第36話 彼女は、見覚えのある綺麗な髪をした女性だった(11)

 絵本などに出てくる悪魔。そう言っても過言ではない誰もが知るイメージの総体。

 プルート・ヴェルバーの姿はそれであろうと思われているほどに黒く、醜く、汚い羽の生えた存在。

 獰猛であることがわかる牙と爪。獲物を探して八つ裂きにしようとしている充血した瞳。身体の周りから出ている紫色の有害物質、瘴気。

 モードレアが召喚した存在とは真逆の印象を持つその存在は、近寄りがたいものだろう。だが、ジーンは信頼していた。

 たとえどんな見た目であろうが、必要な力であれば借りる。

 見た目が全てではないのだから。

 そして、そんなダエーワを見たモードレアはすぐにその存在の正体と呼んだ理由を看破し、唇を強く噛んでいた。


「やってくれた……!まさか瘴気を放つ存在を呼ぶなんて!」

「第一目標は餓鬼どもの安全だからな。全てを溶かす瘴気なら、神術だって溶かしてくれるだろ?」


 ダエーワの周りには瘴気による膜ができている。それは神術とも魔導とも違うからこそ、エレスティからその身体を守っていた。

 これで実験とやらは中断できた。


「クリア!あの男を倒すわ!二対一なら……!」

「どうやらそれも違うらしいぞ?」

「ッ⁉」


 迫りくる二本の黒い剣を紙一重で防ぐ。エレスティが起きていたが、それ以上に剣技によってモードレアは追い込まれていた。

 振り下ろされた剣はとてつもなく重く、モードレアの膝は受け止めている時間が延びるほど沈んでいき、体勢も悪くなっていった。

 モードレアにかかる圧力は神術士と相対しているのかと錯覚するほど、人間の素の力とは思えないほどの馬鹿力。

 そんなものを行使してくる魔導士に心当たりは一人しかいなかった。


「騎士団長、ファードル……!」

「やあ、ここのところの事件の首謀者さん。我らが庭で暴れていて、番犬たる我々が逃がすと思ったのかね?」

「ハッ!狗はお行儀よくご主人様だけに尻尾振り続けて牙抜かれたと思ってたのに!剣技はさすがに敵いそうにないわね……!」

「仮にも秩序の番人、その頂に座らせてもらっているからな。魔導士たる私は、いつだって何かに備えている!」


 両手に剣を持ち、それを振るう。神術士ではないから肉体強化は施していない。だというのに二本の長剣を難なく振り抜き、あまつさえその戦闘でモードレアを圧倒していた。


「クッ!アンタ本当に人間⁉」

「いや、バケモノさ。こんな禍々しい力を身に宿した私は、どうあっても人間にはなれない。なにせ、守りたい人の手を傷付けてしまうのだからな」


 剣が触れる前にエレスティが発生する。だが、そんな火花は関係ないかのように力で押し潰す。脳筋と呼ばれても仕方がない戦法だが、慣れていない人間にはよほど効く。

 何よりも恐怖なのは、本来エレスティが起きてまともにぶつかれないはずなのに、それをものともせず接近戦を許してしまう魔導の実力。

 総じて人類最強の戦士と名高いファードル。

 魔導士や人間相手はもちろん、神術士の戦士とも打ち負けない実力から人類で敵う者はいないとまで揶揄されている。

 実はモードレア、自身の剣に硬化術をかけて剣の切れ味と耐久性を上げているのだが、それも度外視してファードルは剣で斬り合っていた。

 ファードルが持つ剣が特注の業ありなのは事実だが、それでもやはりモードレアとやりあえているのは紛れもなく彼の常識を逸した実力からである。

 ファードルとモードレアが戦ってくれている間に、ジーンもシール・クリアなる天使と殴り合う。翼から羽が飛んできたり、神術を使ってきたりしたが、ジーンは展開された防護壁ごとトンファーでぶち破った。


「ラッ!」


 だが、やはり神術と魔導でぶつかり合うのは効率が悪い。一々エレスティが起きて魔導も神術も威力が落ちる。しかも神術士は治癒術が使えるため、自身の傷はよっぽどの重傷でなければ治せる。

 回復や防御による耐久力が勝つか、それを上回る火力で押し潰せるか。つまるところ逆ベクトルの力を帯びた術のぶつかり合いは、それだけの勝負であり最後は胆力の問題だった。

