月に濡れたふたり(2)
けれど定時をかなりすぎてからひとりで会社を出ると、どっと体が重たくなった。
川村が帰り際「明日は休みだしのんびりすればいいさ」なんて声をかけてはくれたけど「憂さ晴らしに飲みに行くか」とは言わなかった。彼にしてみればこんなことは気にするほどのことではなくて憂さ晴らしするほどのことではないのだろう。
理不尽だ。日のすっかり落ちた街路を歩きながら自分が落ち込んでいるのか怒っているのか渉にはわからなかった。ただただ理不尽だ。社会のそれに初めてぶち当たったことを自覚した。
鏡を見なくても自分がひどい顔をしていることがわかる。こんな顔で家に帰りたくない。
改札前を素通りし駅構内の中央通路を通り抜けて戦国武将の像が佇むロータリーへと出る。キヨスクで缶ビールを買って街路樹を丸く囲んだベンチに座った。
かしゅっとプルトップを開いたとき、自分の手の影がいやに濃いことに気がついた。
背後を見ると、まだ低い位置に明るい月が浮かんでいた。ほぼ丸く見える。満月だろうか。渉はベンチを移動して月の見やすい位置に座り直した。月見ビールだ。
既に秋といえるひんやりした夜気の中でビールの冷たさは体が震えるほどだった。疲れた身体に染み渡る、というやつだ。社会人になってこんなに疲れたのは初めてだった。
自分は仕事に恵まれていると感じてはいた。本当にその通りだった。そして今日ぶち当たった事故など大したことではない。世間知らずの若造が少し意地の悪い年配者にいじられた、それだけのことでめそめそしてたら恥ずかしい。
商店街や商業ビルが連なる向こう側のロータリーとは違って、こちら側は人通りもなく静かだった。新幹線が到着すれば、しばらくしてから荷物を抱えた人たちがタクシー乗り場に向かったり迎えの車を待ったりしていたがそれも数人だ。
これを飲み終わったら家に帰ろう。そう考えていたとき背後から声がした。
「げ、何してんの。おっさんじゃん」
失礼な。首を捻って見上げる前に
「帰り道こっちじゃないだろ、ストーカー? きも、やめてよ」
「なんでもかんでもストーカーって言えばいいと思ってない?」
俊は肩を竦めて無駄話する気はないとばかりに駅の中へと入っていった。
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