記憶の墓場
関寺屑
記憶の墓場
最初は聴覚。次に視覚。最後に身体を動かせるようになった。2113年10月19日午前2時17分ボクは目覚めた。周りを満たすのは装置の作動音。ボクは周りを見渡す。ここは研究所の実験室であると何故か分からないが確信できた。薄暗い部屋の中に所狭しと様々な機械が置かれている。外から足音が近づいてきた。ドアノブを捻る音がして、実験室に一筋の光が差し込む。
「おはよう、やっと目覚めたんだね。」
逆光となり顔はあまり見えなかったが、その男がボクを作った人なのだと直感的に理解した。彼はボクの頭を撫でる。彼の手は36度7分。初めての「ひと」の温度はすこし熱かった。
「『僕』の名前はなごみ。今は12歳だよ、多分。君の名前は『グレイヴ』。君は墓であり、『僕』達に刻まれた記憶そのものなんだ。君には『僕』の大切な人達の記憶を内蔵してあるんだ。僕が忘れてしまってもこの世界から消えてしまわないように。君の役目は全てを記憶すること。」
そう言うと年齢には合わない優しげな表情を浮かべた。先程の謎の確信はそれらの記憶がボクに内蔵されているからだったのだろう。
「貴方は『なごみ』。ボクは『グレイヴ』。しっかりと記憶しました。」
そう答えるとなごみは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、挨拶をしに行こうか。」
なごみはボクの手を引き、研究所の外へと連れ出す。研究所を出るとそこは森だった。なごみは森の奥へと進んでいく。
数分後、なごみとボクは少し開けた場所に出た。そこには大量の墓石が並んでいた。その中でも一際大きい墓石の前になごみはボクを連れていった。
「これが僕のオリジナル。100年以上前に死んじゃったんだ。僕は『僕』のクローンなんだよ。だから、君が生まれたのは『僕』のおかげなんだ。」
なごみは愛おしげに墓石を撫でる。そして昔話を始めた。
「1962年に全世界を巻き込んだ核戦争が起きたんだ。それで全ての動物は絶滅し、植物も汚染された。『僕』はその時運良く助かったんだ。いや、助かってしまったという方が正しいのかな。つまり、『僕』は独りぼっちになってしまったんだよ。大切な人達を全て亡くしてしまったんだ。だから、『僕』はその大切な人達の記憶を無くさないために君を作ろうと決心した。その頃実用化されつつあったクローン技術を駆使してね。あ、クローンを作り続ければ僕自身の記憶は永久に無くならないんじゃないかと思うかもしれないけど、クローン技術には重大な欠点があったんだ。例えるならコピー機。コピー機でコピーした物をまたコピーする。それを繰り返して出来上がった物は最初の物とは比べ物にならないくらい劣化してしまうだろ。人間でもそれと同じことが起きてしまうんだよ。僕はかなり劣化しているから『僕』の名前の由来も覚えていないんだ。大切な人達の記憶も曖昧なんだよ。」
なごみはわざとらしい明るい声色で言った。
「なごみ、貴方の名前は『平和』への願いが込められたものです。ボクの記憶にあります。」
「……そっか、君は全てを記憶しているんだよね。ありがとう。」
なごみが何に対して感謝しているのかボクには分からなかった。
「それがボクの役目です。」
「そうだったね。じゃあ研究所に帰ろうか。」
なごみはにっこり笑って言った。研究所はボクの帰る場所。しっかりと記憶した。
研究所へ帰るとなごみは様々な機器の使い方や、ボク自身のメンテナンスの仕方をボクに教えた。そうしてボクとなごみの生活が始まったのだった。
少しして気付いたのだが、ボクは人間についてほぼ何も記憶していなかった。ボクの記憶の中には人間にとって普通のことは入れられていないようだ。人間はエネルギーを、口から摂取する有機物を体内で消化することによって作り出すこと。人間は老いるということ。人間は簡単に死ぬということ。ボクはそれら全てを新たに記憶した。
ある日、なごみは血だらけになって森から帰ってきた。
「なごみ、腕から出血しています。」
ボクにそう言われてから漸くなごみはそれに気が付いたようだ。
「あれ、なんで怪我してるんだろう……。あ、そういえば木から落ちたんだった。」
なごみの痛覚は鈍っているのだろうか。人間には痛覚があるとボクは記憶している。
「なごみ、貴方は痛覚が鈍っているのですか。」
「うん、そうだよ。やっぱり日に日に劣化してきているみたいなんだよね。僕はクローンのクローンだから。」
なごみはその時も明るい声色で答えた。
「なごみはなごみです。ボクはそう記憶しています。」
そう答えるとなごみは少し嬉しそうに笑った。
それから何年経っただろうか。ボクはなごみの死を8回記憶した。なごみが死ぬと同時にまた新しいなごみが製造される。
そして、その日ボクが目覚めてから9人目のなごみがクローン製造機から出てきた。その直後、クローン製造機は煙を吐いて動かなくなってしまった。ボクの記憶にはその機械の直し方は無い。それはなごみも同じようだ。
「僕が、最後みたいだね。」
「その様ですね。なごみ、おはようございます。」
「ねえ、グレイヴ。最期なんだから旅をしてみないか。」
「旅、ですか。」
「そう。この世界を、『僕』と僕の終わりを、全て記憶して欲しいんだ。」
そう言ってなごみは笑った。
それから37年かけてボクとなごみはこの星の全ての土地を巡った。核戦争が起こる前は至る所になごみと同じような人間が住んでいたと言っていたが、今は痕跡すらも無い。有るのは異常なまでに青々とした植物だけだった。
最後に辿り着いた土地は昔は「ニホン」と呼ばれていたらしい。そこには瓦礫すらも無かった。この国は戦争に巻き込まれ、焦土作戦が決行されたとなごみは言っていた。何も無い地平線を眺めながらなごみは呟く。
「ねえ、グレイヴ。僕はね、君が目覚めてから初めて僕になれたような気がするんだよ。」
「それはどう言う意味ですか。」
「僕は君が目覚めるまでは、『僕』の遺志を継いでずっと研究をし続けてきた。でも、君が目覚めてからは、僕自身の意思でこうやって君と会話をしている。僕は自分で何かを考えたのって初めてなんだ。」
「……なごみはなごみです。ボクはそう記憶しています。」
そう答えると、なごみは少し悲しそうに笑った。
ニホンから北西に進み、ボクとなごみは帰る場所である研究所の近くまで戻ってきた。なごみは何故か分からないがボクの頭を最初に会った時の様に撫でた。
「……帰ってきたね。」
その手は40度6分だった。一体何処で感染したのだろうか。なごみは熱病に倒れ、そのまま息を引き取った。ボクは今までもしていたようになごみを埋葬した。
「この世界と、なごみの最期。しっかりと記憶しました。」
ボクは最後のなごみの墓石に名前を刻んだ。
それからボクはボクの帰る場所である研究所へと足を進める。
実験室の装置の音しかしない、独りぼっちのこの世界を今日もボクは記憶し続ける。
ボクはなごみの記憶の墓場だ。
記憶の墓場 関寺屑 @sekidera
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