱石に強めにぶつけて火を起こす。灼熱石は、『石』と名がついてはいるが実際は『石』ではなく第五級魔道具である。一度着火すると一定量の水分を吸わせるか、燃え尽きてなくなるまで燃え続ける。旅の必需品であった。

 真っ暗な闇の中にぼうっと暖かい光が広がる。風が吹けば、光もそれに合わせてゆらりと揺れて情緒を感じた。ほとんど無音の空間の中、ぱちぱちと静かに燃える炎の音もなかなか良い雰囲気づくりに貢献をしていた。俺は、上機嫌で鍋を持ちやぐらの上に乗せ、そこに冷水を流し込む。一人であったなら鼻歌でも歌っていただろう。

「そういえば、ペネパロも聞こうと思っていたことがあるのだが」

着々と夕食の準備をする俺に向かってペネパロが訪ねた。俺は、「どうした」と何気ない感じで促す。

「さっきからずっと後ろをついてきていた変な奴は、お前の知り合いか」

「え?」

 調理の手を止める俺。ぞくっとした感覚が背筋を走る。ずっとついてきていただと。一体いつから。心当たりといえば昼に助けたミンユ達くらいしかいないが、ペネパロも面識がないということは別の人物なのだろう。

「いつからだ」

 俺は危険を感じ、小声で囁いた。

「お前と出会った時からだ。最初は斜面の上からこちらを眺めていたが、平原を歩き始めてからは二メートルくらい後ろにずっといたぞ」

 え、なにそれめちゃくちゃ怖い。結構きょろきょろしていた筈なのだが、全然気が付かなかった。

「何で言わなかったんだ」

「敵意を感じなかったし、悪い奴では無さそうだったから」

「悪い奴では無いって、仮にそうだとしても怪しすぎるだろ」

「そうか。善人か悪人かくらいは感覚で分かる。ペネパロ、お前の感性は理解できない」

「そっくりそのままお前に言ってやりたいよ」

 もし、ペネパロが言うことが本当なら、いや、こいつが意地悪で嘘をつくような性格ではないことは、この数時間一緒に過ごしただけで十分理解したから、本当なのだろう。そうなると、一体何が目的なのだ。わざわざトラブルの種を具現化したような俺達をこっそり尾行する理由が思いつかない。

「この数時間、俺の視界には全く入らなかったんだが」

「当然だ。ずっと姿消しの魔術で身を隠していたみたいだからな。ペネパロも龍眼を使用したときに気付いた」

 おいおいおい。本気かよ。怪しすぎるにも程があるだろ。俺は、全身に鳥肌が立つのを感じた。

「で、そいつは今どこにいるんだ」

 俺は、ペネパロの話す衝撃の事実に戦慄を覚えながらも、周囲に気を配りつつ意を決してそう訪ねた。

「お前の目の前だ」

「はい?」

 心臓が止まったかと思った。それくらいのショックであった。俺は思わず目の前の何もない空間を凝視してしまう。

 すると、みるみる内に目の前の景色が歪んでいき、包帯で顔をぐるぐる巻きにした何者かが突如俺の視界に姿を現した。

「・・・」

 完全にフリーズして動かなくなる俺。一瞬ではあるが、思考も完全に停止していた。そんな俺に向かって「やぁ」と、右手を挙げて気さくに話しかけるミイラ男。

 一呼吸おいて俺の抜け出した魂が戻ってきて、

「ぎゃあぁぁあぁ」

 足元で燃え盛る調理器具一式を思いっきり蹴飛ばしながら慌てて背後に飛びのいた。準備の過程で鍋に入れていた冷水は、加熱されていつの間にか熱湯になっていたらしく、蹴り飛ばした拍子に熱湯シャワーとなって俺達三人に降り注ぐ。

「あっちぃぃぃ」

「あっつぅぅぅぅ」

 ペネパロは、熱さにも強いようで一人微動だにもしていなかったが、その他の二名はしばらくの間、闇夜の芝生の上を無様に転げ回るのであった。



―――


 『龍眼』

 龍人種族のみが産まれながらに持つ固有スキルであり、『不可視を可視化する瞳』とも呼ばれている。別名のとおり、不可視魔術や幻覚魔術をことごとく無力化してしまうスキルで、発動時は真紅の瞳が黄色く変色する。

