第60話 最終決戦➂怪獣型影喰い

 氷月という謎多き男の辞書に『想定外』という言葉はない。


 所属する組織から与えられた任務内容は、影喰いによって滅びた世界『シャドウ・ワールド』との“門”が断続的に繋がってしまう街、二色町に異常がないかを調べ、レポートにまとめ提出するという、それだけのものだった。


 だが、1000年前の黒い歴史、国政にも幅を利かす地元の名士・暁井あけい家の存在。世にも珍しい潜行障害の少年が街にいること。さらに、なんとなく嫌な予感がすることなどから、氷月は、任務内容を『この街で起きている(かもしれない)事件の調査・解明』と勝手に変えた。


 それが、彼のやり方だった。


 ひとたび任務を与えられれば、先の先まで計画を立てるということをせず、場当たりのアドリブで物事を解決する。


 そうしたことに、論理的な裏付けはない。ただ一点、敵は相当に強大であり、生半可な計画性など容易く看過されてしまうので、ならば、敢えて常道など無視して無茶苦茶に動いた方が先を読まれなくて安心だということだけだ。


 そんな氷月を、組織は苦々しく思いつつも、手放せないでいる。


 知力、体力などの面で氷月よりも能力のある人材は、組織にいる。


 だが、こと想定外が繰り返されるこの異世界を巡る仕事において、彼以上の適任はいなかった。


 もし、彼以外のものがこの任務に当たっていたら、外面は平穏な街の様子をしばらく観察して『問題なし』の報告書を作成していたか、さもなくば、こうして他者の身体を乗っ取る能力を隠し持っていた影喰いの王を前に、情けなく狼狽うろたえてしまっていただろう。


 氷月の辞書に『想定外』の文字はない。


 一秒先も成り行き任せの博打と即興で動く男は、小柄で色白な文学少女が全身に黒い影を纏わせて、虚ろな目で話し始めたのを見ても、眉一つ動かず事態を受け止めた。


「一般人を連れてきたのは、蒙昧もうまいであった。焼きが回ったのではないか“葬儀屋”」


 氷月というコードネーム以上に有名な、組織内での仇名あだなで彼を呼んだ影喰いの王の言に、相好を崩して返答する。


「いいや、俺の勘が彼女の参加を決めたんだ。何一つ間違いはないよ。その子は必ず助かるし、お前の下らない謀略ぼうりゃくついえる」


 その言葉にまったく嘘偽りや虚勢はなかった。眼前で少女の面を借りて微笑する影の首魁しゅかいも、“組織”の人間も、そして氷月も、誰もこの状況を正確にコントロールできてなどいない。その事実が、彼に余裕をもたらしていた。


「“葬儀屋”の氷月、貴殿が私に敵うとでも?」

「俺は勝てない」


 あっさりと言下に否定する氷月。その代わり、彼は指を一本立てると、その先を、黎明の空に向けた。


「勝つのは、今も空で戦い続ける彼らだ」


 影喰いに支配された明の表情は動かない。


「お前は黎を利用し、苦節十年でようやくあの塔の牢獄から脱し、また、この街からも出ようとしている。ここまでの絵図を描いたまでは上手い筆運びだったが、晃陽が物語に割り込む展開を読んでいなかった。十四歳の、あくまで普通の少年を舐めていた。油断していた」


 いつまでも明けない薄暗闇の天空、ジオラマのような街並み。


「下らない停滞を打破するのは、いつだって晃陽のような人間だ」


 氷月は、そう信じていた。


「だから、この勝負は絶対にが勝つ」


 そして、上空に向けていた指を、地面と平行に向け直した。


「お前はラスボスを気取った一介の牢名主ろうなぬしだ。脱獄のとがは黎が、世界を滅ぼす悪行には晃陽が始末をつける」


 そのとき、大きな振動音が静寂の街に轟いた。影喰いの王が作った巨大な怪鳥が落下した音だ。


 ここまでの冒険で、確実に晃陽は力を付けている。


「さて」


 氷月はCTを操作し、“鍵”を開いた。二人の少年と同じく、氷月も自らの役目を果たすべく、宣言した。


「始めるぞ影喰い。負けの決まった最終決戦ラストステージで、せいぜい粘り強く足掻あがいてたおれろ」


 操られた明の表情筋が動き、哄笑こうしょうを形作った。


※※


 墜落した怪鳥は、しかし、動きを止めなかった。それだけではない。倒れ伏せた状態から首だけを持ち上げると、猿叫えんきょうの如き甲高い鳴き声を放った。


『キエエエエエエ!!!!』


「何が起こってる?」


 宙に浮いたまま、その成り行きを見つめていた晃陽が、同じように黎に「晃陽、まずいことになったぞ」と言われた。


「黎、いつの間に飛べるようになったんだ、そんな翼なんか生やして」

「触手が出せるんなら、形を変えて羽根にもできるんじゃないかって思ったら、できた」


 どんな仕組みだと思ったが、今は眼前の状況に目を奪われてしまっていた。


 西にいた巨大なアメーバが大量に分裂し、倒れた怪鳥に降り注いでいる。片側がもがれた羽根が引っ込み、代わりに腕が伸びた。鳥類特有の鍵爪のあった後ろ足が太く長くなり、直立での二足歩行を可能にしていった。首が太くなり、巨大なあぎとを持った爬虫類の顔へと変わる。


『グオオオオオオオ!!!!』


 晃陽の耳朶じだを野太い低音がつんざいた。


「晃陽。話の続きだけど、どうやら影喰いの親玉はあのデカブツの中にはもういないみてーだ。早く探しに行かないと……晃陽?」


 しかし、両手を剣の柄に沿えて、全長五十メートルはある超巨大な影喰いを見据える眼鏡の少年の視線は、微動だにしない。


「晃陽! とりあえずあいつは無視だって!」

「それは……分かってる。ああ、分かってるさ」


 しかし、と、晃陽は勢い込んで黎の方に向き直った。


「しかしだ、黎。あの姿を見ろ。怪獣だ、怪獣だぞ。あれにときめかないのは男に生まれた意味がないとすら言えるのではないだろうか? いや、まさしくその通りだと―――」

「うるっさい。興奮すんな中二病」


 敵愾心てきがいしんと、敵の妙な遊び心に通じ合ってしまう自分の心との、間抜けな板挟みにあっている友を黎は冷たく切って捨てた。黎は特撮にはあまり食指が動かないタイプだった。

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