第4話 氷海

 大陸の北東。すなわち人類世界の全てである"帝国"から馬人ケンタウロスの国、ハーン国を抜け、大森林を越えた北東部に位置するなかば忘れられた氷河と山と海に囲まれた辺境にノルデン地方はある。年間を通して寒冷なノルデン地方にはノルドと自称する蛮族が暮らしており、男女共に帝国人よりも背が高く、肩幅も広い。金髪碧眼の者が多く、男は雄々しく、女は凛々しい。多くの者の肌は白色であり、髪や髭は緩く巻いている者も見られる。

 彼らは酷く原始的な農作物の耕作や牧畜も行うが、その人口圧力のために、多くの者が海賊を生業とし、好んで他の民族の集落を襲い《時には同族も》、財を奪い女子供を攫っては奴隷商人に売り渡す。

 男女共に毛皮、あるいは獣のなめし皮をかろうじて衣服の形に縫い合わせた物を身に纏い、先に述べた農耕行為の他、日々を狩猟と採取で暮らす。

 ノルドはユマラを主神とする多神教を奉じており、事実迷信深いことで知られている。彼らは村を纏める族長の元で奉仕しているが、その季節季節の出来事は呪い師の託宣に左右される事が多く、呪い師が殆どの行事やまつりごとの裁量権を握っているのだ。この点からも彼らノルドが文明社会から隔絶された辺境の地に住むに相応しい未開の野蛮人だと断言できるであろう。


