AI 金庫の贈り物 ~BAR ハニー エル・ドラード編~

神月 無弐

第1話 酔悦

BAR ハニー エル・ドラード

前からずっと気になっている店だ。ビッグターミナルを2つやり過ごした郊外にあるこの店は、ちょっと前に取材拒否の店としてネットの掲示板で話題になっていた店だ。元プロカメラマンのマスターが趣味で始めたBARで、店名と同じ名前のカクテルが話題を呼んだ。

なんでも エル・ドラード(=黄金の理想郷)はマスターがライフワークとして世界各地を飛び回って追い続けた写真のテーマで、写真と一緒に現地で集めた貴重なハニー(はち蜜)を材料に加えて振舞っているそうだ。

その日の気分でマスターにすすめられた写真を見ながら このカクテルを飲むと、人それぞれの鮮明な理想郷のイメージが頭の中に浮かぶと評判になった。

人は飽きるのが早い。ミハーが苦手な僕にはブームが去って噂にもならなくなった今の方が都合がいいのだが。


僕は、毎日変わり映えのしない生活を送っている平凡な営業サラリーマン人生を送っている。

誕生日の今日でさえ祝ってくれるはずの彼女とは3日前に別れた。突然だった。まだ吹っ切れてはいない。最近、何をやってもツいていない気がする。(流れを変えなきゃ)

そんな憂さ晴らし半分、気まぐれ半分で、今夜 初めてここに来た。


【 エル・ドラード 】 かつての探検家たちが ある と信じていた黄金の理想郷。

僕の理想郷とはどんなところだろう?僕には はっきりとしたイメージがない。もし、エル・ドラードが見えたら何か目標でも見つけることができるのだろうか。見てみたい。今の僕には必要な場所だ。



♠ ♦ ♣


最寄り駅から徒歩10分ぐらいだろうか。

裏道を何度か右折すると、ひっそりとした路地裏に西洋風の外観が現れる。

特に看板らしきものもなく、入り口を隠すようにツタが絡まっていて1枚板の木材を贅沢にあしらったドアには「Honey El Dorado」と筆記体でシンプルに書かれていた。

店構えは歴史を感じさせる落ち着きがある。(もっと仰々しい店かと思っていたが、安心した)

ここまで来たなら迷ってもしょうがない。僕は思い切ってドアを押した。

カランコロン♪ コロン♪ カウベルのやさしい音が響いた。

「いらっしゃいませ。」

カウンターの中でカクテルグラスをふきながらマスターが笑顔で出迎える。

店内はカウンターメインのほど良い広さで、王道のBARらしくシックな木調で統一されている。違和感があるとすれば不釣り合いともとれる高そうな5.1chサラウンド・スピーカーシステムから重厚なクラシックが流れていて、古今の融和を思わせることぐらいだ。

壁のところどころにはマスターのコレクションと思われるモノクロームの写真がパネル張りされて、一つ一つ丁寧に間接照明でライトアップされていた。

客はL字型のカウンターの一番奥におなじ年頃だろうか、30代前半と思われる女性がひとり。マスターを見つめながら訳ありげに飲んでいる。きっとマスターの恋人か何かだろう。

「ここ、いいですか」

「どうぞ、お好きなところに」

入り口から2番目に近いカウンター席に僕は座った。

「初めてでいらっしゃいますね。」

「ええ。いい雰囲気ですね。来た甲斐がありました。」

「それは ありがとうございます。ごひいきに。何になさいますか?」

40・50代だろうか、見た目は30代にも見える精悍な顔つきのマスターが執事のように丁寧に応対してくれる。

「はい、ハニー エル・ドラード をお願いします。」

僕はミーハーではない、この店で一押しのメニューを確かめたかっただけだと自分に言い聞かせるように悟られまいと平静をよそおうのが精いっぱいだった。

「かしこまりました。」

マスターはそんな心の内を見抜いてか薄っすらと笑みを浮かべて無言のままカウンターの背面に並べられているガラス瓶に入った数種類のハチミツの中から一つをチョイスして、テキーラをベースにレモンジュース と3:2の割合でシェーカーに入れ、慣れた手つきで縦横に素早くシェイクした。

シャッ、シャッ、シャカシャカ、シャッ♪

数秒間 心地よい小刻みなリズムを奏でる。そのあと白い長い指でロックグラスに氷をころがすとシェーカーから黄金色の液体を注ぎ、1/16に切ったオレンジをグラスのふちに飾った。