 また、その他にも龍人種族特有のスキルとして挙げられるものに、圧倒的な防御力を誇る『龍燐』及び攻撃力を誇る『龍爪』、そして他種族から最も危険視されており龍人種族を最強足らしめる非常に強力なスキルである『龍感覚』が存在する。その能力はかなり特殊なもので、『不明』である。もともと謎の多い種族であり、公にされていない情報は山ほどあるとのことなのだが、『龍感覚』については当の龍人でさえ上手く説明することが出来ないのだ。主な能力は魔力の探知とのことだが、『確実にそれ以外の何か』まで感知することができる。だが、それが何なのかは誰も解明できていない。性能に対する個体差はかなり大きいらしいが、時には未来予知に匹敵する程の感知能力を発揮することもあるらしい。

ペネパロの、「敵意がない」やら「悪い奴では無い」という言葉は無意識のうちにこの固有スキルを使用して得た情報なのだろう。俺は、そんなことを考察しながら目の前で「暖かいねぇ。」と、灼熱石からあがる炎で暖をとる包帯男を眺めていた。

あの後、我に返った俺はペネパロに命令してこの不気味な男を拘束させ、事情を問いただした。いつから俺達に目をつけていたのか、尾行を開始した時期は、なぜ不可視魔術を使用していたのか、目的は何なのか、そもそも何者なのか。思いつく限りの質問をぶつけたが、包帯男は全ての質問にすんなりと答えてくれた。

包帯男曰く、「興味を持ったのは、君が猫人族の少女に手を差し伸べた時だよ。もう少し待って誰も救いの手を差し伸べなかったら僕がやるしかないのかなと覚悟をしていたんだけどね。先に君が少女に声をかけたから、ちょうど視界に入ったんだ。こんな時代に、見返りの期待できない人助けをすすんで行う人なんて滅多にいないからね。どんな人物かと思ったら、それがまさかの人族の青年だったもんだから、気になって後をつけたんだ。姿消しについては、僕の見た目を見て察してほしいな。目的っていうほどでもないけど、ずっと尾行していた理由は君たちを見ていて面白かったからかな。龍人族の子に気付かれているのは分かっていたから、僕のことが鬱陶しかったら何かアクションを仕掛けてくるだろうし、特にそういった感じはなかったから興味ついでにお話ししたいなと。あはは。あと、そろそろ拘束を解いてくれないかな。見た目通りあまり体は丈夫な方ではないんだ。さすが龍人族の子だ。力が強くて腕がもげそうだ」とのことだった。

俺は、ちらりとペネパロに目配せをして、「こいつは、嘘はついていないと思う」という先生の証言を頂いたためその場で解放させた。

包帯の男は「痛てててて」と、腕をぐるぐる回した後、改めて自己紹介を始めた。

「僕の名前はベクトゥム。呑気な旅人さ。」




 それから、三人で鍋を囲みアクシデントにより中断した夕食タイムを再開した。約束通りペネパロには俺がもっている限りのハマナミ草を与え、俺は味気ないクプル草を齧った。ベクトゥムは、食事はいらないと言って何も口にはしなかった。その包帯だらけの顔面でどうやって食事をするのかと若干気になっていたため少し残念ではあったが、あえて聞くまでのことでもないと思ったので口にはしなかった。一番心配していたペネパロとのコミュニケーションについては、お互いに早い段階で打ち解けられたようで特に問題はなさそうであった。ベクトゥムは以前にも別の龍人と交友関係があったらしく、種族に対する恐怖などの偏見は持っていないとのことだった。ベクトゥムの親しみやすい性格もあってか、意外にも終始和やかな雰囲気で夕食を囲むことができたと思う。ベクトゥムはサスクワ地方だけでなく、その他の三つの地方全てに足を踏み入れたことがあり、その旅の内容を中心になかなか為になる話を語ってくれた。ペネパロも自分の知らない外の世界の話に好奇心を花開かせていた。

 そんなこんなで現在俺達は、一通り話を終え、鍋等の後片付けをしてから食後の余韻に浸っているところだった。久しぶりにこんなに他人と会話をして顎が痛い。体中も至る所が痛むし、今日一日だけでかなり色々な出来事があった。いや、巻き込まれたという方がしっくりくるな。まぁ、ある意味滅多に遭遇することのない良い経験ができたとも言えるか。そんなことを思いながら、改めてこの謎の旅人ベクトゥムをじぃーっと観察してみた。

座っているため正確な身長は分からないが、恐らく俺よりも高いだろう。体系は痩せ型で不健康そうにひょろりとしている。目、鼻、口、耳も全て含めて顔全体が包帯で覆われており、頭には灰色の中折れ帽を深めに被っていた。包帯はかなり厳重に巻かれているようで、ちゃんと周りが見えているのかとか、呼吸用の経路は確保できているのかとか、そんな疑問が浮かぶがこの二、三時間接した感じだと特に問題はないようだ。姿消しの魔術を習得しているくらいなのだから、その辺も魔術で何とかしているのだろう。包帯は、顔だけでなく体全身を包んでいるようで、くたびれたテーラードジャケットから除く腕にも指の先まで丹念に巻かれていた。冷静になってこの人物を再評価してみると、あまりにも怪しい。不気味を体現したような見た目をしていた。まぁ、人を見た目だけで判断するのは良くない。ペネパロの言う通り、敵意は感じられないし話も面白い。性格も柔らかく人懐っこい。退屈な旅のひと時のお供としてはまぁ悪くはない。

