灯台守と僕の海

かさまりお

第1話 夜明け前の静けさ

 朝、薄暗いうちから浜辺の砂を踏む。静かな波の音と、少し冷たい、洗いたてのような植物と潮の香り。早起きは苦手だが、この時期になるといつも早くに目が覚めて、薄ら寒いのにTシャツと半ズボンだけで家を飛び出してしまう。


 浜辺に腰掛ける。ここはとても居心地がいい。威勢のいい漁師も、騒がしいおばさん達も、意地悪な少年少女もいない。波の音、小舟の軋む音、風が草を揺らす音、小鳥がさえずる音、全てが僕に優しい挨拶をくれる。そして、日が昇る直前。灰色だった空が深い青色に世界を染める一瞬の光景が、一番の楽しみだった。


 海の中は、きっとこんな感じなんだろうな。と想像した。そして日が完全に昇ったころ、背伸びをして帰るのだった。


「ナギサ、おはよう。…また外に出ていたのか?」


 漁村のはずれ、海辺にある小さな家に戻るとソウヘイが朝ごはんを用意していた。


「…うん」


 頷いたナギサは食卓に座って魚のスープを啜った。


「朝焼けはいいよな。今の時期は漁がないから、静かだしなあ」


「朝焼けじゃなくて」


 そういいかけてナギサは口を閉じた。あの風情を口で伝えるのは難しいし、夜明けを散々見ている漁師のソウヘイにはわかってもらえないだろう。


「お前もカラクリばかりいじってないで、そろそろ外に出たらどうだ?もう16だぞ。他の子はみんな海に出てる。」


「漁師にはならないよ」


 ナギサはカナヅチだ。姉が亡くなって以来、海に入ることができなくなったのだ。


「跡継ぎをして欲しいわけじゃあねえよ。ただ、漁師の寿命はいつ尽きるかわからねぇから、な」


「不穏な事言うなよ。大丈夫、俺だって将来のことはきちんと考えてるよ」


「はいはい。まあ頑張りな」


 そう言ってソウヘイは、シワの多いゴツゴツとした手でナギサの肩を叩いた。

 朝食をすませると、ソウヘイは町へ出かけていった。ナギサは自室に戻り、机の上に積まれたガラクタの数々を眺めてため息をついた。


「姉さんの望遠鏡、何が足りないんだろう」


 幼い頃を思い出す。漁村のはずれ、海辺の小さなこの家で毎晩のように姉と見た星。5年前に姉が亡くなってからしばらくして、もう一度あの光景が見たいと思ったが、姉の望遠鏡は壊れていた。修理屋に持っていったが複雑な構造の為にわからないと突き返された。


 ナギサはベッドに突っ伏した。壁には沢山の設計図や星図が貼られている。


 もういい歳頃だ。町へ出て、仕事の手伝いや勉学を行わない限り一人前にはなれない。しかしながらナギサには仲の良い友人も将来の夢も無い。ただこの日常が永遠に続くことを虚しく祈っているが、この閉塞的な村での生活から抜け出したいという気持ちも心なし存在している。


 ナギサは窓を開けた。潮風がカーテンと髪を経由して部屋の中の埃をさっと晴らした。

 下の階から人の話し声がした。ソウヘイを含む数人の男の声だ。


「じいちゃん?仕事に行ったんじゃなかったのか?」


 ナギサは階段に座って階下を覗いた。漁師仲間の男が5、6人、何やら深刻な様子でソウヘイと話をしている。









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