「どうぞ」

気になっていたカクテルが今、目の前にある。

ハニー エル・ドラード

(なるほど、ハチミツが甘美な黄金色を作るポイントなんだな。黄金郷に見立ててる割には意外にシンプルだ。)

「いただきます」

一口含んでみる。すっきり爽やかなテイストだ。レモンの爽やかな酸味が鼻に抜け、なんとも言えないハチミツのほどよい自然の甘さがテキーラのとんがったアルコールを包んでくれる。クセになる味だ。

「どうですか?」

「飲みやすくて美味しいです。気に入りました!」

「それはよかった。アテ(肴)替りといっては何ですが、こちらをご覧ください。当店自慢の逸品 “ 理想郷 ” でございます。ごゆっくり。」

マスターは二つ折りの黒いカードをカクテルグラスの脇にそっと滑らせておくと、今度はにっこり微笑んで会釈した。

そしてまた、定位置まで戻るとカウンターに伏せてあったグラスをゆっくりと拭き始める。



♠ ♦ ♣


曲が変わった。バッハの「G線上のアリア」が静かに流れだし、重厚な音に全身を包まれる。こちらから問いかけるまで決して多くを語らないマスター。(なんて居心地がいいんだろう)

2口目をのどに流し込み、一呼吸おいて黒い表紙の二つ折りカードを開いてみる。そこには少女が一人寂しそうに膝を抱えているモノクロ写真が貼り付けられていた。(これが黄金の理想郷?)よく見ると少女は微笑んでいるようにも見える。写真の少女と目が合た。と、突然、イメージが見えた。

「わたし寂しくないよ。だってあなたがいてくれるから。一緒に行きましょう、二人だけの理想郷へ。」


いつの間にか少女と手をつないで歩き出していた。なんて気持ちいいんだろう。果てしない奇麗な草原、澄んだ小川、小鳥たちがさえずる森を抜け、色とりどりに咲き誇る花畑を通って虹のアーチをくぐると目がくらむような黄金色の光が1ヶ所に集まって球体になったり、一気に散乱したかと思うとホタルのように思い思いに飛翔して幻想的な空間を演出した。ここが、エル・ドラード!黄金の理想郷?!

もう一歩踏み出した時、僕たちは唐突に何かに跳ね返されてしまった。どうしたんだ。もう一度、慎重に踏み出してみる。目には見えないが、透明なオーラで囲まれた壁のようなものを確かに感じる。

「ここには黄金を守るための結界が張られているの。入口はここだけよ」

少女にさらに手をひかれて立ち止まった先には、鋼鉄の大きな観音扉に頑強な太いチェーンが幾重にもかけられ古代の装飾が施された大型の南京錠がガッチリとかけられていた。

「いつもここまでなの。この中に入れたら・・・」

少女はそういうと見えない壁に手を触れた。

えっ!?

少女が手を触れると子供からオトナになった美女が見えた。長い黒髪に黒目の大きな二重まぶたが特徴的で嫌でも人を惹きつける。ほどよく膨らんだバストからヒップへのラインは見事なほどのS字だが抱きしめると壊れてしまいそうな華奢な体だ。顔には見覚えがあるような、どこかで会ったような…。頭をフル回転させる。

「自信をもって。あなたはクズなんかじゃない」

思い出した! おもかげがある。

子供の頃、引っ込み思案でいじめられていた僕に希望をくれた人。ずっと女神のように思っていたのに感謝の言葉も伝えられないまま疎遠になってしまっていた。

「ユイ(唯)」

この人こそ僕の運命の人。ずっと思い描いていた理想の恋人だったんだ。やっと会えた。元カノへの未練など、いっぺんに吹き飛んだ。理想のその子、ユイを僕は無条件で好きになってしまった。

「あそこに行けばわたしはオトナになれる。そしたらいっぱい愛しあえるのに」

その通りだ。

子供のこの子とではKissもおろか恋愛さえもできない。カギを探さなきゃ。ずっと一緒にいたいんだ。

「カギはどこにある?」

「あそこだよ!」

少女が指さす方を振り返ると!!