「僕の話ばかりで悪いね。是非君達の事も聞かせてくれよ。君は、どうしてこんな所を旅しているんだい」

 ベクトゥムは、そう言って俺の方に顔を向ける。瞳が隠れているためか、まじまじと顔を合わせると若干怖い。

「俺は、帝国の先の森にある村に行こうかと思ってな」

「帝国の先かぁ。となると、キジリ村かい。いや、スンカル村かコグラ谷の集落かな」

「よく知ってるな。スンカル村だよ。しばらくゆっくりと腰を落ち着けられるような場所を探しているんだ」

「まぁ、この辺は嫌という程旅をしてるからね。休暇を取るっていうなら、もう少し森を東に進んだところにあるガタリアの村がおすすめだよ。大規模な農場があってね。そこのチーズが絶品なんだ」

「そんな所があるのか。せっかくだから寄ってみるかな」

「損はしないと思うよ。君はどうだい」

 続けて、ペネパロに話を振るベクトゥム。

「ペネパロは、自分探しの旅の途中だ」

「自分探し?えーと、故郷で何か嫌なことでもあったのかい」

 俺の目の前でどこかで聞いたことのあるような問答が始まろうとしていた。それを察してすかさず口を挟む。

「お前が思っているような深い事情はないみたいだぞ。親公認で単純に社会見学をしているだけらしい」

「あぁ、そうかい」

 ベクトゥムは、俺の補足を聞いて少し安堵したようであった。まぁ、龍人族の子供が一人旅をしているなんて通常考えられないシチュエーションだ。即座に何かあったのではないかと疑うのが自然だろう。

「社会見学ではない。自分探しの旅だ。」

 ペネパロは、こだわりがあるようですぐに訂正を申し出たが、俺は「はいはい。そうだったな。」と軽く行け流しておいた。

「ということは、『歩く山』から来たのかい」

「そうだ」

「そうなんだね。懐かしいな。僕も一度だけ行ったことがあるよ。辿り着く前に何度も死にかけたけどね」

「お前、『歩く山』にも行ったことがあるのか。凄いな」

 『歩く山』のあるノストル地方は、ドラゴンやその他の上位モンスターが犇き合う超危険地帯である。上位種族でも立ち寄らないような土地だ。そんな場所を旅するとは、相当の物好きというべきか、ただの命知らずというべきか。

「探求心には勝てなくてね。それに」

 ベクトゥムは小声で何かを唱えると、右手の人差し指で空中に円を描いた。すると、その円を描いた部分が突如としてぐにゃりと歪む。ベクトゥムは構わずその歪みに腕を突っ込み何かを取り出した。

「これを完成させるのが僕の夢の一つなんだ」

 ばっと空中に広げたそれは、手書きの地図であった。それも、大陸全土を書き記したものだ。

「すげぇ」

 俺は、感心のあまり語彙を失いかけた。かなり精巧に記されており、各地の村だけでなく地面の起伏、生息している生物まで、余すことなく情報が盛り込まれていた。ここまで作成するのに、一体どれだけの時間を要したのであろう。少なくとも、俺の寿命なんてはるかにしのぐ程の途方もない時間であることは間違いない。まさか、こんな至宝を目にすることができるとは。

「いやぁ。そんなに熱心に見てもらえると嬉しいよ」

「あ、悪い。思わず興奮してしまって」

 ベクトゥムに言われて初めて、自分が随分と長い時間無言で地図を眺めていたことに気付いた。ペネパロは、その価値が理解できないようで一人首を傾げていた。まぁ、羽を広げればひとっ飛びでどこにでも行けるこいつからしたら、地図なんて価値のないものなのかもしれない。

「いや、気にしないでおくれ。僕も君くらい関心をもって見てもらえたら誇らしいよ。ありがとう」

「さすがに、ノストル地方とバグリ地方はあまり探索できてないんだな」

「まあね。あそこはかなり危険だからね。探検しようにも、なかなか上手くいかないんだよ」

 そうは言っても、大まかな土地の形状や距離など世に出回っている大陸地図と比べると比較対象にならないほど細かく記載されていた。すっかり興奮しきった俺は、記憶にしっかりと焼き付けるかの如く隅々まで目を通した。しばらくして、至極の逸品をたっぷりと堪能した後に、俺はベクトゥムと会った時から気になっていたある質問をしてみることにした。