 ジーンがトンファーから刃を形成して斬り伏せたのだが、翼ごと左腕を持っていこうとした一撃は腕を傷付ける程度で終わってしまった。


「ハアァッ!」


 そこで更に乱入者が現れる。その人間は後ろから天使を斬りつけ、右の翼を落としていた。


「――Aa――!」


 人間の声とは異なる絶叫。それが脳に響きながらもジーンは腹へ一撃を放つ。だが、やはり決定打にはならない。


「おい、ラフィア。お前が攻めろ。俺じゃまともに倒せない」

「いいですけど……。あれ何ですか?あなたが戦ってたから斬りましたけど……」

「アスナーシャがいるとされる天界に住む生き物だ。魔物の一種って考えで大丈夫だ」

「そうですか……」


 中途半端ながらも、ラフィアはそれでいいかと納得し剣を構える。

 ジーンはファードルの方を見てみるが、割り込めないような剣戟を繰り広げていたため介入するのはやめた。

 ジーンは一度自分の胸に手を当てる。鼓動が早い。脈も速くなっている。それどころか、汗も流れ始めている。

 ここが暑いというわけではない。モードレアとの戦闘で疲労したからでもない。天使との戦闘が激しかったからでもない。

 むしろ、この疲労は魔導の消耗だ。ジーンの魔導は世界で見ても相当上位ではあるのだが、今もダーエワを維持したり、ここに来るまでに結界を破壊するのに魔導を使ったりしている。

 それに先日八詠唱もしたばかりだ。八詠唱なんて使えば、並みの魔導士では三日三晩動けない。動くことには別段支障は出なかったのだが、マナの回復は万全ではなかった。

 八詠唱や五詠唱などの強力な術を使わない理由がこれだ。たしかに強力な術ではあるのだが、継戦能力が失われる。どんなに優秀な術士であっても避けられない命題だ。

 同じ威力を与えるだけであれば無詠唱や一詠唱を何十発も撃った方が効率は良い。しかし高威力を出そうとすれば、それだけ代償があるということだ。

 だが、そんな弱気なことも言っていられない。何より魔導士の子どもたちの命に関わるし、エレスを巻き込まないためだった。

 だからこそ、今は目の前に集中する。


「ああ、ラフィア。剣に炎とか纏うなよ?あいつには全部弾かれるからな」

「わかりました。ジーンが魔導で援護してくれるのですか?」

「半々だ。メインアタッカーはお前だ。任せるぞ」

「……はい!」


 ラフィアが駆ける。

 ようやく、ようやくジーンが信頼してくれたような気がした。

 今まで散々ぶっきらぼうで、エレスばかり優先して、一切頼ってこなかったジーンが初めて頼ってくれたのだ。

 そのことに頬が緩む。戦っている最中なのに不謹慎ながら、ここ数日で一番の嬉しい出来事だったかもしれない。

 天使に斬りかかる前に炎が天使を襲う。エレスティが起きながら、たしかに炎も弾いているようだった。だが、それは目晦ましになった。炎が視界を覆えば、死角も増える。

 その死角を縫うように足から滑り込んで浮いている足目掛けて斬り裂く。硬化術も使っていなかったのか、あっさりと斬ることができた。

 そして、魔物とも今まで知る既存の生物とも違うことをラフィアは理解する。

 血が出ないのだ。斬られた足も翼も落ちるだけ。魔物にだって血は流れているのに、目の前の天使はそんなものを一切流さなかった。

 血は不純だからか。それとも必要なかったからか。

 その答えは出ない。ラフィアは生態学に精通しているわけでもなく、神術で召喚できる存在についても詳しくは知らないからだ。

 もう一度斬りつけようとして駆けるが、天使は上昇してしまう。

 翼も片側しかないのに浮かんでいる様子から、翼ではなく神術で飛んでいるようだった。

 急降下から攻めてくるか、それとも神術で襲ってくるのか。そう思いジーンもラフィアも警戒するが、どちらも違った。

 天使はたしかに急降下した。だが、その行き先はファードルの元。


「ムッ⁉」


 突如増えたエレスティと共に、ファードルは二面からの攻撃によって転がった。そこまで遠くには転がらなかったが、相手をスイッチするには充分な一撃だった。


「テンペスタ!」


 ジーンが一詠唱で四本もの烈風を駆け巡らせる。だがそれはモードレアに当たることもなく全て小さな回避行動で掠るだけで終わってしまい、ラフィアの目前まで迫っていた。


「ハァ!」


 ラフィアは向かってくるモードレアに対して兜割りの要領で叩きつけに近い上段からの振り落としを試みたが、逆手に持っていた短剣で軽々しくいなされてしまう。


「あなた、弱いわ」

「ッ⁉」


 順手で持っていた左の剣が、ラフィアの脇腹を襲う。

 強固に作られた騎士団特注の鎧だったためそのまま胴体を裂かれることはなかったが、神術による肉体強化のブースト込みで放たれたその一撃はラフィアを近くの建物にめり込むまで吹っ飛ばすことは造作もなかった。


「ただの人間じゃ、この程度よねぇ。聖師団が近接最強なのも納得だわ。……そんな常識を覆して頂点に居座ってるあの男は異常だけど」


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