イメージはすっかり消えてなくなってしまった。



♠ ♦ ♣


「お客様、どうかなされましたか」

見回すと元の店内だ。マスターと さっきからいたカウンターの女が心配そうにのぞき込んでいた。どうやらいつの間にか意識が飛んでしまっていたらしい。

息だけが荒いが不思議と全身の疲れが取れて若返ったようにチカラがみなぎっている。(これはもしかしてヤバいドラッグでも盛られたのか!?)見回しても煙や香り、粉などと思われるようなものは何もない。カクテルが出来上がるまでずっと手元を見ていたのだからマスターがドラッグか何かを入れたことも考えにくい。落ち着いて頭を整理ししてみる。

カクテルを頼んで・・・黒いカードを広げて・・・そうだ!

「 マスター、あの子を、 いや、あのカードを」

混乱していた。

カウンターにおいてあったそのカードをあわてて開く。この写真の女の子が・・・変わらない寂し気な少女の写真。いくら触ってみても写真は写真でしかない。(いったい何だったんだろう)キツネにでも化かされた気分というのはこういう事をいうのだろう。



♠ ♦ ♣


「エル・ドラードにはたどり着けましたか?」

とマスター。まるで事情を知っているかのように落ち着いた声だった。

「あれは何ですか?」

「テキラーの量が少し多かったでしょうか。入口にお立ちになるあなた様を初めて拝見した時、女性問題で悩んでらっしゃる印象がありましたのであの写真をお選びさせていただきました。長年この商売をしていると感じてしまうものなんですよ。」

「いや、あの、・・・」

「ああ、ご心配は無用です。私には難しいことはよくわからないのですが、世界各地で入手した貴重なハチミツの成分の中には一次的に気分を高揚させる作用があるものもあるようだと専門家がサンプルを調べておっしゃっていました。もちろん、法に触れるようなものではありませんのでご安心ください。」

(今そんな話はどうでもいい。あの人に会えたのだから。。。なぜ、ユイがあそこに居たのか、そもそもあの子はユイなのか、確かめたい。もう一度 行かなきゃ)

「じゃなくて、 さっきから気になってるんです。マスターの後ろの壁に埋め込まれているキューブ型のケース」

まさに、あの時 少女が指さしたところには、見慣れないオブジェのような立方体があったのだ。

「ああ、お気づきでしたか。これは AI-金庫 です。」

「AI-金庫?」

「人工知能AIの最新技術を使ってロックの施錠/解錠を行える金庫です。半年ぐらいになりますでしょうか、最上級のハチミツを狙って空き巣に入られることが何度か続きました。当店にとっては宝のようなものなので毎日自宅に持ち帰っていたためハチミツは無事でしたが警察の調べでは、当店のカクテル(ハニー エル・ドラード)であなた様と同じような悦楽の体験をなされ病みつきになった方や噂を聞きつけた悪い輩たちが争うように奪いにきた可能性が高い。いくら商品とはいえ慎重に取り扱うべきだと大目玉を食らってしまいましたよ。(苦笑)」

「ということは、中身は?」

「はい。究極のカクテル 【ハニー アルカディア(Honey Arcadia =最愛の理想郷)】 のレシピ と 至高のハチミツ 【黄金百花蜜 (おうごんひゃっかみつ) 】です。残念ですがハチミツもあと数杯分しかありませんし、持ち歩くことで私の身に危険がおよぶことも否定できませんので金庫で保管することにしました。」

そういうとマスターが金庫に触れた。

すると指紋認証だろうか、いきなりケース全体が化学変化を起こしたかのように一瞬で透明になった。

「わぁっう!! 」

(驚いた)

中には、レシピと思われる二つ折りにされた黄金色のカードと50ml入りのアンプルに入ったハチミツが3本 小さなトランクケースにきちんと納められて浮かび上がった。さらに聞いてみると写真を撮りながら世界各国を飛び回って得た情報では、エル・ドラード(黄金郷)と日出ずる黄金の国ジパングは何らかの因果を持って理想郷への門番の役目を成しているらしいこと、黄金百花蜜はエル・ドラードとジパングを往き来していたとされる最古のニホンミツバチから採取されたもので、ミツバチは普通1種類の花の蜜を集めるのだが、この黄金百花蜜はニホンミツバチによって様々な花の蜜を何らかの意思によって神がかり的にブレンドされるように集められたという超レアもの。このハチミツ無くして究極のカクテル【ハニー アルカディア(Honey Arcadia) 】は作れない。ハニー アルカディア を味わうことができた者にだけ、一見何の変哲もない金色のレシピカードに夢の続きのようにイメージが浮き上がって、再び黄金の理想郷に導いてくれる。