「そういえば、お前は何族なんだ」

「僕かい。そうだねぇ。君はどう思う」

「魔術に精通しているところを見ると、エルフか」

「うん。まぁ、そういったところだね」

 そういったところ? 俺は、少し含みのあるその回答に違和感を覚えた。包帯の件も含め、ベクトゥムにはあまりにも不可思議な部分が多い。あまり詳しくは問いたださない方がお互いの為なのかもしれない。世の中には、知らない方が良いことなんて腐るほどあるのだ。だが、その違和感だけは妙に引っかかった。

 だが、そんな些細な感情は今まで眠ったように静かにしていたペネパロの突然の行動によりかき消されてしまった。何を思ったのか、ばさっと翼を広げ急に立ち上がったのだ。

「おぉ。どうした急に」

 俺は、慌ててペネパロを見上げる。

「食事も終わったし、そろそろペネパロは自分探しの旅に戻る」

「それは随分と急だな。夜が明けてからでも良いんじゃないか」

「いや、ペネパロは今出発したい気分なんだ」

 なんて、マイペースなやつなのだ。

「そうか、気をつけてな。そのマントはやるから他種族と関わるときに使ってくれ」

「すまないな。有難く頂戴する」

「またどこかで出会うかもね。その時はよろしく。ペネパロちゃん」

「承知した。包帯の変な奴」

「ひどいなぁ」

 ベクトゥムは、悲しそうに肩を落とす。

「そういえば、名前を聞いていなかったな」

 そう言ってペネパロは俺の方を見つめた。言われてみれば自己紹介をまだしていなかったな。ファーストコンタクトがあまりにも衝撃的だったから、すっかり忘れていた。

「リオンだ」

「そうか。ペネパロ、記憶したぞ。ペネパロは、ペネパロと言う」

「知ってるよ」

「記憶したか」

「あぁ」

「そうか」

 ペネパロは、嬉しそうにはにかんで、すっと俺のすぐ目前まで近づいた。そこで中腰になり、俺の顔前の数センチメートル先に自分の顔を寄せてきた。

「お、ど、どうした」

 吐息でさえも確認できる程の至近距離。整った可愛らしい顔立ちと、ぎらりと力強く輝く鮮紅色の瞳が俺の視界を覆う。いくら子供といっても、異性とこんな距離で見つめ合ったことなど経験がない俺には、この数秒間が何時間にも感じられた。心臓が高鳴り、鼓動が早くなるのを感じた。俺の口、臭くないかなどと、柄にもないことを考えてしまう。

 そして、「んむっ」

ペネパロの小さな唇が俺の唇に重なる。驚きで目を見開く俺。心臓の音が一際大きく響く。ペネパロの色素の抜けた白いまつ毛が夜の暗黒に映え、とても綺麗だった。

「うわぁお」

 すぐ近くから、ベクトゥムの声が聞こえた。

ペネパロの鼻息が顔にかかり変にくすぐったい。俺は、完全に混乱状態となり成すがままであった。

「ぷはっ」

「・・・」

 唇が離れた後も、呆然とする俺。

ペネパロは、「親愛の証だ」と、亀裂の底で出会ってから初めてになる満面の笑顔をみせた。そして、ばさっと翼を羽ばたかせて宙に浮く。ベクトゥムは、巻き起こる風圧により大事な地図が吹き飛ばされないように必死に抑えていた。

「リオン。お前はペネパロの命の恩人だ。古代龍人族の誇りにかけて、この恩は必ず返すぞ」

 ペネパロは最後にそう言い残して、あっという間に夜空に消えていった。強烈な出会いから始まり、最後により強烈なインパクトを残して。

 ベクトゥムは、しばらくペネパロが去っていった夜空を眺めた後、無言で地図を元の謎空間に戻し、芝生にどさっと寝転がった。

「さてと、寝ますか」

「・・・」

 まったくこいつは、なんて空気が読める良い奴なのだ。無駄な詮索は一切しないベクトゥムの良心に好感を覚えながら、俺は自分の唇に手を当てた。俺のファーストキスが。異性とは言え、まさかあんな子供に奪われるとは。複雑な気持ちにもやもやとしながら、灼熱石が燃え尽きるまでの間、俺は放心状態となっていた。

 それにしても、唇、柔らかかったな。そんなことを思ってしまう自分に、心から嫌悪感を覚えながらも、いつの間にか眠りに落ちていた。

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