第3話 旅立
エリアスの右手が震えた。目は見開かれ、ミーナとサロモンの間を何度も往復してみせる。
ミーナの命には変えられない。しかし、ここで海賊に従ってもエリアスとミーナの二人ともが殺されるか奴隷として売られていく可能性のほうが高いと思われた。
迷う。どうする。どうするか。
エリアスは迷う──目を瞑って考える。剣を持つ手が震え、震えは体全体に伝播し──迷う中、エリアスはミーナの声を聞く。
「エリアス!
ミーナが叫ぶ。
(我の子エリアス、さぁ、我の手をとり一歩前に進みなさい)
エリアスの頭の中に雷光が走る。彼はサロモンの持つ剣の支点、手首に目が行く。
それは丁度サロモンが、俯くエリアスの顎を持ち、無理やり自分と視線を合わさせようとした時だった。が、そこに少年の苦悩に満ちた顔はない。
──睨まれた。予想とは逆の反応だ。サロモンの勝ち誇った笑みが消える。途端、
「ギヤァアアアア!」
サロモンは狂った狼の遠吠えの様な凄まじい悲鳴を上げる。
「俺の、俺の手がぁ!?」
海賊の手首はエリアスの両手に掴まれ、そのまま骨ごと捻り砕かれたのだ。
恐るべき怪力といえよう。
エリアスはそのままサロモンの剣を奪い取り、袈裟懸けに一閃。サロモンの頭蓋から臍まで一気に断ち切った。ドサリと海賊の頭領の屍骸が崩れ落ちる。白い雪が脳漿と鮮血に汚れた。
「う、動くな!」
ミーナを抑えている海賊の一人が彼女の首筋に手斧を当てて叫ぶ。
「解放しろ」
エリアスは言う。
「命だけは助けてやる。だからミーナを解放しろ」
エリアスは血と脂で汚れた剣を片手に一歩一歩とミーナに近づきながら眼光鋭く海賊に迫る。
「本当に殺すぞ! おいコゾー! そ、それ以上近づいたら──」
エリアスはミーナの首筋に紅い糸が見えた。エリアスの目が見開かれ、怒りと共に右手が一閃される。ゴロン、と丸いモノが転げ落ち紅い液体の柱が天をつく。海賊の紅い血潮はミーナの白い顔を、金の髪を、獣の皮から作ったベストやスカートを赤に染めてゆく。
ミーナを抑えていたもう一人の海賊は仲間の死に呆然となり、その隙が彼を不幸にした。エリアスの振るう剣に胸を貫かれる。深々と埋まる剣。決して少年の力では、なし得ない技を彼は受けた。彼が最期に浮かべた意識は『神の子』という迷信深い思考だけ。
エリアスは腰の抜けたミーナの手を引き、自分の傍に寄せ、腰を抱く。
「さぁ、次に死にたいのは誰だ?」
エリアスは切れ味の落ちたサロモンの剣を捨て、封じられていた墓所で見つけた古代の英雄の剣を拾う。
そして残りの海賊は五人。恐怖に怯える彼らは戦利品として奪った宝を捨てる。一人が行動すると他の者もそれに倣う。
一人がユマラに呪いの言葉を吐き、脱兎のごとく逃げ出す。
「ユマラよ、正義の裁きを!」
ミーナは指輪を嵌めた右の拳を突き出し、
一部始終を見た残りの四人だが、
「
「助けてくれ、助けてくれ!! 魔女の手先だ!」
「人間じゃねぇ! この強さ、それにヤバイ魔法!
競ってエリアスとミーナのブーツに口付けしようとする彼ら四人がいる。だが、エリアスの意思は決まっていた。
「
四人の海賊は一斉に顔を上げ、我先にと許しを請う。
「止めてくれ、殺さないで!」
「助けてくれ!」
「頼む、頼む!」
「神よ!!」
彼らはエリアスのズボンに縋り付く。
「お前達は俺達の父や母が命乞いをしている時に、その声に耳を貸したか?」
それを聞くと海賊たちは息を呑む。彼らの表情が一斉に絶望の色に染まり、エリアスのズボンを引っ張っていた手を離す。
そこに一雫の慈悲も無い。
エリアスは剣を数度振るう。その度にエリアスとミーナの前に生首が転げ落ち、四体の胴から吹き出した血が彼らのブーツを血で汚す。雪が赤く染まった。
「復讐か。虚しいな」
「そうね。終わってみると、なんだか胸にぽっかりと穴が開いたような……そんな感じ」
エリアスは海賊の血に右手の人差し指を浸し、頬に三本の血化粧を施す。それを見ていたミーナもエリアスに倣った。これは勇気の印。彼らの部族に伝わる古くからの伝統である。大人たちがしていたように、何とか思い出して顔に線を引く。
「何人もの人を殺した。戦化粧もした。これで俺達は"戦士"だミーナ」
「そうねエリアス。私たちの父さんも、母さんも死んだ。でも復讐は果たした。これで私たちの父さんと母さんの魂はうかばれる」
恨みを晴らす、何よりも死者の魂を慰めるための最も良い方法である『復讐』を果たした。仇を取ったのである。彼らは村人の墓を作った。穴を掘り遺体を入れて埋めるだけだったが。一方で海賊たちの死体は金めの物と海賊の装備で使えそうなもの、武器防具で使えそうなものは全て奪った上で野晒しにしている。
「だけど、この村はもうお仕舞いね」
「ミーナ、遥か彼方……何日も昼と夜を繰り返した先にあるという"帝国"を目指して旅に出よう。俺達は強い。だけど油断しちゃ駄目だ。でも"帝国"はきっと俺達を迎え入れてくれる」
エリアスは父リクハルドから伝え聞いた異国の話、"帝国"の話をしてみせる。
「俺は剣の腕を鍛えようと思う。ミーナは"帝国"で魔法の腕を磨くと良い」
「うん。行こうよ二人で。二人で"帝国"へ行こう!」
間髪おかずにミーナは笑みを見せる。
「ああ、ミーナとならば安心だ。少なくとも不味い飯を食うこともない」
「ありがとうエリアス。エリアスと一緒なら、夜の獣に怯える心配はなさそうだもの」
お互いの条件は整った。もっとも元からこの二人の間に『別れる』という発想は無かっただろう。
◇
かくて彼らは針の木の茂る森深きフィヨルドの奥地、滅びた故郷を捨てて旅立った。
それはファルド帝国暦二百九十八年、ガイウス帝の治世二年の冬のことである。
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