誰が為のおしゃれか(3)
そうだ。茅子は真面目すぎる。だからエリート営業マンである清水が嫁にしたいなんて言うのだ。
まだ社会人一年生でしかない渉にとっては「嫁」だなんて現実的すぎてそこまで考えは及ばない。でも、自分が茅子のことを憎からず思っていることは確定済みの現在進行形で、その茅子が目の前で口説かれるのを指をくわえて見ているほどなよっちいわけでもない、と渉は自分を分析する。
ここは邪魔をしてやらねば、と己を奮い立たせて一歩を踏み出そうとしたとき、壁越しに大きな声が聞こえた。くぐもっていて何を言っているかは聞き取れなかったが、係長が誰かをどやしつける際のトーンな気がする。
給湯室から清水と茅子が顔を出す。廊下の壁に背を付けている渉に気づいて茅子はぱっと俯き、清水は吹き出しそうな顔をする。ちきしょう、と思いながら渉は踵を返して居室に戻る。
思った通り、係長の前に遠藤と小永井が立たされていて、お叱りを受けている最中のようだった。係長は薄いブルーのチラシを手にしている。
「今度の講習会はいつもと場所が違うから気をつけるようにって俺は念を押したよね」
「聞いてませんでした」
うなだれている小永井が小さな声で、でもしっかり言う。
「俺は遠藤くんに頼んだよな? 一応確認するようにって」
「でもそんなの、メモをちゃんと見ればわかりますよね」
「そこを一応、ちゃんと伝えろと言ったんだ!」
言い出しから最後に向かってボリュームが上がる怒鳴り方をしながら係長はふたりを睨む。
製造業事業所に工作機械のリース・販売をしている渉たちの会社では、地域の銀行や自治体に協力を仰いで講師を招き、地元中小企業の経営陣向けに補助金制度や資金繰り、最新技術の紹介や業界の動向などを説明するセミナーを不定期に開催している。
その会場としていつも借りている商工会議所ビルの大会議場を今回は押えられず、来月のセミナーは地元コンベンションセンターの小ホールで行うことになっていた。
どうやら、セミナー開催のチラシを印刷会社に発注した小永井が、場所はいつも通りだと高を括って確認を怠り、間違った情報のチラシができあがってきてしまったようだった。係長は遠藤に伝言を頼んだのに伝えられていなかったことで遠藤も一緒に怒られているようだった。
「この間違えた一千枚、どうしてくれるんだ?」
嫌味たっぷりに係長が言い放った直後、向こうの壁際から冷静な声がそれに答えた。
「係長。光堂印刷さんがすぐに訂正シールを刷って届けてくれるそうです」
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