黄昏街と暁の鐘

祖父江直人

序章 黄昏の街

第1話 東雲家の朝

 西暦2030年、3月。

 N県二色にしき町。

 薄暗い町を一人、歩く少年がいた。


 東雲しののめ晃陽こうようの朝は早い。 


 とはいえ、いくらなんでも早過ぎる。空は暗く、曇天の日中にカーテンを閉め切った室内程度の明かりしかない。

 未明。事件報道などで使われる言葉の意味が『明け方』の意であることを知ったのは、つい一年前だった。


 確か、もう一つ呼び方があったはずだ。この街に越して来てから二年。もうすぐ中学二年生の中二病である晃陽をときめかせるフレーズが、あったはずなのだ。


 しかし今は、ほかのことに意識を持って行かれている。


 まず、自分がいつ外に出たのか分からない。


 父親が働くフィルム工場の社宅から、どうやってここまで歩いてきたのか覚えがない。


 この道にも見覚えが無い。薄暗いからか。越してきたばかりのとき、散々一人であちこち探検したにもかかわらず、まだこの小さな街には自分の知らない道があったのか。


 まだまだ不思議なことはある。


 明け方ということを差し引いても、人の往来がまったくない。


 車のエンジン音。

 タイヤが地面を滑る音。

 キジバトの鳴き声。

 昼夜盆暮れ年末年始を問わず稼働し続ける父の職場の機械の音。

 風の音。


 何も無い。


 あるのは、晃陽が一歩進むごとに鳴らされる靴音だけ。


 目を空に向ける。


 時計が手元に無いが、体感ではかれこれ一時間ほど、『未明』が続いている。


 日が、昇らない。


 遠くの空が薄く光っている。それが、辛うじて薄暗い世界の光源になってはいるが、不気味さは軽減しない。


 そして、


「なんだ、これ」


 我知らず呟いていた。


 見上げた空。

 あるはずの無い異様。

 ついさっきまで気付かなかった。

 そんなバカな。

 脳が見ることを拒んでいたのか。


 巨大な塔だった。


 雲を貫かんばかりに生えた、円柱状の異形。自分の住む街に、こんなものがあった覚えはない。むしろ「あってはならない」と思いたくなる。


 圧倒的な存在感を前に足がすくむと同時に、冷静な頭がこうも言っていた。


 これは、夢だ。


 実のところ、この夢は、初めてではない。


 目が覚める度に忘れ、また同じように、誰もいない街と明けない夜に怯えることになる。そして、巨大な漆黒の塔に度肝を抜かされた時に、ようやく思い出す。


 いつもそこで目が覚めてしまう。


 つまらない。


 せっかく、


 そう思いながら、晃陽は覚醒へと至る。自宅の一室で起き上がると、案の定、夢のことは、何も覚えていなかった。


※※


 災害やオリンピックや、その他さまざまなイレギュラーな出来事が起こりながらも何となく平和な2030年。


 全没入型VR技術『電脳潜行』が可能となり、次世代資源『人造燃料』も流通するようになった現代においても、人間は、夜勤残業の辛さからは逃れられないでいた。


 東雲あきらはそろそろ四十代が射程に入った身体に鞭を打つように、社宅に到着した。


 来年には持ち家を得る目途が立っていたが、それでなくても、我が家は良いものだ。

 きっと今日も、妻が眠る前の朝食を作ってくれている。

 ちょっと変わっているが、一人息子も元気だ。


 自分は、幸せ者だ。


「何でアンタはいつもそうなんだ」


 が、輝の思いとは裏腹に、帰宅した彼に課せられた次なる仕事は、親子喧嘩の仲裁だった。

「あら、お父さんお帰りなさい」

「だからちゃんと会話をしろキャッチボールをしろ投げ返せ。あ、父さんおかえり」


 否、正確には、晃陽が母に対して一方的に怒っていた。


「ただいま。なにかあったのかい」


 身長は平均よりやや低めで、勉学の出来は芳しくないが、意志の強そうな大きな目が輝を捉える。


「あなたの奥さんはやはりおかしいぞ」

「急にどうした息子よ」


 お前の母でもあるのだぞ。とはいえ、珍しいことではない。輝は、こんな時間もそんなに嫌いではなかった。


 聞くと、どうやらこんな顛末だったらしい。

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