 ~ファルド帝国風土記よりノルデン地方に関する記述より抜粋~


 ◇


 白い山脈に挟まれた雪原に二人の人影が過ぎる。

 年の頃は十二三、全身に毛皮の衣を纏った金髪の少年と少女だ。

 彼ら、少年と少女の二人は食料や塩など、荷物を入れたソリを引き、氷の大地を一路南へと歩いていた。

 時折、雪に隠れた裂け目があるので気をつけねばならない。

 足を踏み出す前に必ず槍の穂先の逆、頭で突く。突いた感触が硬ければ大丈夫である。

 もし柔らかい時には裂け目の大きさを測って、裂け目がソリの三分の一程度であれば裂け目を渡る。

 もし裂け目が酷く広そうなら、彼らは確実に大地がある方角、東に戻る事にしていた。

 それは大人たちが"帝国"は南西に存在する、と話していた少年の記憶に基づいている。


ユマラ様、私たちに暖かき小さな太陽プロテクション・フロム・コールドをお与え下さい」

「……ユマラに祈っても、この凄い寒さは変わらないよミーナ」


 少年、エリアスは不遜にもユマラの力を疑った。

 しかしながら少女、ミーナの祈りが済むと共に、彼は自分とミーナの周囲を覆う黄金色の輝きを見る。

 それは暖かさを伴なった輝き。ユマラの手になる祝福であろう。

 ミーナは神を試すような事を口走る彼のそんな態度には慣れているのか、信心深きミーナはエリアスをとがめもせず天気を気にしてみせた。


「テントを張る? エリアスどうする?」


 少年、エリアスは空を見渡す。見れば山手から黒雲が張り出している。


「……吹雪くかも。もし雪が強くなるようならテントを張ろう」

「ええ、そうしましょう。そしてご飯ね」


 ミーナの笑みにエリアスの顔が和んだ。


「あ、ごめんミーナ。やっぱり今のうちにテントここに張ろう。あの黒雲、凄く速いんだ。どんどんこっちに来ている」

「じゃあエリアス、急いでテントを張って食事にしましょう」

「そうだね」


 ◇


 バシバシとテントを打ち付ける何者かのたてる音がする。

 テントの外はエリアスの予想通り、雪が横殴りに降り付ける吹雪となっていた。

 いくらテントを張ったとはいえ、寒いものは寒い。よってテントの中でも二人はミーナの呪文、つまりユマラの加護にすがった。

 魔法の呪文にて暖を取る。俺達はミーナの呪文で作り出した魔法のフレイムをテントの中央に据え、幾重にも重ねた毛皮の上に腰を下ろしていた。

 その炎でミーナは干し肉と麦の粥を作ってくれている。

 素朴な味だが体の芯から温まる、ささやかな食事だ。


「ミーナ、早めにテントを張って正解だったろ?」

「ええ。でも、こうして暖かい食事が出来るのもユマラ様のおかげよ? ありがたく思わなくちゃ」


 ミーナが重ねた毛皮の上で祈るように天井を見る。


「魔法の呪文か。ユマラの力って凄いんだな。それに比べて俺は」


 エリアスの思いに心当たりがないのか、それとも伝わっていないのか、きょとんとするミーナ。


「英雄ヴァルト様の力を貰ったじゃない。立派な剣と一緒に」


 そして呆れ声でミーナは続けた。


「ヴァルトか。なにせ英雄だからな。俺が強いわけじゃない。あくまで英雄ヴァルトが強いだけだし」


 エリアスは屈折していた。過去の英雄ヴァルトに嫉妬しているのかもしれない。


「頑張って海賊達をやっつけたのはエリアスの実力よ。英雄ヴァルト様じゃないわ」

「俺の実力?」


 ミーナの言葉に、今度はエリアスが呆ける。


「そうよ? あなたはユマラ様を通じて英雄ヴァルト様に選ばれたの。エリアス、あなたは普通とは違う力を持っているの。その紫の影を纏わりつかせた魔剣の所有者はあなた、エリアス自身なのだから」

「そうかな?」

「自分で言っていたじゃない。エリアスと私はノルドの戦士だって」

「それもそうだな」と頬を撫でる。さすがに今は戦化粧をしていない。


 ミーナの確信に満ちた、英雄ヴァルトに選ばれた人間ノルドという言葉がエリアスの凍りついた傷口を優しく、そしてゆっくりと癒してゆく。


「そうに決まってるわ。それでなければ、ユマラ様が剣を下さるだなんて、そんな偶然ありえないもの。それも普通の剣じゃない。強い魔力を宿した魔剣よ?」

「この剣が魔剣!? そうなんだ。最初の内こそ重いと感じたけれど、今では本当に軽くて扱い易いんだ。今の剣の話や、暖を取る魔法プロテクション・フロム・コールドにしても、ミーナがいてくれて助かったよ」


 ミーナはため息をついた。


「なにを言ってるの。私もエリアスがいてくれたから、今この瞬間に生きてるの。私ね、海賊達に捕まったときには覚悟したわ」

「そっか。じゃあミーナ、俺達はお互いお相子あいこだ」


 エリアスは笑う。


「で、エリアス。その剣をちょっと貸してくれる? おまじないをけてあげるから」

「重いぞ?」


 エリアスは素直に剣をミーナへ渡す。ずっしりと重い剣だ。

 ミーナは英雄ヴァルトの剣を受け取ると「おっとっと」と取り落としそうになる。

 

「えへへ、意外と重いね、この剣」

「普段は重いんだ」


 意外そうな顔をするミーナ。

 だが彼女は直ぐに笑みを浮かべて柄を手にするや、ミーナは自らの長い髪を一本引き抜き、剣の柄に革の飾り紐を結びつけた。


「じゃーん。どうエリアス。可愛いでしょう?」


 彼女が満面の笑みで突き出してきたそれは、耳の長い四足動物、兎を模した飾り紐だった。


「兎だよね。ありがとうミーナ」

「ピンチになったとき、それを見て頑張ってね。きっと良い事があると思うから」


 ミーナは微笑みをエリアスに向ける。


「なんだよそれ」


 苦笑するエリアス。


「あはは。エリアスも私と同じようにユマラ様や英雄ヴァルト様の力を信じることができると良いわね」

「俺は俺自信の力で頑張りたいよ。出来れば英雄ヴァルトの手を借りずにね」

「まだ言ってる。エリアスってば本当に贅沢なんだから!」

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