「よって、エル・ドラードへの地図であり、カギであり、チケットだとも言えます。」

とのことだった。

ということはハニー アルカディアを飲めるチャンスはあと数回。誰かに先を越されてしまったらもう究極のカクテルを飲むことも、あの子、いやユイに会うこともできなくなるだろう。

これは絶対に逃せない。

「僕に その究極のカクテルを作っていただけませんか?」

「・・・それが・・・できないのです。」

「どうして?」

「このAI-金庫は世界一のセキュリティが売りで、一度 解錠方法の条件を決めてしまうとそれが充たされるまで絶対に開けることはできないんです。」

「条件?!」

「はい。難しいことではありません。写真です。」

「写真?」

「はい。エル・ドラード(黄金の理想郷)のイメージは人みな違います。そのためにより理想とするエル・ドラードのイメージを平均化したくて多くの画像データを蓄積しながら同時に金庫のAIに解析させようと思ったのです。

元プロカメラマンである私のライフワークの相棒ってことになりますね(笑)」

「う~ん、写真といわれても僕は素人だし。」

「大丈夫です。多くの視点からのデータの方がいいに決まっています。AI-金庫と対になっているこのアプリをケイタイに DL(ダウンロード)して10,000 pt(ポイント)分の写メを貯めるだけです。人物もしくは体の一部が一緒に写っていれば、物、風景、動物、天気、日常、ジャンルは何でもかまいません。」

「写メかぁ」

「もちろん画像データであれば、一眼レフカメラ、デジカメ、PCなどで撮ったものでも構いません。」

「1枚×1ptとすると10,000枚が必要なわけですね」

「いえいえ、そうとも言えません。撮った写真はこのアプリを通して転送した時点でAI-金庫が瞬時に過去データからポイント換算し、記録してくれます。写真の内容によって 1pt 〜 1,000 pt まで様々です。基準は私にはわかりません。AIの個性としか。」

「開けた人はいるんですか?!」

「ええ、何名かいらっしゃいます。政治家、女性社長、医師、弁護士、パイロット・・・、ハニー アルカディア で黄金の理想郷をご覧になった方、みなさん生活が一変されています。」

「普通の人間じゃだめなんですか」

「いいえ、資格などいりません。たまたまです。ただし、期限はDLした日から2週間です。」

(あの子が、ユイが待ってる。どうしても、もう一度エル・ドラードに行きたい。そして、確かめたい。チャレンジするしかないだろう。それが男ってもんだ!)

「やります。やらせてください!エル・ドラードに会いたい人がいたんだ」

「ほー、わかりました。お止はしません。ですが、2週間て意外に短いですよ。みなさん苦労なされていました。」

「それでもやらなきゃ。僕、あの子と変わりたいんだ!アプリのDLお願いします。」

僕は迷わずスマホをマスターに向けてカウンターに置いた。


初日  23:00

会計を済ませて帰路につきながら、期限2週間で14日間ということは1ptなら1万枚÷14日間で1日× 714枚、10ptなら 1,000枚で1日 × 71枚、100pt なら 100枚 で 1日 × 約7枚のペースかぁ。

さて、何を撮ろうか。いざ撮ろうとすると意外に考えてしまう。駅の人混み、スマホでゲームに夢中の若者、道端に座りこんで大騒ぎしている女子高生、酔っぱらって肩を抱えられてるサラリーマン。(今まで気がつかなかったけど、街はいろんな人であふれてるんだな)

とりあえず被写体からやや離れたところからファインダーに人物を捉え10枚ほどシャッターを押してみた。

「アプリを起動して、送信っと」

これで良し。わずか3秒後、携帯にメッセージが点滅した。


【ご登録を承認いたしました。現在10枚10pt-解錠充填残 :9,990ptです】

やっぱそっか、1ptねえ。10pt、100ptってホントにあるのかな?とりあえずは枚数を稼ぎながら傾向を見つけていくしかなさそうだ。


部屋に戻って、今日起こった出来事を振り返って自分なりに咀嚼した。そして、僕はたまらなくなって大人になったあの子、いやユイの姿を思い浮かべてなかなか寝付けなかった。(早く愛しあえたらいいのに)

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